第11話 一回戦 第四試合

『とうとう一回戦第四試合のお時間です! 先ほど言った通り、ここで正統派美男子と動物がぶつかり合う! 果たして最後に二回戦にコマを進めるのはどちらなのか?』

『僕もう帰りたい。眠いし』

『ニックくんが飽きてきておりますが、わざわざこの場に足を運んできたバトル大好きな観客のみなさんはここまでの試合を見て、そしてここからの試合に思いを馳せて期待と高揚感に満ち溢れていることでしょう! 一回戦第四試合、さくさくと選手の紹介をいたしましょう!』


 実況のギョウキの紹介に先んじて、フィールドには銀髪の青年剣士が姿を現した。直後、観客席から黄色い声がいくつも上がった。


『正真正銘の王子様がここに降臨! 復讐の魔剣士ギガ! 悪の魔術師により生まれながらに体内に魔剣を宿した悲劇の剣士! 復讐を心に誓い、その憎むべき魔剣を意のままに操る技量を身につけた彼は、この大会きっての実力者でしょう!』


 紹介している間にも、ギョウキの声のうしろで甲高い歓声が響いている。


『女性人気が高そうですが、前大会では彼と同じように断トツで黄色い声援を浴びていたニックくんはギガ選手をどう見ますか?』

『…………』

『沈黙! これはきっと酷評できるような隙がギガ選手になかったということなのでしょう! わたくしはそう好意的に解釈いたします! それでは、そんなギガ選手と戦う今大会最後の出場者は――』


 フィールドに、一頭の白虎が躍り出た。


『仙森の守護者虎王! 今大会唯一の四足歩行、正真正銘の獣が登場です! 森を守護し、数多の人間を喰らい尽くした虎は、この大会で何人をその腹の中に収めるのでしょうか!』

『獣はいいよね。言葉がわかるなら人間と協力するより楽だし』

『動物好きなのか、ニックくんも虎王選手には甘いコメントです!』


「喰え――――ッ! そんな優男喰っちまえ!」「はらわたぶちまけろ!」「生首! 生首ぃ!」「王子なんて猫の餌じゃーい!」


『ギガ選手への嫉妬と単なるグロいもの好きの声がいい具合に交ざりあってなかなかに混沌としてまいりました! ヂゴクらしいと言えばらしいですが、年中自分や周りの亡者が惨たらしく死んでいるのにそれでもグロい死に様が見たいというのはかなりのマニアっぷりです!』


 マニアで悪いかぁー、と観客席から実況席に返ってくる開き直りの声。


「常々思っていたが、亡者というのはかくもいやしいものなのか。こんな所に落とされるような人間たちなのだから当然ではあるが、自分もそれと一括りにされるというのは嘆かわしくもあるな」


 ギガは自分に罵声を浴びせる観客たちの顔を眺め、ひとりごちた。


「こんな見世物にされるために技を磨いてきたわけではないが、俺が復讐を完遂するためにはこの大会で優勝し現世に戻るしかない。それは確かだ」


 そう言って、ギガはおもむろに右手を前へと突き出す。上へと向けた手の平に黒い渦のようなものが生まれ、そこから漆黒の刀身を持った剣の切っ先が飛び出した。剣はするすると渦の中から出で、ギガはその柄を右手で掴んだ。

 そして、その漆黒の剣を眼前の猛獣へと突きつける。


「おまえには犠牲になってもらうぞ、名もなき虎よ」


 虎王はぐるると小さな唸り声をあげるのみ。人語を発さない獣にはそれ以上のコミュニケーションは望めない。


『ギガ選手やる気十分! 自分の何倍もある巨体を前に一切の怯えはなし! 俺の魔剣が火を吹くぜと言わんばかりのオーラをその身に纏っています!』


「わけわかんないアテレコすんな!」「殺すぞ!」「その目玉くり抜いてやろうか!」


『おっと、過激派な女性客から暴言が飛んできたので訂正します。ギガ選手の魔剣からは火は出ません。そして先の台詞を言うこともありません。お詫びして訂正いたします』


 ギョウキは実況席の中で深々と一礼。


『と、謝罪も済んだところで一回戦ラスト第四試合を始めましょう! 剣と牙、より鋭いのはどちらなのか? 魔剣士ギガ対仙森の守護者虎王、試合開始!』


 ギョウキの合図とともに、虎王が咆哮を上げた。馬が嘶くように前足を上げ、天に向かって吠える。その姿は、虎王とギガとの圧倒的な体格差を観客たちにまざまざと見せつける。

 だが、ギガに怯えは存在しなかった。


「腹を晒すとは、随分な余裕だな」


 言うや否や、剣を構えた王子は虎の足元まで接近。そして、縦一直線に斬り上げる。

 白虎の真っ白な腹に、真紅の線が走った。


「なかなか頑丈な皮膚と毛だ」


 痛みか怒りか虎王が唸り、ギガ目掛け前足を振り下ろす。しかしそれは空を切った。ギガの姿はもうそこにない。


「手数で責めさせてもらおう」


 虎王の肩に赤が散った。一瞬のうちに、その背中に次々に赤い線が増えていく。

 再度咆哮を上げ体を大きく揺さぶる虎王。同時に、ギガはその場を離れて大きく距離を取った。ふたりの間にできたのは試合開始時よりも広い間合いだ。


『速攻からの連続攻撃ぃ! 先手はギガ選手だ! 第三試合のドドンガ選手にも負けず劣らずの俊敏さで虎王選手を翻弄! まるで猛獣使いのようだ!』

『猛獣使いっぽさは全然ないよ』

『ニックくーん、勢いで誤魔化した実況に冷静なコメントはやめましょうよー』


 ギガは剣を構え直し、自分を睨みつける猛獣に鋭い視線をぶつけ返す。言葉による意思表示がなくとも、虎王が先ほどまで以上の殺意を抱いていることはその目を見ればわかった。


「殺意ではなく食欲かもしれないがな」


 そう思わせるような大口を開け、虎王が跳んだ。ギガに向かってただ真っ直ぐに跳び込んでくる。ギガは、大会というこの場はこの虎にとって不利なものだと考えていた。森に棲みそこを狩り場としてきた虎王にとって、身を隠す草木がなに一つないこの台地はさぞ勝手の違う環境であろう。狩りではなく試合であり真剣勝負の場。ギガにとっては、虎王はこの場に立っていい者ではない。いかに人を殺す能力を持ち得ていても、真正面から無計画に突進してくる猛獣が殺戮ショーを披露できる場はここにはない。

 一閃。

 虎王の爪と牙を最小限の動作で躱し、魔剣を振る。前足から後足まで、虎王の右半身に鮮血が迸った。


「やはり浅いな」


 さらに一振り。虎王の右後足が真っ赤に染まる。そしてまた。

 観客席からは女性たちの歓喜の声が上がっていた。


『ギガ選手、虎王選手の周囲を移動しながらの連続攻撃だ! 一度剣を振るうごとに虎王選手の純白の毛が真紅に染められていきます! 体格差など関係ない! むしろその素早い動きによって虎王選手はギガ選手を捉えきれずにいます!』


 ギガは何度も何度も斬りつける。致命傷には至らないが、確実に相手を消耗させる攻撃。

 虎王もそれに抗う意志は当然あるのだが、ギョウキが言う通りギガとの体格差が彼に不利に働いていた。すばしっこく小さい的は、いくら鋭い爪を持っていても容易に仕留められるものではない。吠え声を上げていくら前足を振るい尾を撥ね上げ体で押し潰そうとしようとも、ギガにするりと逃げられてしまう。


『一部の観客の方々には残念だと思いますが、ギガ選手優勢のだいぶ一方的な展開になって参りました! 虎王選手、このままじわじわと追い詰められてしまうのでしょうか!?』

『それはどうだろ? このままだと剣士の人が体力切れで動けなくなる可能性もあるよ』

『……というと、どういうことでしょうか?』

『体の大きさも動いてる量も違うから、持久力勝負になると虎くんの方が勝つかもしれないってこと。剣でガンガン斬られてるけど、傷自体はそんなに深くないし血が出過ぎて死んじゃうほどでもないもん』

『なるほど。一方的に攻撃していてもそれが効果的なダメージになっているかは別ということですね。ニックくん、ここにきて解説らしいコメントが出ましたね! 素晴らしい!』

『僕だったらでっかい猛獣もちょろちょろ動き回る剣士も大技一発で倒しちゃうけどね』

『そして魔法自慢とドヤ顔も忘れない!』


「なるほど、確かに的確なコメントだ」


 ギガは攻撃を続けながら、笑みを漏らした。


「このままでは決め手に欠けるしまぐれの一撃で状況をひっくり返される可能性も十分にある。それになりより、こんな嬲り殺しのような真似は俺の趣味ではない」


 見上げる虎王の体は、顔を除くほぼすべてが鮮血で染まっている。刃が届くと判断した箇所を半ば機械的に斬りつけ続けた結果だ。しかしそんな状態でもなお虎王の瞳には攻撃の意志が爛々と輝いている。


「あの少年の言うように一つ大技を使わせてもらおうか」


 虎王の爪による攻撃をジャンプで躱し、ギガはそのまま後方へと大きく跳んだ。

 右手で握った剣を地面に対し垂直に構え、その刀身に左手をかざす。


「魔剣よ。貴様に秘められた闇の力、ここで解放せよ」


 ギガが剣を構えた先、なにもない空中に黒い闇が浮かび上がる。手のひら大の球体をしたそれは、まるで影を立体化したようなあらゆる光を吸収する黒を持った、まさしく闇だった。

 虎王は四肢で大地を踏みしめた前傾姿勢で、ギガに向かって威嚇する。

 ここですぐに攻撃の判断ができないあたり所詮獣だな、とギガは思う。


「吸い、喰らえ」


 ギガの言葉に合わせ、闇はじわじわとその体積を増していき、瞬く間に彼の体よりも大きな球へと変貌する。


「この場の闇を凝縮した力、おまえに味わわせてやろう」


 言うや否やギガは剣を前へと突き出した。闇が、虎王へと放たれる。その巨大さに似合わぬ速度で、闇は流れるように虎王の鼻先へ突き進み、そして直撃した。生じたのは、衝撃。闇が弾け、虎王が体を大きく仰け反らせる。音もなく、光もなく、ただ衝撃だけがそこに生じた。


『クリィーンヒットォ! ギガ選手の魔剣の力が虎王選手を襲ったぁ! 虎王選手の悲痛な鳴き声が会場に響き渡るぅ――ッ!』


 魔剣による攻撃に、観客席の男たちからも驚きと期待の入り交じった声が次々上がる。王子だろうが美男子だろうが、面白い戦いを繰り広げてくれる人材であれば受け入れざるを得ない。こんな大会をわざわざ見に来る酔狂な亡者たちにとって、それは共通の認識だった。例外があるとすれば、その選手が獄卒である場合だけだ。


「これで気絶してくれるのが一番ありがたいんだが」


 構えを解き、大きな音を立てて地面に倒れ伏した虎王を見やりながらギガは言った。魔剣の闇の力の解放は、要は単純な衝撃波である。一般的な人間相手ならともかく、虎王の巨体では致死のダメージは与えられていない。しかしそれでも剣でちまちまと斬りつけていくよりはだいぶマシだ。そう何発も連続して撃てるものではなく二発目以降は躱される可能性も高くなる技だが、これで虎王の動きが鈍れば急所への致命の一撃を狙うチャンスは確実にやってくる。

 虎王が起き上がるのを待ちながら、ギガはそう考えていた。倒れているからといって追撃はしない。手負いの獣は得てして危険であり、ここで勝ちを急ぐのは愚か者か傲慢な者のすることだ。ギガは確実な勝利を手にするつもりだ。現世で犯したような過ちはもう犯さない。驕らず、実直に。


『会場中が見守る中、虎王選手がいまどうにか立ち上がります! ふらつくその姿から、頭部への攻撃を受けたことによるダメージが決して軽いものではなかったことは明らか! ここからさらにギガ選手の魔剣の力が解放されるのか、それとも再びじわじわと追い詰められてしまうのか?』


「開けぇ――ッ! 三枚に下ろせ――ッ!」「生首ぃ! 生首ぃ――ッ!」「もう一発! もう一発!」


 実力差が明白でも降参することがないというのは、獣を相手にする時に困ることの一つであると、ギガは考える。できる限り一思いに殺してやるのが慈悲というものだ。剣を構え直し、ギガは集中する。そうして、虎王の瞳に視線を向ける。言葉がなくとも目を見れば意志ぐらいはわかる。残る戦意はどれほどか。それを確認して、ギガは攻撃を再開するつもりだった。

 観客席からの声をシャットダウンし、敵へと意識を集中する。隙があると判断すれば、一瞬で勝負を決める。長期戦はギガも望んではいない。その結果体力を消耗すれば二回戦が不利になる。二回戦の相手は身体能力に長けた男である。今回以上に集中力と体力を消耗する戦いになることが予想される。

 一瞬で決める。そのために研ぎ澄まされたギガの五感は、しかしそこで予想外なものを捉える。


「…………ツヨイ」


 耳朶を打ったのは声だ。そしてそれが発せられたのは、目の前で立ち上がり軽く頭を振っている相手からだった。


「オマエ ツヨイゾ」


『え?』


 ギョウキが気づいた。


「なんだと……?」


 その時、隙が生まれていたのはギガの方だった。虎の口から発せられた人語は、それだけの意外性を持っていた。


「イママデデ ニバン。センニンタチノ ツギ」


 会場が、どよめきに包まれる。


『虎王選手……こ、言葉を喋っております。これは、い、いったいどういうことでしょうか? わたくしが渡された資料にもエンマ宮内に収められた現世の記録映像にもそんな情報はありませんでした。…………い、いまエンマ様にも確認しましたが、両手で大きなバツを作っています。これはヂゴク中の誰も知らなかった事実。虎王選手は人語を話すことができたということです!』

『別にそれだけなら驚くことでもないじゃん。喋ったからってなんなの? それで強くなるの?』

『ニ、ニックくん正論ですねえ! 確かにそれで戦況が変わるわけではありません! 事態はギガ選手優勢のままです!』


 しかし、事態はそれで終わるはずもない。


「オレモ ホンキダス。アノトキダセナカッタ ホンキ」


 虎王がそう言うと、彼の真っ赤に染まった体から出し抜けに真っ白な蒸気が噴き出した。しゅうしゅうと音を立てて噴き出る蒸気は、まるで煙幕のようにフィールドへと広がっていく。

 腕で口を覆いながら虎王の姿を睨むギガだが、もはや蒸気にすっぽりと包まれた虎をその視界に捉えることはできなかった。


『これはいったいなんなんだぁ――――ッ!? 虎王選手の体から発せられた煙のようななにかは、目くらましかはたまた毒ガスか? わたくしたちも知らない謎の能力が発動しているのでしょうか?』


 勢いよく噴き出した蒸気はフィールド内に充満することもなく、虎王の体を覆い隠すだけに止まった。次になにが起こるのか観客たちが息を飲んで見守る中、虎王の周囲の蒸気もだんだんと晴れていく。

 そうして姿を現したのは、ひとりの男だった。


「コレナラ カテル。 ツヅキヤルゾ オージ……サマ」


 道着のような衣服を身に纏った、白髪の青年。その腰の辺りからは一本の尾が、そして頭の上からは二本の虎耳が生えており、両手足の先は獣のそれになっている。


「タタカイハ コレカラダ」


 人間の頭を軽く叩き潰せそうな異様な巨大さをした両手から爪を伸ばし、虎王はにッと笑った


『虎王選手、人間になったぁぁぁぁあああッ!』






「嘘だろぉぉぉぉッ!?」


 選手控室で悲痛な叫び声を上げたのはコクエだ。頭を抱え、絶叫。観客席から上がっている驚きの声のどれにだって負けやしない声量で、そう叫んだ。


「ちょっとうるさい! 知らなかったからってびっくりしすぎでしょ!」


 叱るような口調のライに、コクエはぐりんと顔を向けた。


「驚いているんじゃない! 嘆いているんだ!」

「なんでよ? 別に悲しくこともないじゃん。見た目だけならむしろ弱くなってそうだし」

「甘い! なにも知らないとはいえ、きみのその考えは甘すぎるぞライ!」


 あああぁぁぁぁ、とコクエはまた嘆きの声を出す。


「ある意味その見た目が問題なのだ。虎王本人が言っていたようにあの形態が本来の実力を出した状態だというのは確実であり、なおかつ、それが人の形をとっていることがいけない。会議の時にも少し話したが、虎王のような獣だとか機械だとかそういう人間から大きくかけ離れた形態を持つ者は実力者とあたって初戦で敗退する傾向にある」

「あんたが研究した結果によるとそんな感じだったね。だいたい噛ませだとか」

「しかし、その論理が覆ることがある。その要因の一つが人型に変身することなのだ!」


 それが一時的な変身なのか本来の姿なのかなどはどうでもよく、とにかく人間の形態になるのがいけないのである。おまけに、虎王は若く目鼻立ちも整った青年になった。見るからに格闘で戦うタイプでその点では剣士であるギガとは対照的だが、外見のレベルは同程度に高い。ついでに虎耳までついていて特定の層からの人気は絶大であろう。見た目は大事である。


「私にはわかってしまったのだ。この試合の勝敗はすでに決まった。また私の計画が狂ってしまったのだよ」

「大げさだな~。人間になっただけでそんな番狂わせ起きないでしょ。虎の方はいままで斬られたダメージはそのままみたいだし、あの体だったらもう何度斬られても大丈夫とはいかないし」

「私はそんな楽観視はできん」


 コクエはフィールドに視線を戻した。人間の姿をした虎王の体には魔剣によって刻まれた傷がいくつもあり、いまだ血が滲んでいる。厚い毛皮に覆われた虎のものではないあの体であれば、腕や脚の一本ぐらい魔剣の一振りで斬り落とすことだってできるだろう。


「これまでと同じ展開になるわけがないのだ」


 嘆いている間に、戦闘はすでに再開されていた。虎王がギガに跳びかかり、ギガは魔剣を振るい応酬する。虎王の攻撃スタイルは虎であった先ほどまでと基本的には変わらない。その両手の爪で斬り裂き抉ろうとする動きにせいぜい蹴りが加わった程度だ。


『虎王選手、野性的な格闘スタイルだ! 人間の姿になるという、現世でも見せていなかったはずの神秘の力! 仙人たちにより与えられたであろうこの力を使った彼は、果たしてギガ選手とどこまで渡り合うのか!?』


 ギガは虎王の爪を時には躱し、時には剣を使い防いでいる。対する虎王はギガの魔剣をすべて回避していた。防ごうにも盾の類など持っていないから躱すしかないのが当然だ。剣を持つギガを相手取り、虎王は互角の戦いを見せている。


「単純に言ってしまえば、ギガにとっては的が小さくなり虎王にとっては的が大きくなった。ギガの剣が虎王に届かないのは道理。武器を相手に徒手空拳ですべて躱すなどそうそうできるものではないが、少なくとも虎王はギガを相手にそれができるだけの実力を持っている」

「めっちゃ強いってこと?」

「ギガはこの大会の本命だぞ。個々の相性を度外視しての総合的な実力で見れば最も強かったはずだ。搦め手でもなんでもなく真正面から向かっていって一進一退の攻防を繰り広げられるのなら、そいつもまたそれ相応の実力者だろう」






『爪と剣の激しいぶつかり合い! 虎王選手、人型になったことによってギガ選手と同等の力を発揮している! これが彼の本気だぁッ!』


 虎王の獣の足が、ギガを真正面から蹴りつける。それを魔剣で受け止めたギガの体は、一瞬ふわりと宙に浮いた。一度地面から離れた脚が着地と同時に後方へ滑る。


「カタイナ」


 蹴りに使った片足を上げたまま、虎王はそう言った。


「それは守りがか? この魔剣がか?」

「リョウホウ」


 虎王は足を下ろし、ギガは剣を構える。剣先は、虎王を向いてぴたりと止まる。だが、ギガの息は荒かった。いままでの虎王との攻防、そして動揺のせいだ。勝利への筋道は盤石なはずだった。それが一瞬で崩壊したことへの動揺は小さなものではない。


「セメカタ カエルカ」


 そう言って虎王は腰を曲げ、両手を地面につけた。両脚を僅かに曲げ、四足歩行の獣じみた姿勢をとる。


「イクゾ」


 まるで砲弾だった。地面を蹴った虎王の体は、ギガの視界の中を一瞬で移動。眼前に迫っている虎王を認識するのと同時に、反射的に体を守る位置に魔剣を動かしていた。

 爪と剣が奏でる金属音。次いで、地面の上を滑る獣の足音。


「ヤッパリ オマエツヨイナ」


 ギガが振り向けば、虎王は足元から砂埃を上げて前傾姿勢をとっていた。


「モウイッカイ イクゾ」


 また砲弾だ。今度も腹か、脚か、腕か、まさか頭か。狙いを見極め魔剣で防御し、耳障りな金属音に顔をしかめる。


「ドンドンイクゾ」


 虎王の連続攻撃が始まった。一撃離脱の連続。それが虎王の連続攻撃だ。


『これは虎王選手流の連撃でしょうか! 四足歩行スタイルからの疾駆! クリスト選手の見せた加速に次ぐ高速の一撃がギガ選手を襲います! 試合序盤とは一転、攻守逆転のこの状況をギガ選手は打開できるのかぁ!?』


 カウンターを狙うべきだ。ギガは早々にその考えに行き着いた。虎王の攻撃に一方的に晒されている状況だというのはギガも認めるが、状況には差異がある。ふたりに体格差がなくなったいま、ギガには攻撃に合わせてカウンターを打つという選択肢がある。いくら速度があろうと攻撃自体は一度のみ。来るタイミングも容易に計れる。であれば、相手の攻撃を避けて逆に自分の攻撃を通すことは不可能ではない。

 いまなら一太刀で終わらせられる。虎王を守ってくれる毛皮はもう存在しないのだ。


「終わらせてやろう。この猛獣退治を」


 砂埃を上げながら地面に四肢を這わせる虎王を、ギガは見据える。次の交差で致命の一撃を与える。対する虎王は、笑った。人間形態になった直後と同じように、愉快そうに笑った。


「ヤッテミロ」


 獣の足が地面を蹴る。半人半獣の体が一直線に跳んでいく。伸びた爪がギガへと迫る。

 見切った。ギガの体は防御でなく迎撃の動きを始めていた。半身の構えからさらに体を僅かにずらし、剣を振り抜く用意をする。虎王の体は、ギガが想定したとおりに突っ込んでくる。

 虎王の右腕が、空を切った。

 ここだ。がら空きの背中。虎の状態で何度も斬りつけたそこには、おびただしい数の傷が浮かんでいるのが見えた。振り抜くのではなく振り下ろす。確実に息の根を止めるため、ギガは渾身の力で虎王の背中を狙った。

 だが、それよりも早く獣の腕が動いた。


「――――ッ!?」


 ギガの方へではなく、地面だ。虎王の空を切った右腕が地面を叩く。砂が舞い、虎王の体が右方向へと跳ねた。ギガの視界の外へ、だ。

 振り向くことはできなかった。振り向くよりも早く、ギガは自分の喉元に熱と痛みを感じていた。なにかにがっちりと固定されている。首が動かない。

 理解は一瞬でできた。首に、虎王が喰らいついているのだ。なにかが砕ける、嫌な音がした。


『噛みついたぁ――――ッ! 虎王選手、瞬時の方向転換からまさかの噛みつき! 虎の面目躍如! これはまさに狩りだ!』


 会場のそこかしこで悲鳴と歓声が上がった。

 四肢に力が入らない。剣が、するりと滑り落ちる。反撃不可。虎王の姿もとうにギガの傍から消えていた。ごくり、とギガの背後からなにかを嚥下する音が僅かに聞こえた。


「ウマイナ」

「ばけ……ものが…………」


 魔剣士の最期の言葉は虚空に消えた。振り返ることすらできず、ギガの体は地面に倒れ伏す。


『剣より強いのは爪ではなく牙だった! ギガ選手、虎王選手の野生の力の前にあえなく敗退です!』






「ほらなぁ――――ッ!」

「そんな指差さなくても見てるよ。あんたの予想通り、虎の方が勝っちゃったね」

「狂っていく! どんどん私の計画が狂っていくぅ!」

「優勝大本命の剣士くんが脱落して強敵が減ってくれてラッキー、って考え方は?」

「勝ち上がったやつがそれよりも強いんだからアンラッキーでしかない」

「だよねー」


 ポジティブに考えようとしても無理がある。一回戦の四試合中半分がコクエの予想と逆の結果になってしまったのだ。二回戦の第二試合がどうなるかはコクエにはまるでわからない。


「いや、二回戦の予想はある意味簡単か。ドドンガも虎王も肉弾戦で正面切って戦うタイプ。純粋な殴り合いで強い方が勝つのだから、うまいこと潰しあってくれれば私にも勝機はある」


 二人がともに特殊な能力を持っていないというのはコクエにとってありがたい。ブロアンの精霊兵やギガの見せた闇の衝撃波などはコクエでは対処が難しいが、相手が殴り合いを望むのなら戦いようもあるというもの。虎王だってあれ以上の秘策はないだろう。


「とはいえ、念には念を入れておく必要があるな。ライ、きみには一つだけ仕事を頼みたい。決勝までに準備しておいてくれればいいんだが――」

「靴に画鋲入れたり下剤入りのドリンク差し入れしたり階段から突き落としたりとかしたくないよー」

「そんな指示は出さん! 私の頼みは絵を描くのとちょっとした遣いだけだ。できればそれに頼らずに優勝を決めたいが、もしものためにできることはやっておかねばならないからな」


 コクエがそう言うと、


「ほうほう。それは殊勝な心がけですなコクエくん」


 控室の入り口から唐突に男の声が飛んだ。そこに立っているのは、エンマ補佐官のロクミョウだった。


「ロクミョウさんどうしたの? 自分の役職を奪われないように闇討ちでもしに来た?」

「そんな卑劣な真似はしませんし役職に対する愛着も強くありませんよ。私はエンマ様の遣いでコクエくんを呼びに来ただけです」

「エンマ様がお呼び……!? なんだ!? 私を褒めてくれるのか!? そうなのか!?」

「ちょっとロクミョウさん、コクエがテンション上がって気持ち悪くなっちゃったじゃん!」

「私に文句を言わないでください。とにかくコクエくん、エンマ様の元へ一緒に来てください」

「はッ! もしやこれはパワーアップイベントか? ここまでの戦いっぷりを認めてエンマ様が私に強力な武器を授けてくれるという展開?」

「戦いっぷりって、あんた踊り子ちゃん(のふりをした忍者)を脅して顔面パンチしただけじゃん。それを評価されるってヤバくない?」

「……とりあえずなんでもいいから来てくれないだろうか」


 エンマの名前が出て冷静さを欠いているコクエの腕を取り、ロクミョウは半ば無理矢理に彼をエンマ専用の観戦席まで連れて行った。

 観客席とは打って変わって亡者はもちろん獄卒たちの姿もまったくないエンマ宮内の通路を歩きながら、コクエはロクミョウに尋ねる。


「ロクミョウ、あなたはここまでの試合を見てどんな感想を持った? 率直な感想を聞きたい」

「唐突になんです? 戦いにさして興味のない私の感想を聞いてもなんの参考にもならないでしょうに」

「単純に気になるのだ。初めの計画とは少し違っているもののギョウキのおかげもあって観客たちは盛り上がっているが、実際のところどう思われているのか。あと、自分の地位が脅かされている点についても聞きたいね」

「あなたが言うように会場は盛り上がっているしその点はなにも心配はいらないでしょう。私個人の地位については、コクエくんが気にしているほど私自身は関心を持っていませんよ。仮に私が補佐官という役職を失ったとしても、そこに大した悲しみはないでしょう」


 ロクミョウは淡々と答えた。


「なぜだ? この第十四ヂゴクの二番目の権力者の座からヒラに降格するんだぞ?」

「権力なんて特にありませんよ。諸々の能力を見ても私と他の獄卒との間に特別な違いはありませんしね。獄卒なんてそういうものでしょう? 亡者を相手に獄卒として振舞いやるべきことをやれる能力を持っているだけ。製作部に配置されるような者は少し特殊ですし、ライくんとかはその中でもかなり特異ではありますが、基本的にはドングリの背比べなんですから、秀でた能力を持っていない私が自分の席を誰かに奪われたとしても嫉妬心もなにも湧きません」

「……あなたも私たちと同じなのか? 補佐官なりに特別な力を持っていると思っていたんだが」

「もしそうならさすがにエンマ様もあなたの要求をあんな易々と呑みませんよ。コクエくんが補佐官になってもいいと判断していなければ要求を突っぱねたでしょう」

「しかし、エンマ様に次ぐ権力者のロクミョウが私たちと同じ凡才だというのは夢がないな」

「だから権力者ではありませんって」


 互いにとってあまり実のない会話を続け、ふたりはエンマの観戦席までやってきた。


「コクエ、おぬしなかなかやるではないか」


 対面したコクエに対するエンマの第一声がそれだった。彼女はいま観戦用の椅子を下り、選手控室同様に室内に備えられた机の方に移動している。


「エンマ様にそう言っていただければ私も嬉しい限りです」

「ほれ見てみい。『アンミンくん』もあんな風になっておる」


 エンマが指差す先、バルコニーの手すりには測定器である『アンミンくん』がフィールドに向けられて置かれていた。以前見せられた時とは違い、白い人形は布団から起き上がり正座をしてフィールドの方を食い入るように見ている。


「あ、あれは盛り上がっているのでしょうか……?」


 コクエには静観しているようにしか見えない。


「見ればわかるじゃろ。この調子だと決勝戦の頃には布団を蹴飛ばして踊り狂いながらヘドバンする姿が見られるぞ」


 製作部の作るものはコクエの理解の範疇を超えている。やはりあの部署の連中は異質だ。そう思いながら、コクエは『アンミンくん』への言及を避けた。


「それで、私を呼んだのはどういったご用件でしょうか?」

「なに、特に用はないんじゃがな。貴様の作ったトーナメントはなかなか良いものじゃな。これなら大会はきっと過去最高の盛り上がりになることじゃろう。あとは、貴様が優勝できるかどうかが問題じゃがな」


 そう言って、エンマはにんまりと笑った。


「そちらもなにも心配はいりません。ここまでの対戦結果は私が予想していた通り。次の二回戦そして決勝戦で私が勝利を収めこのヂゴクトーナメントを制してみせます」

「予想通りとはのう。わしを崇拝する団体を作るあたり慧眼の持ち主だとは思っておったが、貴様にこんな才もあったとはな。今後はヂゴクトーナメントの組み合わせは毎年貴様にやらせるのもよいかもしれんな」

「しかし、二回戦に残った者たちを見るとどれもコクエくんよりも圧倒的に強そうですし勝率は決して高くないと思いますが」

「なにを言っておるんじゃロクミョウ。相手が強かろうがあらゆる手を使って勝つのがこやつの戦法じゃ。そうでもなければ獄卒がトーナメントに出る亡者に勝てるわけがなかろう。端から実力は出場選手中最弱レベルなんじゃから」


 そんな条件下で優勝する。それが誰も成し遂げていない偉業なのだ。エンマもそれは十二分にわかっている。そしていまの口ぶりからすればコクエを応援してくれている立場だ。

 観客からは罵声を浴びせられるがそれさえも含めてこの会場は自分にとってホームになっている、とコクエは思った。


「まあ、どうせ死ぬならせいぜい観客たちがすっきりできるような派手な死に様で頼む。一回戦で溜まったフラストレーションが解消されるようなやつな」

「……エンマ様、私の勝利を本当に期待していますか?」

「わしは現実の厳しさをよく知っておるからのう。自分ではなく他人の人生でじゃが」


 わはは、と笑うエンマを前にコクエは一つの納得を得ていた。これぐらいの自由気儘さがなければヂゴクのエンマなど務まらないのだ、きっと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る