第10話 一回戦 第三試合

『さあ、一回戦もここから後半戦に入ります! ド派手な第二試合に続いて彼らはどんな戦いを見せてくれるのか!? 一回戦第三試合、まずは――隠遁の魔術創造者ヘルセル!』


 ローブを纏ったいかにも魔術師然とした老人の登場に、観客たちからどよめき混じりの歓声が上がった。


『攻撃魔術を扱えず、障魔術と呼ばれる独自の魔術を編み出した異端の天才魔術師! 死を目前にして作り上げた究極の障魔術なるものにも期待ですねえ!』

『無能だね。攻撃用の魔術が使えないとかただの無能だよ』

『半世紀以上年上の同業者に向かっての毒舌ゥ! ニックくん、さすがのキレです!』


 ヘルセルは少年魔術師の暴言に特別気を悪くする様子も見せず、つまらなそうな顔をして立っている。


『この老魔術師に対するは生命力に満ち満ちた若人――野生の豪腕ドドンガ!』


 呼び込みに応じ、腰布と装飾品だけを身につけた半裸の男がフィールドに姿を現す。


「ケンカだぁ――ッ!」


 両腕を突き上げ、天高く吠える。

『通称“神の子”! その戦闘能力、ひいては身体能力の高さのみで部族の支柱となったフィジカルエリート! 裸一貫で成りあがった野生に生きる戦士は、その剛腕を魔術師に振るうことができるか!?』

『雑魚だね。前の大会でも似たようなのがいたけど一発で死んじゃったよ。人間の体って鍛えたところで案外脆いんだ』

『ニックくんはこう言っていますが、攻撃魔術を使えないヘルセル選手の障魔術はこの神の子に通用するのか? その威力の程、しかと見させていただきましょう!』


「天才……か」


 フィールドで掠れた声を出したのは、ヘルセルだった。目を伏して、独り言のように呟く。


「ん? なんだ?」

「生まれ持っての才能だけで階段を駆け上がった者というのは、概して打たれ弱いものじゃ。自分も凡人と同じように努力をしているとそう本人は信じているが、実際にはそこに怠慢が発生する。まして周囲に己より劣る者しかいなければ、成長など望めるはずもない」

「オレか? それオレのはなしか?」

「我が障魔術の前ではいくら鍛えた肉体を持っていたところで無意味。その肉体を満足に行使することすらできんようにすることこそ障魔術の真骨頂じゃからのう。特にわしの究極の障魔術であれば、肉体そのものすら変容することになる」

「ヘンヨー? なんかわからんけどすごそうだな! わくわくしてきたぞ!」


『ヘルセル選手、これは究極の障魔術を使って倒すという予告かぁ? ドドンガ選手も、まあなにかよくわかっていない様子ですがこれに正々堂々挑むつもりのようです! それでは一回戦第三試合――試合開始!』


「いくぞぉ――――ッ!」


 開始早々に仕掛けたのはドドンガだった。真正面からヘルセルに向かって突き進む。


「猪突猛進。いや、獣でももう少し考えて動くものじゃ」


 ヘルセルは右手を前へかざし、ぼそぼそとなにかを呟く。すると、その手から拳大の光球が放たれた。矢のように一直線に飛んだ光球は、


「なんだこんなもん!」


 ドドンガの目と鼻の先で彼の拳によって叩き伏せられ、


「わぶッ!?」


 弾けた。破裂音とともに光が炸裂し、辺りを眩しく照らす。観客たちは目を手で覆い顔を背けるが、しかし光は一瞬で消え去った。


『これは目くらましか? それともこれ自体がなんらかの障魔術だったのかぁ? ドドンガ選手、いきなり魔術をくらってしまって――』


 ギョウキの声は、そこで一旦途絶えた。絶句。演出的に言葉を区切ったのではない。ギョウキは驚きにより一瞬言葉を失っていた。

 フィールドの中央、光が炸裂したその中心地にはいま、半裸の美女がぽかんとした顔で立ち尽くしていた。


「これぞ究極の障魔術、雌雄転換魔術じゃ!」


『女になったぁ――――ッ!』


 ギョウキの実況に続いて野太い狂喜の声が盛大にこだました。観客席では立ち上がって身を乗り出し、フィールドに突如現れた女を食い入るように見ている者たちまでいる。

 当のドドンガは事態を正確に理解できていないのか、あまりに突然のことに混乱しているのか、手で体を隠すこともせず呆けた顔で棒立ちのままだ。


『攻撃用の魔術とはまったく違う恐ろしさ! これぞ障魔術か! やってくれましたヘルセル選手! どうですかニックくん、障魔術も捨てたものではないのでは?』

『……おっぱいが大きい』

『ここにきてある意味子供らしいコメントが出たぁ――ッ! それだけニックくんにも衝撃的だったということでしょう! ここからどう試合が進むのか、これは見ものです!』


「生物というのは、生まれてからずっと慣れ親しんだ肉体とともにある。自分でも気づかぬうち、その肉体にとって最適となる動かし方を理解し、実践しているものなのじゃ。つまり、肉体に急激な変化が訪れれば、いままでできていたようには己の力を発揮できるわけがないということ。貴様はもう神の子でもなんでもない」


 にい、とヘルセルは笑った。両手をゆっくりと前に出し、遥か先に立つドドンガに向けて指先を伸ばす。


「どう処分してやろうか」


 なんの前触れもなく、指先から小さな光が放たれた。


『ヘルセル選手の追撃が開始ぃ! 今度はいったいどんな魔術だぁ?』


 向かい来る光にドドンガは視線を向け、


「あー…………なるほど」


 うん、と言って、


「これあぶないのか」


 跳躍した。サイボーグのクリストに及ばぬ程度に、しかし高く、跳躍した。


『避けたぁ――! 今度は避けました、ドドンガ選手!』


 素足のまま固い大地に着地し、そしてその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「ふーん…………なるほどなあ……」

 両手をぶらぶらと揺らし、自分の体を眺めまわし、


「こんなかんじかあ。なんかこれがじゃまだけど」


 言いながら、胸を鷲掴みにし、


「ちょっとがまんだな。いたいのもがまん。オレはつよいからがまんができる!」


 うん、と頷いて動きを止めた。そして、


「それじゃあいくぞ!」


 再び、ヘルセル目掛けて突き進んだ。


『再度の正面突破だ!』


「馬鹿めぃ!」


 ヘルセルの指先からも迎撃の光が飛びだす。しかし、ドドンガは左右に跳んでそれを難なく躱す。


「なにッ?」


 足を止めないドドンガに、ヘルセルはなおも魔術の光を放つ。が、それも次々に躱し、ドドンガは徐々にヘルセルとの距離を詰めていく。


『なんとドドンガ選手、放たれた魔術をすべて避けている! こんなことが可能なのか!? これがフィジカルエリート、いや、フィジカルモンスターの為せる業か!?』


「そんな馬鹿なことがあるかッ!」


 叫んだのはヘルセルだ。


「天才だろうがなんだろうが、男から女になってしまった状態でそんな動きができるわけがない! 体のバランスは崩れ、無意識に行っていた微細な制御も通用しなくなっているはず! 歩く程度ならまだしも戦闘など――」

「ごちゃごちゃうるさいぞじじい」


 悪戯っぽい笑みを浮かべた大きな目をした女の顔が、老魔術師の手の届く位置まで接近した。


「しゃべらずにたたかおーぜ」


 にかっと笑うその顔目掛け、ヘルセルは魔術を放つ。が、気づけば女の顔は目の前から消えている。


「避け……た!?」

「こえー! それこんどはどうなるんだ? すぐシぬのか? いしになるか?」


 声を追って視線を移せば、またすぐにその姿は消えている。同じところに留まるわけがない。いまそれをするのは命知らずにも程があるというのはドドンガもわかっているのだ。そしてそれはヘルセルにも言えること。いま魔術の連発を止めればドドンガの拳は絶対に自分に到達する。ヘルセルはそれを理解していた。


『これは予想外の接近戦が始まりました! 迫りくるドドンガ選手を食い止めようと、ヘルセル選手が障魔術を連続でぶっ放す! こんな展開を誰が予想できたでしょうか!』


 ヘルセルにはもう試合前の落ち着きや余裕はなかった。ドドンガの攻めを真正面から受けて、自身の全力で以て抗わねばいけない。そんな状況に置かれている。

 初手に雌雄転換魔術を選んだのは間違いだったのか。ヘルセルは考える。部分石化や麻痺の障魔術を使用していればこんな事態にはならなかったのか。それとも、その状態でもドドンガはいまと同じように機敏な動きを見せて攻めてきたのだろうか。神より与えられた恵まれた体と野生により磨かれた身体能力を発揮して一撃でヘルセルを昏倒させたのだろうか。ヘルセルはまずどうすべきだったのか、それがわからない。


「わしはどうすれば――」


 声にまで出たヘルセルの懊悩は、自然と彼に隙を作らせる。何発目となるかわからない障魔術を放ったヘルセルの背後、


「ッしゃあ!」


 そのがら空きの首元目がけドドンガの蹴りが放たれた。集中力の欠けたヘルセルの目にいつまでも捉えられるほど、ドドンガの動きは遅くはない。

 声すら上げられず、ヘルセルは膝から崩れ落ちた。衝撃は全身を貫き、その一撃が試合を決する。


『ヘルセル選手ダウ――ンッ! いや、これは気絶しています! 完全に戦闘不能! ドドンガ選手、障魔術の嵐を掻い潜り一発の蹴りで勝負を決めた! 野生に生きた神の子は老獪なる魔術師を下しました!』


「へ? もうおわりか?」


 追撃をくらわせようとしていたドドンガは乱暴にローブを引っ張り、ヘルセルを仰向けに転がした。白目をむいた老人の顔を見下ろし、


「あっけねー」


 つまらなそうにそう呟く。


『一回戦第三試合はドドンガ選手の勝利です!』

『あのじじい弱すぎ。やっぱり無能だったね』

『敗者への酷評はともかく勝ったドドンガ選手はどうでしょうか?』

『すばしっこさが自慢っぽいけどあのぐらいならそんな珍しくないよ。僕なら簡単に当てられる。それに相手の一発目の攻撃をきちんと避けられない時点で戦いのセンスがないね』

『ニックくんはこう言っていますが、性別逆転の魔術を受けながらも見事に勝ちを収めたドドンガ選手には次の試合も期待したいところです!』


「よくやったぞー!」「次も女になってから戦ってくれ!」「ガッツポーズしろ! っていうか両手を上げろ! とにかく万歳しろ!」「そして俺たちによく見せろォ――ッ!」


 術者が気絶しても依然女性化したままのドドンガは、そんな観客たちの声に顔を上げ、


「ん? こうか?」


 言われるがまま拳を握り両手を高く掲げた。


「「「「「「やったぁ――――ッ!」」」」」」


『さて、観客の一部が異様な盛り上がりを見せていますが、そのノリについていけない観客のみなさんにも朗報です! ご存知の通り次の試合は正統派美男子と動物が登場! ここで目の保養をしていってください!』






「動物は動物でも愛玩動物じゃなくて猛獣じゃん」


 ねえ? と話を振るライの方を見ることもなく、コクエは第三試合が終わったばかりのフィールドを凝視していた。


「そんなにおっぱい見たいの……?」

「違うわ」


 即刻否定ののち、コクエは盛大なため息をつく。


「なぜドドンガの方が勝ったんだ。ここはヘルセルで確定だったはずなのに」

「あんたの見る目がなくて予想が外れたってだけのことじゃん。強い方が勝つのは当たり前だしどうせ二回戦で直接あたるわけじゃないしそんなに関係なくない?」

「戦いには相性というものがあるんだ。私はそれも踏まえて組み合わせを考えているのだから事はそう単純ではない。二回戦ではあっさり破れる可能性だってある」


 コクエの読みではドドンガと二回戦であたるのは魔剣士ギガだ。ヂゴクトーナメントは武器を持っているから有利になるなどというレベルの大会ではないが、それでも純粋な格闘のみと魔剣を用いた剣技とではどちらが有利かは明白である。ドドンガの俊敏さは接近戦が不得手なヘルセルには脅威だったが、他の出場者にとって同程度の脅威になるかは疑問である。


「でも、それが正しいとしていまからあれこれ言ってもどうしようもないよ。大会はもう始まってるし組み合わせもなにもかもいじりようはないんだから、なるようになるって諦めるのがいいでしょ」

「……それは正論だ」


 コクエもそんなことはわかっている。だが、予定が狂ったことへのショックは隠しきれないしそれを嘆きたい欲求だってある。


「愚痴を聞かされるよりはドヤ顔を見せられてる方がまだマシだね。耳を塞ぐのは面倒だけど、ドヤ顔はされても顔を背けてればいいだけだから」

「結構辛辣だよな、きみは」


 慰めや励ましをもらうつもりは毛頭ない。傷心は自分で癒すほかないのだ。そして、


「これ以上の狂いがないことを祈るか」


 ここまできたら、そうする以外にできることもない。

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