第14話 決勝戦

『年に一度のお祭り騒ぎ、ヂゴクの亡者が歓喜の雄叫びを上げるこの大会も終わりが近づいてまいりました! 個性豊かな選手たちがしのぎを削った今大会は過去に例を見ないほどに熱く激しい戦いが目白押し! あっとびっくりなサプライズありどんでん返しありエロもグロも完備で老若男女にお楽しみいただけたことでしょう! そしていよいよ残すは決勝戦! 実力者たちを破りこの舞台に立つ資格を得た二人の戦士を改めて紹介いたしましょう!』


「ホントに二人とも戦士か――ッ?」「決勝戦じゃなくてエキシビジョンだろこれ!」「今度はまともに戦えッ!」


『これはいったい何十年ぶりの快挙か! 決勝戦まで勝ち残った一匹の鬼、獄卒コクエ!』


 名を呼ばれ、コクエはフィールドに足を踏み出した。


「くたばれぇ――――ッ!」「おれにやらせろ! ミンチにしてやるからおれにやらせろぉ!」「「「「死ねぇぇぇぇええッ!」」」」


 野次、というか単なる罵詈雑言が投げつけられるのはもうお約束。観客たちを煽るようなことはせず、コクエは真面目な顔で戦いへ意識を集中していた。


『一回戦敗退が安定の獄卒という身でありながらなんとここまで生き残ったコクエ選手! 一部では某集団の団長として有名な彼ですが、戦闘能力に特化しているわけでもないのにここまで残ったのは悪運のせいかはたまた秘めたる力か!』


「卑怯な手のおかげだろ!」


『観客席から無慈悲な正解が飛びましたがそれはそれとして、ともかく獄卒がこの場に立っているという事実にわたくし同じ獄卒として感嘆しきりであります! 戦闘能力では一歩劣る彼は、空前絶後の獄卒の優勝をわたくしたちに見せてくれるのでしょうか?』


「見たくねぇ――ッ!」「むしろ死ぬ姿を見せろ!」「おまえが優勝したらあとでわしが殺してやるわ!」


『過激な発言が止まらない観客席はスルーしてもう一人の戦士をお呼びしましょう! 野生の豪腕ドドンガ!』


 コクエとは正反対に、こちらはいきなり観客席から黄色い声が上がった。すでに女性ファンができたらしい。それに続いて野太い声で声援が送られる。これぞ主役というものである。


『身体能力に才能を全振りされた神の子は、ただ真っ直ぐに戦いぬいてここまで来ました! 一回戦では女体化しながらも老魔術師を打ち倒し、二回戦では獣の戦士を破りその力を譲り受けた彼は、戦いを通じてパワーアップをしています! 虎の力を手にした彼は、全亡者が望む獄卒の死という極上のエンターテインメントをここで披露することができるのでしょうか!?』


 コクエは、自分に向かって歩いてくるドドンガをじっと見ていた。神より与えられなおかつ実践によって鍛え上げられた肉体は、純白の体毛と鋭い爪で武装されている。表情はいままでの彼と同じ、戦いを前にすでに高揚感でいっぱいといった風だが、そこにあった幼さがいまはあまり感じられなかった。虎王の力は、彼に知性や落ち着きといったものも少しばかり分け与えたようである。

 組み合わせを考えた時にはこの場でこの男と向かい合う時が来るとは思ってもいなかった。はっきり言って、当初の計画はすでに破綻している。神の子と呼ばれた肉体に仙人が生みだした獣の力。そんなものを合わせ持った選手など想定していたはずもない。

 フィールドの中央、コクエと相対する形でドドンガは立ち止まる。


「おまえ、つよいのか?」


 ぶっきらぼうに投げかけられる。


「それは決勝戦に残った相手に言う言葉かい?」

「うたがわしいから、いってる」


 率直な物言いである。それはドドンガどころか観客たちを含めこの会場の全員が思っていることだろう。しかも疑惑ではなく、厳然たる事実として。


「一つ、教えておこうか」


 ついでに、コクエが弱いという事実など当の本人が一番よくわかっている。


「トーナメント戦は、強いやつが勝つわけじゃあないのだよ。これはトーナメントというものをそれなりに研究した私からきみへの助言であり忠告だ。圧倒的な実力を持っていようが、油断をすれば寝首をかかれるのはきみだよ」

「ほぅ……」


 ドドンガの口に薄い笑みが作られる。


「おもしろい。やってみろ」


 やはり戦うことそのものを楽しんでいるタイプである。ドドンガにとっては正々堂々だとかスポーツマンシップだとかいう精神は戦いにおいて必要としていない。そもそもが野生生物と命の奪い合いをしていた男である。なんでもありが信条だというのも自然である。

 どんな手段をとっても試合終了後にドドンガから抗議や再戦の要求が出ることはないことを、コクエは確信した。懸念はもうなにもない。あとは自分が上手くやれるかどうか。それだけだ。


『両者向かい合い、準備は万端! 泣いても笑ってもこれが最後の試合です! 両選手、最後の最後でデカい花火をぶち上げてください!』

『魔力が切れかけた前回の僕みたいなしょぼい試合じゃなく、ね』

『安眠から復活したニックくんもなんと自虐交じりでこんな激励の言葉を送っています! 血沸き肉躍るヂゴクトーナメント決勝戦――』


 コクエは僅かに腰を落とし身構える。ドドンガは自然体。だらりと下げた両腕をそのままにコクエの視線を真っ直ぐに見返してくる。


『試合開始です!』


 衝撃はすぐに襲ってきた。

 咄嗟に動かした腕に痛みが走ると同時に、体が後方に吹っ飛ばされた。

 開幕早々の打撃だ。真っ直ぐに距離を詰め、放たれた右の拳。それを両腕でガードできたのはコクエがそれを読んでいたからだ。ドドンガの攻撃パターンはこれまでとほぼ同じ。そう予想していた。

 無様に転ぶこともなくどうにか着地し、コクエは金棒を構えた。


『先手必勝――ッ! ドドンガ選手の先制攻撃からのスタートです! コクエ選手も後方に弾かれたが、ここはしっかり両腕で防いだ! そんな簡単にこの試合を終わらせてなるものかという意志がひしひしと伝わってきます!』


 初撃には対応できた。次は攻めるか、一歩引くか。コクエがそんな思考をする間に、


「いくぜぇッ!」


 ドドンガが前に出た。始まるのは前の試合でも見た光景。全力のラッシュだ。

 コクエはすぐさま守りを固めた。虎王のようにドドンガと互角に打ち合うことなどできない。攻撃に出た瞬間カウンターの一発をくらって試合終了。それが関の山である。握ったまま振り上げることすらできない金棒にもどかしさを感じつつ、コクエはドドンガの打撃に耐えた。


『コクエ選手防戦一方! ドドンガ選手の容赦ない攻めにすでに劣勢、状況は逼迫しております! このままじわじわと嬲り殺されてしまうのでしょうか!?』


 本当に好き放題言ってくれる、とコクエは思う。ギョウキの言っていることは正しい。このままではコクエはいずれ殴り殺されるだろう。体力もなにもかもあらゆる能力値に関してドドンガはコクエを凌駕している。立ち回りを間違えれば、コクエの死はすぐそこにやってくる。

 状況の打開には、用意していた策に頼るほかない。コクエは早々にそう判断していたが、


「この状況ではあまり効果的ではなさそうだな……」


 眉間に皺を寄せてひとりごちる。いまの状況では策を使ってもそれが不発に終わるかもしれない。そんな懸念があった。


「どうしたどうした! せめてこないのか!?」


 もう少し互角に渡り合っている雰囲気を作れているのがコクエにとっては理想だった。しかし実力不足は如何ともしがたい。状況を打開する方法はあるが、その方法を使うにはまず状況を打開しなければならない。堂々巡り。要は現状詰んでいるということだ。


「……ラッキーパンチでも当たってくれることを願おうか!」


 闇雲でもとにかく動いてみるしかない。そう思いコクエが金棒を握る手に力を込めた瞬間、


「――その試合、しばし待たれよぉ――ッ!」


 コクエとドドンガの間に、一つの黒い影が割って入った。影に押し退けられ、両者は引き離される。驚きで、二人の体は瞬間的に硬直していた。


『おおっとぉッ!? これはいったいどうしたことか! アクシデント発生! 謎の人物が門からフィールド内に躍り出ました! 二人の戦いを邪魔するあれはいったい何者だぁ!?』


 ドドンガの方を向いて立つ男の後ろ姿は、コクエの知っているものだった。右手に嵌められた枷、纏うボロ布、そして頭を覆うように巻かれたこれまた粗末なボロ布。観客席の亡者たちとほとんど同じその出で立ちは無個性の塊だが、しかしコクエにはそれが誰なのかわかった。


「拙者、このヂゴクトーナメント決勝戦に乱入させてもらうでござる!」


 コクエに背を向けたまま、亡者ニンザブロウは声高に言い放った。


「この大会を勝ち上がってきた二人の強者! この二人を拙者がこの場でまとめて屠り、優勝をかっさらわせてもらうでござる!」


『ま、ままままさかの乱入ぅ――――ッ!? これはヂゴクトーナメント始まって以来の珍事です! エンマ宮の獄卒たちはなにをしていたのか! 一人の亡者が厳重な警備を掻い潜り決勝戦の場に乱入するという異常事態! 正直わたくしもただいま混乱しております!』


「ふざけんなぁ――ッ!」「誰だおまえ!」「やれるもんならやれーッ! どっちもぶっ殺してみろ!」「ツラ見せろやコラッ!」「…………あれ? あいつなんか見たことあるような……」「あ、オレもオレも」


『これはとりあえず、試合を中断して乱入者にご退席願いましょう! 警備を! 警備を早くフィールド内へ――』


「――まあ、待て」


 声が、響き渡った。マイクを通していない、生の声。にもかかわらずそれは会場中に響き渡り、その他一切の声をかき消した。声の主は言わずもがな、専用観覧席に座すエンマだった。


「まあ待て、貴様ら。そう騒ぐでない」


 特別な能力を使っているのか、声は張り上げている様子もないのに会場中に轟いている。


「ギョウキ、警備なんか呼ばんでいいわい。このまま試合を続けよう。わしはいまワクワクしている。そこの乱入してきた阿呆じゃが、見ればしっかり枷をつけておる。その状態でエンマ宮内に潜り込みその場に立つことができたのであれば、これはかなりの実力者ということじゃ。ヂゴクトーナメントは武を競う大会じゃからな。戦闘に長けたものをわしは歓迎するぞ」


『で、ではエンマ様、決勝戦はこのまま三つ巴で争うと?』


「それでよかろう。乱入者が勝つことなど万に一つもないと思うが、これはいいスパイスじゃ。そしてなにより、その方が面白い」


 エンマにとっては最後の一点がすべてだろう。コクエやギョウキはそんな感想を得た。どんなアクシデントであろうがそれで面白くなるのならエンマはなんでも許容する。ヂゴクトーナメントにろくなルールがないのもエンマのそんな考えが根底にあるからだ。コクエはエンマの声へ傾けていた意識を目の前の男へと戻し、他の者へ聞こえないよう小声で問う。


「…………ニンザブロウ、おまえなぜここに?」

「なぁに、トーナメント戦に乱入はお約束。ちょっと盛り上げに来ただけでござるよ」

「それは納得できる理屈だが、それだけのわけがないだろう」

「端的に言えば、これは罪滅ぼしでござる」


 そう言って、ニンザブロウは振り向いた。


「コクエ殿への裏切りに対する、拙者なりのわずかばかりの罪滅ぼし。こんなことで帳消しにはできぬでござるが、拙者にはドドンガ殿を倒すお手伝いぐらいしかできぬでござるからな」


 顔のボロ布をずらし笑顔を見せてそう言ったニンザブロウの頬には、真っ赤な手形がついていた。


「あの猫娘からはもう制裁を受けたようだな」

「ビンタで済んでラッキーだったでござる。まあ、体中には他にも青痣ができてるでござるが」


『エンマ様の許可が出ました! この大会、ルールブックはエンマ様です! 乱入者の参戦はなにも問題なし! お咎めもなし! オールオッケー! というわけで、観客のみなさんは彼がこの戦いをかき回してくれるのを期待するもよし! 無様に殺されるのを期待するもよし! まさかまさかの漁夫の利での優勝を期待するもよし! お好きなように楽しんでください!』

『ほんとーになんでもありなんだね、この大会って』

『年に一度のお祭りですから、楽しんだもの勝ちですよニックくん!』


 観客たちはこのエンマの決定に納得したのかどうか、コクエたちにはわからない。とりあえず「なんでもいいからさっさとやれ!」とか「あっさり殴り殺されんじゃねーぞ!」とかいう声がニンザブロウには飛んできている。


『両選手もよろしいでしょうか!? よろしくなかろうがこの決定はもう覆りません! 異論反論あったところで了承していただくしかありません!』

「私はなにも文句はない! このまま続行してもらって結構だ!」


 コクエはすぐに答えた。


「おれもいいぞ! こいつだけだとものたりなかった! ふたりがかりでもいいぐらいだ!」


 ドドンガもあっさりと乱入者の参戦を認めた。強い相手と戦えることを望むのなら、向かう結論はエンマと似通ったものになることだろう。そんな性格も含めて正に主役といったところだ、とコクエは思う。自分は逆立ちしても生まれ変わってもこうはなれない。


『合意も得たところで、皆さん準備はよろしいでしょうか!? ヂゴクトーナメント決勝戦、試合再開です!』


 ギョウキが言い終える前に、ニンザブロウは動いていた。枷を嵌めている亡者にこんな動きができるのか。コクエがそんな驚きを得る速度で移動し、ドドンガの頭上から蹴りを放つ。


「おもしれえッ!」


 満面の笑みを浮かべたドドンガが蹴りを拳で迎え撃つ。鈍い音とともに、ニンザブロウの体は大きく撥ね飛ばされた。それだけで、ニンザブロウとドドンガとの力の差を思い知らされる。


「やはりなかなかの強者。なるほど! ここはまず貴殿と手を組んで虎退治といくのが正解でござるな!」


 ちらりとコクエに視線を寄越し、会場中に聞こえるようにわざとらしく大声で叫ぶ。


『乱入者、ここはコクエ選手と共闘しドドンガ選手を先に倒す算段か! 三つ巴であればまず一番強い者を脱落させるのは基本戦法常套手段です!』


「私もおまえに協力してやろう! おまえはやつを倒したあとでゆっくりと始末してやる!」

「それはこちらの台詞! 雑魚はあとから好きなように料理できるでござるからな!」

「いまは好きなように言っていろ! 最後に笑うのは私だ!」


『コクエ選手もこれに乗った! まさかまさかの亡者と獄卒の即席タッグだぁ――――ッ! こんなもの、このヂゴクでお目にかかれることはまずありません!』


「まず獄卒が死なんかい!」「腰抜け頭巾! その鬼から殺せ!」「ドドンガ――ッ! まとめて捻り潰してやれぇ――ッ!」


「いくでござる!」


 果敢にもニンザブロウはドドンガへと向かっていく。即席タッグとは言うが、わざわざ作戦会議をする必要はない。ドドンガの戦い方はすでにわかっているし、ニンザブロウとコクエは互いにどのような戦い方が得意かを理解している。ニンザブロウがスピードと手数を生かしドドンガを攪乱し、隙をついてコクエが金棒による一撃を狙う。それがスタンダードな戦法だ。

 打ち合わせも合図も不要。コクエとニンザブロウはその戦法を忠実に実行した。


『乱入者とコクエ選手、即席とは思えない息の合ったコンビネーションを見せています! これは、ドドンガ選手という圧倒的な強者を前に両者の動きが偶然シンクロした結果なのか!? ドドンガ選手の圧勝だとばかり思われていたこの試合、わたくしたちが予想していない展開を見せそうです!』


「おまえら、いいな」


 コクエとニンザブロウの攻撃を時にいなし時に躱すドドンガは、虎王のように笑っていた。それは戦いを楽しんでいるということであり、そしてまだ余裕があることも意味していた。


「もっとだ! もっとせめてこい!」


 二対一という状況にありながら、劣勢を感じているのはコクエたちの方だった。絶え間なく攻撃を続けているのにそれが通らない。逆にドドンガの反撃に対してコクエたちが肝を冷やしているという体たらく。特に爪による攻撃が怖い。一発や二発殴られたり蹴られたりしようが大したことはないが、鋭い爪による一閃は受ける箇所によっては致命傷である。

 ここまで強いのか。コクエの中には畏怖とともに感心や称賛の思いさえ浮かぶ。アインに扮したニンザブロウや暴走状態のクリストとは違う真の実力者の真の本気。コクエは肌が粟立つのを感じた。


『ドドンガ選手、本来ならば不利な状況ですがそれを一切感じさせない立ち回り! もはやこれは王者の貫録! 百獣の王は獅子かもしれないが万物の王はこの虎だぁッ!』


 ギョウキもどんどん熱が入って実況も乗り始めているし、


「ちょっとこれきつすぎでござろう?」


 ニンザブロウはもう弱音を吐き始めている。


「どうしたニンザブロウ? この枷さえなければ拙者が一秒とかけず塵にしてくれるものを、とか自信満々な台詞は言わないのか?」

「そんな戯言言ってる暇ないでござるよ――ッ!」

「しゃべってるよゆうがあるのか?」


 蹴りとして放ったニンザブロウの脚を、ドドンガががっしりと掴んだ。


「げッ……!」

「おおおおぉぉぉぉッ!」


 咆哮し、ドドンガはニンザブロウの体を放り投げた。片足を持って、まるで人形でも扱うように頭上に向かって投げたのだ。


「うっそだろ…………」


 光景の異様さに目を奪われたコクエの動きが止まる。その目の前で、


「ぅおらぁぁぁあッ!」


 空中を落下してくるニンザブロウに向かってドドンガは右アッパーを繰り出した。ニンザブロウの体はやはり人形のように放物線を描き、地面にべしゃりと落下した。


『無慈悲な一撃が乱入者を襲ったぁ――ッ! 力こそ正義! そう言いたくもなるパワーを見せつけてくれます! 対抗手段などありはしない! 強者の前に弱者は無力です!』


 ギョウキの実況には、もはや二人の強者による決勝戦という趣はなかった。まるでチャンピオンと戦う無謀な挑戦者である。


「よそみすんなよ!」


 今度はコクエの番だ。迫ってくる拳を金棒で防ぎ、慌てて後退する。一対一では分が悪い。


「や……やるでござるな……。せ、拙者もそろそろ、本気を出させてもらうでござる……」


 脚をふらつかせながらニンザブロウが起き上がる。くらったのはたったの一発。その一発が重すぎる。


「拙者の忍術を見せられぬのは残念でござるが、忍の修行によって体得した戦闘技術で――」

「もうおわりだ」


 ドドンガの標的が、瞬時にニンザブロウへと代わった。強靭なバネでも仕込まれたような彼の足は、二人の距離を一瞬で詰める。


「あれ?」


 二度目のアッパー。ニンザブロウの体はふわりと宙に浮き、そしてまた無様に地面に着地した。ただし今度は、起き上がる様子は一切なかった。


『ドドンガ選手のアッパーカットが炸裂ぅ! 倒れた乱入者は微塵も動かない! これはまさかノックダウンか!? 予想外の参戦を果たしたビッグマウスはここであっけなく脱落かぁッ!?』


「起きて戦え馬鹿野郎!」「せめてもっと派手にやられろ!」


 脱落確定。ニンザブロウは完全に気を失って戦闘不能。コクエはすぐさまそう判断を下した。

 だから、すぐに行動に移った。このままコクエとドドンガのタイマンに戻ってはニンザブロウが乱入してきた意味がなくなる。チャンスはいましかない。コクエは、あらん限りの力を振り絞り大声で叫ぶ。


「観客の亡者どもよ! 私から一つサプライズを送ろう!」


 ニンザブロウに野次を飛ばしていた観客たちの声が止んだ。ドドンガが訝しげな顔をしてコクエを見た。ギョウキの実況の声も止み、皆が一斉にコクエに注目する。


「貴様たちはこの大会、ここまでの戦いにさぞ熱中していることだろう! 不甲斐ない出場者には罵声を浴びせ、強き者には惜しみない称賛の声! 戦う私たち同様に貴様らも全身全霊を持って年に一度のこの大会に臨んでいることだろう!」


 唐突な演説じみたコクエの言葉を、黙って聞いている。いまばかりは野次も飛んでこない。驚きが皆の頭を支配している。


「だが、一つ私は提案したい! 貴様らは観客として見ているだけで満足か!? そこで自分ではない誰かが誰かと戦っているのを見ているだけで満足なのか!? そうじゃあないだろう!?」


 コクエは両手を大きく広げ、叫ぶ。


「貴様たちへ、いまから私からのサプライズプレゼントを送ろう!」






「本当にこれで上手くいくのかね?」


 手にした紙片をひらひらと顔の前で揺らしながら、ライはそんな独り言を呟いた。エンマ宮の中、彼女はとある部屋の前に立っている。コクエに頼まれていたことを実行するため、わざわざこんな所まで足を運んできたのだ。


 サプライズという一言が、コクエからの合図。ライは言われた通りに行動すればいいだけだ。そうすれば、彼は見事にドドンガを倒し優勝できる。コクエが言うには、そうなるはずだ。

 彼女の脳裏に、コクエの台詞が浮かんでくる。

 ――やつらのことを私はよく知っている。きみがそれを持って頼みにいくだけで確実に上手くいくさ。どうしても渋るようなら、この展開はきっとエンマ様だって面白いと言って喜んでくださるはず、とか言えばいちころだ。


「ホントかよ……」


 あれだけ入念な会議を経たトーナメントの予想結果を外しまくっている男の言うことをどこまで信じるかというのは難しい話である。ともあれ、


「まあ、駄目だったとしてもわたしが悪いわけじゃないしね」


 持ち前の無責任さと気楽さで行動に移す。ライは、エンマの官能的な姿が描かれた紙片を持つ手に力を込め、『設備管理室』と書かれたプレートのついたドアへ手を伸ばした。ライがすべきはこの中にいる獄卒にちょっと頼みごとをするだけだ。

 それは、本当に簡単なことである。






「貴様らは私に死んでほしいと思っていないか!? むしろ自分の手で殺したいと思っていないか!? 化物じみた強さを持った虎男と戦いたいと思っていないか!? 戦いを見て血が滾ってはいないか!? クソみたいなヂゴクの刑罰生活で溜まった鬱憤を晴らしたいと思っていないか!? なんでもいいから暴れ回りたいと思っていないか!? 負けてしまった出場者のために復讐を為したいと思っていないか!? もしそう思っているのなら、私がその願いを叶えてやろうじゃないか!」


 コクエがそこまで叫んだ直後、会場に大音量の電子音が鳴り響いた。そして、


『――バリア解除。フィールドのバリアを解除します。自分の身は自分で守りましょう。以上』


 合成音声がそう告げるとともに、観客席とフィールドの間に張られていた透明な薄い膜が突然消えてなくなった。


「さあ、これでバリアがなくなった! 貴様らを阻む障害はなにもない! 戦いたいやつは降りて来い! 一番強いやつが誰なのかをいまここで決めようじゃあないか!」


『な、なんということだ――――ッ!? 安全のための誰にも破ることのできないバリアがなぜか解除されてしまったぁ!? これまた史上初! いったいなにが起きているのか!? この決勝戦、あり得ないことばかりが起きております!』


「どうした!? 降りて来いよ薄汚い亡者ども! なにも私が怖いわけじゃああるまい! 大口を叩くだけの腰抜けの集まりなんかじゃあないだろう!?」


「「「「「「「「「「なんだとてめえ――――――――ッ!」」」」」」」」」」


 そう叫んだのは何人の亡者だったか。事態を理解し、コクエの言葉を理解し、そして観客席のあちらこちらから一斉にフィールドへと駆け出した姿があった。他の観客たちを押しのけ、足蹴にし、フィールド中央のコクエへと殺到する。


「ほらほらどうした! ビビッてないでかかってこい!」


『これはもはや乱闘ではないでしょうか!? 先ほどの乱入者は参戦を認められましたがこれはさすがに決勝戦が成立しないのでは…………ああ――ッ! なんとエンマ様が両手で頭の上に大きな丸を作っています! にっこにこです! これは試合続行! 観客も巻き込んでの大乱闘の開始です!』

『もう目茶苦茶だね』


 承認は得られた。コクエはドドンガを指差し、言う。


「どうだドドンガ! これだけいれば貴様が満足いくだけの戦いができるんじゃあないか!?」


 ドドンガは、半分暴徒と化している亡者たちに向けていた視線をコクエの方へ戻す。


「あばれられればそれでいい。おまえこそあんなやつらにあっさりころされるなよ?」


 やはりドドンガは乗り気だ。コクエ自身でさえ無茶苦茶だと思うこの状況をすんなりと受け入れてやる気満々である。

 観客たちを巻き込んでの大人数のバトルロイヤル。それがコクエの考えた策だ。邪道も邪道。いくらなんでもルール違反との判定を受けそうな手だが、ニンザブロウの乱入を挟んだこともあり予想以上に上手くいった。ライに頼んでおいた観客席のバリアの解除もスムーズに行われたようで、コクエの策はなんら問題なく実行に移された。

 あとは、このバトルロイヤルを最後まで生き残るだけである。

 観客席から下りてきた亡者たちはすでにフィールドの中をコクエたち目掛けて走ってきている。コクエを狙う者もいればドドンガを狙っているらしき者もいる。


「てめえ邪魔だ! どけ!」「そりゃおまえだろうが! 席に戻って大人しくしとけや!」「わしが殺す! 貴様らはそこで指咥えて見とけ!」


 すでに亡者同士で小競り合いも起きているし、周囲にいる亡者を肩慣らしにと殺している馬鹿もいる。


「いくぞおらぁぁあッ!」


 ドドンガは嬉々として亡者たちに突き進む。コクエのことは一時的に眼中になくなっている。途中で死ねばそれまで、生き残れば最後に直々に手を下す。そう考えているのだろう。

 亡者たちは全員腕に枷をつけており、禁能も使えない状態だ。戦闘方法は自然と殴り合いに限られてくる。そんな中では、


「獄卒ッ! おまえは俺が殺してや――」

「死んどけ!」


 ドドンガに次いでコクエは俄然有利な立場である。余程図体の大きな者でない限り、金棒で頭をかち割ればそれで終わりだ。ドドンガと接触しないようにして、できるだけ体力を消耗しないように立ち回る。気をつけることはそれだけだ。


「獄卒だ! 獄卒をやれ!」「コクエ! てめえに脳みそぶちまけられた恨み晴らしてやるぞ!」「アインちゃんの出番を奪った貴様を私は許せん!」「とにかく死ね!」


「まあ、それはそれとして狙われる率が高いのはどうしようもないか」


 コクエはため息をつき、金棒を握り直したが、


「団長に手ぇ出すんじゃねえ――ッ!」


 それを振るう間もなく、眼前の亡者が別の金棒に殴られてぶっ飛んでいった。


「え? お、おまえら……?」


 そこに立っているのは手にした金棒から血を滴らせながらコクエに笑顔を向ける鬼。


「団長、おれたちも加勢します! この一世一代の大勝負! 全力でサポートしますよ!」

「思う存分やってくれ団長! 雑魚退治は手伝うからよ!」

「コクエ、ここまで来たら優勝しかねえよなぁ!?」


 フィールドのあちこちでそんな声が上がった。彼らは、『エンマ様崇拝団』の団員たちだった。


「おまえら、恩に着るぞ!」

「礼なんていらないっすから、どんな手を使おうがあの虎の化物に勝ってくださいよ!」


『獄卒も参戦だぁぁッ! 亡者に交じって獄卒が金棒を振り回している!』


「おい、こっちにも獄卒いるぞ!」「なにぃ!? 殺せ! 死刑だ死刑!」「死ぬのはてめえらだよ! 獄卒刑、礫崩!」


『ドドンガ選手も獅子奮迅の活躍を見せる! ちぎっては投げちぎっては投げ! 掴まれたが最後、亡者は為す術なく虎の餌食となる!』


「よわいしもろいしあっけない! もっとつよいやつででこい!」

「じゃあオレのこの巨大な右腕をくらってみな!」

「よわい!」


『亡者をパンチ一発でノックアウト! 枷のついた亡者如きでは彼はもう止められない!』


「『エン崇団』の力、ここでおまえたちに見せてやるぜ!」「獄卒は全員死ね! 死んでオレに詫びろ!」「つよいのだれだ――――ッ!?」「彼奴を倒して優勝するのは私だ!」「前々々々々回準決勝進出の実力を見せてやろう!」「獄卒コクエはここだ! 文句があるやつはかかってこい!」「血だぁ! 臓物だぁ!」「エンマ! 貴様も下りて来んかい! 我輩が制裁を加えてやるわ!」「不敬者がぁぁぁぁ!」


『阿鼻叫喚のこれぞまさにヂゴク絵図! もう実況も難しいほどにフィールド内は混沌としております! 誰が誰を狙い、誰が誰を殺しているのか把握しきれないほどの大乱闘! ヂゴクトーナメントの決勝戦はいったいどうなってしまうのでしょうか?』


「よいのうよいのう! 戦いはこうでなくてはのうッ!」


 血で血を洗う戦いが繰り広げられる中、会場にはエンマの盛大な笑い声が響き渡っていた。

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