ペンギン系女子ヒトリさん

鴉橋フミ

ヒトリさんと涼士くん

 四月の始まり、高校の入学式から二日。

 時間が少し早いせいか、周囲に登校中の生徒はあまり見えない。塀越しのグラウンドや体育館からは朝練をする部活生の声が聞こえてくるのが、これぞ高校、という感じで心を少し弾ませる。

 新入生気分が抜けない僕がまだ少し新鮮な気持ちで校門を過ぎて、靴箱へ行くと…………やっぱり、今日も。


「ふ…………っ!」


 必死に手を伸ばし、靴箱の上段にローファーを押し入れようとする女の子。春先だというのに白いマフラーを首に巻き付けた彼女は、小学校高学年と言われても納得するほどの低身長だった。背中の特徴的な――ペンギンモチーフのリュックがそのイメージを確固たるものにしてしまう。

 僕も最初は目を疑ったけど、紛れもなく彼女は高校一年生。正真正銘、僕のクラスメイトなのだ。


「おはよう、ヒトリさん」


 上から追い抜くような形で、僕はヒトリさんの靴をひょいと持ち上げて靴箱に入れ、上履きを出す。ミニチュアみたい、と思ってしまった事は黙っておこう。


「……………ぉはよう」


 寝起きのようにむすっとした声。ふかふかのマフラーに顔をうずめているせいで、声も表情も隠れて無愛想に見える。けど、ちゃんと挨拶してくれるあたりは律儀だ。

 凍月いてつき氷鳥ヒトリさんは出席番号が一番だから、靴箱は最上段になってしまう。彼女の身長ではどうしたって手が届かないというのは昨日と一昨日に実証されている。自分の靴を出席番号二番、石清水いわしみずの靴箱に入れながら会話を続ける。


「靴箱、やっぱり下の方に変えてもらう?」

よ。このままでいい」

「意地っ張りだなぁ」

「きぁっ!」


 独特な掛け声で、べし、と袖で横腹を叩かれた。

 ヒトリさんは高校での急成長を期待してか、制服がぶかぶかだ。セーラー服の袖は余ってるし、スカートも膝下でスケ番みたいになっている。歩くにしろシャーペンを持つにしろ、明らかに便が悪そうだ。よくある新入生の姿と言えばそうなのだが、こういう小さな部分にも『絶対にこのままで過ごしてやる』というヒトリさんの決意が表れている。


「ところで、マフラー暑くない?」

「……今日は肌寒いのよ」


 両腕で肩を抱くような所作をしてみせるヒトリさんは極度の寒がりだ。当人曰く、冬なんかはもっとおもしろ……すごい事になっているらしい。


「涼士は寒くないの?」


 ヒトリさんが見上げながら聞き返す。僕は平均的な身長に平均的な体重なのだが、ヒトリさんが相手だとバスケ選手のような気持ちになる。帰宅部だけど。

 思考の脱線をそこそこに、僕は「平気かな」と返す。


「標高だと僕の方が寒いハズだけどね」

「~~っ、うるさいっ。きぁっ!」


 べしべし、とワンツーのリズムで叩かれる。全然痛くない。

 ごめんごめんと謝りながら艶のある黒髪を見下ろしていると、誠意を感じられないとばかりに顔を背けられた。


「ふん。石清水なんてしらない」

「あっ、本当にごめんなさい」


 わざと苗字で呼び、ぷいっとそっぽを向いて歩いて行くヒトリさんを追いかける。ご立腹りっぷくらしく、呼んでも振り向かない。

 ヒトリさんはベリーロングスカートが邪魔なせいか『てちてち』という擬音が似合うほど歩幅がとても小さいので追い付くのは簡単だ。けど、視線の先に回り込むと素早く反対を向かれてしまう。


「ヒトリさーん……」

「ふん」


 むくれて、擬音を口で言い表すヒトリさん。余所見は危ないよ、と言おうとした矢先に案の定、自分で上履きの踵を踏んづけて転んでしまった。


「あぅっ」


 盛大にいったが、不思議と痛そうじゃない。転び慣れているからだろうか。

 スカート丈のおかげで恥ずかしいことは回避しているが、すっぽ抜けた上履きが哀愁を漂わせている。


「だ、大丈夫? ヒトリさん、ドジなんだから気を付けた方が――」

「きぁーっ!!」


 照れ隠しの猛攻。今度は回数制限なく、何十回と叩かれる。もはや殴っているレベルなのにまったくダメージを感じないのが不思議すぎる。こうなるとたぶん、僕が泣くまで殴るのをやめないだろう。見下ろすと、『見下ろすな!!』と言わんばかりに睨まれて殴る勢いが増した。

 真っ黒なロングヘアをたわませる白のマフラーのツートンカラー。余った袖丈はフリッパーと呼ばれる羽のよう。背は小さくて、無愛想だけど表情豊かで、よく転ぶのに、転んでないとばかりに胸を張るいじっぱり。

 僕はやっぱり既視感デジャヴを感じてしまう。


「ヒトリさん」


 小学生の頃に近所の水族館で見た、エサをねだってべしべしと飼育員さんの膝を叩いていた、あのかわいい生き物。


「今日も、ペンギンみたいだね」


 ピタリ、攻撃が止む。そしてヒトリさんは袖の中で握り込んだ拳を自分の腰に当てた。


「そうでしょ」


 むふー、と胸を張る表情はとても満足げ。

 ヒトリさんはリュックからもわかる通り、ペンギンが大好きだ。彼女にとってペンギンとはカッコいいモノの象徴である。


「ペンギンをバカにしないし、やっぱり涼士は見どころがある存在ね」


 よくスッ転ぶところもソックリだけど、これを言うとまた攻撃されるので、僕は言葉を錠剤のように深く飲み下す。

 そもそも、ヒトリさんがペンギンを意識しているのはドジ的な箇所とはもっと別の点だ。そこをはき違えるとヒトリさんが傷ついてしまう。それはダメだ。


「今朝はストラップをイワトビにするかジェンツーにするか迷ったんだけど、結果やっぱりケープにしたの。ほら、このお腹の点々がかわいいと思わない?」


 好きなモノを話すとき、人はとても純粋に笑う。

 リュックに付けたふわふわなミニぬいぐるみを見せて笑うヒトリさんは、とても愛らしくて眩しい。特別珍しくもない一般的高校生の僕がヒトリさんのとなりという特等席でいられるのは、本当に奇跡だと思う。僕の運勢の全てが二日前に凝縮されていたとしてもおかしくはない。


「前につけてたのと似てるね。類似種なの?」

「!」


 ヒトリさんが弾けるように笑う。


「そう! ケープは首元の黒いラインが一本で、マゼランは二本なの。両方かわいいでしょ!」

「うん。かわいいね」


 やっぱり、僕は幸運だ。

 だからこそ、なぁなぁで話を合わせていては失礼だと思う。元から水族館が好きで、ペンギンもお気に入りだったけれど、いまはペンギンのことをちゃんと勉強し始めている。ヒトリさんも教えるのが楽しい、と言ってくれたし、がんばろう。


「そういえば昨日、『水場で暴れるジェンツーペンギン』ってツイート拾ったけど、見る?」

「見るわ。はやく、ほら!」


 両目をキラキラとさせてヒトリさんが僕の背中に頭突きする。歩きながらは集中できないから早く教室に行こう、という催促なのだが、傍目にはじゃれつく子ペンギンにしか見えないことだろう。

 強くうずいたいたずら心が、それを口に出してしまう。


「ヒトリさん、子ペンギンみたいだね」

「子ペ…………きぁぁっ!」

「あはははは」


 今日もヒトリさんは愉快です。

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