第2話 崇拝団 団長

 曇天。ヂゴクの空はいつも灰色。

 灰色の空の下で、今日も今日とて亡者たちは処刑されている。荒涼とした大地に点々と造られた刑場は板壁で囲っただけの簡素なもの。破ろうと思えば誰でも破れそうなその板壁に、刑を執行される亡者たちを閉じ込めるための機能は存在しない。彼らを閉じ込めることなど、どこにも逃げるところなどないヂゴクではそもそも必要とされないからだ。

 高さ数メートルの板が並び形成される円形の刑場の中では、常に百前後の亡者が刑の執行を受けている。

 亡者たちは薄汚れた布を纏い手足や胴体に腕輪状の枷を嵌められている。広間での通告の時とは違い猿轡はされておらず枷も両手を繋ぎ合わせるためのものではなく、行動自体を制限されてはいない。四肢を自由に動かせようが逃げることなど不可能だからだ。


 刑場のうちの一つ、『黒縄の四』と書かれた札が入口にかかった場所では、人の胴体よりも太く火のついた数本の荒縄が数十人の亡者たちに振るわれていた。

 縄は地面に設置された半球状の機械から伸びており、刑場の端にはなにかのコクピットのような装置に座るツナギ姿の青鬼がいる。この青鬼が機械を操作し、半自動操作で亡者たちに縄による獄刑を執行しているのである。

 かつてはこの縄は獄卒自身がその手で振るい亡者を痛めつけていたのだが、現在ではその操作は完全に機械化されどのような鬼でも扱えるものになっている。この黒縄刑に限らず、他のあらゆる獄刑がそういう仕様になっているのである。

 大縄は縦横無尽に刑場の中を暴れ、その身を打たれた者は喚き、苦痛にのた打ち回り、炎を纏って地面を転がる。血と肉の焼ける臭いが辺りに漂い、呻き声が絶え間なく耳に流れ込んでくる正に地獄という状況だが、しかし縄を操る当の青鬼は涼しい顔で機械に座ったままである。真面目くさった厳しい表情をするでもなく、亡者たちを嘲笑う下卑た顔をするでもない。それどころか目線は亡者たちではなく、手元にあるタブレット型の電子機器に向いている。


 たまに目線を上げて、


「…………もう全員死んだか?」


 そう確認し、息絶えているのがわかったら一旦縄の動きを停止。


「ぽちっと」


 半球状の機械から送風口を持ったアームが飛び出し、亡者の死体を肉片や血液もろとも刑場の端まで吹き飛ばす。

 そうやって死体が隅に寄せられたら、


「じゃあ交代ー」


 反対側の隅で大人しく待っていた数十人の別の亡者たちが刑を執行される番である。

 ヂゴクにおいて亡者たちは死ぬことがない。正確には、現世ですでに死んでヂゴクに来たうえでヂゴクの獄刑でもう一度殺されそののちにまた復活し、それを繰り返すのである。刑罰により痛めつけられ四肢がばらばらになり臓物を撒き散らし意識の飛んでしまった亡者も、しばらく放置しておけばアメーバのように体が再生を始めて勝手に元に戻る。その再生には多少なりとも時間が必要なので、その時間のラグを使ってまた別の亡者たちが刑を受ける。亡者たちは交代制で獄刑を受けるのだ。


「はいスタート」


 亡者たちが刑場の中心に集まったのを確認して、青鬼は大縄起動のスイッチを押した。そうすれば、再びその場に地獄絵図が広がる。

 大縄が風を切る音、肉を打つ音、それに続く亡者たちの悲鳴。何度となく繰り返され奏でられる不協和音の中、吹き飛ばされた肉片はずるずると地べたを這いずり始める。血も肉も、近場にある部位ごとに寄り集まり元の肉体を再度形作る。そんなスプラッタな現場で、一人だけ五体満足でうろうろと歩き回っている人影があった。

 それは枷もなくボロ布を着てもいない、ツナギ姿の赤鬼だった。

 鬼は手にした金棒をぶらぶらとさせながら、肉片と血で汚れた地面を歩き回る。なにかを探すように視線を辺りに彷徨わせ、そして、


「そこのきみ、少し私の話を聞いてくれないかい?」


 地面に転がる生首に狙いをつけて話しかけた。


「あ……? って、なんだ。コクエかよ」


 まだ頭が半分欠けたままで脳が覗いているその生首は、鬼に向かってぶっきらぼうにそう言った。


「俺はもうおまえの話は散々聞いたからいいよ。他のやつの所に行け」

「残念だが他の連中はまだ聞く耳を持っていない状態だ。物理的にな」


 コクエと呼ばれた鬼は生首のぞんざいな口調に気分を害することもなく、その場にしゃがみ込んだ。


「聞くための耳と理解するための頭がなければ意味はない。叩き潰されたりぶちまけられたり、てんでバラバラだから、つまるところいま話を聞ける状態なのはきみだけなのだ」

「だったらまず、このタイミングで話をしようと思うなよ。こっちは燃える大縄でぶっ叩かれて死んだばっかりなんだぞ」

「空いている時間を有効活用するのは大事なことだろう。刑場の中で獄卒がやることなんて大してないからな」

「俺が言うのもなんだが、もっと真面目に働けよ。おまえらは一応オレたち亡者を監視するのが仕事だろうが。あと、話したいってのはどうせ例の勧誘のことだろ? だったら俺に言っても無駄だぞ。前も言ったが、俺はおまえらみたいな変な集団の相手をする気は一切ない」


 生首は口をへの字に曲げて言う。

 対するコクエも口がへの字になる。


「変な集団とはなんだ。我ら『エンマ様崇拝団』は変なところなど一つもない」

「まず名前が変だろ」


 間髪入れず生首が言う。


「名前なんて記号だ。本質じゃあないのだ。そんなことにこだわっても仕方がない。大事なのは中身だろう?」

「その中身だって変だろ。おまえら獄卒がこのヂゴクを支配してるエンマを崇拝するのは自然なことかもしれないが、それでわざわざ妙な集団を組織するのは傍から見れば変でしかない」

「なにを言う。現世にだって有名な人物を対象にファンクラブだとか後援会だとかあるだろう? 素晴らしい人物に対して好意を持ち、その気持ちを表明して同じ心を持つ同志たちとともに活動する。なに一つ変な要素などない。真っ当な活動だ」


 コクエは自信満々に反論する。しかし生首の表情はそれでも変わることはない。


「俺の知識によれば、おまえらのは後援会っていうよりアイドルの追っかけ的なやつだ。周りから見ると距離を取りたくなるやつな」

「距離を取るなんてとんでもない。もっと我々に近づくがいい。きみも『エン崇団』に入って精神的に満ち足りたヂゴク生活を送ろうじゃないか!」

「……………………だから、そもそも亡者である俺たちをそんなもんに誘うなって言ってんだよ」

「なになに? なんの話?」


 完全に嫌気がさしている生首の声に続き、コクエの背後から甲高い女性の声がした。

 コクエが振り返ると、亡者たちの元の部位も判別できないような肉の塊しか転がっていなかった地面の上に年若い女の頭が転がっていた。大きな瞳をキラキラと輝かせ、頭から生えた犬っぽい耳をぴょこぴょこ動かし、いかにも興味津々といった様子でコクエたちの方を見ている。


「鬼と死人がなに話してるの? 脱獄とかそういうやつ? エンマとか言ってたけど、まさかまさか暗殺計画的なの? あたしにも聞かせて聞かせて!」


 嬉々とした顔でそんなことを言ってくる。

 コクエは僅かな思案の間を置き、


「新人か…………」

「だろうな」

「あれ? なんでわかったの? あたし一週間前にここに来たばっかりだけど、やっぱり言わなくてもなんかわかるもんなのかな?」

「脱獄なんてものはこのヂゴクでは絶対に不可能だ。それを口にするのは新人か頭がイカれて妄言を垂れ流すしかできない亡者のみ」


 コクエはそう端的に説明し、


「よって、私たちは当然いまきみが言ったような会話はしていない。そしてそんな新人であるきみに一つ伝えておかねばならないことがあるのだが――」


 そこで言葉を切って素早く立ち上がり、犬耳女を指差す。


「私は『エンマ様崇拝団』の団長でありエンマ様暗殺計画など立てるわけもないということは大事なことなのでしっかり覚えておくように!」

「……………………崇拝団?」


 犬耳女はきょとんとした顔になる。


「エンマ様とは、このヂゴクを統べる責任者であり気高く思慮深く三度の飯よりお祭り騒ぎが好きで常になにか面白いことがないかと期待するというちょっと可愛らしい一面もあってもちろん容姿端麗だし戦闘能力も抜群でこのヂゴクはおろか現世でもそれに比肩する者などおらず、きっとよそのヂゴクのエンマだってあの方と比べれば月とすっぽんというやつだなあと思わせられるほどの、そんなお人であるエンマ様をお慕い申し上げて尊敬の念を向け崇拝する集団のことだ!」


「え…………? なにそれ。なんか気持ち悪い」


 犬耳女の頬が引きつる。


「実に新人らしい感想だな。しかし考えというのはいくらでも改められるものだ。きっときみも改心していつか『エン崇団』に入団することができるさ」

「新人じゃなくて、これは人として一般的な感想だぞ」


 背後から生首が指摘してくるが、コクエは背中を向けたままとりあえず無視。


「エンマって、確か最初にここに来た時に何年間いなきゃいけませんって書かれた紙をあたしたちに配ってた女でしょ? えッ? ここの鬼って皆あれの信者みたいな感じなの? なんかめっちゃ怖くなってきたんだけど!」

「信者なのはこいつとそのお仲間だけだぞー」

「いや、それは誤りだな。信者という呼称自体が適当ではないが、潜在的にはこのヂゴクにいるすべての生物が信者だと言える。この生首も信者。そこら辺の死体も信者。あそこでゲームの片手間で処刑を進行している獄卒も信者。そしてきみも信者だ」


 そう言ってコクエは再度犬耳女を指差す。女は、うへえ、と先ほどの生首とそっくりな表情を返した。


「お手本のように妥当な反応だな」

「なんとッ! これが妥当だとすると、やはりヂゴクに落ちて亡者になるような連中は往々にして価値観が狂っているということか……」


 コクエは自分に都合のいい解釈をのたまい、やれやれと呟いた。


「獄卒だけでなく亡者たちにもこの素晴らしき思想を広めようと思い頑張ってはみたものの、なかなか前途は厳しいようだ」

「エンマを恨むことはあっても崇拝するような亡者がいるかよ」


 生首のその言葉は正論そのものである。そーだそーだ、と犬耳女も賛同の声を上げる。

 しかしコクエは狼狽えない。


「それは残念だ。それではきみたちのことは諦めて他の亡者諸君を勧誘しよう」


 コクエは周囲に視線をやった。ふたりの生首と喋っている間に、そこかしこに新たに肉の塊ができ始めていた。腕やら足やら腹やら股やら、頭以外にもどこの部位かわかる大きさまで復元してきている。


「俺たち以外を相手にしても無駄だっての。どんなに熱心にやっても入団するやつなんていないだろ、常識的に考えて。そんな遊びは獄卒の中だけで完結しておけよ」


 再びの正論に対しコクエは、


「……私は、最終的には『エンマ様崇拝団』はこのヂゴクからなくなってしまうのが理想と考えている」


 唐突にそんなことを言い出す。


「それがどういう意味かきみたちにわかるか?」

「はいはいッ!」

「はい、そこの新人くん!」

「ヂゴクなんてなくなってみんな極楽で面白おかしく暮らすべきってことですね?」

「違う! 『将来的にはヂゴク中のあらゆる生物がエンマ様を崇拝することによりそれが当たり前の価値観になってわざわざ団名を持った組織を作る必要がなくなる』というのが正解だ!」

「そんな未来が来るかよ」

「来させるためにいまこうして地道な活動に取り組んでいるのだ! きみたちとの無駄な会話もここまで! 私には団員を増やすという使命があるからな!」


 勝手に話しかけておきながらそう言い放ち、コクエは無理矢理話を切り上げた。そして再度周囲を素早く見回し、


「おおッ! そこのきみ、もうほぼ完全に体が復活してるじゃないか。凄いなあ。新陳代謝がいいのかな?」


 数メートル離れた位置の亡者に手を振り声をかけた。他が精々全身の四分の一程度の再生に留まる中、その亡者は多少の損傷が見られるものの片腕以外がほぼ揃った状態で地面に胡坐をかいている。コクエよりも体は一回りは大きく、ヂゴクの亡者らしい厳めしい顔つきをした男である。


「エンマ様のことはもちろん知っていると思うが、きみはあの方についてどういう印象を持っているかな?」


 顔に笑顔を張りつけてそう問いかけながら、コクエは勧誘を始めるために大きく一歩を踏み出した。

 しかしそれと同時に、


「さっきからうるせえなあ。うだうだくっちゃべってんじゃねえよクソ鬼が」


 低く響く声とともに、敵意ありありの視線がコクエに飛んできた。


「クソ鬼、と? なんだ、また新人か。まあ新人だろうが古株だろうが私には関係ないし不都合もないがな」


 明らかに歓迎されていないのはわかりきっているが、だからといってコクエの足は止まらない。自分を睨みつけてくる亡者にずかずかと近づきながら、その口もまた止まることはない。


「新人ということはつい最近エンマ様を間近で見たはずだが、あの方の素晴らしさには気づけただろうか? もしや一目でその偉大さを知りもし仮に『エンマ様崇拝団』なんて組織でも存在していればすぐにでも入りたいという願望を今日のこの日いまこの瞬間まで抱いていたとかいう、そんなハートフルで理想的な展開がこの場で展開されることもなきにしもあらずかな? だとすればきみは幸運だ。なんとそんな組織はすでに存在している。そして私がその組織の長なのだ!」

「クソみてえな妄想をだらだら垂れ流してんじゃねえよクソ鬼! こっちは顔も知らねえ誰かにぶっ殺されたかと思ったらいつのまにやらこんな所に連れてこられてクソみてえなムショ暮らしじみた生活させられてんだ! あんまイカれたこと言ってるとオレが二度とそんな台詞ひりだせねえように首から上を握りつぶしてやんぞ!」

「きみも長々と喋るものだな。このヂゴクに不満を持っているのは亡者として普通だしエンマ様への第一印象が悪いのもこれはまあ致し方ない。しかし、それでもここは一つ改心してあの方を崇め奉ろうじゃないか。さあそうしよう。いまそうしよう」

「てめえ、オレを舐めてんのか?」


 態度を変えることもせずマイペースで自分の話しかする気のないコクエに、亡者は凄んでみせる。血管を浮かび上がらせ目を剥いた顔で、鬼の笑顔にぐいっと迫った。


「てめえ、オレが死人だからって舐めてんのか? おまえは鬼で武器も持ってるから、オレたちみたいな死人はいつでも殺せるって舐めてんのかよ?」

「おいおい顔を近づけないでくれよ。私がきみを侮っているかと問われたらそんな疑いはきみの誤解でしかないと答えよう。他の獄卒なら亡者など路傍の石以下の認識かもしれないが、私は違う。きみたちには一種の尊敬の念さえある。これは嘘偽りのない私の本心だよ。さて、それでは納得してもらったところで話を続けるが、きみは『エンマ様崇拝団』についてどう思う? 興味はあるかい?」


 依然として笑顔を張りつけたまま言葉を交わすコクエ。その背後では、


「ガン飛ばされてあの態度って、あの鬼はやっぱり頭おかしいの?」

「あいつの頭は少しおかしいだろうが、このヂゴクで獄卒が亡者相手にまともな態度をとることが期待できないのは事実だな」


 生首たちがそんなことを囁き合う。


「外野が少しうるさいが、私は変人でもなんでもないから安心して話を聞いてほしい。より詳しい話を聞きたいならいくらでも時間を取るし、いますぐだと答えにくいならいつでも返事をしてくれればいいさ」

「てめえが態度を改める気がねえならオレの答えは一つしかねえよ。オレはずっとムカついてたんだ。こんな手枷を嵌められて力を奪われて、どこで暴れてやろうかとずっと考えてた。てめえら鬼どもを殺して、そしてあのクソ女も殺してやるのはいつがいいかってなあ」

「……なるほど。いまのその発言は一度ならスルーしてもいいが、何度も言うつもりなら少し灸を据える必要が出てくる。私は好き放題振る舞っているようだがこれでも一介の獄卒だからな。そこは理解しているかい?」

「こんな枷を嵌められようが、オレには強力な能力があるんだ。それをいま見せてやるよ」

「おいおい、少しはこちらの問いかけに答える意思を持ってくれよ」


 おまえが言うな、という生首のツッコミが飛んだところで、亡者は右手を高々と掲げた。


「さっき宣言したとおり、この手で握りつぶしてやるよ!」


 普通の人間のものであったその腕が、一瞬で肥大化した。形態はそのまま、肩の辺りから倍以上の大きさに膨れ上がった腕。コクエの頭どころではない。体ごと片手で握りつぶせる大きさだ。

 それがいま、コクエの頭目掛け振り下ろされる。

 対し、コクエはすでに動いていた。

 手にしていた金棒が亡者の鼻先に突きつけられる。


「獄卒刑、濡浴(ぬれあびせ)」


 言葉とともに、空中で水が弾けた。

 それはまるで滝だった。亡者の頭上から桶をひっくり返したような水が降り落ちる。


「ぅぶぶわぁッ?」


 亡者はよろめき、コクエを狙う右腕は軌道を逸れて虚空を掬った。


「隙ありだ」


 コクエが、金棒を思い切り前方へ突き出した。水でできた薄い壁の向こう、亡者の顔面目掛けて真っ直ぐ一突き。


「ぅげッ!」


 ぬかるんだ地面に巨体が転がり、同時に水がぴたりと止まる。遮るものがなくなったコクエの視界には、仰向けになって白目を剥いた亡者の姿。一拍置いて、巨大な右腕が渇いた地面に落下する。

 それを見るコクエの顔にはもう笑顔はなく、無感情というのが適当な表情がのっていた。


「まず、枷をつけて弱体化している亡者が私たち獄卒に勝とうというのが甘い。次に、身体の部分的な巨大化などというシオマネキの真似事みたいな能力でそこにある力量差が埋まるだろうという発想も甘い。そして、そもそも獄卒を一蹴出来るような強力な能力であればヂゴクに来た段階で禁能として処理されてヂゴクでは使用不可になるのだからいまこの場で使える能力なんて大したものじゃあないという事実を理解すべきだ。きみの獄刑が何年なのかは知らないが、空振りに終わったいまの腕の一振りだけで刑期が十年は延びるはずだし、それぐらいのことはわかっていた方がいい。――まあ、いま言ったことなんてすべて聞こえていないだろうけども」


 意識を失った亡者相手に講釈を垂れるコクエに、


「エンマの悪口は言ってなかったのに殴ったのー?」


 犬耳女がそんなことを言う。


「正当防衛。それに、忠告した後にもう一度エンマ様を悪く言っていたらちゃんと殺していたさ。気絶で済ませたのだから私は慈悲深いよ」

「やっぱ怖ッ!」

「怖い怖いと失礼だな。死んだあとにこうしてヂゴクに来ているきみたちのような極悪人にそんなことを言われるのはだいぶ心外なんだが。現世でのきみたちの行いを想像するだけでこちらの方が怖くなるよ」


 抗議しつつ、コクエは生首たちの方へ振り返る。そこには下半身のない男と犬耳のついた頭と右半身だけが揃った女が横たわっている。バラバラになった肉体も、こんな調子でものの数分もすれば完全に復活することになる。


「無駄に無駄な時間を重ねてしまったな。遊んでないで勧誘を続けねば」

「せいぜい頑張ってくれ。そして俺には二度とその話をしてくるなよ?」

「あたしもー。もっといいこと教えてよ。ここからさっさと抜け出せる方法とかさ。そういうの教えてくれるならあたしはそのスーハイ団に入ってもいいよ」

「そんな邪な気持ちを持った輩はいらない。『エン崇団』には純粋な心が必要なのだ」

「「純粋ねえ……」」

「とにかく私は勧誘をする。それでは、今日の刑が終わるまでにきみたちが改心して『エン崇団』に入りたがることを祈っておくのでよろしく頼む!」

「そんなもん祈るな!」


 最期まで拒絶されながら、コクエは次なる獲物を求めて刑場を彷徨い始める。殴り倒したデカい亡者はそのまま放置だ。

 すでにほとんどの亡者が頭を再生させていてコクエとしては選り取り見取りの状態だ。亡者を懲らしめたことでいくつか好奇の目が向けられているのは幸か不幸か。それ以外の一部の者から、またあいつが来た、と白い目で見られているのに比べればまあマシであろう。

 さて、誰に声をかけるべきか。金棒片手に亡者たちを品定めするように歩くコクエの姿は、ヂゴクの獄卒らしいと言えばらしかった。機械のスイッチを押してあとは電子機器で遊んでいるだけの青鬼と比べたら、自分に与えられた役目を忠実に果たしている働き者であると言えなくもない。問題があるとすれば、コクエの脳内にある目的が自身の役目とまったく関係ないということだけだ。

 三人に声をかけて全敗。既知の者も新人もいてそれなのだから、次にどちらを選ぶべきかという基準もない。気の向くまま適当に。コクエは無鉄砲に手近な亡者へ声を掛けようとした。

 獄卒であるコクエからの視線を感じてその亡者が顔をしかめたのを認めたのと同時、刑場に唯一ある扉が音を軋ませ開いた。


「コクエー、いるー?」


 刑場に女の声が響く。扉の隙間から顔を覗かせたのは、コクエ同様にツナギ姿だが金棒を持っていない一人の青鬼だった。

 コクエは足を止め、ひとりごちる。


「ライ? なにかの伝達か? しかしなぜ製作部配置のあいつが来る?」

「いるー? 返事はー? …………あッ、なんだいるじゃん。返事しろよー。早くこっちこっち。ここ血の臭いが充満してて気持ち悪くなるから早く外出て!」


 青鬼ライに手招きされ、コクエは扉の方へと駆け寄った。


「血の臭いなんてどうってことないだろう。これだからエンマ宮勤めの連中は……」

「こっちは毎日死ぬやつなんていないからね。それより、エンマ様がお呼びだよ。直々にあんたに命令があるって」

「エンマ様がッ!?」


 コクエは素っ頓狂な声を出した。


「な、なんだ? いったいなんの命令だ? 私を副王に任ずるとかそういう話か?」

「そんな役職はないしあったとしてもあんたがそれに任命されることはないよ。多分だけど、わたしが伝達係だってことは時期的にもあれの担当者に選ばれたってことでしょ?」

「あれって…………」


 一瞬の思考の間を置き、


「あれか!?」


 コクエの顔にぱあっと笑みが広がった。


「去年あたり、自分こそあの担当者に相応しいとか言ってなかったっけ? そのための知識はもう十二分にしっかりと詰め込んであるとかなんとか」

「そうだ! よく覚えているな、ライ! 私が担当になればエンマ様の望むものをお見せすることができる! そして私はその功績により私の望むものを手に入れることもできるのだ!」

「……そうなりゃいーね」


 テンションを上げるコクエに対し、ライの冷めた口調は変わらない。


「どうでもいいけど早く行こうよ。ここの監視役の代わりはもうすぐ来ると思うから。なんたら団の団長様ともあろうものがエンマ様を待たせるわけにはいかないでしょ? ね? ほんじゃあさっさと行こう。――おーい、エンマ様から呼びだしかかったからコクエちょっと借りてくねー」


 コクエは一つも返事をしていないのに、機械を操作する青鬼に大声でそう告げてライはさっさと踵を返して歩き出す。


「おい待ってくれ。少しはこの感動を味わう時間をくれてもいいじゃあないか」

「歩きながらいくらでも味わえばいいじゃん」

「もっと集中したいのだよ。自分の心の奥底から湧き上がってくるこの得も言われぬ気持ちに向き合い、そして――」

「早く来ないと置いてくよー」


 一切振り返ることなくライは刑場を後にする。コクエの勧誘を受けていた亡者たち以上に、彼女には彼の話を聞く気がない。

 コクエは不満を表明するのを諦め、渋い顔をして彼女の後を追った。しかしそんなモヤモヤは彼にとって些細なことでしかなかった。エンマからの直々の命令が下る。その事実とそこから導き出される未来予想図は、彼の顔に抑えきれない笑みを浮かべさせるには十分だった。

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