第2話 失われた過去
歓声と恐怖が入り交じった絶叫が遠くから聞こえてくる。丁度急降下しているジェットコースターから聞こえてくる絶叫だ。何の変哲もない遊園地の光景。けれど、俺の目の前の惨状はとても普通とは言い難いものになっている。
頭を喰い千切られた親父と、その横で俺を見つめながら佇む黒色の狼。
そんな状況にも関わらず、誰一人として叫び声も悲鳴も上げやしない。誰も、目の前の惨状に気づいているようには見えない。
「親父!!くそっ!どうなってんだよ!!いきなり何なんだよ!!」
頭という人体で最も重い箇所を失った身体は、人形のように地面に倒れ込んでいる。そのせいで地面はみるみるうちに血で赤く染まり、それは俺の足元まで広がっていった。
「ああああああ!!訳わかんねぇよ!なんで、なんで親父が!」
母さんと妹も親父の事態に気付いていないのか、楽しそうに二人でジェットコースターの方へと歩き続けている。二人だけじゃない、この遊園地にいる誰も歩みを止めようとはしない。目の前で人が血を流しているのに、頭を食いちぎられ倒れ込んでいるというのに、皆知らん顔して楽しそうに歩いている。
「何で、誰も気付かないんだよ!人が喰われてんだぞ?!おかしいと思わねぇのかよ!?」
そう、親父は突然喰われたのだ。
黒色の狼に。
常識的に考えれば、有り得るはずのない出来事だ。そもそも、こんな所に狼がいるはずがない。ここは遊園地だ。動物園ならまだしも、遊園地に狼がいる訳がない。それに、日本の狼はとうの昔に絶滅したはずだ。テレビの画面上でしか見たことの無い生き物が、何故こんな所にいる。しかも、グレーや白ではなく、黒色。そんな色をした狼が存在するのか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。現に、目の前で親父が喰われたんだ。俺はそれをこの目で見たんだ。
とにかく、今直ぐにこの場から逃げなければならない。逃げなければ、喰われる。それは即ち、死を意味する。
その瞬間、何かを察したのか、それまで動きもしなかった黒色の狼が突然俺に背を向けると、母さんと妹のいる方に駆けて行ったのだ。
「おい!やめろ!!」
親父だけじゃない、あの狼は二人も喰らおうとしている。このままでは、二人も危ない。
俺は何食わぬ顔で遊園地を楽しんでいる客を掻き分け、母さんと妹の元に駆け寄ろうとした。しかし、行く手を阻む群衆はかなりの数で、幾ら押しのけようにもひしめき合っていてなかなか前に進めずに藻掻く始末。
「どいてくれ!頼むからどいてくれ!母さんが!妹が狙われてるんだ!どいてくれよ!何でどいてくれないんだよ!
母さん!
人混みの向こう、その姿は確かに見えている。それなのに、俺の声は一向に届いている様子は無い。幾ら周りが賑やかだからって、喉が枯れるほど叫んでいるのに、振り向きもしない。何か変だ。
それに、周りのは人が俺を見えていないかのよう正面から俺に向かって歩いてくる。まるで俺がこの場に居ないかのようだ。それでいて確かに俺は人混みにのまれていて、なかなか二人の元に辿り着けずにいた。
「邪魔なんだよ!おい聞いてんのかよ!おい!くそっ!どうなってんだよ!!」
なんで誰も気付かないんだ。人が一人喰われているのに、狼が現れているのに、どうしてこうも平然とした顔で皆楽しそうにしていられるんだ。
狂ってやがる。この遊園地にいる人は皆、狂ってる。
気が付くと、人混みにのまれたせいでいつの間にか狼の姿を見失っていた。それだけ、ここには人が溢れている。
どれだけ叫んでも道を開けてくれない人々を押しのけ、やっとの思いでジェットコースターの乗り場まで辿り着いた。しかし、そこには俺が最も見たくないものが転がっていた。
そこにあったのは、重なり合うようにして倒れ込んだ母さんと妹の残骸だった。首と胴は繋がっているが、腕や腹を食いちぎられ、見るも無残な姿に成り果てていた。もはや、人ではない、肉の塊となっていた。
「何なんだよ・・・、何でそんなことすんだよ・・・」
グチャグチャと二人の亡骸を喰らう黒色の狼。骨を砕いた音だろうか、奴の顎が動く度に吐き気を催す音が聞こえてくる。黒かったはずの口周りの毛は、三人分の血で赤黒く変色していた。
「やめろ!!!!」
人が、それも家族が目の前で喰われている。もう一体何が起きているのか、俺の脳では処理が出来なくなっていた。それでも、大切な家族を殺されてただ黙って悲しんでいれるほど、俺の脳は冷静ではなかった。
俺は拳を強く握り締め、狼に殴り掛かろうと走り出す。
相手は俺の背丈の半分くらいはあるだろう狼だ。大型犬よりもずっと大きい体躯に、大きな顎を持っている。俺の取った行動が無謀だということは動き出してから気付いた。それでも、何もせずにはいられなかった。
大事な家族だから。
「二人から離れろ!!!」
懇親の一撃を、奴の顔に入れてやろうと思っていた。けれど、狼の瞬発力というのは人間よりも優れており、俺に向かって大きな口を開き飛び掛って来たのだ。
死ぬ───
直感でそう感じてしまった。親父の首を喰い千切るほどの顎だ。俺なんて一溜りもないだろう。
あぁ、死にたくねぇな───
血の匂いが分かる程に接近され、俺は目を瞑った。
────シュンッ
突然何かが風を切る音が聞こえたかと思うと、その直後狼が「キャン!」とかか細く吠えたのだ。
「な、何だ・・・?!」
ゆっくり目を見開くと、飛び掛ってきていたはずの狼は居らず、視界の端で倒れているではないか。しかも、奴の脇腹には一本の矢が刺さっている。
「危機一髪ね」
突然聞こえた女性の声。それまで親父しか俺の事を認識していなかったはずなのに、まるで俺の事が見えているかのような台詞。
「誰?!」
声のする方を向くと、セーラー服姿の眼鏡の女子高生が弓矢を手に、こちらを向いていた。その上、彼女の肩にはイタチなのかオコジョなのか、よく分からないがその類の動物が乗っている。
「別に忘れるんだから関係ないでしょ。
それより、どうやら手遅れなようね」
彼女はそう言うと、母さんと妹の亡骸を落とした。
「忘れる?なんだよそれ?!てか、何で弓矢何て持ってんだよ?
そもそも、あの狼何なんだよ?!あんた何か知ってるのか?!」
「うるさ───」
彼女が言い切るより前に、それまで横たわった狼がゆっくり起き上がると、天高く吠えたのだ。
「ちっ、仕留め損ねたか・・・」
「おい!だから、何なんだよ!何がどうなってんだよ!」
俺は家族で遊園地に来ていたはずだ。母さんと志保がジェットコースターに乗ろうと乗り場に向かっていた。親父は俺を呼ぼうとしていた。その瞬間に狼が現れたんだ。全身が黒の毛に覆われた狼が。そして、奴が親父と母さん、志保の三人を喰った。そこに現れたのが、謎のセーラー服女子高生。
何一つとして理解が出来ない。
「頼む!教えてくれよ!!」
すると、黒色の狼は矢が刺さったままだというのに、俺達に向かって飛び掛ってきた。
「ちっ!いいから逃げて!」
そう言うと、女子高生は俺の事を突き飛ばし、素早く矢を放った。しかし、咄嗟に引いたからか、矢は僅かに外れ、空を切る。
女子高生はもう一度矢を構えるが、どう考えても間に合わない。
この子も喰われる───
そう思った瞬間、彼女の肩には乗っていたイタチだかオコジョだか分からないげっ歯類らしき小動物が狼に体当たりをしたのだ。
「ルーさん!!」
小動物のおかげで狼が体勢を崩す。それでも、狼は執念深く、振りかざした前足の爪が彼女の腕を掠ってしまった。
「くっそ!」
「おい!!大丈夫か?!」
「来なくていい!」
上腕部からは流血しており、彼女は必死に圧迫止血を試みていた。そんな状況でも、来なくていいとはどういう事なんだ。俺はただお前を心配してるんだぞ。
すると、黒色の狼の気分が変わったのか、遊園地の入口の方に向かって駆けて行ってしまった。まさに一瞬の出来事だった。
「ちっ、逃がしたか」
「おい・・・、大丈夫なのか・・・?」
自分自身が「大丈夫」なのかと問われれば「否」と答えるであろうに、そんな俺がこんなことを聞くのはおかしいと思いながら、彼女の元に寄り声を掛けた。視界の隅では、ジェットコースター乗り場の前に積まれた肉塊が入り込んでは、喉の奥が酸のようなものを感じていた。
すると、女子高生はとても悔しそうに、それでいて申し訳なさそうな表情で俺にこう言った。
「貴方の記憶、取り戻せなかったわ」
「記憶?なんの事?」
「記憶を取り戻せなかった」と言われても、俺がいつ記憶を奪われたんだ。俺が奪われたのは、記憶ではない、家族だ。
「貴方、あの化け物に誰を喰われたの?」
「家族だよ。親父と母さんと妹の三人。それ以外はあいつが見向きもしなかったから喰われてない」
「そう。貴方に伝えなきゃならないことが2つある。いい?よく聞いて」
女子高生は腕を抑えながら、真剣な表情になった。
「一つ目、貴方の御家族だけど、安心して、ちゃんと生きてるから」
「本当に?!」
「本当よ。そもそもここは貴方の夢の世界よ。だから、あの化け物に喰われ御家族は現実の世界ではちゃんと生きてるわ」
忘れていた。そういえばここは俺の夢の中じゃないか。ということは、これまでこの遊園地で起きたことは全て夢だってことなのか。
良かった。皆生きてるのか。
「一つ目のことは分かった?」
「あぁ、ここが夢だってことすっかり忘れてたよ」
「そう。で、二つ目だけど」
「何だ?」
「さっきも言ったけど、記憶を取り戻すことが出来なかったの。つまりね、貴方はあの化け物に喰われてしまった三人との記憶が失われるわ」
「え?それって、どういうこと?」
記憶が失われる。一体どういうことだ。ここは夢なんだろ。だとしたら、目が覚めれば何も問題は無いはずじゃないのか。それなのに、三人との記憶、要するに親父と母さんと妹との記憶だろ。それが無くなるとはどういうことだ。
「あの化け物は人の夢に現れては、人の夢のを喰らうの。それで、夢を喰われた人は、喰われた夢に関する記憶を失う。目が覚めたと同時にね」
「え・・・、それはつまり・・・、俺はこの夢から目を覚ますと、家族皆の記憶を無くすってことなのか?これまで生きてきた記憶全部を??」
「いや、それは違うわ。
貴方、この夢を見た時、何を思った?遊園地に来た夢だなってだけ?それとも、他に何か思った?自分にとって大切な記憶の一部だなとか」
俺がこの夢を見た時何を思ったのか。
───記憶の奥底に眠っていたとても懐かしい記憶。俺達家族がまだ仲良く暮らしていた時の記憶。同時に、二度と再現することが叶わない記憶──
「二度と戻らない、仲のいい家族だった時の記憶・・・」
「そう。つまりは、貴方はその『二度と戻らない、仲のいい家族だった時の記憶』を失ったことになるわね」
「待ってくれ!そうなると何だ・・・、俺は、俺は昔のように仲の良かった頃の記憶が無くなるってことなのか・・・?」
「残念だけど、そういうことになるわね」
「いや、いやいやいやいや!待ってくれよ!!そんなのある訳ないよな?!だってこれ夢なんだろ?!だとしたら、あんたも夢の中だけの人なんだろ?だったら、目が覚めればここでの話は全部夢!夢!嘘なんだろ?!有り得るはずないんだろ?!なぁ!そうだろ?!!」
「悪いけど、嘘じゃないわ」
「いや、お、俺は信じないぞ!?だってここは夢なんだからな!全部夢オチ!目が覚めればいつも通りの日常があるんだろ?!
親父も母さんも妹もいる!普通の!・・・普通の生活が・・・」
「信じてくれなくてもいいわ。どうせ今言ったことも全て目が覚めれば忘れてしまうから。奴らに夢を喰われるとは、そういうことだから」
どうしてだ。どうして俺はこんなにも動揺しているんだ。ここは夢の中なんだ。夢なんだ。幻なんだ。何を恐れる必要がある。記憶を失うなんてことは無い。そうさ、目が覚めても幼い頃の仲のいい家族だった時の記憶はあるはずだ。
「それじゃ、私は失礼するわね」
そう言って、セーラー服の女子高生と肩に乗っていた謎の小動物は観覧車の方へ消えてしまった。
彼女は一体何者だったのか。
「あー、何だ夢かぁ!焦ったわぁ!夢だ夢!夢!」
いつの間にか辺りから人は消え、この場にいるのは俺と三人の残骸だけになっていた。ジェットコースターだって、時間が止まっているかのように急降下する直前で停止している。
───夢かぁ
*****
ピロリロリ〜ピロリロリ〜───
午前7:00。電子音が朝を告げると、俺は目を覚ました。
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