第16話 Boy's Side(2)

 そもそもそんなつもりでサラを家に呼んだのではなかった。一緒にビデオを見ようとしただけだった。昨日レンタルショップに行ったら、新作のDVDが出ていてそれを借りてきたのだ。ホラー映画のシリーズもので、ぼくは新作が出るたびに必ず観ていた。ただ、問題がひとつだけあって、実は一人では怖くて観られなかった。ならどうしてわざわざ借りるんだ、と言われても、怖いけど面白いから、としか言えない。誰かがそばにいてくれれば大丈夫なのだ。

 だから、父さんか母さんと一緒に今日の休みに観ようと思っていたら、二人ともそれぞれ別の用事で夜まで留守にすると今朝いきなり言われて困ってしまった。新作だから明日までに返さなければいけないし、ぼくの少ない小遣いから延滞料金を支払うのは正直きつい。でも、だからといって、誰もいない家で一人で怖い映画を観るのも嫌だった。泣いてしまうかもしれない。

 誰か友達を呼ぶしかなさそうだった。しかし、学校の友達を呼ぶと、びびりだとからかわれそうなので、それはできない。ヒカルちゃんの顔が思い浮かんだけど、彼女は情けないところを一番見られたくない人だし、何よりも夏休みにへまをしてしまってから一度も会っていなかった。もう会えないかもしれない、とまで思っていた。そうなると、あとはもうサラしか思いつかない。あの子にならびびっているところを見られても大丈夫な気がした。たぶん他人ひとにも言ったりしないだろう。そう思って電話をかけると、幸運なことにサラも今日は予定がなかったそうで、すぐにOKしてくれた。1時間くらいで来られるというので、それまでにコンビニに行って飲み物やお菓子を買っておくことにした。


「お邪魔します」

 サラが玄関先でにっこり笑った。白黒のボーダーの長袖Tシャツの上に薄いピンクのジャケットを羽織っていて、スカートは短めで黒かった。足、白いなあ、とぼんやり見つめてしまったのに気づいて、あわてて居間の方へと先に行った。

「サラは怖い映画とか大丈夫なの?」

 呼んでおいて今更確認するなよ、と自分でも思ったけど、

「だって映画でしょ? ウソなんだから怖くないよ」

 平然としている。ぼくよりもずっと度胸があった。小さいときはぼくのほうがいじめてよく泣かせていたのにな、と思う。泣きながら後からついてくるのを悪口を言って追い払おうとしたこともあった。それを謝りたくなることが時々あったけど、今になってそんな昔のことを謝られてもサラも困るだろう、と思ってなかなか言えずにいる。

「休みなのに家にいたの?」

「本当は友達と出かける予定だったんだけど、あっちの具合が悪くなって無しになっちゃった」

「それは残念だったね」

「でも、もし行ってたら、リョウマくんの家に来られなかったから、それでよかったよ」

 プレーヤーにDVDを入れようとして止まってしまう。それってつまり、ぼくに会いたかった、ということなのだろうか。それとも単なるお世辞なのだろうか。真意がわからなくて振り返ってサラの顔を見ると、彼女はまた笑って、

「どうしたの? 早く始めてよ」

 そう急かした。ああ、うん、とかはっきりしない相槌を打ってから、再生ボタンを押して、彼女が既に座っているグレーのソファーに一緒に腰掛けた。

 予告編が長かった。早送りしようと思っても、リモコンは何故か遠い床の上に転がっている。誰があんな所に置いたんだ、と思ったけど、おそらくぼくが置いたはずだった。無意識のうちにそうやって、母さんにもよく叱られる。取りに行くのも面倒なので本編が始まるのをおとなしく待つしかなさそうだった。ふと、すぐ横にいるサラに目をやると、彼女はテレビの画面をまっすぐ見つめていた。肩まで届く髪と澄んだ瞳。そして、ここに来てからずっと微笑みが浮かんだままの唇。ぼくがじっと見てしまっているのに気づいて、視線をこちらに向けると、ん、と鼻を鳴らして軽く首を傾げた。どうかしたの? とふたつの目が語っている。

「あ、いや。なかなか始まらないと思ってさ」

「あはは。そうだね。うちのパパも“長いっ!”ってよく文句言ってる」

 そう言いながらも心はどこか上の空だった。幼馴染と映画を観るだけのつもりでいたら、その幼馴染がぼくと同い年の女の子であることが何故か頭から抜けていた。そうか、今、女の子と2人きりなんだ。ようやくそれに気づくと、横にいるサラの存在感が一気に増したような気がした。少し緊張してきてしまう。

 だけど、本編が始まるとそんなことは何もかも頭から吹き飛んでしまった。ホラー映画でも普通ならストーリーをある程度進めて、観客に状況を理解させてから怖いシーンが始まるものだけど、この映画はそうではなくて、開始30秒からいきなりろくな説明もなく人がひっきりなしに死に続けた。シリーズものだから観客も観る前からわかっているはずだ、と監督も思っていたのかもしれない。心の準備ができていなかったものだから、心臓に直接ショックを受けてしまい、身体が固まってしまった。サラも、うわ、とか、ひー、とか言って怖がっていたけど、ぼくよりはまだだいぶ余裕がありそうだった。こっちはいっぱいいっぱいで既に泣きそうだ。女の子の前でなかったらとっくの昔に叫んでいるはずだった。

 それでも、なんとか我慢できたのは15分ほどだった。とうとう、わっ、と叫んでから飛び上がってしまった。サラがびっくりしてぼくの顔を見ている。あー、びびっているのを見られたよ、と気まずくなっていたら、彼女が驚いているのはぼくが叫んだからではないと気づいた。知らないうちにサラの両手を握りしめていたのだ。しかも結構強い力を出してしまっている。

「あ、ごめん」

 謝ってから手を引っ込めようとすると、サラが首を横に振って、自分から手を握り返してきた。

「ううん。大丈夫。こうしているほうがいいんでしょ?」

 痛いはずなのにそれでもまだ笑っている。手汗も出ていて、びびっているのが丸わかりで情けなくなる。もうこれ以上怖がれないな、という気がした。でないとサラにも悪い。なんとか気を確かに持たないと、と心の中で気合を入れ直した。

 始まって30分になったところだったろうか。ここまで観てきて、この人が主人公なんだろうな、たぶん最後まで生き残るんだろうな、と思っていた人があっさりバラバラになってしまったので、ぎゃーっ、と大声を上げてソファーに倒れこんでしまった。無理無理。これ以上はもう無理。心の中でギブアップしていると、身体の下に柔らかいものがあるのに気づいた。

「あ」

 思わず声をあげていた。ぼくはサラを押し倒して、完全に下に敷いていた。しかも右手が彼女のお腹を触ってしまっている。柔らかいだけでなく弾力があってとても心地いい感触に心を奪われかけて、なんとか正気に戻ろうとした。

「ごめん。そんなつもりじゃ」

 と言って身を引こうとしてから、彼女の表情を見た。困ったような恥ずかしそうな顔だったけど、嫌そうではなかった。これはサラには言えないな、と後になって思ったけど、このときぼくは「いける」と思ってしまった。サラが好きだからそうしたわけではなく、「いける」からそうしてしまったのだ。自分でもひどいとは思う。でも、その後でぼくはサラを好きになっているから、つじつまはなんとか合っている気はする。

 右手をお腹から胸に移すと、サラはぴくりと震えた。嫌なんだろうな、とわかってはいたけど、それでも触りたいという気持ちをおさえられなかった。左手を彼女の背中に回して、強く抱き寄せる。そしてキスをした。あまりにスムーズに行きすぎて逆に違和感があった。こういうことをするのは初めてではなく2度目だけど、それでも上手く行きすぎだ。ただ、嫌がられたらすぐにやめよう、とそれだけははっきり決めていた。無理にしようとしたら本当のクズになってしまう。こんなことをしてどう謝ったらいいのか、そう思いながらなかなかやめられないでいると、サラの方からぼくの背中に両手を回してきた。

「え」

 思わず声を出してしまう。てっきり嫌がっていると思っていたのに。でもサラはますます力強く抱きついてきて、ぼくらの身体はぴったりとくっついてしまう。それに力を得たぼくも、もういちどキスをする。今度はさっきよりも激しく深く。この先まで行けるだろうか。あのとき行けなかったところまで行けるだろうか。そう思うよりも先に右手が自然に動いていて、サラのシャツの裾をめくりあげようとしていた。

「だめ」

 唇を放して、彼女があえぐように言った。それで一気に冷静になった。ああ、そうだよな。さすがにこれ以上は無理だよな。女の子にはきついよな。そう思って謝ろうとしていると、

「ここではだめ」

「え?」

 身体を離すと、めくれあがったシャツから白いお腹とずれてしまったブラジャーが見えた。自分がいかに好き勝手に彼女の身体を弄んでいたかがわかっていたたまれなくなる。

「リョウマくんの部屋で、もっとちゃんとしよう」

 でも、そんな馬鹿なぼくにもサラは笑ってくれた。それに言っていることは確かにその通りだった。こういうことはもっとちゃんとすべきだった。もう一度興奮が身体の中で熱く渦を巻き始める。黙って手を差し出すと、目を潤ませてサラはその手を取る。そして、2人で階段へと向かった。そこから、母さんが帰ってくるまでは、2人だけの世界に入り込んでいたのだ。


「どうしたの?」

 馬鹿でかい溜息をついたぼくを、サラが笑う。サラの帰りを途中まで送ろうと近所の下り坂を一緒に歩いていた。早く沈むようになった秋ので街が輝いているのがよく見える。

「うーん、まあ、その」

 何もかもが馬鹿みたいだった。もののはずみでサラにあんなことをしてしまったのも、母さんに見つかったのも、結局最後まで行けなかったのも、全てが無意味に思えてならなかった。母さんはあれからすぐに家を出て行ってしまった。でも、だからといって、「よし、じゃあ続きやろうか」と2人で再開するわけにもいかずに、今日のところは諦めることにしたのだ。そういえば、あのホラー映画はあれからどうなったのだろう。

「わたしとしたの、後悔してる?」

 サラに顔をのぞきこまれる。もちろんそんなわけない、と答えようとして、

「わたしはしてる」

 そんなことを言われてしまった。ああ、やっぱり嫌だったのか、と思っていると、

「今日、最後までできなかったのを後悔してるし、わたしが積極的だったらもっと早くできてたのに、今までそうしなかったのを後悔してる」

 そう続けた。何の話をしているのかわからない。

「サラ、それっていったい」

「知ってた? わたし、リョウマくんが好きなんだよ」

 いたずらっぽく笑った顔を夕陽が赤く照らした。全く予想もしていなかった言葉に脳がフリーズしてしまう。そんなぼくをサラが不審げかつ不満げににらみつける。

「なに? もしかして全然気づいていなかったとか?」

「いや、そうじゃなくて。ぼくはサラにひどいことばかりしてたから、嫌われていても好きになられるとはとても」

 彼女の両手がぼくの両手を取る。

「なに言ってるの? リョウマくんは優しいよ。嫌いなわけないって」

 そこで初めて、サラは本当にぼくが好きなんだ、と確信が持てた。嬉しかった。そして、ぼくもサラが好きなのだと気づいた。だけど、その「好き」はたぶんサラの「好き」とは違っているはずだった。

「でも、リョウマくんとそうなれるとは思ってなかったから、ずっと黙っておこうと思ってたんだけどね。あー、今までうじうじしてたのが馬鹿みたい」

 そう言ったサラの顔に影がまったく見えなかったので、「好き」が違うことを告げられはしなかった。とん、とん、と彼女が前へ大きく2歩跳ねてから、振り返ってからぼくの方へ大きく手を振った。女の子はみんなぼくよりも先に行ってしまうな、となんとなく考える。サラも、それからヒカルちゃんも。

 大きな通りに出た。すぐそばの停留所からバスに乗って、サラの家の近くまで行けると聞いていた。

「あ。もう来てる」

 はるか前方でバスが赤信号にひっかかっているのが見えた。あれなら信号が変わればすぐに着く。

「じゃあ、わたし帰るから」

「うん。気をつけて」

 いきなりサラに抱きしめられた。果実のような甘い香りがする。ぼくのベッドにこの香りは残ったままだろうか。

「今日の続き、必ずしようね」

 耳元でささやかれると、頭がくらっとした。最後まで行けなくてもぼくとサラとの間に何か特別なつながりができた、そんな気がした。

 ぼうっとしたままのぼくを抛ったまま、サラはバスに乗り込んでいく。走り出したバスの後ろの大きな窓から彼女が手を振っているのが見えた。子供の頃と変わってない、という思いと、ぼくらはもう子供ではないんだ、という思いが胸の中で混じり合って、バスが見えなくなるまで、ぼくはそこに立ち続けた。

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