4-1.旦那様、ようやく


 まさかまさかと思いつつも、ゆっくり振り返れば……見覚えのあるスミレ色の短い髪と、美し過ぎるも男前のご尊顔がすぐ近くに!



(お見舞い?以来だけど……相変わらずまぶし過ぎる程のイケメンっ!)



 本当に、初日以来一度も部屋に来られなかった、『カイルキア=ディス=ローザリオン様』。


 その麗し過ぎるご尊顔には表情がなく、私とシェトラスさんが目に入ってもにこりともしない。切れ長で涼しげな瞳をちらりと見ても、残念ながら考えてる事は読み取れなかった。



(もうすぐ会えるとは思ってたけど、不意打ち過ぎるよ!)



 だから、心の準備と言うものがなくて、きっと表にも出てるだろうけど冷や汗だーだーです。



「おや、旦那様。お早いお帰りで」



 そんな私を知らずか、シェトラスさんはにこりともしていないカイルキア様​───仕えるかもしれない、このお屋敷の旦那様には普通に対応してた。


 ある意味部外者なのは私だけだから、別におかしくはないかと、とりあえずじっとしておく。


 旦那様はシェトラスさんに聞かれると、少し眉を動かしてから息を吐いた。



「……レクターの診察が長引いたがな」


「チャロナちゃんの試験には、まだお早いですが?」


「少し腹が減って、な。どのみち食べるのなら、今のうちがいい」



 と言いながら、目線だけ私に向けてきた。


 一瞬だけ冷たい印象を受けたけれど、その眼差しには少し覚えがあった。


 この人じゃなく、前世の日本での就職試験。転生前まで勤めてた、パン屋の店長との最終面接試験の時と、印象が似過ぎている。


 全然違う人物だとはわかっていても、これから審査をする方だからか、私に向けてくる感情も面接官の心構えでいるのだろう。


 だから私も、うじうじしてた気持ちを切り替えて、背筋をピンと伸ばした。



「今日は、よろしくお願い致します」



 社会人マナーとして習ってた、直角くらいまで腰を折る最敬礼を披露。


 上から二人分の息を飲む音が聞こえたが、ここは気にしないでおく。


 今見定められている対象は私自身だから、堂々としておかないと。



「……了承した。今すぐにでも可能か?」


「あ、いえ。もうすぐ焼き上がりますが」


「…………それは、今も聞こえる赤児のような歌も関係があるのか?」


「あ」



 ちょっと忘れかけていたが、この雰囲気に不釣り合いなBGMのように、ロティのパン完成までの歌はずっと続いてたのだ。


 旦那様は気になり出すと、やっぱり男性には不快なのか眉間にシワが寄って行き、そのまま厨房に向かってしまった!


 シェトラスさんは何故か止められない!



「あ、あの!」


「赤児など招いた覚えはないが……」



 結局私が追いかけても、歩幅が大きい彼に追いつけるはずもなく、旦那様はロティがいる調理台の方へ。


 そして、楽しそうに歌ったままのロティの前に立つと、急に固まったように動かなくなった。



『おいちい、おいちい〜ぱ〜んぅ。

 おいちいおいちい〜ぱ〜〜んぅう。


 出来上がり〜まで、く〜りゅくりゅ〜

 出来上がり〜まで、くりゅ〜くりゅくりゅ〜っ


 おいち〜おいち〜ぱ〜んが、出来まふ〜よ〜』



 ああ、旦那様が固まってしまうのも無理ないかも。


 私は前世の記憶と知識を得てるから理解してるだけ。


 シェトラスさんやエイマーさんは、不思議な錬金術だからかと思われてるだけ。


 レクター先生とメイミーさんには打ち明けたけれど、旦那様にどう伝わってるかはわからない!


 と言うのも、実際に異能ギフトを活用したのって今日が初めてだから!



「…………詳しく、説明しろ」



 説明の前に謝罪しようとしたけれど、こちらに振り返った時のお顔が不機嫌度MAXで怖かったです!



「はは、驚かれましたな」



 一人だけ落ち着いてたのは、やっぱりシェトラスさん。


 でも、彼のお陰で私が旦那様の不機嫌さに当てられてた間、簡単に説明はしてくださいました。



「錬金術?の一種にしても、おかしな事態だが……」



 説明後、やっと不機嫌さは引っ込めても無表情の旦那様はまだ納得がいかないようだった。



「それと、この歌はどうにかならないのか?」


「すみません……応答がないんです」



 私もその頃には落ち着けてたので、旦那様には普通に受け答えが出来てた。


 けれど、ロティは本当に歌やオーブン機能以外、AIモードになっているのか一切返事をしてくれないのだ。



「……そうか。しかし、錬金術はともかくいい匂いだな?」



 歌については聞き流ししてくださるようだったが、たしかに小麦粉とバターの焼けるいい匂いはしてきた。


 匂いだけは申し分ないが、問題は味と食感。


 地球では海外にも人気のあった『日本のパン』が、この世界にも受け入れられるかは、まだ半信半疑なとこがある。


 再現は大丈夫だとロティの力を信じているが、美味しいと思われるかはまた別の問題。


 たとえ、異能ギフトがあったとしても、この世界の食文化は一度失われてしまったのだから。



「あと少しで焼き上がります。付け合わせの品々もご用意しておりますので」


「……そう、か。では、俺はあの席で待っている。シェトラス、コーヒーだけ先に用意してくれ」


「かしこまりました」



 再び了承してくださったので、旦那様は軽くため息を吐いてからそう言われた。


 何か気に障ったかなと思っても、シェトラスさんを見てもにこにこされてるだけなので、ここは深く考えずに準備をする事にした。



『ぷぷぷっぷぷ〜出来まちた〜!』



 ジャム達を小皿に移してる時に、肝心のロティからタイマー完了のような声が上がった。


 慌ててシェトラスさんとロティのオーブンの前に立てば、私が触る前にフタがひとりでに開く。



「うわぁ……」



 ほんのり湯気が上がった風から、香ばしい小麦とバターの匂い。


 ドリュールのおかげで、綺麗に茶色の焦げ目がついた表面。


 生地はふっくらと焼き上がって、触るとしぼみそうな程。



「すばらしいっ。パンの焼き上がりで感動したのはじめてだよ!」



 シェトラスさんも喜ぶくらいの出来栄えだったみたい。


 早速盛り付けようとミトンをつけて取り出そうとしたが、ふいに天の声が頭に響いてきた。




【チュートリアル完了。



 調理名『バターロール』。



 チュートリアル完了後の特典による、『レシピ集データノート』にデータ化しておきます。


 レシピ集データノートとは、パン及び、いにしえの口伝とされてきた料理のレシピとして、一度作るとデータ化されるものです。


 ナビゲーターにより、レシピ集データノートの説明は受けてください】




『でっふでふぅ〜!』



 天の声が聞こえなくなると、今度はロティがオーブンから元の姿に戻って、ぱんぱんと私の前で手を叩いた。


 そして、ぽんっと軽い音が聞こえると大きな薄緑のディスプレイがバターロールの上に表示。






【『ふわふわバターロール』


 <材料>

 強力粉

 常温のバター

 砂糖

 牛乳

 浄化水

 塩

 卵

 イースト(乾燥)



《別途必要》

 打ち粉

 ドリュール用の卵と水





 <作り方>



 ①ナビゲーターが変換チェンジしたミキサーボウルに、材料をすべて投入

 →指定のスイッチを入れてミキシング(速度管理はナビゲーターの管轄)



 ②一次発酵の前に、生地の具合を確認



 ③発酵器ニーダーポット変換チェンジさせたら、付属のボウルに生地を入れて一時間ほど発酵

 →温度・湿度管理については①と同じく



 ④フィンガーテストを忘れない。指に粉をつけ、第二関節まで生地に指し、空いた穴が、ちょっとだけ小さくなれば大丈夫



 ⑤分割は生地の量に合わせて、軽く成形したら濡れ布巾をかぶせて15分ほどベンチタイム



 ⑥《成形》

 丸い生地を三回に分けて折り、指一本くらいの細い棒状にさせる。この時、片方の端を細くしておくのを忘れない。


 次に細い方を手前に置き、真ん中から奥に向かって麺棒で伸ばしていく。


 幅が広いほうから転がすように丸めて、きつく締めすぎないように形を整える。巻き終わりのところは、指で摘むように生地を繋げておくこと。


 

 ⑦オーブン式の発酵器に変換チェンジさせて、付属の天板に生地を等間隔に並べて二次発酵

 →ニーダーポット同様に、管理はナビゲーターに



 ⑧発酵完了後に、一度天板を取り出して刷毛でドリュールを適量生地の表面に塗る



 ⑨天火機オーブン変換チェンジさせてから、予熱もセットさせて天板を入れて焼く



 ⑩パンが焼きあがれば、完成


 】




『これでバターロールのれちぴ登録か〜ん〜りょ〜でふぅう!』



 ロティはなんてことのないように言うけど、これって凄過ぎやしないかな!



「ろ、ロティ。このレシピって、いつでも?」


『取り出し簡単でふよ〜? ロティに言ってくだしゃれば、いちゅでもでふ!』


「す、凄い!」


『あちょ、ご主人様がご希望でちたら、紙にも出せまふぅ』


「えぇ⁉︎」



 もう何がなんだか、と頭を抱えそうになったら後ろから誰かに軽く肩を叩かれた。



「チャロナちゃん? 私には君達のやり取りが目に見えてないんだけど……何か凄いことでも?」


「あ、そうでした!」



 シェトラスさんには何にも見えてない事が分かったので、すぐに説明しようとしたけれど……この後、戻ってきたエイマーさんが皆さんをお連れしてくださったので、一度やめることに。

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