ヒトリさんと針麻さん
「――――と、いうことで、今日の連絡はこれで終わりです。時間も余っていますし……折角だから、席替えしましょっか!」
担任である女性教師、北崎先生の提案が出席番号順だったクラス内に大きな歓声を呼ぶ。帰りのHRのため、うるさくなろうがある程度はセーフだ。
廊下の窓際ということで僕はわりと今の席が気に入っていたのだけど、やはり席替えはどこか心が躍る。ぜひとも良い席を取りたいものだ。
「ヒトリさんは座るならどの辺の席がいい?」
「別にどこでも…………涼士の後ろは
嫌……!?
一瞬傷つきかけたけど、すぐに意味を解した。
「前が見づらくなるから?」
「そうよ?」
「まあ、うん。そうだね」
正解でよかった、と内心で安堵しつつ、クラスの有志によって速攻で作られたクジを引く。面倒を避けるためにも、クジの交換などは禁止だそうだ。
完璧な
「……ヒトリさん、となりだね」
「そうね」
知り合いと近ければいいな、とは思っていたけど、まさかヒトリさんがとなりになってくれるとは。黒板の簡易座席表に数字を割り振った人、ありがとう。
そういうわけで教室内は忙しなく机移動が始まっている
「ふっ……んぐ…………!」
机の重さ――高校生になると忘れがちだが、小学生の頃はこれがどれだけの重労働だったことか。息を止め、物理的に足取りが重いヒトリさんの向かいに立ち、机の反対側から手を貸した。
「手伝おうか?」
「いい……このぐらい、ひとりで……!」
「ヒトリさんだけに?」
「きぁっ!」
結局、中身の教科書類を僕が運ぶことで妥協してもらった。ヒトリさんは自分でどうにかしたい人なのだ。
「……ありがと」
「どういたしまして」
お礼を言うヒトリさんは澄まし顔。そりゃそうだ。教室の真ん中辺りで特筆することもないような席。ここに来て嬉しがってるのは僕だけだろう。
終了のチャイムが鳴る。ちょうど席替えも終わった、ベストタイミングだ。
「…………となりで、よかった」
「?」
うつむいたヒトリさんが何か、ぼそりと呟いた気がする。しかしわざわざ内容を尋ねるのは無粋極まる。ここは気にする素振すら見せないのがマナー……と、ラブコメ漫画を読んでいてよく思う。
起立と礼を終えて、クラスメイトが三々五々に帰り始める。僕もリュックを手に取ろうとしたとき、ななめ前の席から声がかかった。
「おっすイワシ! 向こう一年よろしくね!」
明朗な声の持ち主は、メガネと三つ編みのおさげが特徴的な女子。ああ、そうだった。もう一人、近くに知り合いがいたんだった。
「よろしく、
「やー、同じクラスにいてくれて助かったよ。ギリでボッチ回避できた……やっぱ持つべきは友ですなぁ」
一見すると清楚な委員長、とも見える彼女は
「友……涼士の友達?」
くい、と僕の袖を引くヒトリさんがそう尋ねる。頷いて「同じ中学校で――」と説明し始めたとき、針麻が驚いた顔で手招きした。顔を寄せると、耳打ちで。
「事案?」
「違うよバカ」
「メンゴ☆」
まったくコイツは……。
ほら見ろ、ヒトリさんがなんとも言えない顔でこちらを睨んでいる。身長に関するとバレたら冗談でも怒られるぞ。
「凍月さんだよね! あたしは針麻真奈。好きに呼んでね」
「……凍月氷鳥」
握手する二人だが、ヒトリさんは警戒心が強そうだ。
しかし、ソシャゲのガチャでも当たったのか気分がいい様子の針麻はじーっとヒトリさんを見つめ、やがてリュックに目を落とした。
「あっ、ペンギンだー! ギザカワ!」
「ぎざ……?」
「おっと推しの語録が……でも、カワイイよねペンギン! あたしも好きだよ!」
針麻がペンギン好き? まあ、ペンギンが嫌いという人の方が少ないような気もするけど……ん? 待てよ。
「お前が好きな理由って、まさか……」
「おっとその様子じゃ知ってんな? 口に出すんじゃあないぞイワシよ」
「イワシって……涼士が?」
「中学のあだ名だよ。
「まあ、わかりやすいのはそうだけども……」
僕は頬杖をついて、ため息を落とした。
鰯。漢字だと魚に弱い。いやまあ、特別こだわりもないけど弱いよりは強い方が良いとは思ってしまう。日本男児だもの。
一応言っておくと、元々このあだ名をつけたのは針麻じゃない。誰かが思い付きで言いだして、
「なんとなーく嫌なんだよね、イワシってあだ名……もう慣れたからいいけどさ」
「気持ちはわからんでもない。なんかダメっぽいよね、響きとか」
「そんなことはないわ」
ヒトリさんが僕の方へ向き直る。瞳は至極真面目に、こちらの目を見ていた。
「イワシは栄養価が高いの。ペンギンのエサとしても上等なのよ」
「…………エサ、なんだね」
「っ、ち、ちがうの。フォローしようと思って、だから、そのっ、イワシはいいものだからっ」
ヒトリさん……その気持ちだけで充分だよ。
「~~~~っっ、生暖かい目で見ないでっ!」
ぷいっと僕から顔を逸らすヒトリさん。しかし、その先にはニヤけ顔の針麻。
「!? な、なに?」
「ギザカワかよ」
「お前……現実でもいいのか」
「萌えに
自分からバラしまくってる気がするんだけど。主に
「ホンットに頼むよイワシ。あたしの中学暗黒時代は知ってるでしょ?」
僕に釘を刺すつもりか、椅子に座ったままでぐいっと身を寄せる針麻。すると、彼女の机から一冊の文庫本がずり落ちる。それが椅子に落ち、更に床へと落ち、パサリとどこかのページが開かれた状態でヒトリさんの足元に。
「あ、本が……」
「あ゛」
「あっ」
安っぽい茶色のカバーが掛けられているが、針麻の顔が引き
「………………!?」
いったい、何を見たのだろう。僕は中一での初邂逅以来触れていないため、想像もつかない領域だ。
「うぇ!? あちょまッ?!
「お、男の人と、男の子が、え……え……!?」
「あー…………」
案の定というかなんというか……。
僕はスマホの写真フォルダを開く。
「ほらヒトリさん、ペンギン。ペンギン見て落ち着いて」
「ぁぅぅぅ……フンボルト、ケープ、コビト……ふぅ……そ、それ、いったい何なの……!?」
「んおぁぁぁぁぁ……」
未だ
「えっとね……腐女子って言葉、わかる?」
腐女子――端的に言えば、男性同士の恋愛を扱った作品を好む女性のこと。
この短い説明の間に、針麻は椅子の上で縮こまるように体育座りをして、心を殺した顔をしていた。うわごとが聞こえる。
「ちくせう、バレた。ムフフでどしゅけべでアーッ、なBL好きなのバレた。後ろの席のお方にバレた。ドン引かれてる。もうまぢむり……」
「別に腐女子バレはいつかするだろうし、いいでしょ?」
「高校では浅めのオープンヲタを
浅めのオープンヲタは推しの髪型をマネして登校しないと思いますが。
と、それよりヒトリさんだ。何かフォローを――……いや、その必要はないらしい。ヒトリさんはおずおずと手を挙げる。
「私、別に同性愛は否定しないけど……」
「ふぁッ!?」
「ペンギンは同性愛のシンボルにもなってるもの。たしかにその、びっくりはしたけど……そういう趣味も、あっていいと思うし……」
「ヒトリちゃぁぁん!!」
涙を浮かべた針麻がヒトリさんに抱き付き、そのまま持ち上げてしまう。
「あたし、それ知ってるから余計にペンギン好きなの! ヒトリちゃんも大好き! ありがとう!!」
「も、持ち上げるなぁ!」
「あやっべ、かっっっわいい!」
「~~っ、きぁぁっ!」
「すごい! 痛くない! ギザカワァ!」
……結果、針麻を落ち着かせるのに十分ほど時間を食った。正座させた針麻が深々と頭を下げる。
「萌えが暴発しました。
「まったく……ヒトリさん、ヤバい奴だけど悪い人間ではないから、よかったら仲良くしてあげてくれないかな?」
中学時代、針麻は女子の友達がいない事をずっと悩んでいた。オタク寄りの女子もいたのだが、彼女の領域があまりにも深すぎて敬遠されてしまったのだ。
同好の徒、まではいかずとも、同じクラスに会話できる同性がいればそれだけでだいぶ違うはずだし、ヒトリさんもきっと女子の友達がいた方が気が楽だと思うのだ。……人選ミス感は否めないが。
つかつか、と歩み寄るヒトリさんは、手を差し出した。
「その……真奈。涼士の友達なら、私の友達……でも、いい?」
「ぶっ、不器用デレいただきましたァーッ!」
「不器用って言わないで!」
ガッと針麻が手を取り、ここに友情が成立(?)した。なんというか、針麻は僕が知る中では飛び抜けて独特だから心配だけどさすがに大丈夫だと思――
「ところでヒトリちゃん、TSとかオメガに興味ある?」
「へ?」
「お前ホントそういうトコだぞ」
訂正。不安は絶えない。
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