七と三と一の夕日

水無月龍那

第1話

 大正。昭和。平成。

 僕は、そんな「国別指定元号」を使って年数を数えていた頃の資料を読んでいた。


 別に歴史が好きというわけではない。

 人々の生活、生活の基礎、技術や科学の発展について、明日の授業でまとめて発表しなさいと言う宿題のためだ。

「んー……」

 昔の人に今を紹介するならば、と、僕はノートに情報を書きだしていく。


 暦について。

 太陽系第三惑星歴。通称SS03。地球歴、なんて呼ぶ人も居る。

 暦の呼び名は変わったし、人類の生存範囲は宇宙にまで広がったけど。地球があって。日本があって、五つの統治都市がある。


 日本について。

 かつてはひとつだった日本だけど、今は都市機能分散のため五つの区域に分けられ、それぞれが統治都市として機能している。

 かつて首都と呼ばれた、第一統治都市-東京。

 第二統治都市-仙台。

 第三統治都市-京都。

 第四統治都市-金沢。

 第五統治都市-熊本。

 ちなみに、僕は生まれも育ちも東京。


 生活について。

 人口増加と移動手段の短縮により、国民にはこめかみと足首にチップが埋め込まれるようになった。

 この制度がいつから始まったのかは分からない。試験導入を経て少しずつ浸透していったらしく、明確にいつからというのは諸説ある。チップは基本的な個人情報とそれぞれが設定した機能を持つだけで、身体に悪影響があるという訳ではない。むしろ生活の中では割と欠かせなくなっていて、頼って生きている人が多いと思う。


 それ以外は昔とあまりかわらないと思う。

 一定の年齢までは学校へ行って、授業を受けて、宿題を出されて、友人と他愛のない話をして。

 そして宿題を片付けるべく図書室で資料を読むんだ。今の僕みたいに。



 □ ■ □



 最初に感じたのは、こめかみに走る小さな頭痛だった。

 それから。

「――こ、える?」

 小さな声。ぴりっとした痛みと一緒に何か聞こえた。

「?」

 ここは図書室だ。

 周囲を見渡しても、誰もこっちを向いてなんていないし、全員静かに本を読んだり、端末で目的の本を探したりしている。

 なんだったんだろう。

 気のせいか、と本に視線を戻すと、再度小さな頭痛が走った。

 頭から足首まで、ぴりぴりと電気が走るようなしびれも感じる。

 体調悪いのかな、と思った瞬間。

「ねえ、聞こえるかい?」

「!?」

 今度ははっきりと声がした。

 誰かは分からない。僕と同じ年くらいの、男の声。思わずあげそうになった声を飲み込んで、声の出所を視線だけで探す。

「ああ、探しても僕はそこに居ないよ。聞こえてるなら良いんだ。返事も声に出さなくていい」

 考えてくれたら通じるから。とその声は言った。

「え。何……」


 とうとうおかしくなってしまったか。チップの不具合か。

 チップは身体になんの影響も与えないって聞いてきたし、信じてきたけど、実はやっぱり害があるんじゃないか。これはその影響で聞こえる幻聴だったりするんじゃないかと心配になる。


 不安に駆られて読書どころじゃなくなった僕をよそに、声はクスクスと小さく笑った。

「驚かせてすまないね。慣れないことかもしれないけど、僕もこれは初めての試みだから驚かないでくれると嬉しい。それにしても上手くいって良かった」

「話が全然見えない……」

 本と睨み合いながら、そう言う……考えると、その声は「ああ、すまないね」と謝ってきた。

「今ね、昔の身体に限りなく近い人を探していたんだ」

「昔の?」

 問い返すと、そう、と彼の声が響いた。

「東京の人は、かなり昔に身体に変異が生じてるらしいんだ。それは外見じゃほとんど現れないし、悪さをするものでもないんだけど……そうだな、暗闇で目の色が少し変わるくらい?」

「ああ……」


 確かに、今の人間は、夜目が利く。

 日本。東京では特に夜でも仕事をする事が多いからその傾向が強く遺伝している、というのが今の常識だった。

 街は一晩中明るいから生かされる場面はあんまりないんだけれど。


「確かに僕は夜目あんまり利かないし、目は周囲に比べて黒いけど……それが?」

「うん。そんな君に、ちょっと頼みがあるんだ」

「頼み」

 繰り返すと、彼は頷いたようだった。

「っと、その前に自己紹介をしてなかったね。僕は荻野」

「えっと……野沢。野沢アリカ」

 自己紹介を仕返すと、「アリカ君か、なんかハイカラでいい名前だね」なんて返ってきた。

「それで、頼みって?」

 恥ずかしくて話を進める。

 彼は少しだけ言葉を溜めて、こういった。


「あのね――僕に身体を貸してほしいんだ」



 □ ■ □



 そう言われてはいそうですか、と簡単には答えられなかった。

 身体を貸すって一体どういうことだ。そうすると僕はどうなるのか。ぐるぐると様々な疑問が渦巻く。

 その疑問すらも、彼は読み取ってしまうらしい。

「ああ、別に乗っ取って勝手に移動したり、何か悪いことに使ったりはしない。それだけは約束するよ」

 荻野は苦笑いを含んだような声でそう言ってきた。

「……本当に?」

「うん」

「じゃあ、僕から質問」

「何?」

「この身体で、何がしたいの? 君のじゃダメなの?」

 そこから荻野の言葉はしばらくなかった。


 もしかして諦めたのだろうか。

 そんな考えが過ぎった時、「実はね」と彼の声が再度響いた。

「僕の身体、もう長くないんだ。保って一週間。そう言われてさ」

「え……」

 唐突な告白に、思わず顔を上げたが、そこに彼が居る訳ではない。

「僕は小さい頃から身体が弱くて、なかなか外を出歩けなかったんだ。本を読んで、バーチャルな世界だけを体感して、外出を極力制限して。身体に負担がかからないよう、真綿にくるむように生かされてきたよ」

 でもさ、と彼の言葉は続く。

「色んな本とか漫画とか、映画にアニメ……色々見てて、実際に”目”で見てみたい物ができた」

「外、とか?」

 外、と繰り返した彼はくすくすと笑った。

「外はちょっと、僕には広すぎるんだ」

 だってキリがないからね。と言う声はからっとしていて嘘はない、素直な言葉に聞こえた。

「あのね。夕日を見たい。僕に残された最期の時間でさ。夕日だけで良いから、見てみたい」

 でも、と彼は溜息をついたらしい。

「東京の人って身体が僕とは違う規格っていうか……進化しちゃってて。微妙な色合いが昔みたいに上手く見えなかったりする人が多いんだ」

「ああ、だからできるだけ変異してない目を探してた、と」

「そう。アリカ君は話が早くて嬉しい」

 荻野は本当に嬉しそうな声で言う。声だけなのに、彼はとても表情豊かだ。


 きっと彼は、僕には……いや、下手すると僕達にはもう無い感性みたいな物を持っているのかもしれない。なんて思った。


「あはは、君は面白いことを考えるね。僕だって、"現代"の人間だよ。昔の文献が大好きだから、少し変わってるかもしれないけど」

「そう。――ってか何気ない考えまで読まれるのは考え物だな」

「だねえ、そこはちょっとプロテクトかけなきゃいけないね」

 それで、と彼は言う。

「夕方。夕日の見える時間だけで良い。身体を、視界の共有だけで構わないからさ。貸して欲しいんだけど……駄目だろうか?」


 NOなんて、言える気がしなかった。

 だって、残り一週間だなんて言われたら。

 夕焼けが見たいなんて、そんな些細とも言える事を言われたら。


「僕の身体で良いなら。夕日が綺麗に見える所も知ってるし」

「ホント!?」

「――っ。ちょ、大声出すなよ頭に響く」

「とと、ごめんごめん」

 でも、嬉しくてつい。と答えるその声は、本当に嬉しそうだった。



 □ ■ □



 それから一週間。

 僕は放課後になると響く微妙なノイズや頭痛と引き替えに、荻野と話をした。

 視界の共有だけでも彼にとっては十分だったらしい。彼は何も言わず、ただ、毎日沈む夕日を眺め続けた。

 その間会話はなかったけど、黙っていても伝わるものは、なんだか温かい気がした。


 それが一体何なのか。

 他人の感情と同調するなんて技術は開発されていないし、勿論身体に埋め込まれているチップにだってそんな機能ない。


 でも、全く同じ景色を共有できる。

 それだけで、僕達二人に会話は必要なくなっていた。


 そうして。七日目。

「ありがとう。こんなに綺麗な夕日が見られたのはアリカ君のおかげだよ」

 藍色と朱色のグラデーションに高層ビルの影が混ざる景色を見ながら、彼は満足そうにそう言った。

「……今日で、最後?」

「そうだね。一週間って約束だったからね」

 僕の身体も今日までだ、と彼は言う。


 それは、なんの未練もないような声だったけど。

 これでお別れだなんて気付いてしまうと、なんだか急に寂しい気がした。


 荻野風に言えば「情が移る」というものだろうか。

 せっかく夕日を共有したこの時間が、あっさりと過去になってしまうのが、なんだか……何とも言えない、胸に物が詰まったような気持ちだった。

「でも、お前はまだ、意識がある。こうして繋がってるじゃないか」

「うん」

「それなら、本当に尽きるまで――夕日見に来いよ。夕日だけじゃなくて。お前が好きな物見せるからさ」

「あはは、それは嬉しいな」

 でも、駄目かな。と彼が笑うと、いつもより少しだけ大きなノイズが走った。

「ああ、時間だ。――それじゃあ、アリカ君」

 

 どうもありがとう。なんて。

 たったそれだけの言葉を残して。彼はあっけなく、応答しなくなった。



 □ ■ □



 それから三日。

 もしかしたらという期待を込めて、僕は同じ場所で夕日を見続けた。

 夕日の色。雲の色。形。風。

 色んな物を感じながら、これまでの七日間とそれからの三日間。十の夕日を思い返していた。

 何故かは分からないけど、残りの三つはなんだか色褪せて見えた。

 

 ノイズもない。

 頭痛もない。

 なのに、なんだか物足りない。

 ああ、やっぱりチップや身体に何かしらの負担がかかってたのだろうか?


 そんな、どうしようもないことを考えて、紺色になった空に背を向けた。


 そうして更に次の日。

 僕はやっぱり夕日を見にやってきた。

 あいにくの曇りだったけど、何となく。

 足の向くままに訪れた。


「――」


 そこには、先客が居た。

 車いすに腰掛けた、少年。

 灰色の髪。色白の肌。見たことはない。

 ないけれど。


「今日は、曇ってるね」

 残念だなあ、なんて言う声は、とても聞き慣れたものだった。


「なんで……」

 そんなどうしようもない言葉しか出てこなかった。

 振り返った車椅子の彼――萩野は、深い夕焼けのような色をした瞳を細めた。


「え。幽霊?」

「ふふ……非科学的でいいね」

 萩野はくすくすと笑う。

「だって、身体は一週間しか保たないって。言ったじゃないか」

「言ったね」

 僕の言葉に彼は頷く。

「あれはね、前の身体なんだ」

「前の……つまり。ええと?」

 言葉をただ繰り返して、飲み込むのに精一杯だった僕の顔はどんなものだったのだろう。彼は楽しそうにこっちを見ている。

「そう。言葉が足りなかったんだ。ごめんね」

 でもさ、と彼は言葉を続ける。

「一週間きりの約束をした相手と思い出の場所で再会、なんてさ。なんか、漫画みたいな展開でいいだろう?」


 そう言って、にっこりと笑って見せた顔は。

 僕が声からなんとなく思い描いていた彼、そのままだった。

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