第12話 準決勝 第一試合

一回戦全試合が終了しここからは二回戦、つまりは準決勝が行われます! いずれ劣らぬ強豪ぞろいの選手たち! 彼らは次にどんな試合を見せてくれるのでしょうか!?』


「ひとりだけ強豪じゃねーぞ」「雑魚だ、雑魚」「早く死ぬところ見せてくれ」


『観客席からは厳しい声が飛んできてますが、ニックくんはどう思いますか?』

『みんな雑魚だよ。僕が一番強い』

『さて、コメントも頂いたところで早速二回戦を始めていきましょう! 間延びしたトークは不要ですからね! それでは、第一試合の選手の入場です! まずはこの男、本当に雑魚なのか隠された実力を発揮するのか――獄卒コクエ!』


 名を呼ばれ、コクエは金棒を肩に担ぎフィールドに歩み出た。


「死ねぇぇぇぇぇ!」「ここで滅しろ!」「ギガくんの代わりにあんたが死ねばよかったのに!」「頼むから苦しみ抜いて死んでくれぇぇぇぇ!」


「よく盛り上がっていることだ」


 熱が入るのはいいことである。一回戦が終わり、観客たちの中には注目選手や贔屓の選手が敗れてしまったという者もいるだろう。そんな選手たちが消える一方コクエが勝ち上がっているという事実に怒りを覚えるのは至極当然。その不満をぶつけてくるのはコクエにとっては望むところだ。負けてほしい選手がいるという事実は、試合を熱心に見る動機にもなる。

 盛り上がりは十分。あとは勝つだけだ。エンマに言われたことを頭の中で反芻しながら、コクエはフィールドの中央へ向かう。


『一回戦では今大会唯一の女性選手に対し、脅しという卑怯な手を使い勝ったコクエ選手! その戦いぶりから、エンマ宮内の獄卒たちからはすでに恥晒しという汚名を着せられている彼ですが、二回戦では正々堂々戦うことができるのでしょうか?』

『またなにかやるに決まってるよ。獄卒が枷を外した亡者とまともに戦って勝ち残れるわけないし』

『わたくしもそう思います!』


 ギョウキたちの言葉に反論する気はコクエにはない。ただ、今回は試合が始まってからなにか策を打つということはしない。それは試合が始まる前にすでに打たれているのだ。クリストは一回戦を終えた段階ですでに体に異常をきたし、ほぼ満身創痍といってもいい状態にある。


『誰もが敗北の姿を望んでいるこの獄卒を相手取るのは、その役目に相応しき正義の使者! 悪を裁く冷酷無比なサイボーグ、クリストだ!』


「オレが許す! 殺せ!」「消し炭にしちまえッ!」「もうこっちのイケメンでもいいわ――ッ!」


『意外と女性人気も高いクリスト選手! 一回戦では圧倒的な力で暴虐の王を下した彼は獄卒に対しどんな裁きを与えるのでしょうか!? さあ、冷静沈着なサイボーグがいま……』


 と、ギョウキの声はそこで途切れた。彼の大きな瞳がなにを見ているのか、コクエにはわざわざ確認せずともわかる。観客たちも同じく目を奪われているようだ。胸元ははだけ袖は裂かれたままの制服姿で、足を引きずりながらフィールドを進むサイボーグクリストの姿に。


『深手を負っている! クリスト選手、試合開始前からダメージが色濃い姿で現れました!』


「おいおいなんだよ?」「闇討ちでもされたか?」「あの獄卒が仲間に頼んでやったとか?」「あいつ変な集団の団長名乗ってたしやってもおかしくなさそうだな」


「誰がやるか! あれはどう見ても一回戦での攻撃の影響だろう!」


 あらぬ疑いを一喝で跳ね飛ばし、コクエはクリストに視線を合わせた。

 肩がゆっくりと上下している。呼吸の間隔が長い。コクエにはわかっている。暴れようとする体を無理矢理押しつけようと、気分を落ち着かせるための呼吸だ。オーバーヒートはすぐそこまで来ている。


「きみにはずいぶんと疲労が見えるが、棄権しなくても大丈夫か?」

「心優しいお言葉ですね。……しかし、私が知る限り獄卒が亡者相手にそんな優しい言葉をかけることはありえない。ということは、それは単なる挑発なのでしょうか?」


 挑発とは言わないが、コクエとしてもクリストに棄権されて不戦勝になると盛り上がりに欠けて困るという本音はある。


「……別に疲れてはいませんよ。ほんの少し体の一部……いや、大部分が機嫌を損ねているようでしてね。制御するのに多少集中力を要する必要があって余裕がないだけです」


『クリスト選手、武装を使用するために衣服が乱れたままになっているのでしょうが、脚の方は確実に一回戦での精霊兵からの攻撃の影響が見られます! 一回戦をほぼ無傷で勝ち抜いたコクエ選手に対しクリスト選手のこのハンデは、試合結果をどう左右させるのでしょうか!?』


「余計な心配をせずともあなたは私がこの手で殺します。権力に与する悪しき獄卒よ」

「その言いようは気に入らんな。獄卒はヂゴクの亡者を罰する者だ。悪人である亡者を罰するのだからそれはつまり善じゃあないか? 権力の側であればすべて悪という理屈もないだろう」

「悪に敵対すればすべてが善だという理屈もまたありませんよ。この世界の理など知りませんが、亡者に対し勝手な刑を言い渡し苛烈な罰を下すあなた方は私にとって悪でしかない」

「……私にとっては、か」


 それもまた勝手な理屈だ。取りあえず問答はこのくらいでいい。マイクパフォーマンスとは言わないが、これ以上言葉を交わしたところで面白いやり取りも生まれないだろう。

 この試合も勝てる。コクエにとって大事なのはそれだ。エンマも盛り上がりは十分だと言っていた。いまは勝つことに集中するべき時。そうすれば観客は勝手に湧いてくれる。


『手負いのサイボーグは獄卒に正義の鉄槌を下せるのか! 決勝戦に駒を進める一人目を決める戦いがいま始まります! ――それでは、二回戦第一試合、開始!』


「――対象を駆逐します。第三武装、起動」


 開始早々に、クリストの胸の穴の奥深く、そこに光が灯る。


「なッ?」

「――殲滅」


 四束のレーザービームが台地を走った。コクエの足が地面を蹴る。空へ跳んだ足の先、そのすれすれを熱線が通過する。


「――っぶない!」


『コクエ選手間一髪! 開幕レーザーを空中に跳んで回避!』


 地面に着地したコクエがきっとクリストを睨めば、そこには再び光が灯る穴が見える。


「連発って、本気か……?」

「――殲滅」

「無茶だろうそれは!」


 叫びながら、再びのレーザーをコクエは横っ飛びで躱した。試合開始早々のレーザービーム二連射。それはクリストにとっての最善手ではない。負荷が大きくかかる胸部レーザーはオーバーヒートが迫っている状態で選択する武装ではないというぐらい、コクエにだってわかる。


「わかったうえで、そうしなければいけない理由があるということか」


 胸部の発射口から微かな煙をたなびかせ、クリストはその端正な顔を歪ませている。

 普通の戦闘行動を行えないほどにクリストの脚の負傷は大きいということである。瞬間的な加速を行える瞬発移動式が使えず、脚の負傷によりブレードも恐るるに足りず。コクエはレーザービームにさえ注意していればいい。ブロアンの精霊兵は期待以上の戦果を挙げてくれた。


「やはり苦しそうだが、本当に棄権しなくていいのか?」

「私にそんな挑発行為など無駄ですよ」


 クリストはだんだんと荒くなっていく呼吸を整えながら、両手をだらりと下ろした。

 さらにレーザービームを撃つ気である。コクエは金棒を構えた。野球の打者のように、向かってくるレーザービームを打ち返すような構え。


「――ッ!? そんなものでなにができるというのですか?」


 問いには答えず、コクエは金棒を思いきり振った。金棒は空を切り、コクエの手からすっぽ抜け、回転しながらクリストに向かって吹っ飛んだ。


「きみの足を叩き折ることができる」


 そんな攻撃を避けられないほどに、クリストの脚は弱っていた。金属がぶつかり合う音が鳴り響き、トゲが抉った破片が散らばる。右の膝下が砕け、クリストは片膝をついた。

 完全に移動不可能。この一撃だけで、コクエの勝利は確実なものになった。だが、


「……対象を、殲滅」


 クリストの目には、敗北の色はなかった。

 先ほどよりもわずかに低い位置から、三度目のレーザービームが発射される。コクエはすぐさま動いた。予期していなかった。虚を突かれた。それでもどうにか体は動いた。

 上手く着地できずに地面に尻もちをついたが、コクエは無事にレーザーを避けた。

 だが、クリストに向けた視線が捉えたのは、自分の方を見返す手の平の穴だった。小さく細いレーザーが、襲いかかる。

 身体を捩り、


「ぐうぅッ!」


 肩口を掠めていった熱線に苦悶の声を上げた。ほんのわずかな接触で、肉が抉られ焼け焦げている。


『これはまさかの接戦だぁ! 実力で劣るコクエ選手とハンデを負ったクリスト選手、どちらが優勢にしても一方的な試合展開になると思いましたが、かなりの接戦が繰り広げられる! どちらが勝つのか、そしてここからどう展開されるのか、わたくしには想像がつきません!』


「やるじゃないか。脚を折られてもレーザーの発射を強行するとは思わなかった。いまのは私の油断だな」


 コクエは荒い息を吐きながら立ち上がった。足を止めていたら危ないのはコクエの方だ。レーザーは胸だろうが手だろうが当たれば一発で勝負を決する可能性だってある武器である。コクエが勝利するにはそれをすべて避けるのが大前提だ。

 やってやるさと、仁王立ちしてクリストを見やるコクエ。

 視線の先のクリストは片膝立ちの姿勢で固まっている。そして、彼の体からは薄く煙のようなものが立ち昇っていた。機械で作られている腕や胸、脚といった各部位からだ。

 それを見止め、来た、とコクエの心は弾んだ。


「オーバーヒートを起こしているな、クリスト!」


『コクエ選手、クリスト選手を指差し高らかに言い放った――ッ! 体の半分以上が機械になっているサイボーグのクリスト選手、確かに動きが止まっている! 一回戦、二回戦と派手な攻撃を連発していたツケがここで回ってきたか? よく見れば体からは煙が出ています!』


「そんな状態に陥ったのは残念だが、これも勝負だ。手加減なしで一思いにやって――」

「温度、出力ともに上昇。異常値を検出。対象、存命を確認。――殲滅。――殲滅」


 クリストは顔を俯かせ、しかし目だけはコクエに向けてぶつぶつと呟いている。


「緊急事態、確認。対象の殲滅を最優先。安全装置解除。出力最大。――殲滅。――殲滅」


 コクエはなにやらまずい空気を感じ取る。オーバーヒートしたのはいい。だが、目の前で進行しているのは事前の予想と違う光景である。


「任務了解――全武装を以て対象を殲滅します」


 そう言って顔を上げたクリストの瞳には、赤い光が宿っていた。

 そして、胸部のレーザーが四度目の唸りを上げる。


『またもやレーザービィィィムッ!』


 飛び跳ねるようにしてレーザー(太)を避けたコクエに、追撃のレーザー(細)が飛ぶ。地面に伏せてそれを避け、すぐさま立ち上がり逃げの体勢。なぜならすでに、クリストの胸の発射口には光が灯っているからだ。


『連射連射連射ぁ! ひたすらにレーザー攻撃! これしか攻撃手段がありませんとでも言いたげなレーザーです!』


 コクエの足は止まらない。レーザービームも止まらない。両手と胸から照射されるレーザーは止めどなくコクエを襲う。間隙を縫うなんて到底不可能。クリストは狂ったようにレーザーを連射する。いやこれは本当に狂っているのでは、とコクエは疑っていた。オーバーヒートを起こすのはなにも体だけではない。頭もオーバーヒートを起こして暴走状態に入っているのではなかろうか。

 地面を焦がし砂煙をあげながらも執拗にコクエを狙うレーザービーム。コクエはフィールド内をばたばたと走り回るしかない。


『コクエ選手、ここは逃げの一手! こんな攻撃に晒されては逃げるしかありません! 救いはクリスト選手が脚を負傷していることでしょうか! 試合開始時から一歩も動かないクリスト選手はさながら固定砲台です!』


 コクエは本当に砲門でも向けられている気分だった。飛んでくるのが砲弾でなくとも致死の一撃であることに変わりはない。当たれば死ぬ。

 闇雲に逃げていても駄目だ。コクエはクリストの背後に回るよう大きく弧を描くよう走った。真後ろであれば胸部レーザーは怖くないし両手のレーザーだってほぼ狙いがつけられなくなる。クリストとて黙って背後をとられはしないだろうが、あの脚では方向転換にも多少手間取るのはわかっていた。

 目論み通り、コクエが胸部レーザーの射線から大きく外れてもクリストは手のレーザーを撃ってくるだけで体の向きを変えるのにもたついていた。このまま接近して背中から襲いかかってやろう。コクエがそう考えたのと同時、クリストの背中が、がこ、と音を立てた。


「…………ん?」


 上衣の裾が風ではためき、その下から煙を吐きだしながらなにかが飛びだした。空中へと昇る拳大の卵形をしたそれを見たコクエは、自分の頬を汗が伝うのを感じた。


『ミサイル発射ぁ――――ッ! これは正に固定砲台! 今大会の最大火力を誇るのはこの男だぁ! 四発のミサイルが煙の尾を引きコクエ選手に襲いかかる!』


「しかも追尾式かぁぁぁぁッ!」


 絶叫しながらコクエは駆ける。背後をとるとかいう意識は吹っ飛んだ。まずは逃げるのが先決だ。

 追尾の性能はそれほど正確なものではなかった。一発のミサイルが地面に触れ、爆発。派手な音を立て、煙幕でも張ったような砂埃を撒き散らした。


『いっぱぁ――つ! 地面にあたってあえなく撃沈! しかしその威力の高さを知らしめました! 残る三発中一発でも当たればコクエ選手は爆発四散!』


 想像したくもないことをべらべらと話すギョウキの声もろくに耳に入ってこない。レーザービームの射線に再び入ってしまったいま、集中を切らせばそこに死が待っている。コクエはミサイルに追われながら、クリストを中心にフィールド内をぐるりと大きく回っている状態だ。


「いけーッ! やっちまえサイボーグ!」「「「当・た・れ! 当・た・れ!」」」「こけろぉぉ! そこでこけてしまえぇぇぇ!」


 苦戦を強いられてピンチになるコクエを見れば、当然観客たちのクリストへの応援は熱を帯びる。みな、ミサイルが直撃してばらばらになったコクエの無残な死に様を見たいのだ。

 そんなリクエストに応える気は毛頭ない。だが、そのためにただ逃げ回っているというのも正解ではない。クリストはこのままならいつか動作を停止するはずである。レーザービームをあれだけばかすか撃っていればエネルギー切れを起こすのは目に見えている。逃げ回ってさえいればこの勝負はコクエの勝ちが決まっているのだ。だが、それを選択することができない。


「サイボーグが強制停止したので勝ちましたじゃあ、観客は納得してはくれないからな」


 観客が暴動を起こす可能性さえあるとコクエは思っている。観客たちが納得するのは、このまま馬鹿で卑怯な獄卒があえなく死ぬか、もしくは勇敢に立ち向かった獄卒がサイボーグを叩き壊すかの二択だ。後者の場合カタルシスは得られないだろうが、獄卒への負の感情は決勝戦へと持ち越され、次なる対戦相手への期待に変わる。

 ミサイルとレーザーを掻い潜りあの熱暴走ロボットをぶん殴る。コクエはこれからそんな無茶をしなければならない。そんなことを考えている内にだんだん呼吸が乱れてきた。ノンストップで走り回るのに耐えられるような体力は一般的な獄卒にはない。しかしそれでも走り続けねばならない。ここが本当のヂゴクだろうか。


「もし……いまここにいるのがニンザブロウだったら」


 そうしたら、きっと二回戦も余裕綽々でクリストを倒していたことだろう。ふと、そんなことを思った。二回戦に上がってきたドドンガや虎王でも同じこと。彼らならば手負いのクリストに素早く接近し一撃で葬り去ることができたことだろう。


『コクエ選手の背後でまたミサイルが爆発! 観客席にはバリアがあるので観客のみなさんは誤爆されるのを恐れずどうぞ試合に集中してください! わたくしたちは安全にこの殺し合いを見られるのですから!』


 いや、そんなことを考えても仕方がない。コクエは頭を振り無意味な思考を追い払う。自分が他の出場選手よりも劣っているのは改めて検討するまでもない事実であり、いまこうして半分故障したようなサイボーグ相手に手をこまねいているのも事実なのだ。

 いま為すべきは、自分の力でクリストを倒すことだけだ。そのためには確実な一撃が欲しい。


「金棒を手放したのは明らかに間違いだったな」


 コクエの金棒はクリストの脚を砕くという仕事を達成し、いまもその傍にぽつんと落ちたままだ。あれを拾って殴りつけるのが正攻法ではあるが、その場合怖いのがクリストの両手のブレードである。レーザーはまだいい。慣れてきた。だが、ブレードによる攻撃はまだ体験したことはない。殴りつける前に斬り殺されてはたまらない。かといって、素手で殴って倒せるのか。生身の人間ならともかく、クリストはその体の大部分が機械化されたサイボーグだ。余程狙いを定めねば、殴ったところで倒せずじまいで反撃を喰らうのがオチである。

 自分になにか特殊な力があればいいものを。機械武装、障魔術、精霊兵、魔剣。武器の代わりになる肉体がないのなら、攻撃に用いる力があれば問題はない。だが、獄卒にはそんなものありはしない。


「私には枷を嵌められた亡者をいたぶるぐらいしか能がない。本来の力を取り戻した彼らに対抗できるものなど……」


 いくら考えたところで彼我の差はわかりきっている。だが、コクエはふと気づいた。


「いや、なにもなくはない」


 獄卒にも、特別な力というものはあることはある。

 亡者を折檻する時に当たり前に使っているので自分自身では特別なものとして認識していないというだけで、それは第三者から見れば確かに特別だ。金棒に手を伸ばすよりも拳を握って突き出すよりも勝算を望める方法があることに、コクエは気づいた。


「これに賭けてみるか」


 体力が尽きる前に動く。コクエは意を決した。


『コクエ選手ぐねぐねと蛇行を始めたぞぉ!? そうやって向かう先はクリスト選手の背後! この状況では奇襲もクソもありませんが、胸のレーザーの射線から逃れての攻撃を企んでいるのでしょう! 火中に身を投じるコクエ選手、果たしてこの作戦は功を奏すのでしょうか!?』

「いくぞ、クリスト!」


 返事をすることもできぬ相手に叫び、コクエは全力で走った。いままでも全力だから特に速度は上がらないがとにかく全力で走った。背後で二発のミサイルがかち合い、一際大きな爆発を生んだ。その爆風に背中を押されるように、コクエはクリストに向かって全力で走る。

 クリストの背中からは今度は異音は発せられない。ミサイルはもうない。その代わりブレードを展開した両手をだらりと下ろし、身じろぎせずに顔だけをコクエへ向ける。

 赤い瞳が真っ直ぐに見返してくる。カウンターを狙っているのは明らかだ。レーザーを撃つ気はない。ブレードによる反撃のみを狙っている。

 僅かな静寂が生まれる。レーザーが空気を震わせミサイルが飛びまわっていたフィールドに、コクエが地面を蹴る足音だけが響く。間合いをはかれ。コクエの頭の中をいま占めているのはそれだ。ぎりぎりの間合いで放つ。失敗すれば鋭利な刃で腕か頭を飛ばされるのは確定事項。

 ここだ、という距離でコクエは足にブレーキをかける。足は僅かに地面を滑り、姿勢がぐらつく。それでもまだブレードの射程外。右手を素早くクリストに突き出した。まだ、射程外。

 叫ぶ。


「獄卒刑、濡浴!」


 空中で、水が弾けた。盛大な破裂音とともにクリストの頭上で水が生まれ、そして降り注ぐ。


「熱暴走ならば冷ましてやろう、サイボーグよ!」


 芝居がかった台詞を飛ばすコクエの眼前、驚愕で見開かれたクリストの目が降り注ぐ水で覆い隠された。サイボーグの体に莫大な量の水がぶちまけられる。時間にすればそれはほんの数秒。しかし降り注ぐ水の勢いは、サイボーグに膝をつかせる程度に苛烈なものだ。


『なんとここで出たのは極卒刑! 極卒なら誰もが使え亡者の皆さんにはお馴染みのこの技がヂゴクトーナメントで見られるとは思いませんでした! しかし頭から水をかぶせるだけのこの技はクリスト選手に通用するのでしょうか!?』


「通用するさ」


 肩を上下させながら、コクエは呟く。

 ほんの数秒の内に落水は終わり、その場には四つん這いになったぬれねずみのクリストの姿が残る。その体からはぱちぱちと音が響いていた。よく目を凝らせば、体のあちこちで火花が散っているのがわかる。コクエはそれを確認したうえで彼の傍に歩み寄る。警戒はない。無造作に、落ちたままの濡れた金棒を手に取った。


「きみを改造した連中は、防水対策をもっときっちりやるべきだったな。まあ、そんな風に体をあちこち開いた状態じゃあショートするのもやむなしかもしれないが」


 電気の通った機械を止めるには水をかけるのが一番手っ取り早い。コクエの単純な作戦は、成功を収めた。


『クリスト選手、機能停止か? コクエ選手が目の前に立っているというのに顔を上げることすらしようとしません! 先ほどまでの猛攻撃が嘘のようにぴたりと止まってしまったぁ!』


「気合で動けコラ!」「卑怯だぞ獄卒!」「演技なんだろ!? 油断させてズバッと首を飛ばすんだろ!?」


「諸君! 君たちの期待に応えられないのは残念だが、勝負は決した! あとは私が彼に引導を渡すのを静かに見ていてくれ!」


「うるせ――ッ!」「黙れ!」


 ヒールは依然変わらず。だがそれでいい。コクエは金棒を構え、


「クリスト、実力は圧倒的にきみの方が上だったが今回は残念ながら私の勝ちだ」


 小さな声でそう語りかけた。意識があるのかないのか、クリストは返事をしない。

 金棒で無防備な頭をフルスイング。それでこの勝負は終わる。コクエは荒い呼吸を繰り返しながら金棒を握り直す。そして勢いをつけようと身体を捻った瞬間、


「――異常あり。各部機能停止。動作移行不可。…………対象、確認。攻撃続行。……エラー」


 クリストの口からぽつぽつと言葉が漏れ出た。


「攻撃続行……エラー。攻撃続行……エラー。攻撃続行……エラー。試行終了。対象確認。戦闘行動続行不可。――周囲に保護対象なし。最終武装、解除」


「え?」


 コクエの動きが止まる。いまの一言、聞き捨てならない。

 しかしコクエが動きを止めたところで、クリストの方は止まらない。


「市民の皆様、退避願います。――自爆装置、起動」

「なにぃ?」


 今度はもっと聞き捨てならない。


「爆発まで残り、五……四……」

「ちょっと待て! 待て待て待て!」


 金棒を投げ捨て、コクエは一目散に逃げ出し、


「三……二」


 地面にダイブし、その場に身を伏せる。


「一……ゼロ」


 フィールドの中央でクリストの体が爆発した。ミサイル四発分の比ではない大爆発。光と熱と風がフィールドを埋め尽くし、土埃と煙がバリアの内を一瞬で覆い隠す。


『ここでクリスト選手のロマン武器が登場だぁ! 最後の最後で自爆! これぞ機械の体の真骨頂! この爆発ではコクエ選手はひとたまりもないかぁ!?』


 フィールドには煙が充満している。観客たちが固唾を飲んで注視する中、フィールドを覆うバリアの上部が音もなく消え去った。バリアの中に外の空気が流れ込み、中を満たしていた煙を外へと追いやっていく。段々と煙が晴れていくフィールドの中で、


「………………………………これで死んでたまるものか」


 くそ、とコクエは咳き込みながら顔を上げた。地面に擦りつけた腹が痛いし、背中の方も熱やら風圧やらでじんじんと痛む。ともあれ、生きていた。


『おおっとぉ! あそこで虫のように地面に這いつくばっているのはコクエ選手です! コクエ選手、なんと生きている! すんでのところで爆発を回避!』


 そういう仕様なのか爆発することを律儀に口に出してくれて助かった、とコクエは思う。あの状態でなんの前触れもなく自爆されていたらコクエは為す術なく道連れになっていた。


「私は生きている。…………勝ったんだ、この試合にも」


 痛む腹を押さえながら、コクエは仰向けに転がった。痛みはすれど、次の試合に響くような深い傷はなさそうだ。疲労困憊ですっきりした勝ち方でもなく、視界の先に見える見慣れた曇天はそんなコクエの勝利にお似合いに思えた。


『一方のクリスト選手は当然爆発四散! 頭部以外は原形すら留めておらず体の各部位は散り散りです! ヂゴクの皆さんにはこんな死体は刑場で見慣れていることでしょうが、クリスト選手は派手な散り様を見せてくれました! 素晴らしい!』


 ギョウキはそう言うと、大きな拍手をした。それにつられ、観客たちからもまばらに拍手が鳴る。そんなものを褒めてどうすると言いたいが、なにかしら盛り上がるのならコクエには文句はなかった。勝者としてコメントをすることも観客たちを煽ることもできないコクエの体たらくっぷりに対するギョウキなりの助け舟だと考えるのが吉である。


『クリスト選手の自爆により、勝負あり! 二回戦第一試合はコクエ選手の勝利! まさかの獄卒が決勝戦に進出です! これはいったい何百年に一度の快挙か!? もしや前代未聞、獄卒の優勝という展開がこの先に待っているのでしょうか!』


 ギョウキがそう言うや否や、観客たちからすぐさまブーイングが上がる。憎き獄卒の優勝など誰一人望んでいないのは明らかだ。

 しかし、亡者の望まぬことをするのが獄卒というものである。

 灰色の空を眺めながら、コクエはそんなことを思った。






「よく死ななかったね」

「運も味方をしてくれている。それがよくわかった試合だったな」

「それが最後まで続けばいいけどね」


 言葉を返すライの視線は机の上に落ちたまま。手もペンを動かすまま止まらない。


「絵を描いていたのなら試合の様子は見られなかったんじゃないか?」

「ギョウキが張り切ってるから大体はわかるよ。コクエが鉄棒で攻撃してサイボーグが反撃してコクエが逃げ回って獄卒刑で動きを止めてサイボーグが自爆でしょ? あんたの逃げ惑う姿は見とけばよかったかなーとか思ったけど。笑えたかもしれないしね」

「是非絵に集中してくれ」


 そう言って、コクエは椅子にどさりと腰を落とした。さすがに疲れを感じていた。戦いの緊張感などではなく、レーザーやミサイルから逃げるために全力疾走を続けたことによる疲労だ。両手足を投げ出し、なんとはなしに虚空を眺める。

 相手の自爆による幕切れということもあり達成感はない。決勝進出を決めたという事実に対しても大した達成感は得られなかった。ここまで来たのだという思いはあるが実感は湧かない。それにいまだ、ぐらぐらと揺れる足場の上に片足で立ちどうにかこうにかバランスを保っているだけという感覚が続いている。どこで失敗してもおかしくないのが現状であり、それは目的を達成するその時まで変わることはない。


『獄卒の決勝戦進出という前代未聞の結果を残して第一試合は終了! その獄卒コクエと戦う男を決める第二試合をこれより開始いたします!』


 外から実況のギョウキの声が飛び込んでくる。いま試合が終わったばかりだというのにすぐに次の試合の開始だ。さくさく進むのがこの大会の良いところでもあり悪いところでもある。決勝戦前には多少は時間が取られるだろうが、試合の順番を考えて組み合わせを作った意味は大いにある。休憩できる時間は少しでも多い方がいい。

 そんなことを改めて思いながら、コクエは椅子を持ち上げ観覧席へ移動した。手すりに肘をつき会場を見下ろすと、二回戦を前に熱気に満ちた観客たちが確認できた。

 次の試合の結果次第ですべてが決まるといっても、過言ではない。

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