ヒトリさんとペンギン

「ふとした疑問を呈していいかねヒトリちゃん」


 と、昼休みに言い出したのは針麻だった。


「なに?」


 ヒトリさんはしずしずとお弁当の卵焼きを小さく割って口に運んだ。たった一日の間にヒトリさんはかなり針麻に慣れたようで、僕に対応するのと同じ声色で応答していた。


「ヒトリちゃん、なしてペンギン好きなのかなーって」


 机の上で未開封のコンビニおにぎりを転がしながら、針麻はそう訊いた。たしかに、好きなのは当然知っているけど理由は知らない。教えてもらえるなら聴きたいところだ。

 ヒトリさんは特に考える様子もなく、さらりと答える。


「小さい頃から母がいろいろな動物のDVDを見せてくれたの。その中でペンギンを好きになって、未だに好きなだけよ」

「ほへー。それでかぁ」


 ひとり納得した様子の針麻に、僕とヒトリさんは首を傾げる。針麻は意味ありげに(たぶん意味はない)眼鏡をクイッと動かす。


「ヒトリちゃん、なんかペンギンっぽいじゃん?」

「あぁ、うん」

「!」


 ヒトリさんが嬉しそうに目を大きくして、すぐに卵焼きを食べてごまかした。


「たしかにペンギンっぽい感じするね」

「だしょ? そこに根幹的なモノがあるのかと気になったのさ」


 たしかにその興味はあった。ペンギンというのは容姿の可愛らしさ、生活の様子などから動物の中でもかなりの人気を誇る。とはいえ、ヒトリさんは大衆性と比べても頭ひとつ抜けた愛好心を持っている。野次馬根性が強い針麻からすれば気になって仕方がない事柄だったのだろう。


「あと、ヲタ人種は好きなキャラのグッズを身につけるのが好きだったりするんだけど、ペンギンとかが好きでも同じ気持ちになる?」


 質問者は続きを聴きたいとばかりに瞳に興味を光らせるが、回答者は口にした卵焼きを嚥下えんげしてクールに返す。


「ちょっと意識しているところはあるわ」

(ちょっと……?)

「好きなものが近くにある安心感。ひいては近付きたいという憧れがあるもの。グッズは多種多様だから取捨選択には苦労するけど、ストラップは何個もあるからよく付け替えてるわ」

「うーんわかりみ。しかもちゃんと付け替えできてるの偉い。あたしなんか黒ずむまで同じの付け続けちゃう」


 と、スマホにぶらさがるラバーストラップを見せる。魔法少女はたしかに灰色っぽくなっていた。

 ヒトリさんは弁当箱のご飯粒まで綺麗に食べ終え、両手を合わせる。


「ごちそうさま。ちょっとお箸を洗ってくるわ」


 いってらっしゃいと見送り、小走りのヒトリさんが教室を出てから三秒後。


「……知的だったけど結局のところペンギン大好きなヒトリちゃんかわいくね?」

「わかる」

「ちょっとスニークしよう」


 この場合、SneakこそこそするよりはStalk追跡するが正しい気がする。女性の後をつけまわすなんて、倫理的には止めるべきだろう。しかし、こういう時の針麻は野生の獣に匹敵するほど、凄まじく直感が冴えている。何かがあると確信しているのだろう。いや、ダメだけど。


「ダメでしょ」

「料理の本音が出るのは店を出て20m行ってからなんだよ。ヒトリちゃんの素顔が気にならんのかねキミは」

「気になるけど」

「じゃあGO」


 無言で肯定した。

 廊下に出ると、ヒトリさんは二教室ぶん離れたところを歩いていた。無駄に物陰に隠れたりせず、針麻は音を出さずに素早く移動する。やたらと尾行に慣れているのは何故なんだろうか。

 距離を保ってついていき、廊下を曲がってすぐの位置に手洗い場があるため、僕らはそっと角から覗き込んだ。

 古めの蛇口からバシャバシャと粗っぽく水が出る。水滴のついた箸を手に、彼女は洗面所の鏡を見た。ふにゃ、と唇がゆるむ。ヒトリさんはそれを隠すように、頬を手で優しく包んだ。


「ペンギンみたい、だって…………うれしい」


 鏡越しに見えた可憐なはにかみは、母親に褒めてもらった子どものように無邪気で清廉だった。


「ッッッ…………」

「かっっっっっわ」


 あれはダメだ。心へ一直線に突き刺さる。清らか過ぎて浄化される。そして愛らしいにもほどがある。


「へいイワシぃ、あたしゃもう湧きあがる萌えを押し殺すので精一杯だから教室へ搬送してくれい」

「僕もけっこう限界なんですけど」

「おい早くしろこれ以上なにかあったらあたしはあたしでいられる自信がないぃぃぃ」

「闇落ちの瀬戸際なの……!?」


 そんなコントをしている間に、ヒトリさんがこちらへ来た。バッチリ目が合う。見る見るうちに耳まで真っ赤だ。


「~~~~~~っ」

「あ゜」


 文字化しがたい音と共に針麻は沈んだ。

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