第3話 任命と宣言と契約

 ヂゴクとは、年がら年中二十四時間三百六十五日亡者が獄卒たちから獄刑という名のひどい仕打ちを受けてただひたすらに死に続けている場所である――というわけではない。その表現でほとんど正しいのだが、亡者たちにも獄卒にもヂゴクでの生活というものがある。

 

 ヂゴクの亡者たちは一日二十四時間のうち十六時間を刑に処されて過ごす。残りの八時間はなにをするかといえば、公衆浴場にいってみたりアナログゲームで暇を潰してみたり殴り合いの喧嘩を始めてみたり現世での思い出に浸ってみたり妄想したりただひたすらに寝たりと、自由な時間となっているのである。各々の狭苦しい独房とそれが連なる亡者たちの居住区の中で、獄刑を受けることで得られる雀の涙程度の給金と自分の体力と精神が許す限り好き勝手に過ごしている。

 『死ぬのも十年やってりゃ慣れてくる』、とはヂゴクに伝わる有名な言葉である。獄刑により死ぬ痛みも、十年続けていれば慣れてしまうということだ。そうなった者にとっては、ヂゴクでの苦しみは暇という一点に絞られることになる。


 亡者たちの独房は荒野に点在する刑場の中心に位置しており、そこに乱立しているブロックを適当に組み立てたようなカクカクしたビル群が独房の集合体である居住区である。ヂゴクの居住区は理論上悪人しか存在しない空間なのだが、獄卒が常に目を光らせているためか悪事を働くやる気すら消失しているのか治安はそう悪くもない。両者の合意のもとで殴り合いが始まったり合意の下でない殴り合いが始まって獄卒に殺される亡者が出たりする程度の物騒さで、ビル群に紛れて公衆浴場や飲食店、雑貨屋なども存在しており現世でもとびきり劣悪な街々と比べたらいたって平和な街と言ってしまえるかもしれない。

 獄卒たちの居住区はそれらビル群から少し距離を取り、エンマ大王の居所でもあるエンマ宮を覆うような形でその外縁に作られている。これはエンマ宮と亡者たちの独房を阻む壁の役割もしており、実際に獄卒たちの居住区は外観だけであれば城を守る門のような風貌をしている。獄卒たちはここで寝て、起き、毎日八時間の労働に赴き、亡者たちを痛めつけたり専門の与えられた仕事をこなしたりするのだ。エンマ宮の中には様々な知識が記された書物がある書庫や、現世の様子を見ることができるモニタールーム、遊技場や競技場など暇を潰す娯楽施設があり、刑場で働くコクエたちのような獄卒でもエンマ宮への出入りは当然自由だ。獄卒たちも亡者たちのように自由な時間は思い思いに好きに過ごすのである。


 しかし、エンマ宮の中でも亡者たちへの刑期の通告を行う広間やエンマの執務室や私室などは一介の獄卒が入れる場所ではない。

 獄卒が執務室に通されるのは、今回のコクエのようにエンマ大王直々の命令が下る時のみである。






「忙しいところすまんな」


 机の前で片膝をつき頭を垂らすコクエに、エンマはそう言った。


「とんでもないことでございます。私は『エンマ様崇拝団』の団長。エンマ様がお呼びとあらば例え火の中水の中、なによりも優先して迅速に馳せ参じます」

「それは素晴らしい心がけじゃ。わしを崇め奉るというその思想、是非他の連中にも広めてほしいものじゃな。ロクミョウあたりも少しはそんな考えを持ってもいいものじゃとわしは思う」

「ご勘弁願いたいですな」

「コクエよ、わしの大いなる魅力をこのヂゴク中に喧伝するのじゃ。わしの顔を見ただけで感激して卒倒する亡者が出るくらいがベストじゃな」

「ご期待に応えられるよう、尽力いたします!」


 がばっと顔を上げて答えるコクエ。エンマは満面の笑みだが、エンマ補佐官のロクミョウは机の傍に立って渋い顔をしている。コクエの背後にいるライの表情はわからないが、ロクミョウと似たようなものか単に無関心かのどちらかであろうことはコクエにも予想できた。

 『エンマ様崇拝団』は当の本人であるエンマからはその活動を推奨されているといっていい。獄卒や亡者たちからは非難轟々、もしくは関わり合いになりたくないし話題にしたくもないと思われているのが基本だが、それでもコクエたちが心折られずに活動を続けているのはエンマからの精神的な後押しがあってのことだ。


「貴様をここに呼んだ理由じゃが、もう薄々気づいてはいるじゃろ。時期も時期じゃし、わざわざライを遣いにやったんじゃからな」


 来た。この口ぶりは間違いない。

 コクエの目がきらりと光る。


「貴様をヂゴクトーナメントの出場者兼対戦表の作成係に任ずる。開催はふた月後、組み合わせの決定は二週間後までに行うように。よいな?」


「もちろんですエンマ様! とうとう……とうとう私を任命してくださるのですね?」


 コクエはこの時を待っていた。いまかいまかと待っていた。

 ヂゴクで年に一度開かれる武闘大会、ヂゴクトーナメント。どんな武器も能力も使い放題の八名による一日限りのトーナメント式で、どちらかが死ぬか降参したら勝負あり。見事優勝した者には一か月の間現世で自由に過ごす権利が与えられるという第十四ヂゴク最大にして唯一の娯楽イベントである。


「相当やる気じゃのう。この大会は暇を持て余している亡者たちのガス抜きとして考案したものでかれこれウン千年程の歴史があるが、選ばれた獄卒は大概嫌がるものじゃ。貴様は珍しいわい」


 出場者八名の内訳は、亡者七名と獄卒一名。わざわざ獄卒を一人放り込んであるのは、獄卒にむざむざ優勝をかっさらわれてしまうかもしれないという緊張感を生むためと、亡者から恨みを買う立場である獄卒を合法的に痛めつけ、なおかつそうやって無様に敗れる姿を観客として見ることでストレス解消をしてもらおうという魂胆からだ。

 血の気の多い亡者たちにとっては出場することで好きに暴れることができるのだが、獄卒の方は出場したところで取り立ててメリットは存在しない大会である。

 しかし、コクエは違う。


「過去の獄卒たちは馬鹿だっただけです。これほどやりがいがある仕事はこのヂゴクにおいて他にありません」

「そう言ってくれるならなによりじゃ。なにせ前回はしょっぱい試合ばかりじゃったからなあ。獄卒が一回戦で負けるのはまあ既定路線とはいえ、初戦で有力選手同志が当たって引き分けやら勝ったはいいが満身創痍やら。決勝も大して盛り上がらずにぐだぐだという始末」


 エンマは頬に手をあてて悩ましげな顔をする。


「あれは話にならんかった。わしも全然楽しめなか――いやいや、観客の亡者たちもあれでは憂さ晴らしにならんかったろうからな。もっと酒を片手に楽しく野次を飛ばせるような戦いを展開してほしいものじゃ」

「確かに昨年のあれはひどいものでした。強者が最初から潰しあいをしたり珍しい能力を持つ者がそれを披露する前に負けてしまったりと、あったはずの見所がなくなってしまっていた。これはひとえに対戦の組み合わせを考えた獄卒の責任でしょう。やる気がなく適当に決めるからそんなことになる。素材を生かすには適切な組み合わせというものがあるのです。総当たりの戦いではないのだから、トーナメント戦で最も重要なのはそこです」


 ヂゴクトーナメントの対戦表はくじ引き等ではなく参加する獄卒が決めることになっている。最初期にくじで決めていた頃、実力者同士がぶつかったりと偏ることが多かったため組み合わせの決定は獄卒に一任されたのだが、いまではその担当している獄卒がいちいち出場者のデータを調べて盛り上がりそうな対戦カードを考えるという作業を面倒くさがり、結局適当にあみだくじを作ったり名前の順で決めているという本末転倒の始末なのである。

 熱心に語るコクエに、おお、とエンマは小さな感嘆の声を上げた。


「そうじゃそうじゃ。よくわかっておるのうコクエ」

「私は『エンマ様崇拝団』の団長ですから当然です!」


 コクエは胸を張る。


「そこのつながりはようわからんが、とにかくトーナメント戦においてハズレ試合を作らぬのは基本のキ。今年は去年の二の舞は避けねばならん。ハズレ試合一切なしで盛り上げられるだけ盛り上げるというのが貴様の最重要課題じゃ」

「かしこまりました。私の全身全霊をかけて取り組ませていただきます」


 そう言って、コクエは頭を下げた。この部屋でエンマからいまと同じようなことを言われてきた獄卒が何人もいたことだろうが、その命令に対しこれほど前向きな言葉で応え、なおかつそれが本心からのものであったのはきっとコクエだけだろう。


「すでに知っていると思うが、貴様も優勝すれば亡者と同じく現世に行ってひと月の間好きに過ごすことができる。モニターで現世の様子を見ることもあろうし、好みの世界の一つや二つぐらいあるじゃろ? もし優勝すればどれでも自由に選んでそこで休暇を取ってよいからな。そしてそれとは別に、大会自体を盛り上げることに成功すれば貴様がヂゴクで就いておる職務を貴様が望むものに変えてやろう。こちらは適性というのもあるからなんでも希望の通りにとはいかんが、エンマ宮の中での仕事も選択肢には入れられるぞ」


 そう言ってエンマは懐からなにやら取りだし、自分の顔の前に掲げた。


「ちなみに、盛り上がりのほどの判定にはこの測定器『アンミンくん』を使う。製作部の部長が作ったもので、指定した範囲内の生物の悦楽と興奮の度合いを測定できる代物じゃ。メカニズムはようわからんが、その機能は信頼できるはずじゃ」


 エンマの手の上には布団に潜り深い眠りについている真っ白な人形が乗っている。製作部はエンマ宮の中にある部署のひとつで、亡者を処刑する機械の類やいまエンマの手の上にある代物のようなよくわからない装置を作る獄卒たちの集まりである。


「優勝は土台無理じゃろうが、わしとしてはとにかく盛り上げてくれれば満足じゃ。ここ最近は面白い亡者もやってこんしルーチンワークをこなすだけでつまらんからのう。あまり退屈すぎて、いよいよよその地獄にでも遊びに行こうかと思っていたところじゃ」

「そんなこと許されるわけがないでしょう」


 ロクミョウが控えめに窘める。

 大会の開催は亡者たちのためというのが第一義というか大義名分だが、実際には暇を持て余したエンマが自分のために開いているというのが獄卒たちにとっての一般的な見解である。コクエを初めとして『エン崇団』の者たちなどは、エンマ自身は本当は観戦するだけではなく自分が戦いに参加したいと思っているのでは、とさえ思っている。

 とはいえ、エンマがなにを理由にこの大会を毎年開催しているのかなど些細なことだ。コクエにとって重要なのは、この大会にエンマが期待を寄せていることと今回こうして自分がその担当に抜擢された事実である。これはコクエにとってチャンスである。かねてから考えていた計画を実行に移す時が来たのだ。


「エンマ様、一つお願いがあります」


 コクエは、いままでと打って変わって静かな声でそう言った。計画といってもそんな壮大なものでも複雑なものでもない。ヂゴクトーナメントにさえ選ばれれば、あとはエンマにある条件を頼み込むだけなのだ。


「私は職務の異動も現世での滞在も望みません。しかし、今回のこの大役を私がつつがなく成功させることができたら――いや、もし大会をこれまでに類を見ないほどに盛り上げ、なおかつ私が出場する亡者たちを倒し優勝することができたら、そこの補佐官の座を私にいただきたく存じます」

「なッ!?」


 驚きの声を上げたのは、当の補佐官であるロクミョウだった。彼にしては珍しく、目を見開いて呆気にとられた顔をしている。


「その白髪頭の老人よりも私の方が補佐官に相応しいと、常々そう考えていました! なにせ私がこの部屋に入室してからこっち、彼はそこに立って二言三言喋ったきりでなんら仕事をしていない! いくらでも代替可能です!」


 これは、ずっとコクエが企てていたことだ。

 獄卒は、基本的にヂゴクにおける役割を変えることなどない。生まれ持っての資質に特殊性が見られればライたちのように製作部に配属されるが、そうでない一般的な獄卒たちは刑場や居住区の監視であったり獄刑機械の操作であったりに割り振られる。一部、エンマに取り入ろうとする連中が彼女に近しく重要な仕事でもあるエンマ宮内部での職に配置換えされるということもあるが、それを除けば獄卒たちの職務が変わることなどない。そして、獄卒たちは大抵がその生活に満足している。エンマに近づきたいというものを除けば、自分の役割にやりがいを感じることもなく他人の職務を羨ましがることもないのが普通なのだ。


「ロートルはクビにしましょう!」

「ちょっとコクエくん、それは言い過ぎではないかな?」

「しかし一理あるな」

「エンマ様、頷かないでください」

「傍から見てると誰がやっても同じな気はしますね」

「なぜライくんまで急に発言するかな?」

「実際、ロクミョウがやっておる仕事をコクエにやらせても不都合は生じんじゃろう。特殊な技能がいるわけでもなし」

「そうはっきりと言われると感情論以外で反論はできませんが……」

「わしとしては補佐官として相応しいうんぬんの話よりもコクエがこの大会で優勝するという発言の方に興味があるのう。この大会も歴史が長いが、これまでに優勝した獄卒というのは一人もいない。決勝まで勝ち上がったものですら一割もいないじゃろう。わしの記憶が確かなら、貴様は戦闘能力が特に秀でているというわけもなかったはず。その自信はどこから来るのかのう?」


 エンマは薄い笑みを浮かべてそう問う。対するコクエも笑みを返し、言った。


「何事にも相性というのはつきものです。戦いもまた然り。そしてこの大会はトーナメント方式で行われる。そうであれば、単純な実力差で最終的な結果が決まるわけではありません。単純に最も強い者が優勝するわけではない」

「そうは言っても、この大会に出る獄卒はすべて通常つけている枷を外した状態になる。貴様は日頃反抗的な獄卒を懲らしめることも多かろうが、枷を外したやつらをそれと同じように扱えると思っておるなら、それは間違いじゃぞ?」


 ヂゴクの亡者たちはみな、身体能力が強制的に低下する効力を持った手枷をつけられている。これのために、どのような人智を超えた戦闘能力を有する猛者であろうと、ヂゴクにおいてはいち獄卒に逆らうことが物理的に不可能なのだ。それに加え、純粋に破壊力が高いだとか使用法によっては危険だとかいう特殊な能力の類も、ヂゴクに送られた段階で禁能として封じられることになる。つまり、ヂゴクの亡者たちは物理的に牙を抜かれた獣になっているのである。

 ヂゴクトーナメントにおいては、この手枷による弱体化と禁能がどちらも一時的に解除されることになっている。現世にいた時と同等の力を最大限発揮できるようになっているわけで、彼らの戦闘能力が一般的な獄卒のそれを遥かに上回ることが往々にあるのだ。


「大会へ出場するものは希望者からランダムで選ばれるが、実力が乏しいと判断されれば抽選の前に足きりされるのが決まりじゃ。出場者はいずれも貴様より強いじゃろうな。それに、自分に有利な組み合わせの対戦表を作るのなら、その結果盛り上がらんハズレ試合が確実にできることになると思うがの?」

「それらは百も承知です。それでもなお、私にはこの大会で優勝する自信がある」


 コクエは堂々と言い切る。


「繰り返しますが、戦いには相性というものがあります。そして戦術によっては格下の者が格上の者に勝つことも十分にあり得る。私が優勝し、なおかつハズレ試合が発生しないようなトーナメントを作ってみせましょう」

「なるほどのう。すべて理解して、なお自信があるか」


 そう言ったエンマの目に好奇の光が浮かんでいるのを、コクエははっきりと見てとった。コクエは知っている。エンマが欲しているのは期待だ。なにかが起こるかもしれないというワクワク感。このヂゴクで獄卒も亡者もほとんどの者が自然と望んでいるそれを、彼女もまた望んでいるのだ。


「面白い。それならばやってみるがよい」

「本気ですかエンマ様ッ?」

「取り乱すなロクミョウ。わしはこれまですべての大会を見てきた。わしの傍らにいた貴様もそれは同じ。であれば、こやつが言っておることの難しさがわかるじゃろ? やれるというならやってみせてもらおうではないか。これは貴様の地位を賭けてもいいほどの見世物じゃと思うがのう?」

「その賭け、私にメリットがなに一つありませんが……」

「かといってデメリットもあるまい? 貴様はわしに遣えることに喜びを見い出しているとは思えんが」

「む……」


 エンマのその一言でロクミョウは押し黙った。

 ヂゴクにおいて自分の仕事に誇りを持っていたりこだわりがあったりする獄卒は極めて少ない。生まれながらに与えられたことを淡々とこなしているだけのことである。


「……確かに。エンマ様の話し相手やらご機嫌取りやらしなくて済むようになると考えればメリットの方がある気もしますね」

「いま愚痴を言えとは言っとらんぞ」


 エンマはジト目でぴしゃりと指摘する。


「とにかく、コクエの願いは聞き入れよう。優勝した場合の現世滞在は辞退すると言ったが、それもつけてやる。大会を盛り上げなおかつ優勝したら、現世への滞在権を与えたうえで補佐官の座に任ずる。どちらか片方でも達成できなければ、報酬は一切なし。これでよかろう」


 コクエの願いは、あっさりと承諾された。


「あ、ありがとうございます!」

「デカい口を叩いたんじゃ。無駄に期待させただけで蓋を開けてみたら散々なんてことはせんでくれよ? わしは失敗したからといってなにか罰を与えるような狭量じゃあないが、それはそうと去年出場した獄卒は大会が終わった夜に『塩試合見せられて不満を持った観戦者』という名の暴漢に襲われてぼこぼこにされたという話じゃったし、しょーもない大会になったら因果応報でそれ相応の制裁が待っているじゃろうからな。まあ肩の力を抜いてせいぜい頑張ってくれ」

「必ずご期待に沿えるものをお見せします!」


 エンマに事実を言っているだけのような細やかな脅迫の意味があるような言葉を向けられても、コクエの自信は一切揺るがない。


「では、残りの二か月は首を長くして待つとするかの。大会が俄然楽しみになってきたわい。いままでこんなに乗り気な者もおらんかったから、この期待感だけでもずいぶん久しぶりな気がするわ」


 そう言ってにんまりと笑うエンマを見て、コクエは内心でガッツポーズをとる。心証は上々。ハードルはぐんぐん上がっているが、初めから面白くないだろうという先入観を持たれるよりはこちらの方がいい。


「トーナメント表の提出期限は二週間後じゃ。貴様以外の七人の出場者ももう決まっておって、ここにそれぞれの簡単な資料も用意してある。詳しい能力や性格とかの情報が必要じゃと思ったら自分で勝手に調べることじゃな。生前の映像記録も文字に起こした資料も好きなだけみればよい。それと――」


 エンマはコクエの背後に視線をやった。


「広報担当は例年通りライがするので、それについての諸々は貴様らで適当に決めてくれ。いつものようにチラシ一枚書いてそれをコピーして居住区にばら撒けばそれでいいと思うがの」

「わたしもそれが楽でいいですね。仕事は少ない方が断然いい」


 コクエと違って、ライはやる気のなさが顕著な受け答え。彼女のそんな態度もまた例年通りなのか、エンマはそれを気にすることもなく、


「この年に一度の祭り、わしのために必ずや成功させるのじゃぞ」


 コクエに視線を定め、そう念を押した。

 亡者のガス抜きというお題目も忘れ自分のためと公言したエンマ。それにツッコむような野暮なことはせず、

「かしこまりました!」

 コクエはやる気に満ちた答えを返した。






「さすが変な集団の団長。イカれてるなー」


 執務室を後にしてほんの数歩。夢にまで見ていたチャンスを手にして気持ちが昂るコクエに、ライは唐突にそんなことを言った。足を動かしながら、コクエはライに注意する。


「変な集団ではないぞ。『エンマ様崇拝団』だ」

「変な集団じゃん。名前も存在も変だよそれ。というか、そんな集団本当に存在するの? エンマ宮の中とかで自分がその団の団員だって言う獄卒なんて見たことないけど。あんたが妄想してるだけってことは……?」

「存在してるわ! 私の同志はこのヂゴクにたくさんいる。団員たちはシャイだから自分から『エン崇団』の団員であると吹聴して回らないだけだ」

「なるほど。変人の集まりの一員だと知られると恥ずかしいからか」

「変人じゃあない! 個人的な思想をそこかしこで垂れ流すのを是としないだけだ」

「へー。じゃあ誰彼かまわず勧誘してる団長は例外なのかな?」

「私には団長として同志を集める義務がある。志を同じくする者がいても互いに存在を知らなければ出会いようもないからな」

「理屈が通っているようないないような……」

「通っているだろう。私は論理的で理知的であり獄卒きってのまともさを誇る鬼だぞ」


 そこは強く主張したいところである。ところがライは、うっそだー、と言い放つ。


「まともだったらさっきみたいにエンマ様相手にあんな提案しないでしょ。面白い組み合わせのトーナメントにして大会を盛り上げるってのはエンマ様が求めてることだしいいと思うけど、それで自分が優勝するってのはさあ……。獄卒が枷なしの能力バリバリ使える亡者たちに勝てると本気で思ってるの?」


 馬鹿じゃない? と最後に付けたされているような気がする言い方である。コクエとライは普段働いている場所も違い、顔見知り程度の仲なのだがその割に容赦のない物言い。


「出来ると思わっていなければわざわざ提案しないさ。もし失敗すればエンマ様の期待を裏切ってしまうことになるのだから、その場の思いつきで言うわけがないだろう」


 エンマやライが言うように達成することが困難なのはコクエも重々承知している。しかし、それでもなお挑戦する価値がある。これはそんな単純な話だ。


「そこまでしてエンマ様の傍で働きたいの? わざわざ自分自身に無理難題を吹っかけなくても、大会が大盛り上がりで終わってそのご褒美としてエンマ宮での仕事に移してもらえばいいだけじゃん。エンマ様は自分を特に慕う獄卒は優先的にエンマ宮内に配置してるし、変な集団作っちゃうようなあんたが却下されることもないでしょ。…………あ、でもそれならもうあんたがエンマ宮内で働いてないとおかしいか。エンマ様を慕ってるのに中に入れてもらえないのは、実は気持ち悪がられてるからとか?」

「勝手な推測での風評被害はやめろ。私たちはエンマ様相手に発情している猿どもとは違う。それをエンマ様も理解しているから私を初めとして『エン崇団』の団員たちはエンマ宮の外で働いているのだ。それに、私はなにもエンマ様の傍にいたいから補佐官の座を狙っているわけではない」

「ホントにー? ただの強がりじゃなくて?」

「大真面目に本当だ。いまの言葉も私が優勝するというのも嘘偽りない事実。私はこの日のためにいままで研究を重ねてきた。トーナメント戦というものについて、このヂゴクにおいて私より知り尽くした者などいないだろうというほどにな」


 言って、コクエは手にした紙の束に目を落とした。部屋を出る前にロクミョウから渡された大会の出場者である七人の亡者に関する資料だ。それらには本人の写真と名前、簡単な経歴や能力程度しか書かれていない。それだけに頼れば、コクエが優勝するための組み合わせを考えることは難しいだろう。戦闘能力の度合い、禁能に設定された能力、性格等、ここにはない情報を得られればコクエの求めるトーナメント表を作り上げることが可能になるはずだ。


「これから十日間、私は協力者の手も借りて出場者たちの情報を集められるだけ集める。そうしてその後、協力者も含めて組み合わせを決める会議を行うつもりだ。きみが私の言うことをそこまで疑うのなら、その会議で私の披露する理屈を実際に聞いているといい。きっと私が言うことが世迷言には聞こえなくなることだろう」

「やだよ。面倒だもん。そんなの協力者とかいうのと一緒にやってればいいじゃん」


 コクエの誘いをライは思い切り突っぱねる。


「嫌だと言っても出てもらう。その時にチラシのデザインについても話さねばならないからな。というか、そちらが本題だが」

「チラシなんていつもと一緒でいいでしょ? ぱぱーっと一枚描いてそれで終わり」


 ライはヂゴクトーナメントの広報担当者である。広報といっても、トーナメントの存在など獄刑歴一年未満の亡者を除けば周知のことであり、元より興味がある者は勝手に観戦に赴く。広報に宣伝という意味はほとんどなく、出場者が誰であるかを知らせる意味しかほとんどない。

 ライがその宣伝を担当している理由は単純明快、獄卒の中では珍しく絵を描くという技術を持っているからだ。彼女は製作部に所属する獄卒だが、その普段の仕事は絵を描いてエンマを喜ばせることである。現世の映像で見たものをそのまま描いたり組み合わせたりアレンジしたり。そうやって出来上がった絵はエンマが見たりエンマ宮の中や居住区の店などに飾られたりするのだ。


「宮廷画家のわたしとしては、武闘大会の宣伝チラシを描くなんていう仕事はやる気が出なさすぎるんだよねー」

「チラシが嫌ならフライヤーでもリーフレットでもいいぞ」

「名前の問題じゃないっての」

「チラシを描くぐらいいいじゃないか。きみはエンマ様のために絵を描くのが仕事だし、この仕事はその範疇から外れているわけでもない。なにより、観戦する亡者たちの期待を煽るためにはチラシの出来も大事だ」


 ヂゴクにはカメラもあるが、いま現在の亡者の姿を写真に撮ってもボロ布を着た小汚い顔が並ぶだけなので、チラシには出場者の生前の姿がイラストで描かれるのである。絵であれば理論上表情も服装もポージングも自由自在。


「それじゃあチラシの方はやれるだけのことはやるけど、わたしは絵を描くことが仕事なんだから組み合わせを決める話し合いは勝手にやってよね」

「勝手にやるにはやるが、なにか言いたくなったらきみも好きに発言してくれ。私としてはそれがありがたい」

「さっきは大人しく聞いとけって言ったのに、わたしが文句言ってもいいの? 実は自信なくない?」

「それは違うな、ライ。自負があるのと慢心するのは違う。話し合いでなにかを決める時にはいろいろな視点が必要になるものだ。門外漢の意外な思いつきが役立つことだっていくらでもある。求める結果を得るためなら私はなんでもする覚悟だ。きみに嘲笑されながら間違いを指摘されても私は感謝することだろう」

「それは謙虚なことだね」


 そう言ったライは、コクエの言葉を全面的に信用してはいない様子。


「とにかく、私は協力者とともにこれから情報収集を行いトーナメントの素案を作る。そして十日後に会議だ。私の計画の成否はそこで八割がた決定すると言っても過言ではない。完璧なトーナメント表を作らねば、大会当日に私にできるのは悪あがき程度しかないからな」


 コクエにとっては組み合わせを考えるのが大会そのものよりも大事かもしれない。


「ヂゴクトーナメントで獄卒が優勝するなど、空前絶後の快挙だ。そんな快挙の目撃者になるため、きみも私に力を貸してくれ」

「善処しまーす」


 一ミリもやる気を感じさせない回答を貰いながらも、コクエ自身のやる気は消えることはない。

 僅かに開いた口から、彼は彼自身を鼓舞するために言葉を吐く。


「この計画、私は完遂してみせるぞ」

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