第3話 過去との邂逅

 夢を見たことは覚えている。とても嫌な夢だった。


 なのにどうして、「夢を見た」ということは覚えていながら、「どんな夢を見た」のかはまるで思い出せなのか。


 何か、とても大事な夢だったはずだ。それなのに、どうしていくら思い出そうとしても思い出せないんだ。


 忘れちゃいけない。そんな気がしてならない夢なんだ。


「なんだろ・・・、何か大切なことを忘れている気がする・・・」



*****



 いつもの様にリビングに下りては、コップ一杯の牛乳を飲む。我が家では朝飯は用意されているものでは無い。昔から仲の悪かった親父と母さんは、親父の浮気が原因でより一層夫婦仲に亀裂が入り、今では顔を合わせることすら無くなってしまった。と言っても、昔とそんなに変わらない気もするので、俺としてはあまり気にしてはいない。なので、朝リビングに下りてきたところで、母さんは部屋に引き篭って出てこないし、親父は早くに会社に向かい家を出ている。妹は日によってまちまちで、俺よりも早く家を出ていることが多い。今日も既に学校に行ったようだ。


 そんな中、俺はふとある事に気が付いた。


「何で俺、わざわざリビングに下りてきたんだ?何も無いこと分かってるのに」


 別に朝飯は途中のコンビニでおにぎりを買えばいい話。どうしてわざわざ一階に下りて、コップ一杯の牛乳をなんて飲んだのだろう。


「疲れてんのかな?」


 昨晩は早くに寝たはずだ。身体に疲れが残っているとは思えない。けれど、どこか身体に違和感を感じる。それに、未だに昨日見たはずの夢も思い出せない。


「ま、いっか。さっさと支度して行こ」


 思い出せないものは思い出せない。きっと、その程度の夢だったんだ。所詮は夢だ。別に覚えてる方が珍しいしな。


 そう言い聞かせては、制服に替えると、リュックを背に家を出た。


「いってきます」


 返事なんて返ってこないのに。




「おっす!祥太朗!」


「間宮くんおはよう」


「赤坂さん、悠斗も、おはよう」


 学校に着くと、いつも通り赤坂さんと悠斗が挨拶をしてくれた。こうやって友人が挨拶をしてくれるだけで、学校はいい所だと改めて感じる。


───ん?何でそう思うんだ?


 学校に行けば友人がいる。他愛もない話をすることが出来る。けれど、それが何で学校限定なんだ。確かに、我が家は会話なんてものは皆無だ。けれど、それは今に始まった話ではない。今も昔もそうだった。


 だからなのか。もしかしたら、会話に飢えているのだろうか。いや、そんなことは無いはずだ。


 一体、どうしてしまったんだろうか。


「どうした祥太朗。お前今日も顔色悪いぞ?本当に朝飯食べてるのか?」


「そうか?そういえば、今日はコンビニ寄るの忘れてたからな。食べてないわ」


 格別変なことを言ったつもりは無かった。しかし、悠斗の表情は心配から一変、驚いた表情へと変貌した。


「コンビニ・・・?お前いつもは家で飯食ってきてるんじゃないのか?」


 昔からの付き合いのはずなのに、悠斗は訳の分からないことを口にしたのだ。


「いやいや、何言ってんの悠斗。うちは朝飯出てこないし、俺も時間無いから作らないし、ほとんど家では食べないぞ?」


 悠斗は何を今更なことを聞いてきているのだろうか。小学校からの付き合いだというのに、うちの家庭の事情さえも忘れてしまったのか。


「そんなの、初めて聞いたぞ・・・?」


「そうだっけ?昔からそうだぞ?」


 我が家では昔から当たり前のことだったから、てっきり悠斗には話したことだと思っていた。どうやら俺が悠斗に話し忘れていたようだ。そりゃ、悠斗も驚く訳だ。


「間宮くん、今日何か雰囲気違うね。何か、吹っ切れたような、憑き物が取れたみたいな感じがするよ?」


「どういうこと、赤坂さん?」


 二人とも、一体何を言っているのだろうか。俺はいつもと何ら変わりは無い、いつも通りの間宮 祥太朗まみや しょうたろうだ。家庭が複雑な事情を抱えているだけで、他の皆と何も変わりはしない、普通の男子高校生だ。


「いや、何でもない。私の気のせいかもしれない」


「なあ、祥太朗。何かあったらすぐ俺に言えよ?何でも相談乗るから」


 俺はいつも通りなのに、二人は何をそんなに心配してくれているのだろうか。


「ありがとう、二人とも」


 俺がそう笑いかけても、赤坂さんは心配そうに俺の顔を見詰め続けていた。





「何か、今日は皆して変だったな」


 誰も出迎えてくれない自宅に帰宅し、自室のベッドに寝そべると、ついそんな事を呟いていた。


 というのも、朝の悠斗と赤坂さん同様、他の人も皆俺に対しておかしな事を言ってきたのだ。


───何か、今日の間宮、変だな


「一体、何がそんなにおかしいんだ?」


 皆に口々そう言われるものだから一日そんな事を考えていた。けれど、いくら考えてみたところで思い当たる節は何処にも見当たらなかった。


 普段通りの俺の何処がおかしいのだろうか。


 今日変わったことなんて特に無かったはずだ。朝飯だって食べない時の方が多い。前髪だっていつも通りの分け方だった。ネクタイだっていつも通り上手くできていた。


「変な夢を見たけど、それは別に関係ねぇしな」


 天井を眺めても何も分からない。だけど一つだけある事に気が付いていた。


「やっぱり、何か忘れてる気がするんだよな・・・」


 大切な「何か」を忘れている気がするが、その「何か」が何なのかが掴めない。すぐそこまで出掛けているのに、何かに引っ掛かって出てこない様な、掴めそうで掴めない、ふわふわした「何か」が気になって仕方なかった。


「何なんだろ───」



*****



 キーンコーンカーンコーン───

 

 聞き慣れたチャイムの音が辺り一帯に鳴り響く。マス目状に敷き詰められた木のタイルの床に、南向きに面した大きな窓ガラス。その反対側には、廊下に面した曇りガラスの窓とクリーム色の壁がある。そして、正面には使い古された大きな黒板が設置されている。


「ここは・・・、礼葉れいは小学校・・・?」


 整理整頓された机や椅子は俺の腰より低く、とてもではないが座れそうにない。


「ここ俺が一年生の頃の教室じゃないか。懐かしいな」


 机の右角に貼られた名札のシール。窓際に並べられた列の中に俺の名前「まみや しょうたろう」と書かれたシールが貼られた机がそこにはあった。


「そうそう、名前の順後ろの方だからいつも最初は窓際の席なんだよな。

 確かここら辺に・・・、あった!」


 廊下側の列の中に見つけた「おおくぼ ゆうと」と書かれたシールの貼られた机。


「悠斗の席一番後ろで羨ましいんだよな」


 南に面した窓からは暖かな日差しが差し込み、教室を舞うホコリがキラキラと宝石のように輝いていた。俺一人しかいない、少し狭くも感じる教室で。


「そういえば、チャイム鳴ったのに、誰も来ないな。皆遅刻か?」


 そろそろ授業が始まるはずなのに、さっきから誰かが来る気配がまるで無い。それだけじゃない、いつもは賑やかなはずの校庭に誰もいないし、廊下からも誰の声も聞こえてこない。


「もしかして、今日休みだった?」


 黒板に書かれているはずの日付を確認しようとした。しかし、それは誰かが消してしまったのか、汚れて見えなくなっている。


「何だよ、昨日の日直ちゃんと仕事しろよな」


 悠斗も来ないし、先生も来ない。教室には、時計の秒針の音が嫌に響いている。


 それから暫く、椅子に座って皆を待っていたが、やはり誰も来る様子が無い。


 もしかしたら、本当に今日は休みなのかもしれない。


 そう思い、「まみや しょうたろう」の席から立ち上がろうとした。


 ガラガラガラ───


 突然、それまで物音と一つ聞こえなかった教室で、黒板側の扉が大きく音を立てて開けられたのだ。


「やっと来たのか!もう、おっそい・・・よ・・・」


 そこから現れたモノに俺は言葉を失った。


「ど、どういうことだ・・・?」


「お!お前動けるんだな」


 教室にやって来たのは、真っ白な毛をした狼だった。しかも、喋る狼だ。




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