背の高い店員は余ったケーキに首をひねる

 店に入る直前で背の高い店員は足を止めた。不思議な笑い声を聞いた気がしたからだ。


 ホーホーホー! まるでサンタの笑い声。そんなわけないか。




 クリスマス・イブの夜だけあって、今夜は忙しかった。彼女が店の中に戻ると家族連れがいた。両親に手を引かれた少年が泣き出しそうな顔をしていて、ケーキの生地を作る担当の若いパティシエが謝っている。こちらも泣きそうな顔をしていた。


「どうしたの?」


 事情を聞くと、どうやらこちらのミスで彼らが注文してあったケーキができていないらしかった。店員は、ショーケースの中を確認したが、やはりホールケーキはすでに一つも残っていなかった。


「新しいのを作ろうにも、もう材料がないんです」と若いパティシエは言った。 




 店員は、塞ぎこんで店を出ていく少年の背中を申し訳なさそうに見送った。入れ違いに赤いコートの女性が入ってくる。


「さっきはありがとうございました」


 先ほど一番大きなサイズのケーキを自宅まで届けた女性だった。普段は配達などしないのだが、約束の時間になっても取りに来なかったので、店からすぐ近くだったこともあり、店を厨房のスタッフに任せて届けに行った。


「あ、先ほどの」


「私、お金払ってないですよね?」


「お金?」


 彼女は少し考えたが、確かにケーキ代をもらい忘れていた。「あー、ですね」


「ですよね」


 支払いが済むと、女性は思い出したように尋ねた。


「ところで、私、住所お伝えしてましたっけ?」


「あ、はい。私は直接聞いてないですけど、メモがここに……あれ?」


 さっきまで確かにあった住所を書いたメモがなかった。


「うん?」


「おかしいな……いえ、メモがあったので、注文いただいた時に聞いたんだと思います」


 彼女は自分でも自分の答えに納得いかないまま答える。普通、住所なんて聞かないよな。


女性は特にそれ以上気にすることもなく、笑顔で店を出ていった。


 ふと駐車場に停まった赤い車が目に入った。先ほどの家族がまだ車の中にいた。




 その時、厨房の中から名前を呼ばれ、振り返る。


「このマスターピースはいつ取りに来るんだい?」と一番ベテランのパティシエが尋ねる。


「マスターピース?」


「この特大ケーキだよ。五時に取りに来るって聞いてたから、もう一時間も前に作っておいたんだけど」


 見ると、厨房の脇のテーブルに先ほど届けたのと同じ一番大きなサイズのケーキが置いてあった。


「え? 五時のはもう届けましたよ? 別のお客さんのじゃないんですか?」


 そう言いながら、店員は気づく。今日はこのサイズのケーキは一つしか、つまり先ほどの女性の分しか、注文が入っていない。


「今日はこれ一個しか作ってないよ。間違って違うの持っていったんじゃないの?」


 彼女はその可能性について考えてみた。赤いコートの女性は一番大きいのを、家族はそれより二回り小さいサイズを注文した。女性にケーキを持っていった後に、一番大きいサイズのケーキが残っている。ということは、間違って小さいサイズのケーキを先ほどの女性に届けたのかもしれない。


 そこまで考えて、彼女は首を横に振った。いや、それはない。あれは間違いなく一番大きいサイズだった。


 何がどうなってこうなったのかは釈然としなかったが、一つ確かなのは目の前にマスターピースが余っているということだった。


 彼女は再び特大のケーキを手に、お店から走り出た。




 家族とたくさんのケーキを載せた車がいなくなると、物音ひとつしない静かな聖夜が訪れた。ふと視線を店の脇に向けると、黒猫がちょこんと座って、背の高い店員を見つめていた。


「猫のくせにこんな寒いところで何をしてるの? おうちに帰りなさい」


 黒猫はまるで彼女の言葉に返事をするみたいに、ニャーとか細い声で鳴くと、どこへともなく消えていった。




 彼女は空を見上げた。雪がしんしんと降り続いている。寒さにぶるっと体を震わせ、店の中に駆け込む。ケーキ、一つくらい余んないかな。そんなことを考えながら。



---------------------------------------------------------------

え、「赤いコートの女性にどこかであった気がする」って?


それはまた次の話で。




でも、クリスマス・イブの夜に起こることをすべて知っているのは、やっぱりサンタクロースだけだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る