少年はワクワクしながら外を眺めている

 少年が座席に膝をついて窓の外を眺めている。先ほどからずっと足をばたつかせているのは、興奮を抑えきれないからだ。なぜなら今日はクリスマス・イブで、駅に迎えに来てくれているはずの父親の車で家に帰れば、豪勢な料理とケーキが待っているはずだから。




 やがて電車が駅に滑り込み、少年は母親に手を引かれながら電車を降りる。


「あ、サンタさんだ!」


 少年のその声に、周囲にいた大人たちが何人か振り返った。もちろん彼らのほとんどは、そこに本物のサンタクロースがいるなんて思ってはいない。少年が何のことを言ったかが気になったのだ。


 少年が指差していたのは、一枚のポスターだった。ポスターの中ではサンタクロースがおいしそうにコーラを飲んでいた。なんだ、ポスターか。大人たちは前を向き直る。




 駅を出ると、ちょうど父親の赤い車が到着したところだった。


「遅いよ! お父さん」


 後部座席に乗り込むが早いか、少年が言った。


「え、ぴったりじゃないか」と父親は笑う。


「ご飯、できた?」


「あぁ、ばっちりだ。なんたって、お昼ご飯を食べた後、すぐ夜ご飯を作り始めたからね。料理っていうのは大変だな?」


 そう言ってバックミラー越しに母親を見た。


「料理は確かに大変だけど、どうせまたこだわったんでしょ? ローズマリーとか買っちゃったりして」


「よくわかったな」


「ビーフを赤ワインで三時間くらい煮込んじゃったりして」


「四時間半だ」


「ねぇねぇ、ケーキは!? ケーキ」


「それはこれから」


「これから作るの?」


「いや、ケーキ屋さんに取りに行くんだ」


「よし!」と少年がガッツポーズをする。




 しかし、そのわずか十分後、少年はケーキ屋さんの前で口を尖らせていた。


「仕方ないでしょ? ケーキ屋さんだって間違うことはあるのよ。それに小さいけど、ケーキは食べられるんだからいいでしょ?」


「大きくて丸いのじゃないと嫌だ」


「わがまま言わないの」


「なんで、よりによってクリスマスに間違うんだよ!」


「『よりによって』って、難しい言葉知ってるのね」


「きっとクリスマスで忙しかったから、間違っちゃったんだな」




 その五分前。親子はケーキを引き取りに行ったが、どうやら手違いがあったらしく、父親が一週間前に注文したケーキはできていなかった。


「今日はもう材料がないみたいで……。ここにあるケーキなら、どれでも好きなものを持っていってくださって構いません」


 長身の女性の店員が申し訳なさそうに言った。


 父親はティラミスを、母親はタルト・タタンを、そしてすっかりへそを曲げていた少年には、母親がブッシュ・ド・ノエルを選んだ。母親は、「それとこれとは別だから」ときちんと三個分の代金を払ったが、店員は、「それでは申し訳が立たない」と少年のためにショートケーキを一つ余計に入れてくれた。




「あれ?」


 車に乗り込んだ父親が、キーを回しながら呟いた。普段なら、馬の嘶きにも似たエンジン音と振動が訪れるタイミングで、カチッという間の抜けた音がするだけだった。


「どうしたの?」


「お父さん、寒いよ」


「エンジンが掛からない」


「えー踏んだり蹴ったりかよー」


「だからどこで覚えてくるのよ、そんな言葉」


「おかしいな……」


 父親はキーを回し続けたが、車は目を覚ます気配はなかった。


「きっと寒さで壊れっちゃったのよ。修理屋さん呼ぶ?」


 そう言って、母親は携帯電話を取り出した。「もういい加減買い替えましょうよ」


 母親の提案に普通なら喜びそうなところだが、父親は渋い顔をした。彼はこの車が好きなのだ。




 その時、運転席の横の窓が、トントンとノックされた。父親は驚いてそちらを見る。先ほどの長身の店員が、コックコート姿で立っていた。父親は窓を開けようとしたが、エンジンが掛からないことを思い出し、ドアを開けた。




「あの、もしよかったら、このケーキお持ちになりませんか?」


 そう言って彼女は、ケーキが入った大きな箱を差し出した。父親が注文したものより、遥かに大きな箱だった。特大だ。


「え?」


「またこちらの手違いで、今度は一つ余ってしまったみたいなんです。お代は結構ですので」


「え、でも……」


 状況が理解できずに困惑する両親を尻目に、少年は「やったー! めっちゃでかい!」と歓声を上げている。彼女はそれを見て、微笑んだ。


「このままだと余ってしまうので、どうかお持ちになってください」


 それならばと、家族はその特大のケーキをもらうことにした。母親は、「それとこれとは別だから」ときちんと一番大きなサイズの代金を払おうとしたが、店員は、「それでは申し訳が立たない」と受け取らなかった。結局もともと注文していたサイズの料金を母親は払い、彼女はそれを不承不承受け取った。




「何だかよくわかんないけど、よかったな」


 そう言って、父親は車のエンジンを掛ける。


「こんなに食べられる?」


 気がつけば車の中には、特大のケーキとティラミスとタルト・タタンとブッシュ・ド・ノエルとショートケーキがあった。


「大丈夫だよ」と少年はもちろん答える。満面の笑みで。


「それじゃあ、帰るか」と父親は車を発進させる。


「あれ!?」と声を上げたのは、母親だ。「動いてるじゃない、車」


「あ、本当だ」


 ケーキのことで忘れかけていたが、父親の古くて赤い車は何事も無かったかのように走っていた。


「きっと、この車もケーキがないから拗ねてたんだよ」


「何だか……」


 狐につままれた気分だ。父親はそう言おうとして、ふと考えた。「何だか、サンタに魔法を掛けられた気分だ」


 母親がふふっと笑い、「そうね」と応えた。




 家族は父親が作ったごちそうが待つ我が家を目指す。たくさんのケーキと少年の笑顔を乗せた、古くて赤い車で。



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え、「どうしてケーキが余ったのか」って?


それはまた別の話。でも本当の理由は誰にもわからない。




クリスマス・イブの夜に起こる不思議なことの理由をすべて知っているのは、サンタクロースだけだから。

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