ヒトリさんの帰り道

 寂しい名前、と言われたことがある。

 凍月氷鳥。

 凍てつき、という語感の冷たさ。ヒトリ、という孤独を連想させる読み。たしかに、そう見られても仕方ないかもしれない。でも、私はこの名前が嫌いじゃない。

 氷の鳥。ペンギンみたいだもの。

 ペンギンというとかわいさのイメージが強い。実際、かわいいし癒されるからそこは仕方ないけど、私にとってそれは要素のひとつに過ぎない。

 子を守る強さ。パートナーを信じて待つ忍耐。天敵が待つ海に飛び込む勇気。私にとってはまぎれもなく憧れだ。だから名前をバカにした人には怒るし、無視されたって気にしない。

 成長が遅いし、気が強いから友達も少なかったけど、別にいい。私はひとりぼっちでも平気で――――


「ヒトリさん?」


 階段を踏み外したような、その次の瞬間に暗闇から引き上げられたような感覚がした。

 クセで顔を見上げたら、そこには誰もいなかった。私のとなりにいる人は足を止めて、かがんでいたから。


「具合悪い? 平気?」


 心配そうな顔の涼士が私にそう訊く。この顔にも、この構図にも見覚えがあった。


「……平気」


 普通に言ったつもりだったけど、耳に届いた私の声は不機嫌そうだった。心配してくれた人になんて失礼な……。

 でも、涼士は気にした様子もなく、ふっと口元をゆるめる。


「そう? ならいいけど……何かあったら、ちゃんと言ってね?」


 再び立ち上がった涼士は、見上げるほどに高い。本人曰く平均身長ぐらい、らしいけど私にとっては30センチ近い差がある…………悔しい。


「…………」


 涼士は不思議な人だ。

 高校生とは思えないほど物腰が柔らかい。気遣いも充分にできるし、真面目だけどたまには冗談も言うからコミュニケーションだって潤滑だ。男子の友達もいるみたいだし、真奈みたいに女子とも友達になっている。私みたいに背伸びして、ではなく自然体で大人びているのだ。

 だから、私は疑問に思う。なんで涼士は私と友達になってくれたんだろう。





 初対面は、校庭の端っこだったと思う。憶測なのは、この目立つ容姿を涼士が先に見つけていたかもしれないから。

 入学式からマフラーの私は、少し憂鬱だった。不安感もあるし、新しい制服の匂いが少し苦手だった。それに、自意識過剰ではなく、周囲に好奇の目を向けられていたからだ。


「背ぇちっちゃ」「ペンギンのリュック?」「スカート膝下何センチよアレ」「こどもみたい」


 ……うるさい。


 帰ってしまいたかった。

 発育を制御できるなら、いますぐ160センチになりたい。でもどうしようもないじゃない。私だって悩んでるのに、名前も知らないあなたたちが言わないで。無遠慮に笑わないでよ。

 ああダメだ。トゲトゲした気持ちが治まらない。このままじゃ中学と同じで、きっと親しい友達なんてできない。そう思ってしまうたびに、高校ぐらい卒業しないと将来が、と自分を押さえつけた。

 お母さんもお父さんも心配してる。私はいっぱい愛情を受けてきた。環境を、過去を呪ってはならない。私が誰にも流されないぐらい強くなればいい。だから、私は何の問題もなく高校生活を送るんだ。

 ひとりぼっちでも、後ろ指を指されても、バカにされても……

 大丈夫。ペンギンは十日も絶食する種だっている。朝ご飯を食べていけるなら、また三年間孤立するぐらい、平気だ。

 ……そんな風に思っていたのに、さっそく私は困り果てていた。


「マフラーが……」


 教室の案内も終わって、帰宅しようと校庭を歩いていた時。突風でマフラーがほどけて、よりにもよって木の枝に引っかかった。

 誰かを呼べばいい。脚立でも借りて、大人に取ってもらえばすぐに済む。でも、私は自分の力でどうにかしたかった。それにあのマフラーはペンギンの刺繍が入ったお気に入り。見てない間にどこかへ飛ばされでもしたら……!

 見上げる。私の身長どころか、バレー部の男子が背伸びしても届くか怪しいような高さだ。なんとかしようと、手を伸ばした。


「ぐ……ぅ……っ」


 背伸びしたって跳ねたって、まったく届かない。自分の靴箱にも手が届かないんだから、あたりまえだ。……ひとりじゃ何にもできない。たかだか2メートルもないような高さにすら無力。そんな自分が許せなくて、木の幹に頬を押し付けるぐらい必死で手を伸ばした。


「…………っ」


 ……本当に、嫌になる。


「大丈夫?」


 塞ぎこんでしまいそうなとき、声がかかったのは真後ろで。


「あのマフラー、きみのやつ?」


 誰かと正面から目が合ったのは、本当にひさしぶりだった。

 胸には入学生の証である赤いリボンがあって、優しげな両目はしっかりと私の目を見ていた。私はびっくりして、無言で頷いてしまった。


「やっぱり。ちょっと待っててね」


 地面に膝をついていた彼はサッと立ち、校庭を見渡しながら走っていく。少しすると、彼は脚立を持って駆け戻ってきた。


「用務員さんに許可もらってきた。これがあれば届くから……」

「ま、待って」


 脚立を持ってきてくれたのは、ちゃんと後でお礼を言う。でも、マフラーが飛んで行ったのは私の不始末で、私の責任だ。


「私に取らせて」


 バカなお願いだと思う。完全にわがままだ。でも、そうしたいの。そうじゃないと、私は私を保てない。


『ダメだよ。危ないし』


 そんな返答だと思っていた。でも、彼はキョトンとした後、微笑ほほえんだ。


「わかった。じゃあ、支えとくね」


 私の方が呆けてしまうぐらい簡単に、彼は協力する側に回ってくれた。

 足をかけた脚立は、彼が支えてくれるおかげで根を張ったみたいに安定していた。私はスルスルと登り、最上段の手前から手を伸ばす。


「とど……かな……っ」

「もう一段、いける?」


 下からの声は『自分で取りたい』と言った私の気持ちを尊重してくれていた。私は返事の代わりにもう一歩踏み出し、一番上の段に足を掛ける。そうしてようやく――――


「と、取れたっ!」


 達成感があった。同じぐらい、名も知らない同級生に対する感謝もあった。


「よかった! 降りるの、ゆっくりでいいからね」

「うん。わか――っ!?」


 私は、足を踏み外した。踵が長すぎるスカートの内側を引っかかった。落ちる――背中への衝撃を覚悟した私は、大きなものに受け止められた。


「あいてて……大丈夫?」


 気付くと私は彼のお腹の上に乗っていて、彼は尻餅をついている。彼が滑り込んで、クッションになってくれたのだ。


「わ、私は平気。でも……」

「そっか。ならよかった」


 彼はエスコートするみたいに私を立たせると、ズボンについた土を軽く払いながら言う。


「すごいね。あんな高さまで登って、自分で取っちゃうんだから」


 倒れた脚立を直して畳みながら、彼はそう笑った。例えこれがお世辞だったとしても、私は嬉しかった。


「……名前を、教えて」

「僕? 石清水涼士だよ」


 何を血迷ったか、舞い上がっていた私は礼儀よりも言いやすさを選択してしまったのだ。


「助けてくれてありがとう。涼士…………くん」

「んくふっ」

「!?」


 お礼を言ったら笑われた……!?

 彼は口元を隠しながら、少し頬を赤くした。


「ごっ、ゴメンね。女子から名前で呼ばれたの初めてで、ちょっとびっくりして」

「え、あ……ご、ごめんなさい……」

「こっちこそゴメンね。変な反応しちゃって……」


 微妙な沈黙が流れる。見上げると、彼が必死に会話の種を探しているのがわかった。今度は私から何か言わなきゃ……そうだ、名前……!


「ぁ、あのっ…………凍月氷鳥……です」

「んぇっ、あ……うん。よろしくね、ヒトリさん」


 ヒトリ『さん』?


「さん付け……」

「名前で呼んでくれたから名前で呼ぼうかな、と。でも呼び捨てはダメかなーと……いや、そもそも男からいきなり名前呼びは嫌だよね。ごめん」

「いっ、嫌、じゃない……から。…………涼士……くん」

「ありがとう。呼び捨てでいいよ。よろしくね、ヒトリさん」

「……ぅん」





 いまになって思うと、涼士は私が同じクラスだって知っていたんだと思う。だからよろしく、なんて言葉が出てきたんだ。

 かくして、些細ささいな事件を通して涼士は私の友達になってくれた。

 朝は靴を取ってくれるし、ペンギンの話をちゃんと聞いてくれる。道を歩くときはいつも道路側を行く。私の負担にならないように歩幅を小さく歩調を遅くしていることだって、こっちはお見通しだ。

 私のことを『いじっぱり』って言いながら、絶対に否定しない。不便があっても変わろうとしない私は、彼がからかって言うように意地っ張りだ。ぶかぶかの制服も、高い下駄箱もただの虚勢。子供っぽいペンギンのストラップも、寒いから付けていたいマフラーも外してしまえば周囲に溶け込めるのに、そうしないのはわがままだ。

 普通の高校生は不便だったら対応するし、流行のアクセサリーを身に着けて、周囲から浮いたものは持ってこない。そうやって調和して生きている。私ががんばって集団みんなに合わせるべきなのに、それをしたくないだけ。

 面倒くさいって避けられて――排他されて当然の性格なのに、涼士は合わせてくれた。普通から外れた私を、そういう人もいる、とばかりに微笑んで合わせてくれる。涼士には助けられてばっかりだ。

 たまに身長でイジってくるのはイラッとくるけど、ちゃんと距離感はわきまえてくれている。私にはもったいないぐらい、いい人だ。


「……そういえば、真奈とは中学校から友達なのよね?」

「うん。中学二年だったかな」

「女子から名前呼ばれるの、慣れてるじゃない」


 ピクリ、涼士の口角が動く。私は腕を組んで「説明しなさい」と糾弾きゅうだんの視線を送る。


「えーっと……奴はあだ名呼びだから」

「じゃあなんでいま、変な反応したの」

「それは……」

「……なに」

「最初に呼ばれたとき、あまりにも取って付けたような『くん』だったから、面白くなっちゃって」


 取って付けたような?


『涼士……くん』


 消え入りそうな自分の声を思い出して、耳の先まで熱くなる。いま考えるとなんだアレは。メロドラマでもあんなセリフは採用されないだろうに……!


「~~~~っっっ……」

「あー……ごめんね?」

「ほっといてぇ……」


 ああ、顔が熱い。でも、早く持ち直さないと気まずい雰囲気に――――


「僕も咄嗟の『さん』付けをずっと引きずってるし、お互いさまだね」

「……それ、フォローのつもり?」

「いい感じの言葉が思いつかなくて……実際、どっちがいいかな。呼び捨ての方がいいなら、がんばってみる」


 照れたように首筋を掻く仕草で、会話のキャッチボールが再開された。

 涼士がどういう理由で私と友達になったのか、わからない。

 けど、きっと理由がそもそもないのだろう。そういう人だから、私は友達になれた。私は涼士と話すとき、リラックスしていられる。そういう屈託のない関係が、本当の意味での友達なんだと思う。


「いいの。ヒトリさんって呼ばれ方、好きだから」


 お母さん、お父さん。私、初めて男の子の友達ができたよ。他人を無暗に否定しない、本当の意味で優しい人に出会えた。その人のおかげで、新しい友達もできたよ。

 もう、ひとりぼっちじゃなくなったよ。

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