DREAM EATER

新成 成之

Prolog 記憶を追う者

第1話 Memento mori

 人は二度死ぬと誰かが言った。一度目は命が終わりを迎えた時。二度目は、「記憶から忘れ去られた時」だと。



*****



 幼い頃は信じて疑わなかった。この幸せな日々がいつの日も、いつまでも続くのだと。しかし、この世界に「絶対」なんて都合のいい言葉は存在しておらず、俺が信じていた日々は二度とやって来る事はなかった。




 ピロリロリ〜ピロリロリ〜───


 枕元に置かれていたスマホが起床の時刻を電子音と共に報せてくれた。時刻は午前7:00。スマートフォンというだけあってとても優秀で、いつも寸分の狂いなく音を鳴らしてくれる。そのおかげで俺は毎日同じ時刻に目を覚ますことが出来ている。


 布団の温もりも恋しいままに、何とかベッドから起き上がると、一階のリビングに下りていく。普通の家庭なら、ここで母親が作った朝ごはんが用意されていて、家族からの「おはよう」の挨拶があるのだろう。しかし、我が間宮まみや家ではそんな日常は存在しない。リビングに鎮座するテーブルに置かれているのは、千円札が一枚と、母直筆の書き置きだった。


『朝ごはんとお昼ご飯代です』


 俺は冷蔵庫から牛乳を取り出し、食器棚のグラスを適当に選ぶと、そこに牛乳を注いでは一気に喉に流し込んだ。


「書き置きがあるだけ、まだましか」


 牛乳を飲み干し白く曇ったグラスを流しに置くと、裸の野口英世を手に取った。




 俺の名前は、間宮まみや 祥太朗しょうたろう。高校二年だ。ご覧の通り、我が家には世間の御家庭とは違った、非常に面倒な問題を抱えて暮らしている。


 と言うのも、全ての元凶は俺の親父にある。


 ある日の事。俺がいつも通り家に帰ると、リビングに母さんが泣き崩れていた。何事かと思い駆け寄ると、リビングにはもう一人、仕事帰りの親父がスーツのままで突っ立っていた。母さんがこんなにも目を赤く腫らしているのだから、ただ事ではない何かがあったのだろう。そう思った俺は親父に事情を尋ねた。しかし、その直後母さんは、今までに聞いたことも無い、狂ったような甲高い声でこう言ったのだ。


「この人がね!浮気をしてたの!!」


 その日以来、母さんは親父と顔を合わせなくなった。専業主婦だった母さんは、家事の殆どを放棄するようになり、自室に閉じこもるようになってしまった。一方、浮気をしたという親父は俺がどんなに問い詰めようと何も語らず、俺は何も知ることも無いまま今日を生きている。そして、我が家にはもう一人、俺の妹もいるのだが、こんな時に反抗期に突入し、あいつもあいつで部屋から出てこなくなってしまった。その為、俺は現在自分の家に居ながら、家族の誰にも顔を合わすことの無い生活を送っている。


 何とも変わった家族だと思うだろう。けれど、これが俺の日常なのだ。幼い頃信じていた日常とは程遠い、まるで他人の集まりのような生活。幼い頃の当たり前は、もはや夢のまた夢の出来事になってしまった。




 そんな俺でも、学校には通わなくてはならない。2階に上がり自室に戻ると、財布に先程の千円札をしまう。そして寝巻きを脱いでは、壁に掛けられた制服に手早く着替える。ネクタイの着用が義務付けられた学校だからか、ネクタイを締めるのは手馴れたものである。最後にブレザーを羽織ると、リュックを手に家を出た。



*****



「お!祥太朗、おはよっす!」


 学校に着くと、幼馴染の大久保おおくぼ 悠斗ゆうとが待っていた。


「おう悠斗、おはよう」


「どうした?最近元気無いぞ?ちゃんと朝飯食ってんのか?」


「そんな元気なさそうに見えるか?飯も食ってるし、大丈夫だぜ?」


 家庭の事は誰にも話していない。それは、小学校から付き合いのある悠斗も同じだ。


「そうか、ならいいんだけどさ。てかさ、昨日の、見たか?」


 そう、別に知らなくていいんだ。うちの問題を他に話す必要も無い。何も困ることなんてないんだ。 




 学校は家と違って落ち着ける空間だ。ここに来れば仲間がいる。話が出来る。それも、顔を合わせて。扉越しで妹に話し掛けているのとは違う、目と目を合わせて話が出来る。俺にとって、こんなにも心休まる所は他に無い。


間宮まみやくんおはよう」


「赤坂さん、おはよう」


 俺に挨拶をしてくれたのは、隣の席の赤坂あかさか 結奈ゆうなさんだ。こうやって誰かに「おはよう」と呼ばれだけで、いい日だなと思ってしまう自分がいる。それも、家庭の環境が原因だろう。


 俺が席にリュックを置くと、突然悠斗が得意げな顔で話を始めた。


「そうそう、俺今日さ、すっげぇ変な夢見たんだよ」


 人の昨晩の夢の話程、興味のそそらないものは無い。それを知ったところで何なのだと思ってしまうが、隣の席の赤坂さんは優しい人で、悠斗の話を聞いてあげていた。


「なになに、どんな夢?」


 俺ではなく赤坂さんが反応したことが驚きだったのか、それとも嬉しかったのか、悠斗は楽しそうに話を続けた。


「いや、それがさ、夢を見たことは覚えてるんだけどさ、どんな夢だったかってのは覚えてないんだよね」


「何それ、それじゃ何も覚えてないってこと?」


 大スペクタクルなストーリーでも見たのかと思えば、どうやら悠斗はその夢を覚えていないというのだ。昔からの付き合いであるが、なかなかアホな奴である。


「いや、よくある事だろ?でも、なんかすっげぇ夢だったのは覚えてんだよ。

 なあ、祥太朗もそういうことあるだろ?」


「えっ?あ・・・、そ、そうだな」


「おいおい、ちゃんと聞いてたのか?」


「わりぃ、聞いてなかった」


「なんだよそれ!ひっでぇな!」


「間宮くん、はっきり言うね〜」


 話の内容は空っぽかもしれないが、それでも俺はこうして誰かと一緒にいる時間が幸せだ。




 授業も終え、生徒が疎らに帰路につく時間。俺は一人駅に向かっていた。ほぼ毎日が一人での帰り道。昔は家に帰るということは、楽しみで仕方の無いことだった。それなのに、今になっては憂鬱な事に変わり果ててしまった。


「どうして、こうなっちゃったんだろうな───」


 本当は、今だって家族みんなで団らん、なんて事を願っていたりするが、それが叶わぬ事なんだって、悔しいけれど実感している自分がいた。


 少しだけ窮屈な車両で揺られながら、俺は家へと向かった。




「ただいま───」


 そう言ったところで返事が帰ってこないことは分かりきっている。


「あ、母さん飯作ってくれたんだ」


 リビングに行くと、今朝は千円札と書き置きだけだったテーブルには、二人分の夕食が用意されていた。


 俺は一度自室に戻り荷物を置き、制服から着替えると、ラップをされた料理を電子レンジで温めると一人で食べることにした。


「何かやってないかな」


 俺の他には誰も居ないリビングは静かで、音が無いのが寂しく思いテレビをつけた。やっているのは、タレントが台本通りに事を進めるバラエティー番組や、信憑性の薄い日常生活の知恵をおおっぴろげに紹介する番組。正直

、どれも見る気にはなれなかった。けれど、誰かが話している声が聞きたくて、よく分からない情報番組を流すことにした。


「さて、今回紹介するのは、この春渋谷ヒカリエにできるや、瞬く間にその人気に火がつき、今では予約一年待ちとなった、今、最も流行の施設!

 その名も『ドリームカプセルシアター』です!」


 母さんが作ってくれた久々の手料理だというのに、昔のような温かさは感じられない。確かに、電子レンジで加熱はしたけれど、俺が欲しい温かさはそういう電子の温かさじゃない。もっとこう、人の温もりなんだ。


「すごい人ですね!ところで、ここは何ができる施設なんですか?この酸素カプセルみたいのが何か関係してるんですか?」


 おかずは野菜炒め一品に、主食の白米。箸を止めることは無いが、進むことも無い。だだっ広いリビングに俺一人。聞こえてくるのはよく分からない情報番組のリポーターの声と、俺の咀嚼音。きっと母さんは自室だろう。親父は最近ではいつ帰ってきているのかすら分からない。妹も、しばらく顔を見ていない。友人と遊びに行ってると言っているが、夜遅くまで何処で何をしているのかなんて分からない。


 家族なのに、誰が今何をしているのか、何一つとして分かりやしない。


「もう戻らないのかな───」




 晩御飯を食べ終えると、シャワーで風呂を済ませ、早々に眠りに就くにした。何かをしようという気に、どうしてもなれなかったのだ。




*****



「パパ!次あれ乗りたい!」


「えぇ?!あれビューンって早いやつだよ?」


「私あれ乗りたい!」


「ほら、志保しほがそう言ってるんだからお父さん行ってきてね」


「俺がぁ?」


「はやく!はやく!」


 高速で移動しては、何度も螺旋を描く乗り物。俺の目の前にはそんなジェットコースターなるものがそびえ立っていた。


「祥太朗も乗るか?」


 親父が振り向きざまに俺に尋ねる。その顔は今よりもずっと若かった。


「ここは・・・、夢・・・?」


 目の前にいるのは、親父に母さんに妹。母さんも今よりも髪は黒く、妹も幼稚園児くらいだ。


 今では考えられない、親父と母さんが仲良さそうに喋りながら歩いている。その親父の手には妹の手が握られている。きっと、迷子にならないように繋いでいるのだろう。


「そういえば、昔遊園地に連れてってもらったことあったっけ」 


 俺は今日学校に行って、帰宅した後飯を食べて風呂に入って、寝たはず。そうなると、ここはきっと夢の世界なのだろう。記憶の奥底に眠っていたとても懐かしい記憶。俺達家族がまだ仲良く暮らしていた時の記憶。同時に、二度と再現することが叶わない記憶でもある。


 心のどこかではやはり無理だと分かっていながら願っているのだろう。こういう幸せだった日々を、もう一度、もう一度だけでいいから送りたいと。もうどうしようもないことは分かっている。それでも、この日の記憶が俺を未練たらしくさせているのだろう。


「夢なのに、俺だけは今の姿のままなんだな」


 三人は当時の背格好なのにも関わらず、俺だけは今の姿のまま。高校二年の男子高校生だ。そんな姿でも、夢に出てくる親父には俺が小さく見えているのだろう。何とも都合のいい夢だ。


 ここが夢だって分かってる。いつか醒める事も、終わることも分かってる。それでも、今この時だけは、この幸せだった時間を再び感じていたい。


「おい!祥太───」


 親父が再び振り向こうとしたその時だった。一瞬の出来事だった。あまりの衝撃に、何が起きたのか理解するのに時間が掛かってしまった。


 俺の目の前で、嘘みたいに吹き出る血飛沫。

 

 親父は、首から上が無くなっていた。


「親父!!!」


 親父が、黒色の狼に喰われた。


 

  

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