第13話 準決勝 第二試合
『さて、大会はどんどん佳境に入っていますが、前回優勝者であるニックくんの感想はどうでしょうか!?』
『…………すぅ』
『寝ております! 解説のニックくん、疲れたのか飽きたのかその両方か、すやすやと眠りについております! 敢えて起こしは致しません! ニックくんのコメントがないその分までわたくしの熱い実況をお楽しみください!』
「いいぞー実況!」「声枯れるまで叫べ!」「おれに、おれにニックくんの寝顔を見せてくれ! 頼むぅ!」
『それでは二回戦第二試合の選手をお呼びしましょう! まずは、一回戦で雌雄転換魔術を受けながらも圧倒的なフィジカルで勝利を収めた、野生の豪腕ドドンガ!』
「ケンカだぁ――――ッ!」
両腕を上げ大声でそう叫びながらフィールドに躍り出るドドンガ。その体はもう本来の男のものに戻っている。
「女で戦ってくれ――ッ!」「もう一回見せろッ!」「じじいどこだ――ッ!?」
『観客の皆さんの欲望が凄まじいですが、この試合では彼の元々の肉体がもつ膂力を見られることでしょう! そのパワフルな肉弾戦に期待です! ――さて、それに対するは一回戦にて実力十分の正統派剣士を真っ向勝負で破ったこの男、仙森の守護者虎王!』
フィールドに轟くのは、咆哮。人間の姿をした虎王は、その牙の生えそろった口から獣そのものの吠え声を上げてフィールドに歩み出た。
『虎王選手も一回戦でその姿形を変えましたが、こちらはこれが本気モード! まだまだ隠された力を持っている可能性もあります! 魔剣士を倒した牙を狩りの天才でもあるドドンガ選手に突き立てることができるのでしょうか! 野生と野生のぶつかり合い! かたや神の子! かたや仙人の手により生まれし獣! 人知を超えたこの戦いを制するのは果たしてどちらか!?』
大層な肩書だ。生まれからして違う、とコクエは思う。
眼下の二人はどちらも生まれながらに人よりも秀でた力を持っていた者たちだ。そういう風に生まれてきた。恵まれた者たち。
「せいぜい潰しあってくれよ……」
コクエは願う。なにも持たずに生まれてきた自分が勝つには、彼らに消耗してもらわねばならない。満身創痍で決勝戦まで上がってくれるのがコクエにとっての理想である。
『両者中央で睨み合い! その闘志がこちらにも伝わってくるようです! 準備は万全、待ったなし! この戦いに小細工は無用! 駆け引きはなし言葉もいらない! ガチンコの殴り合いを見せてくれ! それでは二回戦第二試合ドドンガ対虎王――試合開始!』
開始の合図とともに両者がともに跳びだした。ドドンガの拳と虎王の引き締まった肉球が中央でぶつかり、鈍い音を奏でた。
「痛ッ……!」
頬を引きつらせ思わず声を漏らしたのはコクエだ。当の両人は表情一つ変えず相手を睨みつけたまま。そのまま殴り合いを開始する。
足を止めて拳を振るう。隙が見えれば蹴りを出す。野生児の拳は腕で防がれ、獣の爪は肌をかすめる。
『殴打の応酬です! 俺は一歩も引きはしないと、両者のそんな意地がわたくしには見えます! 時に躱し時に防ぎ、超接近戦が繰り広げられるぅ――――ッ!』
「これは対抗しようがないな」
あの場にコクエが立っていたら、開始数秒で昏倒していてもおかしくはない。一撃一撃が重く、そのくせ手数が多い。
「ああ……憂鬱になってきた」
「いまさら不安になってもねえ。あとはもう神様にでも祈っておくしかないんじゃない?」
「獄卒が祈る神とはなんだ?」
「さあ?」
無責任極まりない対応である。現世に生きるものならこんな時に神に祈れば気も紛れるかもしれないのに、コクエはそれさえできず胃がきりきりと痛む感覚に苦しまねばならないのだ。
「しかし、これならどちらかが余裕で勝つなんてことはなさそうだな。それだけが安心できる点だ」
一回戦での戦いぶりを見れば虎王の方が優勢だと思ったが、ドドンガは対等に戦えていた。
「ということは、今回の出場者の八人の中でやはり私が圧倒的に弱かったということか……」
「当たり前のことでいちいち落ち込むなってーの」
頭を抱えるコクエに対するライの言葉は軽い。軽いが、本質をついてはいる。獄卒が弱いのは当然であり、そしてあの二人のうちのどちらかと戦い勝とうとしているのも事実だ。
コクエはフィールドの方へ視線を戻した。一進一退の攻防はまだ続いている。
『虎王選手の突進! ドドンガ選手、これを受け切ったぁ! しかしたまらず一時退避、虎王選手から距離を取る! おっと、虎王選手止まらない! さらに接近して連続攻撃かぁ!? ドドンガ選手両腕で固くガードを固めるが、これは耐えきれるのかわかりま――あぁッと、ドドンガ選手の腕から血飛沫が飛んだぁ! 爪だ! 虎王選手の爪が褐色の肌を引き裂く!』
ドドンガが、初めて苦痛で顔を歪めた。獣の鋭利な爪はどれだけ鍛えた腕であろうと防げない。
だが、ドドンガは拳を握り、血を滴らせた腕を虎王に向かって放つ。引きはせず、怯みもしない。顔面に向かってくる拳を虎王はにやりと笑みとともに待ち構え、
「ヤルナァ」
その口に迎え入れる。牙が、拳に突き立てられた。
『喰ったぁ――ッ! いや正確には噛んだ! 拳を口で受け止めた! これが虎の戦い方だ!』
完全に勢いを殺された拳が虎王の口の中でどくどくと血を流し始める。まさかこのまま噛み砕かれるのかと観客たちが見守る中、
「いっでぇぇぇぇ!」
情けない声を上げながらも、ドドンガは拳を前へと突き出した。虎王のその口の、さらに奥へと。
「はなせ――――ッい!」
足を踏みだし、拳に体重を乗せてただ前へと。虎王の頭を地面へと叩き下ろす。
「ンガッ!?」
虎王は素早く牙を緩め、拳から逃れて地面の上を転がった。ドドンガの拳は地面を叩き、低い轟音を鳴らす。
「おしい!」
血と唾液に塗れた拳をぶんぶんと振り、ドドンガは地面に這いつくばる虎王を見やる。虎王の顔には、先ほどとは違う笑みが浮かんでいた。
「オマエ オモシロイナ」
そう言って、口中の血を地面に吐きだした。
戦いは、さらに過熱する様相を呈している。
「見ているだけでも疲れるしこっちが痛くなってくる試合だな」
コクエはため息とともにそんな感想を漏らす。すると、ライがそれに反応した。
「そんなに身も心もくたくたになって、そんなにエンマ様の補佐官になりたいものなの?」
コクエは振り返り、ライへ視線を向ける。
彼女は机に向かいながら言葉を続ける。
「あんたが変な集団作るぐらいにエンマ様が好きなのはわかるけど――いや、実際には全然理解できないしよくわかんないとしか言いようがないけどそれは取りあえず置いておくとして――だからってここまでして補佐官になりたいと思うの? そんなに傍にいたい?」
「…………きみの発言には、何点か間違いがある」
ライの今更かつ当然の疑問に対し、コクエは静かにそう言った。
「まず『エンマ様崇拝団』は変な集団ではない。次に、私や『エンマ様崇拝団』の団員たちはエンマ様のことを恋愛感情や性欲に類する意味で好きなわけではない。そして、私はエンマ様の傍にいたいから補佐官になろうとしているつもりはない。それでエンマ様に好かれようだとか評価されようとか思っているなんてこともない」
「はあッ?」
素っ頓狂な声が上がった。ライは手を止め、顔をがばっと上げる。
「話が違うじゃん」
「きみがいま言ったことは、私自身が口にしたことも認めたこともないと思うが」
「だってあんたの作った集団はエンマ様が好きな獄卒の集まりだって聞いてるよ?」
「だからそれが誤解だ。そういう獄卒はこのエンマ宮で亡者の枷や禁能の管理をしていたりバリアの装置を任されている連中であって、『エン崇団』のメンバーはそれらとは違う。エンマ様もそれを理解しているから『エン崇団』の者たちをエンマ宮内の現場に配属させないのだろう」
「いや、それはあんたたちが気持ち悪いからでしょ」
ライのドストレートな物言いに、違うわ、とコクエはツッコミを入れる。
「私は、エンマ様を唯一無二の尊い存在だと思っている。程度の差はあれ獄卒であれば皆がそんな感情を持って生きているだろうが、私は単にあの方がこのヂゴクを統べる存在であり権力者であるから崇拝しているわけではない。私が崇拝しているのは彼女の個性だ」
コクエの発言に、ライの頭の上には疑問符が浮かび、表情にもその感情がありありと浮かぶ。
「きみは、このヂゴクにすまう獄卒たちの無個性さに案燦たる気持ちを抱いたことはないか?」
「急になんの話よそれは」
「きみには絵の才がある。きみの周囲にいる製作部の獄卒たちも一般的な獄卒たちと比べれば特異な能力を持っていると言ってもいいだろう。だが、ほとんどの獄卒はそんな特別な力は持たない。獄卒として亡者たちを管理できる最低限の力を持っているに過ぎない」
それは枷を嵌めた亡者を相手に横暴な振舞いができる程度の力だ。
「私はきみと違う。私にはなにもないのだよ、ライ」
「ますます話が見えないんだけど」
「私は気づいてしまったのだ。いつだったか、何度目となるかわからないヂゴクトーナメントを観戦した時だ。なぜそんなものを観戦しようとしたのか。よく反抗していた亡者の一人がたまたま出場していたからだったか。私はその時に気づいてしまったのだ。フィールドで戦うその亡者は、私の知るその男ではなかった。私に食って掛かって鉄棒で殴られ水を浴びせられ火をつけられ折檻される惨めな亡者ではなかった。自身の力で掴みとった能力で果敢に戦う姿があった。服装は当然違う。だが、顔も違う。声も違う。動きが違う。なにもかもが亡者であるその男ではなかった。その男の現世での姿を見たことはあった。現世の映像を見て、その世界で一人の人間として生きる男の姿は見ていたはずなのだ。だが、このヂゴクトーナメントで見たその男の姿は私の目に焼きついた。――そこに個性があったからだ」
個性? とライはオウム返しに呟く。
「私は勘違いをしていた。枷を嵌められた亡者たちを見て十把一絡げの有象無象の集まりという認識をしていたが、本来はそうではなかった。有象無象は私たち獄卒の方だ。均一な能力を持つ初めから平均化された存在。ボロ布を着て痛めつけられ呻き声を上げ半死半生の状態で彷徨い続ける亡者たちも、その亡者という皮の下には特異な個が隠れている。このヂゴクトーナメントに出ている彼らもきっと普段は群れの中に埋もれる亡者の一人にすぎない。だが、その裏には強烈な個性が潜んでいる」
「なるほどねえ……」
ライが、初めて理解を示した。
「私は亡者たちを羨んだ。その感情はきみやギョウキのような特別な能力を持った獄卒たちにも向いた。私は一般的な獄卒でありそれ以上でも以下でもない。そのなんでもない事実が、私を苦しめた。仕方がないとも思ったさ。なぜなら、獄卒はそういう風にできているのだ。戦いの訓練を積んだところですぐに頭打ち。知識は多少増やせても論理的な思考力はたかが知れている。獄卒には成長というものが初めからほとんど存在しえないのだから」
コクエは、初めてヂゴクトーナメントを見て衝撃を受けたその日から自己流で戦闘の訓練を始めた。しかしそれを何年続けようが目に見える成果は得られなかった。劣化もしないが成長もしない。それが獄卒という生物なのだと、コクエはそう認識している。
「そんな私が、このヂゴクにおいて誰もが認める個性の持ち主であるエンマ様を崇拝することはなにもおかしいことではないだろう?」
要は憧憬である。
「私は個性が欲しいのだよ、ライ。確固たる個。有象無象である獄卒の一人ではなく、私という明確な存在が欲しいのだ。そして私がそれを手に入れる手段として考えたのが、肩書だ。エンマ様の補佐官という肩書、ポジション。これを手にして私は確固たる存在になりたい」
そこまで言い終え、コクエは小さく息を吐いた。一息に喋ると、やはり疲れる。内容は『エンマ様崇拝団』の団員たちにはよく話していたものだが、団員意外に話すのは最近では滅多になかった。『エンマ様崇拝団』は元々コクエが同志を探す過程で作ったものだ。現世に生きる人間のように個性を持った存在になろうと、それを顕現しているエンマを崇めようという考えを持った集まりであり、ごく初期はいまライに話したような内容を獄卒たちに伝えて勧誘を行っていたが共感を得られることは滅多になかった。いまではコクエ自身もエンマを崇拝する気持ちはあり、彼女の素晴らしさを皆に理解してもらいたいという思いもあって勧誘を行っている。その結果獄卒だけでなく亡者相手にも手を広げているのだが、それも大抵不発に終わっている。
「補佐官コクエ。そうなった時、私はなにかが変わる気がしているのだよ」
今回の大会に挑んだコクエの心の一番根っこのところにあるのはそれだ。その思い一つで、コクエは決勝戦まで上がってきた。
思いを正直に吐露したコクエに対し、ライはゆっくりと口を開く。
「いや、そうなってもあんたがなにか変わるわけがないじゃん」
それはまさかの一刀両断だった。不意の。
「…………バッサリ言ってくれるな、おい」
「そもそもコクエはもう変じゃん。獄卒の中でも一、二を争うぐらいの変わり者じゃん」
「誰が変わり者になりたいと言った。私が欲しいのは個性だ」
「『エンマ様崇拝団』とかいう訳わからない組織を作って補佐官になるためにヂゴクトーナメントで優勝しようとするとか、誰が見ても個性の塊じゃん。変わり者ってことは個性があるってことだし、コクエはもう十分に変人だよ。トーナメントの出場者たちと並び立つ変人だ」
うんうん、とライは自分で頷く。予期せぬ反論を受け、コクエは狼狽える。個性的だなどという言葉はコクエには理解できない。自分は凡百の獄卒だという自覚がはっきりとあるのだ。
「私は凡人だ! 適当に石を投げれば当たるぐらいにいるヂゴクの普通な獄卒の一人! きみやギョウキのような一芸すら持っていない面白みのない獄卒だ!」
「そう思ってるのは自分だけでしょ」
呆れたようなライの物言い。その口元には少し笑みが浮かんでいる。
「あんたが頑張る理由はわかったからもういいけど、見事優勝して補佐官になったもののなにも変わらなくてショックを受けて自殺とかいう展開はやめなよー? ある意味そんな最期になったらヂゴクの歴史に名を残すぐらいの変人扱いされるとは思うけどね」
「そんなアホな末路は選ばんわ!」
コクエは鼻息荒く否定した。ライは、あはは、と笑いながら、この話題に対する興味を失ったのか机の上の絵の方に向かう。自分の思いについて説明が足りないのならいくらでも言葉を尽くすのはやぶさかではないが、相手に聞く気がないのならコクエとしても諦めるほかない。
結局、ライはコクエの考えに共感を示さなかったがコクエは至って大真面目だ。この大会で優勝してエンマの補佐官になれば自分の望むものが手に入ると信じている。それも、あと一勝すれば叶うのだ。誰も成し遂げたことのない偉業を為そうとしている。ヂゴクトーナメントで優勝することそのものがまた一つの個性だ。そんな獄卒はこのヂゴクの中でコクエ唯一人。
すっかり絵の方に集中しているライから視線を外し、フィールドへ顔を向けた。戦いはまだ続いている。決勝戦で自分と戦うのがどちらになるのか、コクエは見届けねばならない。
『ドドンガ選手の体はすっかり血に染まっているが、虎王選手とて無傷ではない! まだ勝負は決まっていません! 互いに一歩も引かない真剣勝負が展開されております!』
「まだまだ――――ッ!」
「タノシイ タノシイゾ!」
虎王は笑っていた。声を上げて笑っていた。血みどろのドドンガを前に、殴られ蹴られ血を吐きながらも戦って笑っている。戦いそのものを楽しいと思う感情もコクエにはない。それがあるのが偉いなんてことはない。だが、そんな一つの個性がコクエにまた劣等感を抱かせる。
「コンナニココロオドルノハハジメテダ!」
虎王が加速した。四足歩行のダッシュ。一回戦で見せた、目にも止まらぬ高速移動だ。
「ぅらぁッ!」
それを目で捉えるのが神の子だ。ドドンガの蹴りが、虎王の胴体に炸裂した。獣の体は無様に吹っ飛び、ドドンガもその場に転がる。
『見切ったぁ! ドドンガ選手、虎王選手の一撃離脱の戦法を打破しました! 恐るべき野生の目!』
「ヤルナ」
虎王の笑みは消えることはない。咳き込みながらもすぐに起き上がり、
「モウイッカイダ」
再び両手をついて前傾姿勢。それを見て、ドドンガもまた素早く立ち上がる。拳を構え、迎撃の態勢は万全だ。ギラリと牙を光らせ、虎王は猛然とドドンガに向かって突撃した。
「オナジテハ クワナイゾ!」
両者の距離は一瞬にして縮まる。虎王の爪の射程にドドンガが入った瞬間、ドドンガの脚から血が噴き出した。爪による軽い先制。次いで、本命の一撃を狙う。
虎王の大きく開かれた口が、ドドンガの喉元へと迫る。
だが、その牙は彼の太く逞しい首を捉えることはできなかった。その前に立ち塞がるようにドドンガの鍛えられた左腕が突き出されたのだ。
「にくをきらせて――」
叫んだ言葉はまともな音になってはいなかった。無我夢中で、気合を入れるための発声。それをしながら、ドドンガは頭を動かした。
自分の目の前で腕に噛みついている虎王の、その首元に向かって口を大きく開き、
「ほねをたつ!」
力の限り噛みついた。ギョウキの眼は、その瞬間を正確に捉える。
『噛みつき攻撃! 虎王選手の十八番を奪う掟破りの噛みつきです!』
会場が一瞬で湧いた。
「なんて戦い方だ……」
コクエにはできないようながむしゃらな戦いがそこにあった。美しくも巧みでもなく、しかしきっと面白い戦いだ。虎王は首を噛んではなれないドドンガを蹴りつけ、無理矢理引き剥がした。唾液と血の糸を引き、ドドンガは後退する。血で汚れた顔の中、目には相手を叩きのめそうという闘志が宿っている。
対する虎王は、なおも笑い続ける。
「ヒンソウナ ハ。ナンジャクナ アゴ。コッケイダガ イイナ」
愉快そうに、このいまの時間が楽しくて仕方がないという笑いを見せる。
「オマエハオモシロイ。ケンノヤツヨリヨワイ。ケド キニイッタゾ ニンゲン」
口元を濡らす血を腕で拭い、虎王はそう言った。両手を構えることもなく、棒立ちの姿勢だ。
『虎王選手、構えを解いた! ここにきてまた新たな戦術か? それとも隠された能力を披露するのか?』
「オマエコソ タタカウ フサワシイアイテ。オレ オマエミタイナノ マッテタ」
たどたどしい発話で、虎王は喋り続ける。前の試合と比べれば饒舌と言ってもいいぐらいに喋っている。
「オレ キメタ。オマエニワタス。――チカラ ウケトレ」
虎王は一歩を踏み出した。ドドンガに向けて、なんの警戒もなく隙だらけの状態で。
「なんだ? おまえなにかんがえてんだ?」
ドドンガが困惑した声を出す。コクエもギョウキも、観客たち全員が虎王の謎の行動によって同じ感情になっていた。
「シンパイナイ。オマエ ツヨクナルダケ。コレ オレノヤクメダッタ」
『虎王選手、なにやらよくわからないことを言いながらどんどんドドンガ選手に歩いて近づいていきます! こ、これはなにかの作戦なのでしょうか? 騙し討ちをしようとしているのだとしても、わたくしこんな脈絡のない行動は長いヂゴクトーナメントで初めて見ます!』
そうこうしている内に虎王はドドンガの目の前まで来て、足を止めた。無防備であることはコクエにもわかった。ギョウキが言うような騙し討ちの類ではない。コクエの位置からは虎王の顔は見えないが、きっとその目からは戦意というものが抜けきっている気さえする。
「あそこまで戦いを楽しんでいてやる気十分で殴り合っていたやつがなんなのだ?」
「どったの?」
と、ただならぬ様子が気になったライも手を止め観覧席にやってきた。二人で見下ろすフィールドでは、戸惑いながらも構えを解かないドドンガと棒立ちの虎王が向かい合っている。
「オマエニ チカラヤル。ウケトレ」
「いみがわからん。なにをするきだ」
「ソノママ。オレノチカラ ゼンブヤル」
そう言って、虎王は右手をそっと差し出した。流れるような動きで、ドドンガの肩に手をかける。毒気を抜かれているのか、ドドンガもそれに抵抗することがしなかった。
「イクゾ。――“仙獣虎王”力の継承認可。我が力、すべて託そう〟」
虎王の体から、真っ白な蒸気が噴き出した。しゅうしゅうと音を立てて全身から噴き出る蒸気は、この会場にいる者ならばすでにもう目にしたことのあるものだ。
『これは虎王選手が人型になった時に噴き出していた蒸気です! まさかここにきてさらなる変身か!? これはいったいなんなんだぁ――――ッ!?』
虎王とドドンガの体を覆い隠した蒸気は、一回戦の時と同様にすぐに晴れていった。そしてそこに姿を現したのは、一人の男。
それは純白の毛側を身に纏い、鋭い牙と爪を持ち、虎の耳と尾を生やした、ドドンガであった。
虎王の姿は煙のように消え去り、残されたのは異形の身となったドドンガのみ。
「――そのパターンかぁぁぁぁぁ!」
いち早く事態を察知したのはコクエだった。
「え? なになに? どゆこと?」
またもや頭を抱えるコクエの横で、ライは事態が呑み込めずに混乱するばかり。会場からもどよめきが上がるばかりで、なにが起きたのかを理解できている者はいない様子だった。
『ホントにいったいなんなんだぁぁぁぁッ!? 蒸気が消えたかと思ったら、それと一緒に虎王選手も姿を隠し、残されたドドンガ選手はなぜかイメチェン!? しかもその姿は虎王選手そっくりの耳や尻尾がついたものです! この状況から考えられること、これはもしや…………!』
「虎王自身も口にしていてが、これはつまり力の継承」
『二人が合体したということでしょうか?』
地響きのように驚きの声が轟き、会場が震えた。
「合体ってなんだよ!? 人間って合体するものなのか!?」「僕のいた世界ではそんな種族もいたような気が……」「ってか、なんのための合体だよ! 勝負はどうなる!」「これどっちが勝ちになるんだよ!?」
驚きの次は混乱だ。各々がもつ知識によって事態を理解し、そして生じる種々の疑問。観客席の亡者たちは思い思いに言葉を口にし、ざわつきがどんどん大きくなっていく。
だが、
「――おれは、ドドンガだ」
フィールドに立つ虎耳男の一言で、彼らの口は一斉に閉じられた。しん、と一瞬で場が静まりかえる。
「おれはドドンガだ」
再びそう言う。
「あのトラはもういない。おれのなかにはいってきえた。……たぶん」
これまでの快活さが欠けたものの、確かにドドンガの声と口調で言う。彼の一言一句を聞き逃すまいと、会場中の人間は物音一つ立てず固唾を飲んで見守っている。
「ちからをぜんぶやるといった。それがじぶんのうまれたいみだったといった。しんではたせなかったことをこのぢごくではたせたといった。そんなことをいって、どこかにきえた」
「やはりか……!」
呟いたのはコクエだ。悲しいやら腹立たしいやら、歪な感情でフィールドのドドンガを注視する。彼は言いたいことを言い終えたのか口を閉ざし、自分の体をしげしげと眺め始める。
『こ、これは……合体というのは正確ではなかったようです。わかりやすく表現しますと、虎王選手がドドンガ選手に吸収されたというのが妥当でしょうか。ただし、これは虎王選手が率先して自ら行ったものですので、吸収というのも語弊があるかもしれませんが、ともかく起きた現象はそういうことのようです』
ろくに声を張り上げることもせず、ギョウキは現状を観客たちに正確に伝えることを優先している。
『ドドンガ選手の言ったことを踏まえれば、どうやら虎王選手は仙人の手によってそのような、恐らくは力を認めた相手に自分の持つ力をすべて与える能力を持って生まれていたようです。現世ではその能力を使うことなくあえなく殺された。ある意味では、虎王選手は現世で果たせなかった己の役割をここで無事に果たすことができたと……悲願を達成することができたと! そういうことになるのではないでしょうか!?』
観客たちのリアクションがないことに不安になったか、ギョウキはだんだんテンションを上げていく。こうなると理屈を理解させるよりも勢いで押し通して無理矢理にでも納得させた方が早い。
「要は――」
ライは、コクエとは対照的なのほほんとした顔で言う。
「虎はもういなくなっちゃったしこの戦いはこれで終わりってことでしょ? あのマッチョマンの勝ちで終わりってことだ。あっけないけど」
「…………そうだ。あっけないのだよ。嫌になるぐらいに」
『この戦い、肉を貫き、穿ち、血が弾け飛び大地が震える、そんな全身全霊のぶつかり合いでした! そしてその末に人喰い虎は野生に生きる戦士を認め、その力を彼に託した! 自らに課せられていたその使命を現世ではなくこのヂゴクで、ついに果たすことができました! 力を認めあった男たちの死に物狂いの渾身の戦いを、わたくしたちは見ることができたのです!』
ギョウキは完全に観客たちを感動に乗せる方向に向かっている。
『こんな素晴らしい戦いを見せてくれた彼らに、わたくしは盛大な拍手を送りたいと思います!』
半ばやけくそじみた宣言をして、両手を大きく広げて拍手を始める。その勢いに呑まれたか雰囲気に流されたか、観客たちからもまばらに拍手が起こり始める。
観覧席のコクエは、とてもじゃないがそれに同調する気にはなれなかった。
「最悪の展開というのは本当に存在するようだな」
「どした? ショック受けるところはなんもない気がするけど」
ぱちぱちと素直に手を打ち鳴らしながらライはそう言った。
「ドドンガの体をよく見てみろ。あれだけ垂れ流されていた血がほとんど目立たなくなっている。傷はほとんど塞がっているし、見る限りでは体力も回復しているように思える。この戦いでの消耗はほぼゼロになったということだ」
「ほほぉー」
「そしてもっとまずいのは、やつが完全にこの大会の主役になったことだ」
「ほ?」
「意味がわからないだろうから解説しよう」
コクエは一度咳払いをし、
「まずドドンガは、肉弾戦が得意なだけのただの並みの出場選手の一人に過ぎなかった。この大会において戦いの中でドラマを作り決勝戦まで勝ち上がってその末に優勝するようないわゆる主役の人物は、恐らく魔剣士ギガしかいなかった。だから私もギガと決勝で戦うつもりだったのだが、その座を奪ったのがドドンガだということだ。なぜドドンガが主役になったかというと、この二回戦での戦いがすべてだな。虎王と戦ったこと。これが、やつを主役の座に押し上げた」
ドドンガは肉弾戦の得意なパワータイプ。思考回路は単純明快で戦いそのものを楽しむタイプでもある。それに対するのが虎王。ドドンガと同じく戦いに興じる性格で肉弾戦を主体とするタイプであり、優勝の本命であるギガを真っ向勝負で下した彼は言ってしまえばドドンガの完璧な上位互換である。人型になり男前になった虎王は圧倒的に格上な相手であるが、ドドンガはその虎王に食らいつき、自分の力を認めさせたのだ。
コクエはそういったことをライに向かって説明し、
「――その結果虎王の力を貰い受けるというパワーアップイベントまでこなしてしまった。これで主役でないなんてことがあるか?」
という問いかけで締めくくった。
思わぬ伏兵。ギガだとかクリストだとかブロアンだとかヘルセルだとかどうでもよかったのだ。真に警戒すべきはドドンガだった。そんな現在の状況を作り出したのは対戦の組み合わせを考えたコクエに他ならないのが、それがまたコクエの悔しさを倍増させる。
「私は自分がヒールになることを望んでいたが、決勝戦の相手がここまで主役然としているという展開までは望んでいなかった。正直なところ最後の試合になる決勝戦ぐらいは多少ぐだぐだになろうとも楽に勝てた方がいいと思っていた」
「そういう感じだったらあれが主役だっていうのはまあわかるけど、それだと相手のコクエが雑魚過ぎない? 主役を迎え撃つ悪役としては格下過ぎるよ。ただの小悪党だもん」
「…………知識がないわりに的を射た答えを寄越してくれるものだな」
コクエはライに引きつった笑いを返しながら言う。
「かたや主役、かたやトーナメントの組み合わせを自分に有利なように作り上げどうにか決勝戦までこぎつけた悪知恵の働く小悪党レベルの私。ドドンガと虎王の戦いの後ではこれはもはやエピローグだ。二回戦が事実上の決勝であり、あとは観客たちにフラストレーションを溜めた張本人である悪役が主役の鉄拳制裁を受けるという流れ」
コクエの見立てでは、意図せずともすでにその筋書きが出来上がってしまっているのだ。
「決勝戦はこれまでの試合とは違う。ドドンガ自身に付け入るような隙はないと思った方がいい。虎王から譲り受けた力を制御できないとか野生の本能に目覚めて暴走だとかの方向に希望を見い出すのは夢を見過ぎだし明確な弱点も見当たらないからな。そういったものに頼らずに勝たねばならないのだ」
「実質負け確定じゃん」
『――というわけで、二回戦第二試合はドドンガ選手の勝利! 誰も予想できない幕切れでしたが、わたくしたちは男と男の熱い真剣勝負をこの目に焼きつけました! 次なる決勝戦、生まれ変わったドドンガ選手の新たな強さに期待大です!』
ギョウキの声に応え、観客たちは歓声を上げる。狐につままれたような顔をしていた彼らも、悪役を懲らしめる主役が登場したことを理解し、期待値は最大になっている。
「負けが確定してはいない。どんな条件がそろってしまったとしても私は勝つ。そのために、きみにあれを頼んだんじゃあないか」
そう言って、コクエは顎で控室の中の机の上をさした。ライは視線をそちらへ動かし、
「あんなもので本当に上手くいく?」
「いかなければ困る。すべてが首尾よく進めば、私に勝つチャンスはあるのだ」
コクエの顔には不安が色濃く表れていたが、しかし声にはほんのちょっぴりの自信があった。
「優勝のためならなんだってするさ。私は特別な獄卒になる。ヒールとして罵られようがルールの限界ギリギリをつこうが、それを実現するためならば手段は厭わない」
それは初めから決めていたことだ。立ち塞がる難関は分厚く高い。だが、それは最後の難所であり、コクエはそこまで辿りついたのである。ほんの二か月ほど前には想像もできなかったところに、コクエは辿りついた。
「人事を尽くして天命を待つ。私はこのまま終わらない」
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