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魔法の存在がはじめて認められたのは、東京オリンピックが開催された翌年だったという。
噂なら前々からあった。侵入の痕跡を一切残さない空き巣、相次いで発見される不審死体。それまでには見られなかったような奇妙な事件が続発するようになった。ある事件の犯人として出頭してきた容疑者が魔法を使ったと供述してはじめて魔法の存在が認められた。
魔法によってできることは多岐に渡った。透過魔法を使えば、何の痕跡も残さず民家に侵入することができたし、局所的に有毒ガスを発生させて人を死に至らしめることもできた。銃弾の軌道だって自由自在に逸らすことができる。何もないところから発火させ民家を火で包むこともできたし、それを一瞬で消火することもできた。
魔法を使えるのはどういうわけか日本在住の若い女性に限られていた。彼女らは早くて十歳前後でその才能に目覚め、だいたい三〇歳前後には力を失うと言われている。
魔法によって犯罪を犯した者は魔女と呼ばれ蔑まれた。事件の陰に女ありとは昔からの言葉だが、この頃からまったく別の意味を帯びてくる。奇妙な事件が起こるとまず、若い女性が疑われるようになったのだ。
相次ぐ魔法犯罪に対抗すべく、魔法取締法が施行されたのは川端康成がノーベル賞を取る半年前のことだった。これは魔法使いに届を義務付け、魔法の原則使用禁止を定めたものだ。
それと同時に、魔法使用の虞がある被疑者に対する拳銃の使用基準が緩められた。尤も、それらはいずれも付け焼刃の対応に過ぎなかった。こっそり魔法を使う方法はいくらでもあったし、拳銃は魔法に対抗するにはあまりに頼りなかった。
そこで警察は考えた。蛇の道は蛇。すなわち魔法使いを取り締まるには魔法使いの力が必要だと。
こうして、魔法を使える人材を独自に採用し魔法犯罪の捜査に当たらせる制度が出来上がった。これが魔法犯罪捜査官の歴史の始まりとなる。魔法学校の前進となる養育期間ができたのもこの頃だ。
やがて訓練を受けた魔法使いの人材が揃うと彼女らは全国の警察本部に配属され魔法犯罪の捜査に携わるようになった。
現場からは「捜査のイロハも知らないお嬢ちゃんたち」を招くことに対するバッシングもあったが、魔法犯罪の検挙率がめきめき上昇してもなお不満を口にするものは少なかった。
魔法犯罪の認知件数は高度経済成長期の末期にピークを迎える。それはまた同時に魔法捜査官たちが最も輝いた時期でもあった。一部の魔法捜査官はカリスマ的な人気を博した。後に自伝を出版した捜査官も少なくない。また、海外の学者や好事家からも魔法使いは熱視線を浴びた。魔法使いは時代の寵児だった。
ユリが魔法の才能を見出されて上京したのは、十三歳のときだった。田舎に訪れたスカウトは元魔法使いのお姉さんだった。「君は魔法の素質があるよ」という言葉には半信半疑だったが、一週間後には両親を説得して東京の魔法学校への入学を決めていた。
ユリの決断は周りを驚かせた。友達、教師、両親。みんなユリが田舎に骨をうずめるものだと思っていたらしい。兄を除いて、ユリのひそかな憧れを知る者はいなかった。
魔法捜査官の活躍はしばしばメディアで取り上げられる。ニュース、ドキュメンタリー、ドラマ。週刊誌では魔法捜査官好感度ランキングなんて企画も定期的に見かける。
捜査機関に従属する人間にこれだけのスポットが当たるのは異例といえば異例だが、これは警察としても納得ずくのことだ。「かっこいい魔法使い」というイメージを広めることで、潜在的な魔法素質者を警察に引き込もうという意図があるらしい。また最近特に目立つ警察不祥事によるイメージダウンを払拭するのにも魔法使いたちの活躍はよく利用される。
ユリが子供の頃にも、魔法使いを取材したテレビ番組が根強い人気を持っていた。彼女らの活躍は華やかだ。警察への風当たりが日増しに強くなってきている昨今だが、将来なりたい職業のアンケートを取れば、警官よりも魔法使いの方が上に来る。
――女はいいよなあ。魔法が使えて。
兄は魔法使いのファンだった。丸刈りの野球少年のひそかな趣味がそれなのだから、おかしなものだと思う。彼も周りには秘密にしていた。
――みんながみんな使えるわけじゃないよ。
――そうだけど、可能性があるだろ? やっぱりうらやましいよ。
――可能性?
――そう、実際には才能なんてこれっぽちもなかったとしても「もしかしたら」ってのがあるわけだろ。そういうのって夢があるじゃん。ここだけの話、叔母さんも三十すぎるまで期待してたらしいし。
ユリは兄と一緒になって目をきらきらさせながらテレビにかじりついた。実家のラックにはその番組を録画したDVDが何枚も並んでいる。
上京するにあたって、ユリはそのうちの何枚かを持っていくことにした。訓練で失敗したり、教官に怒られて落ち込んだとき、そういったDVDを見て何度自分を奮い立たせたことだろう。
現場に残された魔法の痕跡を読み取る能力に長け、鑑識部門で活躍した魔法使い。
隠蔽魔法を見抜く能力から、麻薬捜査に従事した魔法使い。
戦闘に特化した魔法を持ち、数々の凶悪な魔女と渡り合った魔法使い。 しかし、ユリが誰よりも気に入っていたのは、天川テルという魔法使いだった。他の捜査官に比べて華やかな魔法が使えるわけじゃない。検挙する犯罪も地味な街頭犯罪が主だった。
テレビに映る魔法使いはいずれも自信に満ち溢れていた。けれど、天川テルはそうでなかった。ときおり、どこか自信なさげな表情を浮かべるときもある。うっかり自分にふさわしくない場所に迷い込んでしまったとでもいうような表情だ。
――わたしが検挙するのはたいていは弱い子たちなんです。水が低いところに流れるようにして、犯罪に行き着いてしまった子たちなんです。
そんな言葉が印象に残っている。彼女が少年課に勤めていたとき、取材のカメラにふと漏らしたものだ。
――それでも、わたしは捕まえなければなりません。その子たちがこれ以上道を踏み外さないためにも。
彼女はきっと自分が弱いことを知っているのだろう。犯罪者の中に自分と同じ弱さを見出しているのだろう。その弱さ、揺らぎがユリの心をとらえた。
きっと自分もコンプレックスが強いからだとユリは思う。自信がなくて、何をするにしても一度足を止めて考えずにはいられない。
けれど、天川テルはそこで止まらない。悩んで、苦しいはずなのに前に進む。崖の突端で踏ん張って、うんと手を伸ばす。そこから落ちようとしている人たちを救うために。
ユリは自分が臆病だからこそ知っている。それは大変なエネルギーを要することだ。どうしたらそんなことができるようになるのだろう。どうしたら自分も彼女のようになれるのだろう。そんなことを考えるようになった。
彼女のことを考えると宙に舞い上がるような気持ちになることもあったし、地面に埋まってしまいたいほど惨めな気持ちになることもあった。そんな気持ちを経験するのはまったく初めてのことだった。
天川テル。
憧れの魔法使い。
短く切りそろえた黒髪。
すらりと伸びた肢体。
トレードマークの星型のヘアピン。
そして、その特徴的なハスキーボイスはバスの運転手に要求を発したのとまったく同じ声だった。
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