第7話 ヂゴクトーナメント 開会

 エンマ宮の裏手に、とある世界の古代の闘技場群を模した建造物がある。それはヂゴクトーナメントのためだけに造られた専用の舞台で、年に一度だけ機能する贅沢な代物である。エンマ宮の背後に寄り添うような形で増築されたエンマ専用の観戦席や選手控室が設けられた石造りの建物があり、その左右から伸びた観客席は大きな楕円を描く。その観客席に囲まれた円形の台地――通称フィールドが選手たちの戦いの場だ。

 吹きさらしの台地に身を隠せるような遮蔽物はなく、戦闘を有利に勧められるようなギミックの類もない。選手たちは向かい合う対戦相手と、己の力のみを用いた真っ向からのぶつかり合いを余儀なくされるのである。枷も外れ禁能も解除された亡者たちの戦いは熾烈を極め、その規模が闘技場内で納まらない規模になることだってままある。そのため、選手たちが戦うフィールドと観客席の間にはあらゆる物質を通さない透明な膜でできた球体型の全面バリアが施されている。これは、観客席にフィールド内での攻撃の余波や流れ弾が届かぬよう、また闘技場よりはるか上空での空中戦にならぬよう、そして観客席からよからぬものが投げ込まれて出場者たちが外野からの一発KOでのされて場をしらけさせることがないようにするためである。

 一年のうち九割以上が無人であるこの馬鹿デカい建造物は、たった一日だけヂゴクで一番の活気を見せる場となる。

 組み合わせ会議から約二週間が経ち、今年もまた今日のこの日のヂゴク闘技場の観客席は大勢の亡者たちで埋め尽くされていた。


『さあッ、今年もやって参りました! 皆さんお待ちかねのあのイベントが!』


 観客席の一角に作られた異様に分厚い壁の真四角の小部屋の中で、顔の半分を占めるほどに巨大な単眼が特徴的な一人の青鬼が、マイクを握り声を張り上げる。小部屋の外側と闘技場内に点々と設置されたスピーカーたちが震え、その声を観客席へと放つ。


『一年に一度の戦闘の祭典! この日を誰もが待っていた! この平坦すぎて特別も変化も無縁なヂゴクにおいて唯一のストレス発散無礼講! 現世に舞い戻れるチャンス! ムカつくやつを殴れるチャンス! ウザい獄卒を殺すチャンス! そんなシーンを安全圏から見られるチャァ――ンス! ヂゴクトーナメントの開催です!』


 煽る台詞に、観客席から野太い歓声が次々上がる。客席を埋めるのは枷を嵌め薄汚い格好をした亡者たちだが、その顔には刑場ではまず見られない生気が宿っていた。


『本日も司会であり実況であり審判までも務めるのは、このわたくしギョウキであります! この一つ目にかけて、どんな場面も見逃さず、この闘技場で起きるすべてを皆さんにお伝えいたしましょう! 本日も優勝者が決まるその瞬間まで、いまのこの熱量でもってしばしお付き合い願います!』


 そんな調子で開幕からテンションマックスのギョウキの横で、一人の小柄な少年が顔をしかめていた。


『さて、本日わたくしの隣に座っているのは今回の試合の解説者、前回大会の優勝者であるニックくんでーす!』

『うるさい。もっと声小さくしてよ』


 ぶかぶかのローブを着た可愛らしい顔立ちをしたニック少年は、その顔に似合わぬ辛辣な物言いをする。


『ご存知の方も多いと思いますが、ニックくんは十歳という若さで前回のヂゴクトーナメントで優勝を果たす実力派。母親の胎内にいる時から両親によって禁呪を施され生まれながらに大魔法使いになり、実験という名目で両親に命じられるまま優秀な魔法使いたちを殺して回り、最終的に家族そろって返り討ちにあったという経歴を持つような実力派であります! なにせ獄役八百六十年! あの高威力の魔法の数々、いまでも記憶に新しいですねえ!』

『前の大会はなんかあんまり面白くなかったって、ぼくは周りの人とかから聞いたけど』

『その評価はまあ致し方ありませんよニックくん。なにせニックくんの魔法は大爆発起こしたり竜巻やら雷撃起こしたりで派手すぎて相手はなにもできないままいつの間にか死んでるわ観客席からは爆炎やら砂埃やら光やらでまともに試合の様子が見えないわで散々でしたから。決勝にいたっては、相手は実力者同士で潰しあいした末に勝ち上がってきていてもう疲労困憊だし、ニックくんも魔力の使い過ぎで比較的しょぼい魔法しか使えないしでこれまた盛り上がりに欠けるという残念な仕上がりですからね』

『そんな残念だったら、今日はぼくここに呼ばれなくてもよかったんじゃないの? 武術とかよくわかんないし解説は誰か他の人でいいよ』

『そうはいきませんよ。前回優勝者が解説者になるのは毎年恒例のことなんですから。どうせ毎回解説者が解説することなんてないんですから、下手な俺様自己流理論をふりまかれると観客の皆さんも殺意に突き動かされる可能性もありますが、ニックくんは試合見ながら適当に好き勝手言っておけばいいんですよ』

『そこまで言うなら別にいいけど…………』

『さーて、ニックくんにも納得いってもらったところで選手の紹介でも始めましょうか!』

『声がうるさい』

『ではちょっと声のトーンを落としていきましょう。その代わり観客の皆さん、わたくしの代わりにどうぞ盛り上がっちゃってください。あなたの知り合いの選手がいたら歓声上げちゃってください。知らなくても雄叫びぐらい上げちゃってください。獄卒には死ねのコールをあげてください。――それではいきましょう。まずはエントリーナンバー一、復讐の魔剣士ギガ!』


 ギョウキが名前を叫ぶと同時、フィールドの上空にギガの巨大な全身像が映し出された。






「始まったな」


 選手控室からせり出した小さなバルコニー型の観覧席に立ち、まだ誰もいないフィールドを見下ろしてコクエは言う。空には出場者の姿が映し出され、簡単な経歴や能力の説明がギョウキの口からされている。


「始まったねえ」


 控室の中にあるのは大きな机が一つに椅子が四脚、それから簡易ベッドも一つ。その無駄に四脚も揃えてある椅子の一つに座り、ライはペンを握ったままオウム返しに言った。机の上に無造作に広げられた紙は落書きがされているものと白紙のものとが半々。


「観客は満員御礼。きみの書いたチラシの効果があったみたいだな。ギョウキも喉とノリの調子は良さそうだし例年通り実況で盛り上げてくれるだろう」

「本当にチラシに集客効果があったんなら腕を振るった甲斐があるけどね。あれはエンマ様も気に入ってくれたみたいだし」


 ライが製作したチラシはコクエの最終チェックを終えた後、配布する前にすぐさまエンマの元へ届けられた。それを見たエンマの第一声は、今年はやはり面白そうじゃの、だった。トーナメントの組み合わせ自体は会議終了後にコクエが報告を上げていたのだが、チラシを見て改めてそんな感想を得たのである。もちろんそれにはライのデザインや絵の力が一役買っているのは言うまでもない。期待感を煽る広告はイベントには必須だ。


「そうなると、あとはあんたが予定通りに優勝すれば万々歳ってわけだ」

「先ほどエンマ様にお会いしてそれを再度宣言してきたところだ。私はロクミョウを追いやって補佐官の座を手に入れてみせるとな」


 エンマとロクミョウは選手控室の上階にある観戦席で試合の開始を待っていた。優勝して補佐官になることを宣言したコクエに対し、楽しみに待っているとエンマは言った。その顔に表れていた期待の感情は本心からのものだ。獄卒が優勝するという観客たちが誰一人予想もしていないような大番狂わせが起きることを、エンマは心の底から期待している。


「その歴史的瞬間を、きみはぜひここで見ていてくれ」


 そう言ったコクエの背中を、ライは訝しげな顔で見た。


「それってなんで? 呼ばれた時から気になってたんだけどさ、わたしは言われた仕事は全部こなしたわけだしこうしていま選手控室に入れてもらう理由は特にないと思ってるんだけど」

「いや、きみがせっかくの休日が潰れてしまうのが嫌だと言うなら別に無理していてもらおうとは思わん。獄卒でこの大会に興味がある者などほとんどいないしな」


 目を皿のようにして探しても獄卒の姿など見つけきれないぐらいに亡者で埋め尽くされた観客席から目を離し、コクエは顔を振り向かせてそう言った。


「わたしだって本当に獄卒がこの大会で優勝するっていうなら興味ぐらいあるよ。しかもわたしはあんたがそのための組み合わせを考えている場に居合わせて口も出したわけだし、いていいんならここで試合を観戦するのに文句はない。ただ、わざわざ呼んだ理由が気になるだけ」

「なに、理由なんて簡単だ。私も自分の立てた計画ががちっとハマってくれるのか心配半分期待半分といったところなんだ。一人で黙って見ているのは不安だし、上手くいったらそれを誰かに自慢したいという気持ちもある」

「そのために呼んだの?」

「さすがに亡者のニンザブロウをここに入れるのは無理だからな」


 選手控室のあるこの建物は、選手の枷や禁能の解除を行う施設や闘技場内の観客席保護バリアを操作する装置もあり、選手でもない亡者が入っていい場所ではない。


「いまこの建物内にいる獄卒はエンマ様のお気に入り――もといエンマ様の信奉者ばかりだからな。いくら協力者とはいえ亡者の立ち入りなど許されるわけもない。特に、あの連中は『エンマ様崇拝団』の団長である私をよく思っていないだろうからな」

「同族嫌悪じゃん」

「同族じゃあない! 『エン崇団』はあくまでエンマ様をヂゴクを統べる唯一無二の存在として崇拝しているだけであり、個人的な好意を向けているわけでもなく単なるファンでもないのだ! 団結成初期の頃にやつらを勧誘した時、私にはよぉくわかった。私はその時にやつらから浴びせられた罵声を決して忘れんぞ」

「ふーん。よくわかんないや」


 熱弁はあっさりと受け流されるが、コクエもライのそんな反応にはだいぶ慣れていた。共感を得られない時はさっさと本筋の話を進めるのが吉だ。


「あのシンパどものことはどうでもいい。やつらのせいでここへ入れないニンザブロウは、きっと観客席から試合を見守ってくれているはずだ」


 コクエは再びフィールドの方へ顔を戻した。


「そういえば、会議の最後ニンザブロウに協力してって言ってたけど、それはもう終わったの? 勝つための準備とか言ってたよね?」

「単純に昨日までの間特訓の相手をしてもらっていたというだけだ。第一試合の相手であるアインに勝つため、ニンザブロウにはアインの周囲の亡者に接近してより細かなデータを集めてもらい、私は現世での生前の戦いの様子を見ることで彼女の戦闘時の動きを頭に叩き込んだ。さらにニンザブロウにもそれを見てもらい、アインの動きをコピーしたニンザブロウと模擬戦を繰り返し、確実に初戦を勝利で収められるよう準備していたのだ」

「これ以上ないぐらいの準備じゃん。一試合目にだけ力入れすぎでしょ」

「ここは相手も無傷だしある意味一番負ける確率が高いところだ。戦闘ではどんな番狂わせがあるかはわからない。ちょっとしたことで勝敗が逆転することだってありうるのだ」


 準備をし過ぎるということはない。コクエはその点について抜かりはなかった。


「勝負は始まる前に決まっているとかいう言葉も現世にはある。私が万全の状態でここに立っている以上、この大会はどんな展開になろうとも私が勝つという結果に収束するのだ!」

「そうなったら嬉しいねー」


 コクエが多少気分を盛り上げたところでライの方は他人事感に溢れている。コクエが優勝できるかどうか気になると言っていても、手に汗握って声援を飛ばすと言ったわけではないので文句も言えない。

 それに、コクエは誰からの応援もいらなかった。ライやニンザブロウ、『エン崇団』団員たちの協力を得て、エンマからも期待をされて、それ以上の後押し等なくともあとはコクエがやりきるだけのことだ。応援があろうがなかろうがここまでやって無理でしたでは終われない。

 一世一代のチャンス、不意にするわけにはいかない。

 自身の中で決意を新たにするコクエの視界の中、闘技場内のギョウキの選手紹介は終わりを迎えていた。

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