ヂゴクトーナメント、手中にあり!

吉水ガリ

第1話 ヂゴクのエンマ様

「代わり映えせんのう」


 こぢんまりとした部屋の中、灰色の空を映す窓に背を向け机に座る女は呟く。部屋に机はその一つきり。調度品はおろかチェストやラックの類もなく、一揃いの机と椅子しかない無味乾燥な部屋である。

 そんな部屋とは対照的に、女は赤を基調にした華美な刺繍が施された衣服を身に纏っていた。つくり自体は衣をはおり帯で締めるだけの簡素なものだが、やはり部屋の持つ雰囲気には似つかわしくない派手さがある。

 そんな派手な衣装で机に座る女の手には、数枚の書類があった。一番上の紙には人の姿が載っており、それ以外のスペースはびっしりと文字で埋め尽くされている。二枚目三枚目とめくっていけば同じようにずらずらと文字が並ぶ。それが全部で六枚。

 女はそのすべてに十秒足らずで目を通し、


「代わり映えせんわ」


 再び、語気を強めてそう言った。

 机上には、彼女が手にしているのと同じような書類が詰まれた山ができている。山は、枚数の多く高いものと枚数の少なく低いもののふたつ。

 女は手にした書類の右上端、その空白部分に右の人差し指をそっと当てた。そして紙の上をなぞるように小さく動かしたのち、その紙を机の上の低い山の方へ放ってしまう。書類はばらけることもなく滑空するように山へ飛んでいき、吸い寄せられるようにその頂きへとぴたりと着地した。


「……どれもこれも小粒で面白みがないわい」


 山の一番上に鎮座している書類の右上端には、赤い文字で六十五という数字が書かれていた。


「大罪人なら面白いというわけでもないが…………」


 ため息をこぼすと同時に、ドアをノックする音が部屋に響く。


「はいよー」


 反射的に返事をしながら、その返事をするよりも先にドアノブが回っているのを目の端で捉える。


「失礼いたします、エンマ様」


 入ってきたのは初老の男だった。女と同じような、しかしこちらは華やかな意匠が見られない部屋に馴染んだ衣服を身に纏った男。きっちりと撫でつけられた豊かな髪と整えられた髭はともに白いのだが、背筋はその風貌に似合わずぴんと伸びていた。

 男は控えめに開けたドアの隙間をするりと抜け、滑るように机の前まで歩みを進める。その手には机の上にあるものと同じような書類の束が抱えられていた。

 男は女の目の前で止まって一礼し、


「相変わらず、退屈そうな顔をしていますね」


 頭を上げるや否やそう言った。


「ロクミョウ、貴様改めてそれを聞くか?」


 エンマは不満気な顔を隠そうともせずつらつらと喋り出す。


「どいつもこいつもつまらなそうなやつばかりじゃからな。ワクワクさせてくれそうなやつがおらん。もしや、変わり種はどれも他のヂゴクに取られてるんじゃなかろうか? 百近い世界から亡者どもは集まってくるんじゃぞ? ヂゴクがここの他に三十以上あるといっても、それだけの世界があるんじゃからうちのヂゴクに面白そうなやつの一人や二人ぐらいやってくるのが自然じゃろ?」

「あなたの求めているものはよくわかりませんが、百近く世界があってもそうそう変わった亡者が来ることなど望めないでしょう。それに、他のヂゴクがわざわざそういった亡者を欲しがるわけもありません」


 言って、男はわざとらしいため息をつく。


「そんな者たちを欲するのはあなたぐらいですよ。それに、どんな変人であろうがここにくればみな一様にただの亡者になりさがる。枷を嵌められ弱体化し特別な力を持つ者はそれも制御され、日々ずっと獄卒たちにより処刑されるだけ。要は個性を消されるも同然ですから、残念ながらエンマ様が興味を持てるような存在にはなれないでしょうね」


 男の言い分に、そんなのわかっとるわい、と女は口を尖らせる。


「だから、そんなヂゴクの亡者なのにも拘らずなにかしでかしてくれるようなやつが来てくれんかなって話じゃろうが。枷やらなにやらここで強制されることを上手いことくぐり抜けてしまうとかでもいい。少し前にエンマ宮に忍び込んでた忍者とかいたじゃろ。せめてあれぐらいのことをする輩が欲しい」

「あんなことが度々起きたらそれは私たち獄卒やエンマ様の失態であり、この第十四ヂゴクの管理能力が問われる事態です。望むものではありませんよ」

「でも、それぐらい起こった方が面白かろ?」

「自分の趣味嗜好が極々一般的なものであると誤認するのはあまりよろしくないと思いますが」

「わしは普通じゃろう。この上ないほど普通じゃ」

「そんな言葉、このヂゴクの獄卒たちは誰一人として賛同しませんよ。ともかく、この話題はここらで打ち切りにして本題を進めさせていただきます。私は雑談の相手をするために来たわけではありませんから」


 眉をハの字にした女を無視して無理矢理に話題を終わらせ、


「エンマ様、裁定の方のきりがよければ亡者への通告を開始したいのですがいかがでしょう」


 男は自分の用件を告げた。


「きりがいいとか悪いとかないわ。こんなのさして集中するもんでもなし。わしは片手間でもできるものと常々思っておるぐらいじゃぞ」

「こんな大事なことを片手間でされては亡者たちも浮かばれませんよ」

「もうとっくに浮かばれておるからここに来とるんじゃろ? もう現世に戻ることなどできん連中じゃからな」


 言いながら、女は席を立った。


「何人じゃ?」

「五百人ほどです」


 男は手にしていた紙の束を差し出した。五百人分の書類。五百人分の亡者の人生がそこには綴られている。

 女はその束の一番上の書類にかかれた赤い数字を一瞥した。浮かぶ感情は、先ほどから机に向かって書類を眺めていた時となんら変わらない。ただただ、つまらなさを感じるだけだ。


「わし好みの変わり種はおるかのう?」

「ゼロでしょうね」


 即答。


「やる気をなくさせてくれるのう、貴様は」


 ため息一つ、男に書類を持たせたまま女はドアへ向かって歩き出した。






 石造りの広間には天井がなかった。床はある。壁もある。壁をただくり抜いたような開けっぴろげなものだが出入り口もちゃんとある。ただ、天井がない。数千年前に体長十メートルほどの巨人の亡者が天井に頭突きをくらわした結果亡者たちが瓦礫に押しつぶされてしまうというちょっとした事件があって以来、この広間には天井がないのである。

 通告を前に、石造りの広間には人の群れが押し込められていた。その大多数は二足歩行で二本の腕をぶら下げ頭を一つ据えたいわゆる人間と呼ばれる者たち。自前の毛皮を纏っていたり鱗がついていたり尻尾が生えていたりと細かな違いはいくらでもあり年齢や性別も多種多様だが、最も数が多いのが彼ら人間である。そして彼らの中に交じって、人間同様の体の大きさをした獣や魚、昆虫たちもぽつぽつと見られた。

 広間の中央に寄せ集められた彼らはその身体的な特徴こそばらばらだが、みな一様に手や脚と思しき部位に枷を嵌められ口に猿轡をかまされ、そして統一してボロ布を着せられている。彼らに共通するのは、一つの例外もなく皆が亡者であるというその一点。

 広間の四隅には金棒を手にした鬼たちが一人ずつ立っていた。亡者は現世で言うところの囚人にあたる立場なのだが、それを監視する彼ら獄卒たちはさほど鋭くもない目でなんとはなしといった様子でその群れを眺めている。囚人に対する看守というには緊張感がなさすぎる態度だった。


「おーおー、亡者諸君が集まっとるのう」


 出し抜けに、声とともにエンマが姿を現した。この広間唯一の入り口から、鬼たちと同様に弛みきった空気を纏ってやってきた。それとは逆に、獄卒たちが崩れていた姿勢をほんの気持ち程度正す。

 エンマは赤い衣を靡かせながら、そこにいる亡者たちを避けるように壁に沿ってかつかつと足音を立てながら進む。手には執務室を出てからロクミョウから受け取った紙の束が抱えられている。

 彼女の出現により、亡者たちの中からくぐもった声がいくつか上がった。驚きなのか恐怖なのか怒りなのか、その声がどんな感情により生じたものかはエンマにはわからない。わからないし知りたいとも思わない。エンマにとって、それに対する好奇心は微塵もない。

 入口の丁度反対まで来て、足を止める。そこには一枚の石の板が浮かんでいる。手の平と同じ程度の分厚さの石板が床と平行にエンマの膝の辺りに浮かんでいるのだ。

 エンマはそれに無造作に足を掛け、ひょいと上へ乗った。板の上で両の踵を揃え亡者たちの方へ体を向ければ、石板はゆるゆると上昇を始める。亡者たちからは僅かなどよめきらしき声。エンマの視界に群れの最後列の亡者の顔が入ったところで、上昇は止まった。

 エンマは頭数個分高い場所から亡者たちの群れを眺めまわし、そして口を開く。


「自己紹介は不要じゃろうが名乗っておこう。わしがエンマじゃ。この第十四ヂゴクを統べる責任者であり、貴様ら亡者の量刑の決定権を持つ者」


 そこで一度言葉を止める。

 誰からも反応は返ってこない。亡者の口には猿轡があるのだから当然だ。よく見れば表情や身振りやらでなにかしらのリアクションをしている者も少なからずいるだろうが、エンマは別にリアクションを欲しているわけではない。

 彼女が興味を惹かれるような亡者がこの場にいないであろうことはもうすでによくわかっていることだった。


「それでは、これから貴様らに刑を通告する」


 執務室でのロクミョウとのやり取りとは正反対に、無駄話もせずさくさくと話を進める。

 エンマは手にしていた紙の束を、目の前の亡者たちの群れの上へばら撒いた。適当に放られた紙はその場で四方八方に弾けるように別れ、一枚一枚が花びらのようにひらひらと虚空を舞い始めた。風もないヂゴクの空の下、紙は自分の意思を持つようにそれぞれ亡者たちの元へ向かって行き、その鼻先で書面を見せつけるように動きを止める。


「貴様らの目の前の紙に書かれておる数字が貴様らの獄刑の刑期じゃ。これからその年数分ヂゴクで服役して、その後転生することになる。――以上。わしから伝えることはこれだけじゃ。通告終了。それではヂゴクライフをせいぜい楽しんでくれ」


 そう告げて、エンマは顔を下へ向けた。それを合図に、石板がゆっくりと下降を開始する。

 亡者たちはいまどんな顔をしているだろうか。エンマにはそれを確かめようという気も起きなかった。もう何千何万と言わずやってきたことである。彼らの反応など最早何万通りも見てきたものでそこに面白味も意外性もないということはわかりきっている。

 ヂゴクの管理というのもつまらないものである。これまた何万回目になるともわからない感想を抱きながら、エンマは年中黒く分厚い雲が広がるヂゴクの空を見上げた。


 そんなエンマの何気ない仕草と、亡者の群れからなにかが飛びだしたのはほとんど同時だった。声も音もなく、空中へと垂直に跳びだした人影は空中で方向転換。エンマに向かって真っ直ぐに突っ込んだ。

 気の抜けた獄卒たちが動く暇などなかった。それより先に、エンマ自身が動いていた。

 空を仰いだまま、右手を前へと突き出す。そして一瞬で距離を詰めてきた人影の頭部らしき箇所目掛け、


「――ばん」


 デコピンを見舞う。

 広間に、破裂音が響いた。

 人影が撥ね、群れの中へ落下する。


「……おお!」


 広間の四方から感嘆の声が漏れたのち、ぱちぱちと拍手の音が飛んだ。手を叩く鬼たちの顔には、エンマの身を心配する様子など微塵もない。そんなものが不要であることは彼らはよく知っていた。


「いまのは、なにかわしに文句があったのかのう?」


 エンマは視線を群れの方へ戻した。襲いかかってきた人影の正体を一応は見ておこうとしたのだが、石板が元の位置まで下降を完了してしまったため亡者たちの人垣で確認ができない。


「えーっと…………」


 エンマはくいくいっと右手で誰かを呼ぶように手招きをした。すると、件の下手人が倒れていると思しき場所から一枚の紙がふわりと浮かび上がる。いましがた配られたばかりのその紙は、ふわふわとエンマの所まで飛んできた。


「えー…………名前はグレード・ペリシア、男の傭兵か。覚えがないのう……。ふむ、他者が自分へ持っている悪意や殺意を視覚的に知ることのできる特殊能力を生まれながらに持っている。この能力を傭兵稼業に活かすことはできなかったが、自分に悪感情を持っていた同業者や元依頼者を次々に殺害……ほう、ヂゴク送りになった原因はここじゃな。他人からの嫌悪の感情があからさまにわかってしまいムカついて殺した、と。あー、なんか思い出してきたのう。その犠牲者は二百七十八人。二十年足らずでこれだけ殺したのは凄いもんじゃが、犠牲者の中に悪人がだいぶ含まれていたからそれのマイナス分もあって獄刑は八十年か」


 紙の右上には赤い字で八十という数字が書かれている。その筆跡はエンマのものだ。


「しかし、いまわしを襲おうとしたから獄刑は八十年にプラス百年で計百八十年じゃな。自分の刑期の長さが不満じゃったのか単にヂゴクが嫌じゃったのか知らんが、アホなことをしたもんじゃわ」


 まったく、とエンマは続ける。


「他の連中もアホなことは考えずに大人しくしておけ。わしじゃなくそこらの獄卒たちに危害をくわようとしても十年以上の刑期延長は確実じゃからの。誰もここに長居したくはあるまい?」


 問いかけて見たものの、返事はない。一人残らず猿轡をしているので当たり前のことである。


「ともあれ諸君、決められたルールは守ってこの第十四ヂゴクでの獄役をどうにかこうにか楽しんでくれ。数年かけて慣れてしまえば亡者としての生活もそうつらくはないと聞くしのう。わしは体験したことないしこれは伝聞でしかないが」


 そう無責任に言い捨ててエンマは石板から下りた。

 これ以上話すこともない。エンマたちに逆らいたがるやつはなにを言ったところで逆らうし、そうでないやつはそうでない。実力の差をわからせるにはもう十分。いまの光景を見てなおエンマに力で敵うと思う馬鹿がいたとしたら、そんな輩相手に言葉を尽くしたところで無意味である。

 棒立ちになっている亡者たちを尻目に、エンマはつかつかと出口に向かって歩く。その視界に、見慣れた白い頭が映る。


「……なにか言いたそうじゃな、ロクミョウ」


 出口の傍に立っていたロクミョウの前で、エンマは足を止めた。


「エンマ様好みの者、ゼロではなかったようですね」

「あんなもの、わし好みには程遠いぞ。あれと同じようなもの、貴様もいままで見飽きるぐらいに見たじゃろうが」


 微笑を浮かべるロクミョウに対し、エンマはジト目で否定しておく。あの傭兵程度ではエンマの期待には遥か及ばない。


「おや、そうですか。なにもしない連中よりはマシかと思ったのですが」

「あのレベルなら獄刑を受けている亡者の中にもいくらでもいるじゃろ。あんなものじゃなく、わしはもっとワクワクできるものを欲しているのじゃ」

「しかしまあ、ヂゴクというのは元々がそういうつまらないものですからね。エンマ様が求めるものなどなくて当たり前でしょう」

「そんなことはわかっておる。レアじゃからそれを追い求める。なにもおかしなことはなかろう」

「それがわかっているのなら不平を言わずに少しは我慢すればいいではありませんか」

「我慢は体に毒じゃ。口にしたからといって誰に迷惑がかかるわけもなし。自重する理由はないな」


 私はそれを聞かされて迷惑しているのですが、とロクミョウは困り顔で呟く。


「それに、わしはこんなつまらんヂゴクで少しでも楽しめるように自分自身でも行動を起こしておるのじゃ。求めるものがいつか向こうからやってくるのを口を開けて待っているだけの阿呆ではない」


 そう言って、エンマは再び歩き出す。ロクミョウもその後を追い、二人は広間を出た。


「もうあれの時期じゃろ? 年に一度のお楽しみの」


 そう問いかけたエンマの顔には、ほんの少しばかりの笑みが浮かんでいた。


「そうですねえ。昨年はひどい有り様でしたが今年はどうなりましょうか。今年の獄卒はしっかりとエンマ様の期待に応えてくれればよいですね」


 ロクミョウの方はさほど興味がないといった口調。


「今年は去年と同じ轍は踏まん。わしが一年間目を皿のようにして厳選した獄卒を任命する」

「その獄卒は余程期待できるのですか?」

「できる。やつは獄卒の中でもかなりの変わり種じゃしな」


 そう言って、エンマは自信を持った笑みでロクミョウへ振り返った。


「今回のヂゴクトーナメントは、きっとここ数百年で一番の盛り上がりを見せるじゃろう」

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