ヒトリさんの目撃談

 正直に言って、合気道は少し眉唾だと思っていた。組手や試合ならいざしらず、本気で向かってくる相手を手首を掴んで投げ飛ばしたり取り押さえたりなんて、できっこないと。

 でも、彼はやってみせた。自分より背の高い、走ってくる万引き犯の手を引き、怪我ひとつ負わせずに拘束したのだ。

 けれど、お手柄高校生などと手放しには喜べない。隣にいたからわかる。もしもあの男性が拳を振り上げたり、武器を持っていたりしたら……そう考えるだけでも、未だに怖くなる。逃げ道を塞ぐというのは、危険な行為だった。

 ……でも、一言だけ私個人の感想を言うなら。あの時の、いつもと違う雰囲気の涼士をもう一度見たいと思ってしまっている。


「――ほえー、ギャップ萌えですなぁ」


 昨日の万引き犯騒動の顛末てんまつを真奈に話すと、したり顔で私の机に寄り掛かってきた。


「萌え……?」

「だって、いつものフルーツミックスゼリーみたいなイワシが冷静な鋭い眼光で……そりゃぁもう乙女心にドッキュンきちゃうでしょ!」

「ゼリーって変な例えするのね」

「なに頼んでも「いいよ」って返す感じが万人受けするゼリーみたいだなって」

「独自の感性なのね。把握したわ」

「じゃあヒトリちゃんはどう表現すんの?」

「そうね……万人受け……オキアミかしら」

「ゼリーに引っ張られてるプラス、ヒトリちゃんもヤベー奴ってことがわかりますた」


 いいじゃないオキアミ。主食にしてるペンギンも多いのに……。

 不服そうにしているのを見て、真奈はごまかすように頬杖をついた。


「でもホントにいいなーヒトリちゃん、現場でカッコいいとこ見たんでしょ? 乙女スイッチドッキュンでしょ~」

「こっちに走ってこられるのが怖くてそれどころじゃなかったわよ。……その、たしかに意外でビックリしたけど」

「わかりみ。イワシ、名は体を表すで細身だもんね。まさか大人を片手で引き摺り回すとは……」

「待って。たぶん変な広まり方してるわソレ」


 訂正しようとしたところ、教室の引き戸が開く。件の涼士が、何故か少し疲れた顔でそこにいた。目が合い、彼はいつもの柔らかい笑顔で小さく手を振る。

 私は席を立つ。朝、涼士に会ったら言おうと決めていたことがあった。


「おはよう、涼――」


 声をかけようとした瞬間、どこで聞きつけたのか、耳が早い男子が涼士に押し掛けた。


「なあ石清水、万引き犯捕まえたってマジ!?」

「えっ、捕まえたっていうか……そうなるのかな……?」

「すげぇ!」


 声量のせいでクラス内にいまの会話が知れ渡ってしまい、興味津々の男子が波濤のように押し掛ける。そこに混ざらない女子も、涼士に視線を向けていた。

 てきとうにあしらえばいいものを、根っから真面目な涼士は一から事情を説明し、席に座れずにいた。あの調子では、ホームルームまで質問攻めだろう。

 困り顔の涼士を眺めていて、ふと気付いた。


「そっか、私しか見てなかったのよね……」


 あの場に居て、当事者であり、目撃者だった。言葉や身振り手振りでは表せない、あのを見ていたのは紛れもない私だ。

 他の人が知らないことを知っている、というのは、なかなかに優越を感じられて悪くない。


「うっはー、ヒーローインタビューだ。ありゃしばらく話せそうにないねー、ヒトリちゃん」

「そうね。…………ふふ」

「!?(え、何その含み笑い。かッッッッッッわ)」


 言おうと決めていたことというのは、昨日のお礼だ。私の悪い癖で、いつも何かお礼を言うときはうつむいて、マフラーに口をうずめてしまう。昨日は周りもうるさかったし、聴こえてなかった可能性が高い。涼士は私を心配してくれていたのだから、改めてちゃんと言うべきだと思った。

 涼士の方はというと、いままで交流が少なかった男子たちに延々と絡まれていた。それなりに楽しそうにしているし、わざわざ割り込むような気は起こらない。どうせ、放課後になれば一緒に帰るんだから。

 ……けど、少しだけ物足りなさを感じた。

 放課後になって、ようやく隣の涼士に話しかけようとしたけれど、他のクラスメイトに先手を取られてしまった。どうやら、部活に誘われているらしい。

 私はそそくさと廊下へ出た。階段を降りていくたびに少しずつ心のモヤモヤがかさんだ。


「…………ふん」


 固く閉じた口元を隠すように、マフラーで覆う。


「ヒトリさん、待って!」


 靴箱の手前で振り向くと、涼士は階段を急ぎ足で降りていた。


「ごめんね、部活勧誘とかをやんわり断るのに時間掛かって……」

「いいわ」


 声を届かせるために、マフラーを緩める。あんなにも凝り固まっていた唇は、自分でも驚くほど滑らかに動いた。


「靴、取って」

「うん」

「昨日は大変だったし、今日はゆっくり帰りましょう」


 大人びて見せるため、何でもないふうを装った。涼士に笑われて腹が立ったので、横腹をはたいておいた。


「あの後はどうだったの。いろいろと大変だったんじゃない?」

「最初は警官さんが怒ってたんだけど、家に電話されたときに爺ちゃんが電話口で怒髪天になって……警官さんに同情されて、家帰ったら脳天に拳骨されたよ……」

「パワプルなのね、お爺さん」

「未だに自転車で10kmとか平気だからね。たぶん現役の空手部より爺ちゃんの拳の方が痛いし強いと思う」

「くふふっ、なにそれ」


 涼士のお祖父じいさんと聞いて、想像がつかない。その顔を50年老けさせたとしても、剛力とは程遠い優しい顔立ちができあがるだけだ。


「ヒトリさん、機嫌いいね」

「別に。ふふん」


 もしかすると、涼士のこんな表情も私だけのモノかもしれない。

 合気道の心得があること。店員や警察官を『さん』付けで呼ぶこと。祖父のことを爺ちゃんって呼ぶこと。

 小さなことを知るたびに嬉しくなっていくのは、涼士がいい友達だからだ。今日日きょうびの高校生にしては礼儀がなっているし、小さな言動ひとつにも気遣いがある。私は得難い人物と友達になれた。それが嬉しいんだ。


「うーん、と……ペンギンの新しいグッズとか出た?」

「さあ、どうかしりぁっ」

「あ、噛んだ」

「きぁッ!」


 ……こういうとこは見逃しなさいよっ。

 少しの沈黙。そうだ、昨日のお礼をちゃんと言わないと。いまなら違和感もない。


「……あの、涼士」

「どうかした?」

「その、あ、あ……合気道って、部活しないの?」

「合気道部はないみたい。あっても、たぶん参加しないけどね」

「へ、へぇー……」


 なんか。なんか照れる。なにこれ。

 考えてみればここ数年、誰かに面と向かってお礼を伝える事なんてなかった。人付き合いを避け続けてきた弊害がここに出た。

 ダメ。礼儀よ。言いなさい。照れだろうがなんだろうが言いなさい私!


「りょ、涼士。あの、っ……昨日は、ぁ、ありがとう……」


 いつもの癖でうつむかないように、しっかりと涼士を見上げて口に出した。突然の謝辞に、涼士は驚いた顔から目を細め、いつも以上に優しそうに笑った。


「二回も言ってくれてありがとう、ヒトリさん」

「……あ、あんな小さいお礼、聴こえてないかと思ってたのに」

「聞き逃さないよ。ヒトリさんの声だもん」


 ………………。


「きァッ!」

「なんでッ」

「うるさいっ!」

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