第8話 一回戦 第一試合
『選手の紹介も終えたところで、とうとう戦いの火蓋が切られます!』
ギョウキの言葉が終わるよりも早く、観客席から地鳴りのような歓声が上がった。
『皆さん試合開始前から例年以上の盛り上がり、ありがとうございます! これは今大会への期待感の表れか!? それとも昨年のようなクソ試合を見せるんじゃねえぞという牽制か!? ともあれこれより一回戦第一試合が始まります!』
再び歓声。一年間の鬱憤を晴らそうと、観客たちは自分で自分を盛り上げる。
『それでは選手に登場していただきましょう! まずは一人目、侵略する舞闘家アイン!』
ギョウキの呼び込みに応じ、エンマ宮下部の門からドレスで着飾った猫耳美女が姿を現した。
『この大会の紅一点、幼い頃より秘密機関にて戦闘訓練を受けていた舞闘家は、この試合で一体どのような舞いを見せてくれるのか!』
観客席からは指笛がいくつも鳴り、男どもが煩悩に塗れた言葉を浴びせかけた。アインはそれに応えることもなく、涼しい顔で前を見据えている。
『美女の登場に客席のテンションも一気に上がりましたねー。ニックくんの耳に入れちゃいけないような卑猥な単語が好き放題に飛び交ってますが、それはそれとして、ニックくんはアイン選手についてどう思われますか?』
『弱そう。だって魔法とか使えないんでしょ? 体を鍛えてもそれじゃ弱いままだよ』
『おぉーっと、いきなり辛口ですね。しかしわたくしこのコメントは意外と的を射ている気がします。アイン選手は暗殺者ですから、この大会のように正々堂々正面からぶつかるという状況では本領発揮は難しいでしょう。ここら辺が試合にどう響くのか注目ですね』
「いいからさっさと始めろ!」「あいつを呼べ! 早く死ぬところを見せろ!」
『おやおや、観客席からいきなりの罵声です。それでは彼女の対戦相手を呼びましょうか。皆さん、声を出す準備はできてますか? 彼、呼んじゃいますよ?――獄卒コクエ!』
名前を呼ばれコクエがフィールド内に現れたその瞬間、
「死ねぇ――――ッ!」「くたばれクソ鬼!」「ぶっ殺されろ! いや、むしろ俺が殺す! こっち来いやコラ!」「相手に女選んでんじゃねえよスケベ野郎が!」「武器持つな! 素手でやれ素手で!」「なにはなくとも死ね!」
観客席から今日暫定一位の大音量で怒声が上がった。
『いやいや毎年恒例の光景が見られてわたくしも大満足です。これぞヂゴクトーナメント。まさにヂゴクトーナメントの風物詩というやつですね』
『あいつの方が弱そう。っていうか弱い』
『ニックくんもフライングでコメントですか。やはり獄卒を恨んでいない亡者などいないということですね。当たりが強い! いやー、いち獄卒であるわたくしもニックくんがもしその服装だけでなく枷や禁能まで解除されていたらこうやって席を並べていたくはありません。一瞬で殺されちゃいますからね』
あっはっは、というギョウキの笑い声をコクエは落ち着いた心持ちで聞いていた。罵声は獄卒ならば毎回お馴染みの風物詩。この大会を何度となく観戦しているコクエがそれで心を乱されることはない。それに、この反応はコクエの望むところだ。ヒールに徹する。それがコクエの目的なのだ。
だから、
「おい、うるさいぞ亡者ども! 年に一度のイベントだからといって粋がるな! 分をわきまえて、仲間の亡者が私に敗れるところを大人しく見ているんだな!」
これぐらいが丁度いい。
「「「「「「「「「「なんだとてめえぇッ!」」」」」」」」」」
大合唱。練習でもしたのかというぐらいに揃った怒りの声が間髪入れず返ってくる。
続く罵声を浴びながら、コクエは悠々とフィールドの中央へと進んだ。視線の先には、すでに対戦相手のアインがいる。コクエは彼女と向かい合うように立ち、そして口を開く。
「ヂゴクにいればわかっていると思うが、ここで男女の区別はないからな。加減をすることは一切ないので、どんな結果になろうと恨まんでくれよ?」
「へえ……」
アインの口に、薄く笑みが浮かんだ。
「そんな間の抜けたことを言う余裕があるとは思わなかったわ。獄卒風情がこの大会で亡者に勝てると思っているのかしら」
言いながら、彼女は両の手を軽く上げる。そこには亡者の証ともいえる枷はない。
「そんな常識があるかどうかはともかく、きみと戦うことを選んだのは私だ。獄卒が相手ということでぬか喜びさせてしまったのならすまないが、私はこの大会で優勝するつもりでね」
彼女に勝つことは決して難しいことではない。コクエには不安はなかった。まずは一勝。アインには少しばかり恥ずかしい思いをさせてしまうことになるが、コクエとて聖人君子ではない。目的達成のためには他者の犠牲すらいとわない。
「本当にそうなればいいけど」
そう言って、アインはなおも笑う。彼女もまた自分の勝利を信じている。これ以上は言葉を交わす必要もない。戦いが始まればおのずと結果はわかるのだ。
『それでは、ぶちギレた観客の皆さんが暴れ出す前にさっさと試合を始めましょう。ヂゴクトーナメント一回戦第一試合、侵略する舞闘家アイン対獄卒コクエ。ふたりとも準備はいいでしょうか? それでは――』
と一度大きく息を吸い、
『試合開始!』
瞬時に、アインが動いた。
コクエの眼前に飛び込み、放ったのは蹴り。身をのけぞらせたコクエの目の前を、尖ったヒールが水平に薙いでいく。
「あら、これくらいなら避けられるのね?」
「そんな格好のわりに素早く動けるものだな」
「慣れてるもの」
蹴りの勢いをそのままに、アインはその場で回転する。ドレスの裾を広げながら、次いで拳が放たれる。
コクエはすぐさま金棒を捨てた。空いた両手で拳を払い、攻撃を防ぐ。武器を持っていれば不利になる。それは事前にニンザブロウとの模擬戦闘との段階で想定していたことだ。手数が多く暗器を使う相手に対して、金棒を手にしていることは防御の遅れを招く。
『さあ、先制攻撃からのラッシュラッシュラッシュ! アイン選手が連打を浴びせる!』
アインの攻撃は続いている。コクエが攻撃を防ぎ避けても、そこからさらに次の攻撃へと繋げる。無駄のない動き。コクエは現世の映像で何度も繰り返し見た。舞うような戦い。それはすべてが連続する攻撃であり、リズムがある。
「練習の通りだ」
微かに呟く。アインの攻撃のパターンはしっかり頭に入っている。刑場での監視の職務中に『エン崇団』の勧誘活動を我慢してひたすら脳内でイメージトレーニングをした賜物だ。彼女に負けることはない。数度拳を交わしただけで、コクエはそうやはり確信する。
攻撃のリズムは把握できている。コクエはアインの拳を逸らせ、その腕を掴んだ。
「まず一発」
リズムの乱れた隙、そこで拳を叩きこんだ。腹に一撃をくらったアインは大きく飛び退く。
「先制打はこちらだったな」
会場に、どよめきが生まれた。
『なんと、先に攻撃を通したのはコクエ選手だぁ――ッ!』
「このまますぐに終わらせる。私にはあと二回試合が残っているからな」
すぐとは言っても、もちろん例のハプニングは忘れていない。獄卒が一回戦突破というだけでもインパクトはあるが、観客が満足感を覚える要因は少しでも多い方がいい。
次は打撃の後に投げを仕掛けて、それで服を剥ぎ取ってしまおう。コクエはそう考えた。攻撃のリズムを正確に捉えたら、それはさほど難しいことでもないはずだ。
コクエは動いた。腹を押さえながらも構えを取るアインに向かって、真っ直ぐに突き進む。
その時、正面に捉えた彼女の顔に再び笑みが浮かんだのをコクエは見止めた。
「そううまくいくかしら」
そう言った彼女の顔面に容赦なく突き出されたコクエの拳は、しかし空を切った。視界の端でドレスの裾が翻る。一瞬にして、ほぼ真後ろに移動された。
「早ッ……?」
慌てて体の向きを変えれば、彼女の姿を確認するよりも早く顔に衝撃が走る。蹴りが入った。遠ざかっていくヒールを見て、それを理解する。体勢が崩れたところで、次に襲ってくるのは拳だった。連打。先ほど同様に連打が始まる。
「ぐぅッ……」
『今度はアイン選手の蹴りが命中! さらに再びのラッシュだ!』
蹴りこそ入ったものの、コクエは続く連撃をすべて防ぎ切っていた。予想外のスピードでの移動に面食らったが、連撃の方はどうということはない。リズムさえわかれば大丈夫だと、コクエは微かな焦りに襲われた気持ちを落ち着かせる。
しかし、それは間違いだった。
アインの拳が、コクエの防御をすり抜ける。
「ぐッ!?」
『さらにヒット!』
リズムが違う。コクエはアインの攻撃を先読みし、正確な順序で防御をしていた。いまの拳がコクエに届くことはないはずだった。しかし実際にはそうなっていない。
コクエは困惑していた。いま目の前でアインが放ってくる攻撃は、コクエの知るどのリズムでもない。初めて見るものだった。
『アイン選手の連打にコクエ選手は防戦一方だ――ッ! やはりこれが獄卒と亡者の差なのか? 獄卒は観客たちの要望通りに惨めな死に様を提供するだけなのかぁ――ッ?』
アインに隠し玉があったのか。そんな可能性が頭をよぎったが、現世での彼女を見る限りこんな攻撃パターンはなかった。死後にヂゴクで編み出したとしても、ニンザブロウがその情報を見逃してしまうことは考えられない。
頭を回転させながらも、コクエは必死に攻撃を防いだ。落ち着いて見れば、アインの攻撃はもはや舞とも言えない動きになっている。腕や脚で空中に曲線を引くような円を描く動きから、直線的かつタメを含んだ独特な間を取る動きに変わっている。リズムがどうという問題ではない。言ってしまえば流派や型と呼ばれるようなもの自体が変わったと思えた。
ただ、コクエはその動きをどこかで見た覚えがあった。現世の映像で見たことはない。そう断言できるはずなのだが、しかしどこかで見たはずだ。
「大口を叩いた割にはつらそうだけど、大丈夫かしら?」
アインの笑みは一層濃くなっている。一方のコクエの顔からはそんな表情は消え去っていた。
「一回戦の相手にわざわざわたしを選んだこと、後悔させてあげるわ」
攻撃の速度が上がった。動きはもう関係ない。純粋な速度の違い。アインの最速の一撃は、コクエの反射神経を超えたものだった。防御など、できるわけがない。
「…………ッ!」
ヒールが腹にめり込んだ。コクエの体は後方に吹っ飛び、地面の上を転がった。
『ダウン! コクエ選手ここでダウンです! 勝敗はどちらかが死ぬか棄権するかでないと決まりませんが、これは手痛いダメージでしょう! コクエ選手に起死回生の手はあるのでしょうか!?』
まるで刺し貫かれたような痛みが走る腹を押さえながら、コクエは身を起こす。いまの一撃で、コクエに衝撃が走った。ダメージの話ではない。頭に、衝撃が走った。
いまのアインの動きは、確かにいままでに目にしたことのある動きだった。それがどこで見た誰のものなのか、答えがわかったのだ。
「突拍子もない答えだが、理屈は通る」
アインは追撃をする様子もなく悠々とコクエの方に歩いてくる。彼女を睨みつけながら、コクエは立ち上がって構えた。戦意は当然失われていない。そしてそれ以上に、いまコクエの中にはふつふつとした怒りがあった。
「そんなに睨まないでよ。怖いじゃない」
「おまえ、どういうつもりだ?」
かろうじて相手に届く程度の小さな声で、問うた。観客たちに声を聞かれるのはまずい。
「なにがかしら?」
「理由如何によっては、どんな処罰が待っているのか私にもわからないぞ」
「だからなんの話?」
眉を顰めて首を傾げるアインに、
「なにって――」
「あッ、もしかして――」
無言で、コクエはアインに飛びかかった。一気に距離を詰め、そのイラつく笑顔にぐいっと顔を寄せて、押し殺した声を出す。
「おまえ、ニンザブロウだろ……!」
「あら、ばれたでござるか?」
フィールド上で、ふたりはがっしりと組み合った。
『いままでの連撃から一転、組み技へ移行か!? 両選手、一体どんな技を見せてくれるのでしょうか!』
「その動き、どう見ても特訓中におまえがしてた動きだろうが……!」
大声を出したい衝動を必死に抑え、観客に届かないよう小声で言う。どこかで見たことがあると思ったアインの攻撃は、一か月ほど前からやっていた戦闘訓練の時のニンザブロウの動きそのものだったのだ。
「よくわかったでござるな。拙者、コクエ殿のことを少々甘く見ていたようでござるよ」
アインの顔で、表情で、声で、しかし聞き慣れたニンザブロウの口調でそんな返答を寄越してくる。
「しかしその姿はどういうことだ? 枷はどうした? そもそもどうやってエンマ宮の中に入った?」
「エンマ宮への侵入自体はいままでにも何度もやっているしそれほど難しくもないでござるよ。そして、この姿は拙者の変化の術によるものでござる。コクエ殿も拙者の資料を読んだ時に知っているはずでござるが、顔も声も体も対象を完全に写し取る超便利な術でござる。動きは自分で真似ねばならんでござるが、外見は完全にトレースしているでござるから見分けるのはほぼ不可能。禁能認定されているので使うのは久々でござったが、上手くいって良かったでござるよ」
問い質すコクエに対し、ケロッとした様子でぺらぺらと答える。
いまアインの肩や腕に触れているコクエの手には、人間の女性の体の感触しかない。首や腕は明らかにニンザブロウの元のパーツよりも細いが、禁能に設定されるほどの特殊な術はそれすらを可能にするということだろう。
「禁能の解除と、あと枷を外してもらったのは通常の行程を経ただけでござる。要は、そこの建物の中で係の獄卒にやってもらっただけでござるな」
「そんなことは無理なはずだ。なんでただの亡者であるおまえに指示されるままあいつらがそんなことをする?」
「そこはちょっとお願いすれば簡単でござるよ。色気を使ったりして」
「色気だと……?」
「そもそも、コクエ殿はなぜ拙者が禁能の変化の術を使ってまでこの場に立っているのかわかっているでござるか?」
唐突に、ニンザブロウの方が訊いてきた。
「それは…………おまえがアインの振りをしてわざと負ければ私が安全に私が勝ち上がれ、試合も盛り上げることができるから…………なんてことはないだろうな。ならばトーナメントの賞品である現世での生活を狙って、アインに成りすまして優勝をかっさらう気だったとか」
「おしいけど違うでござるな。正解は、アイン殿に頼まれて彼女の代わりに戦い優勝をかっさらってそのご褒美をアイン殿から貰うため、でござる」
「……そのご褒美とは?」
「アイン殿の体でござる!」
「性欲かぁ――――ッ!」
叫びながら、コクエは思わずニンザブロウを投げ飛ばす。ドレスがふわりと花びらのように舞い、そして地面に落下。
『何事か喚きながらコクエ選手がアイン選手を投げたぁッ! 力比べでは鬼のコクエ選手に分があるかぁ!?』
受け身を取ったのか、ニンザブロウはダメージも感じさせず素早く起き上がる。
「拙者、先日の会議のあとにアイン殿を調査し続ける中でそんな申し出を受けたのでござる。曰く、代わりに戦い優勝することができたなら自分の体を好きにしていいと。そんな申し出を断る男がどこにいるでござるか!」
「調査がばれていたことをしれっとカミングアウトするな! おまえは一流の諜報員じゃないのか!」
「どちらかといえば暗殺の方が得意でござる」
「開き直るな!」
「現世の姿を取り戻したアイン殿の色仕掛けという尽力もあって、拙者の枷は外れ禁呪も解除されこうしてこの場でコクエ殿と戦っているでござる。このトーナメント、コクエ殿が優勝するために作られたものであるということは、それはつまりコクエ殿の一回戦の相手であるアイン殿もまた優勝に最も近い有利な位置にいるということでござる。拙者がここでコクエ殿を倒せば苦心せずに優勝を手にできるということ」
「それもあってアインの申し出にホイホイ乗ったということか。……まさか、本当はそれに気づいておまえの方からアインに替玉の件を持ちかけたんじゃないだろうな? おまえの調査がアインにばれたと考えるよりもその方が自然で――」
「拙者を見縊ってもらっては困るでござる! 自分からそんな裏切りを思いつくような卑劣漢ではござらぬ!」
「でも結局裏切ってるだろ!」
「然り!」
『両選手、なにか喋っているようですがこちらには聞こえてきませんね。表情を見る限りはコクエ選手の方が怒りをぶつけている気がしますが』
「なに見合ってんだ! さっさと殴り合え!」「こっちは口喧嘩見に来たんじゃねえぞ!」
ほんの少しの間言葉を交わしていただけなのに、観客の中にはブーイングを上げ始めそうな雰囲気すら出てきている。
「とにかく、おまえがアインの代わりに立ちはだかるというのなら私はおまえを倒す。それだけだ」
「それだけと簡単に言うでござるが、コクエ殿にそれが可能だと本気で思っているでござるか? 枷があるのならいざ知らず、いまの拙者にコクエ殿が勝てると?」
「なんだと?」
「アイン殿の姿をとっている手前、拙者は忍術の類は使えぬし肉体もそれ専用に鍛えたものではないでござるが、拙者には現世で身につけていた戦闘の技術がありコクエ殿の戦い方もすでに頭の中に入っている状態。この条件で、コクエ殿は拙者に勝てるでござるか?」
自分がコクエよりも圧倒的に格上であるという宣言。それは挑発ではなかった。ニンザブロウの冷静な判断に基づいた事実でしかない。コクエはそれに反論することはせず、
「私は、おまえがアインではない別人の亡者だとギョウキに訴えることもできるんだぞ」
「それはできぬでござろう。そうすればコクエ殿は相手の反則により不戦勝。勝ちを得ることができるものの、しかしその一方でこの試合を観ている観客たちやエンマ様に期待外れと思わせるというリスクがある。初戦からそんな調子でこの大会の盛り上がりに水を差すのは得策ではないのでは?」
「なるほど。よくわかってるじゃないか」
「伊達にコクエ殿と一緒にトーナメント戦の勉強をしておらんでござるよ」
すべてはニンザブロウの言う通りだ。替玉という反則を告発すれば勝利を得られるが場がしらけることは確実。そしてニンザブロウの言う通り真正面から戦えば勝率が高いのはニンザブロウの方である。
「コクエ殿にはここで敗退してもらうでござる。多少心が痛むでござるが」
そう言ってニンザブロウは一瞬にしてコクエとの間合いを詰め、
「それ絶対に嘘だろ!」
叫ぶコクエに向かって全力の攻撃を開始した。心が痛んでいる人間の放てる威力ではない攻撃に、コクエは心の中で舌打ちをしながら必死に防御に回る。
『仕掛けたのはアイン選手! 本日三度目となる連撃の開始だぁ!』
再度防戦一方になるコクエ。
このまままともに戦っていては駄目だと、コクエはすぐにそう判断した。負けるから、ではない。コクエとて意地があるし正面からぶつかってもニンザブロウに勝ってやろうというぐらいの気概はある。だが、その場合派手さも見所もない長期戦が繰り広げられた挙句に大幅に体力を消耗したうえでどうにか勝利をもぎ取るという、望むものとはかけ離れた展開になることが確実だ。観客の満足のためには、最低限さっさと試合を終わらせる必要がある。
当初予定していたお色気ハプニングは最早望めず、ヒールである獄卒が劣勢に追い込まれるというシーンも意図しないながら作ることができた。ここらで勝敗を決っしてしまうのが最善。
「こうなったら、奥の手を出させてもらうぞ」
「奥の手? 拙者の知る限りそんなものはないはずでござるが。獄卒には隠された力でも眠っているでござるか?」
「そんな便利なものはない。私は亡者の監視ぐらいしかできないしがない獄卒だ。だから――」
コクエは大きく後ろに飛び退き、ニンザブロウから距離を取った。そしてツナギのポケットに手を突っ込み、
「他人の力を当てにする」
そこからメモ帳ほどのサイズの小さな紙の束を取りだす。
『おっとぉ? コクエ選手、なにやら紙を取りだしました。あれはなんでしょうか? 攻撃に用いるものでしょうか? しかし魔術師の類ならいざ知らず、我々獄卒の中でそんなものを扱える者など、わたくし聞いたことがありません』
「これは、絵だ!」
コクエは実況の声に応えるように、そしてフィールドの周囲に設置された集音装置に届くように大声で言った。
「ここに描かれているのは、宮廷画家ライによるこの舞闘家アインの裸婦だ!」
「「「「「「なにぃ――――ッ?」」」」」」
ニンザブロウの声に、会場全体から発せられた声が重なった。
『なんとなんと! コクエ選手、対戦相手の裸婦画を持ち出すという前代未聞の行動に出ました!』
「自分ではしたこともないいろいろな衣装やいろいろなポーズであーんな所やこーんな所が描かれているこの絵をばら撒かれたくないのならなにをすればいいか。言わなくともわかるな?」
『そして脅迫! これは卑怯だ! コクエ選手、ここでとんでもないクズっぷりを見せてきました! 劣勢になった途端にこんな手を使ってくるとは、マッチングの時点でもしもの時はこうしようと考えていたのでしょうか!? 卑劣極まりない!』
そんなギョウキの実況とともに、観客たちは観客たちでいままで以上の罵声をコクエに向かって浴びせ始める。
「正々堂々やれや!」「潔く死ね!」「女の敵!」「獄卒の面汚し!」「……でも、絵だから別にどうでもよくね? 写真じゃないわけだし」「あのチラシのレベルだったらほぼ写真と同じだろ。現世での全裸の映像は獄卒どもならいくらでも見られるはずだし、こりゃ実質写真だ」「絵だろうが写真だろうが俺は欲しい! くれ! ばらまけ! そしてその後で死ね!」
「い、一体どういうことでござるかコクエ殿」
観客たちの声にかき消されそうな小さな声で、ニンザブロウは困惑した様子でそう訊ねる。
「どうもこうもない。いま言った通りだ。私のこの手にあるのはライ直筆のアインの裸婦画。ニンザブロウ、おまえはこれが欲しくはないか?」
「なッ……!?」
ニンザブロウの体はびくりと震える。
「おまえがこの勝負を捨てるのならこれはすべておまえにくれてやろう。ライの描いたものだからな。クオリティは保証するぞ」
「そ、そんな誘惑には負けぬでござるよ。所詮それは絵。実物には勝てぬでござる。拙者が優勝した暁には、そんなぺらぺらで見て楽しむことしかできないものではなく、現実にそこに存在して好きなだけ触れることのできるアイン殿との絵にも描けないようなあれやこれやを楽しめるのでござる!」
「甘いな、ニンザブロウ。ライの絵の実力は知っているだろう? やろうと思えば写真と見紛うほどの精緻な絵も描ける彼女が本気を出したんだぞ。絵にも描けないなんて安直な表現で自分を誤魔化さず、絵でしか描けないような魅惑の姿を見たいという素直な欲求に従えばいいじゃあないか」
「う……しかし……」
ニンザブロウは歯を噛み締め、唸った。
『アイン選手、苦悶の表情! クズ獄卒の卑劣な作戦を前に、その美しい顔を歪めております! しかしなんでもありとはいえこれはルール上問題ないのでしょうか!? 野次の飛びようも凄まじいので、ちょっと上にお伺いを立てて見ますが……』
そう言って、ギョウキはエンマの観戦席に視線を向ける。そこには、両手で大きな丸を作ったエンマの姿があった。
『問題なし! なんでもありと言っているのだからなんでもありということです! 文句がある観客の方たちはコクエ選手に不満をぶつけるなり大会の後で闇討ちするなりで気分を晴らしていただければ万々歳! ――ところで、解説のニックくんはこの作戦どう思われますか?』
『裸の絵なんていくら配られても全然平気だよ。脅迫になってない』
『裸を気にしないとは、ある意味なかなか子供らしいコメントですねー。でも、自分の裸なんて他の人に見られたら恥ずかしいと思いませんか?』
『僕の裸はきれいだから恥ずかしいなんて全然思わない』
『まさかのナルシストォ! さて、ニックくんの意外な一面も知れたところで試合の方に集中して参りましょう!』
「さあどうする、アイン!」
「拙者は…………い、いや……わたしは――わたしはそんなものには屈しないわ!」
そう言い放ち、ニンザブロウはコクエに向かって飛びかかる。
『アイン選手、気丈にも戦闘を続行!』
「そうか。それは残念だ!」
コクエも前へ飛びだし、その手にあった紙を地面へと投げ捨てた。
「あッ…………!」
その紙を追って、コクエに向いていたニンザブロウの視線はすいーっと逸れていく。
「隙ありぃ!」
「がはぁッ!?」
完全に明後日の方向を向いたニンザブロウの顔面にコクエの鉄拳がぶちかまされた。ニンザブロウの体はすっ飛び、ごろごろと地面を転がったのち、
「ぐ……ふ」
止まった。
「男女平等、だな。最初に言っていた通り加減なしでやらせてもらったぞ」
『決まったぁ――ッ! コクエ選手の容赦のない顔面パンチがアイン選手にクリーンヒット! アイン選手は完全に動きが止まったぁ!』
「クズすぎんぞクソ獄卒――ッ!」「オレが殺してやる!」「アインちゃ~ん、慰めてあげるから僕の所においで~」「獄卒、もっとやれ! 血が出るまでやれ!」
『絵に気を取られた隙をついての顔面パンチには非難轟々! 一部、この展開を喜んでいる観客の姿もあるようですが、そこはあまり触れずにおきましょう!』
「こ……こんな形で負けるとは……」
ニンザブロウは虚ろな様子でそう呟いた。無防備な状態での一撃が効いているのか誘惑を拒否すると堂々と突っぱねた直後に体の方が正直に反応してしまったことが精神的に堪えているのか、ニンザブロウには戦う意志がもう見られなかった。呆気ない幕切れである。
「性欲によって裏切り、性欲によって敗れる。ある意味対戦の組み合わせとしては綺麗な展開だったな。私とおまえ以外、観客たちは知りようもないことだが」
言って、コクエは踵を返した。一時肝を冷やしたものの、終わってみれば大した怪我もなく完勝。
「私の勝ちだ!」
コクエは拳を突き上げ、そう宣言した。
『コクエ選手、勝利宣言。アイン選手は……これはもう戦闘続行の意志はなさそうです。ここで勝負あり! 一回戦第一試合は、獄卒コクエの勝利!』
決着の宣言と同時に、会場からはブーイングの嵐。大会の紅一点が一回戦で消えてしまうこと、獄卒が勝ち上がったこと、卑怯な手を使ったこと、顔面に容赦ない攻撃を加えたこと、様々な要因がコクエへのヘイトになっていた。
これもまた、予定通りだ。予想していたよりもひどいヒールっぷりになっているが、とにかく予定通りではあるとコクエは思っていた。ニンザブロウの裏切りには面食らったし意図していたものとは違う方向で観客たちがヒートアップしているが、とにかく勝ったのだから。
まずは一勝。あと二回勝てばそれでもう優勝だ。その二回の勝利という壁が果てしなく高く分厚いものであるという事実を頭の片隅に追いやりながら、次の試合へと思いを馳せる。ああいった“飛び道具”も次以降は使えない。コクエは地面に散らばった表裏ともに真っ白な紙を一瞥し、フィールドを後にした。
「下衆いねえ……」
「少し話を聞いてくれてもいいのではないだろうか」
選手控室に戻るなりそんな台詞をしみじみとした様子で吐かれたコクエは、事の一部始終をライに説明した。
「――というわけで、あれの中身がニンザブロウだとわからないから傍目には殊更下衆なように見えてしまったかもしれないが、私としては最善の手を打ったに過ぎないわけだ」
「でも本物の猫娘が相手でもどっちみち脅す作戦は考えてたんでしょ?」
「うぐ……」
そう言われるとコクエもつらいものがある。
「どうしようもなかった場合はな。ただ、ニンザブロウに対しては諸々の理由から効果があったが、あれがアイン本人だったら隙を作ることもそのために怒らせたり動揺させたりすることもできずに終わっていた気はするが」
「相手は暗殺者だし、そこら辺を歩いてる一般人を連れてきたわけでもないもんね」
「そんな小細工に頼りたくなるぐらいに不安感が大きいのだから仕方がない」
「コクエは弱いもんねー。それでも、取りあえずは勝てたからよかったんじゃない?」
紙に向かいなにやら落書きをしながらライは言った。一回戦は無事に終えた。いまは一回戦の反省をする時ではなく次の二回戦に目を向けなければならない。
「次の試合はブロアンとクリストか」
悪逆の王と正義に燃えるサイボーグ。コクエの予想ではここで勝利するのはサイボーグであるクリストだ。
「私には千の精霊兵を打ち負かす手段はないから、ここはクリストに勝ってもらわねば困る」
「サイボーグに勝てる手段もなさそうだけどね」
「そうでもないさ」
予定通りに事が運べば、二回戦のコクエの勝利は揺るがない。コクエはそう信じて観覧場へと向かった。
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