7月17日 ???

 初手で夢だなと気づく夢がある。今、目の前に広がる光景がそう。これは夢だ。

 根拠は二つ。一つは、私の足下をふんわり支える果てのない雲の地面。カリン様が持ってるデカい筋斗雲をさらに数十倍巨大化させたみたいなやつの上に私はいる。

 そしてもう一つ。いや、もう一人。

「あら、いらっしゃい。随分早い時間に来たのね」

 モデルルームのバスタブみたいに真っ白な髪をした女が、雲の玉座にふんぞり返っていた。

 夢の国の女王、微睡みのオレソンが私を迎えたのだから、ここは夢で間違いないのだ。

「良い心がけだわ。我が国にはこんな諺があるの『五分早く寝れば、その分電気代が浮く』」

「そんな極まりきった節約術教え込まれてもなぁ……」

 意味的には早起きは三文の徳とかと通じるとこあるけど……圧倒的に情緒がない。私はオレソンの目の前まで歩いて行って、雲の地面に腰を下ろす。人を駄目にするクッションよろしく、沈み込んだ私の身体を雲が優しく包み込む。

「ここがノンレム王国?」

「ええ。もう後で覚えてないとは言わせないわよ。正真正銘、女王として夢に出たんだから」

 ふふん、とオレソンは自慢げに微笑む。相変わらずキャラ作りに余念のない夢だった。服装も、女王に相応しいゴテゴテしたドレスになっていた。

 私は大の字に寝そべって思い切りノビをする。弛緩した身体をそよ風が撫でる。空は青々、日差しはポカポカ。否が応にも眠気が増す。横になったまま半開きの目で、見下ろすようにオレソンを見上げる。

「寝心地は認めるけど随分殺風景。女王なんだから、お城でも建てればよかったのに」

「地盤が緩くてね、建築許可がおりないの」

「夢がないなぁ……。夢のくせに」

 言ってから、私は「ふぁふ」と小さなあくびをした。

「間取りも国境もない世界よ。夢そのものじゃない」

オレソンは雲の椅子から立ち上がって、私の頭の横にしゃがみ込んだ。穏やかに微笑み、優しい声で囁く。

「夢で寝ると、風邪を引くわよ」

「うん。わかって……るって言いかけたけどよく聞いたら一切馴染みなかったわその教訓ッ‼」

 思わず身体を起こして反応してしまう。オレソンは笑って地面にお尻をつけた。

「ほら見て! あの大きな雲」

 そして無邪気に、遙か遠くにそびえる大きく盛り上がった雲を指さした。なんとなく羊の形をしているように見えた。

「あれはこの国の灯台よ。またここに来たくなったら、あの雲を探しなさい。あの羊――」

 オレソンがそう言ってる間に雲はうごめいて、さっきより細い形に変わってしまう。

「――――あのヤギの形をした雲を」

「羊はッ⁉」

 なに何事もないような顔で誤魔化そうとしてんだ。一番変化しちゃ駄目な物体でしょ、灯台。

「でも考えてみて。動く掃除機、喋るスピーカー、形を変える灯台。ほら、並べて言ったらなんかハイテクっぽくない?」

「ノーレンズスコープ。タイヤレスカー。ドリームクイーン」

「人を不良品と並べるんじゃねぇわよ‼」

 憤慨するオレソン。彼女の怒声と同時に突風が吹いた。羊……もとい、ヤギ雲が大きく流される。分断され、空気に溶けて消える。何とも言えない沈黙が私達の間を漂う。

「それで? どれがあなたの国の目印だっけ?」 

「うるっさいわね‼ 私が立つ場所、全てノンレム王国よ!」

「うわぁ……」

 清々しいまでの逆ギレである。そしてさり気なく滅茶苦茶傲慢なこと言いやがった。軽くひく。でも――。

「だけど、ちょっと羨ましい……」

 気づいたら、そう呟いていた。口に出してから言葉の意味を理解して、納得の上で続きを発音する。呆れるように、力なく笑みを作って。

「私もそんな風に言えたら良かったのになって、そう思った」

 私の身体から出た音、私の身体が表す空気。それを知覚したオレソンは突然、目を見開いた。

「――――そっか貴方は――そして、私は――――」

 オレソンが何かを呟く。その時、突然私の身体が、地面の雲をすり抜けた。

「え? うぁ、ぁぁああ‼‼」

 何処まで落ちても空に投げ出されることはない。ただ、白い背景の中を落ちていく。そして、相当な深さのところで、小さな空洞に出た。そこの地面は最初みたいなふわふわ雲で、私の身体はバウンドする。

「エノちゃーん! 来てくれたの~?」

 突然、誰かに抱き着かれた。陣内さんだ。ウェディングドレスに身を包んで、右手に槍みたいなでっかいフォークを持っていた。

「お越しくださってありがとうございます。こんなに喜んだ翔子を見るのは久しぶりです」

 陣内さんの隣に立っていたタキシードの男が深々とお辞儀をした。この男もでっかいフォークを持ってる。何となく見覚えのある顔だ。そう、たしか善光寺なんとかって俳優だ。

「エノちゃん、ゆっくりしていってね。ナポリタンしかないけど」

「江ノ本さん、何でも申しつけてください。ナポリタンしかありませんが」

 二人は各々のフォークで空洞の奥にあったナポリタンウェディングケーキをひとすくいして、私の顔面に押しつけた。

「エノちゃん美味しい? ねぇ? エノちゃん??」

 私は雲の壁に押し付けられて埋まっていく。暴力的な量のナポリタンが口にも鼻にも詰まり、呼吸手段が奪われる。苦しい。視界が霞む。

「エノちゃん! ねぇってば! エノちゃん!」

 迫りくるパスタの壁の向こう、遠のく意識の中で、陣内さんの声が朧気に聞こえた

 

 ***


 

「エノちゃん! ねぇってば! エノちゃん!」

「げぇっ‼ をぉおぉっほ‼‼ おぉぉへぇッ‼‼‼」

 盛大に咳き込んで、私は目覚めた。そこは店の休憩室で、隣では陣内さんが私の背中をさすってくれていた。

「もー、びっくりしたよ~。トイレの帰りに覗いたら、お皿に突っ伏して寝てるんだもーん」

えっとぉ……? 私は早番だから終わりも他の人より早くて……まかないを夕食にして帰ろうって量産されてるナポリタンを一つもらって休憩室で食べてたんだけど……その間にウトウトしてきちゃったんだっけ? 無心で仕事してた影響か、その後の行動も無意識でこなしてしまって記憶がハッキリしない。ほら、トイレの後にちゃんと流したか確信持てない時あるじゃん。ない? ああそう。

「ナポリって付いてて人を溺れさせるの、ナポリ湾だけだと思ってた」

「冗談じゃ済まないよー! 死んじゃってたかもしんないんだから~!」

 ハンカチで顔を拭きながら感心する私を、陣内さんはノンビリした迫力のない口調で叱った。

「いやでも、ナポリギャンブルとかナポリ権力に溺れる人もいそうだよね。ナポリ恐ろしいね」

「ナポリ怒るよ?」

 今度のはドスが利いてちょっと怖かった。ので「ごめんなさいありがとう助かりました」と素直に謝罪とお礼を言う。

 陣内さんは両手を腰に当てて、ふー、と安堵なのか呆れなのか曖昧な息を漏らした。そして「ちょっと待っててー」と早足で厨房へ行き、ものの数分で戻ってくると、湯気たつコーヒーを私の前に置いた。

「奢り。これ飲んでシャキッとしたら~、早く帰って、ちゃんとお布団で寝るんだよ」

「え……でも……」

 戸惑う私に、陣内さんは満面の笑みを見せる。

「友達、でしょ。こういう時は助け合い」

 気取った感じのない、ただただ無邪気な笑顔が、彼女の裏表無い良心を感じさせる。格好良いなと素直に思う。ただ恥ずべきことに、私はそんな陣内さんに微笑みを返すことが出来ない。

「…友達………ね…」

 友達、で良いのだろうか。私達は。

 陣内さんは小学校の同級生だ。低学年の時はよく遊んでたけど、クラス替えやらでいつの間にか話す機会が少なくなった。中学も同じだったがクラスは別々で、同じ校舎の中で陣内さんがどんな三年間を過ごしたのか、私は驚くほど知らない。私と陣内さんの人間関係はその辺りで完全に消滅していた。ハッキリした幕引きもなく、水たまりが蒸発するみたいに徐々に、いつの間にか。

 それが一週間前、応援に来た店で偶然彼女が働いていて私達は再会した。それから、さも親しい風に彼女と話し、そしてブームが去れば元の店に戻る。そしたらきっと私達はまた音信不通になるだろう。人生の半分より前の『仲が良かった』なんて夢の設定と同等くらいに唐突だ。

 唐突で期間限定。陣内さんにとっての私と、私にとってのオレソンと、何の違いがあるだろう。陣内さんも私も、コーヒーの一杯だって恵んでやる義理は無いはずなのだ。

 腑に落ちない感じの言い草に、陣内さんはわざとらしく口を尖らせた。

「友達で足りなきゃ、戦友だし」

「確かに忙しいけど戦場は大袈裟だって…」

「それに恩人だよ。私がヘマしてパクられた時、助けてくれたでしょ?」

「ドロケイでねっ! あっただろうけど‼」

「同じ釜の飯を食った仲じゃない」

「給食のこと⁉」

うちの学校、給食センターだったし、けっこう広いよ? その輪。

「あと同窓だし同郷だし同い歳だし、女同士で、同じように赤い血が流れてるし」

 陣内さんは誰にでも当てはまるような(ていうかカバー範囲がどんどん広がってる気がする)私との関係をまくし立てて、最終的に聖母のような慈しみの瞳で私を見つめる。

「同じ地球という星に生まれたんだからさ。助け合わないと」

 そして惑星全体を愛で包み込んでしまった。恐るべし陣内翔子、どこまでも懐の深い女である。コーヒー一杯でうだうだ言ってる自分が小さく思える。

「じゃ、帰り道気をつけるんだよ~」

 軽い感じでそう言って陣内さんは厨房に帰っていった。置いていかれたコーヒーはもう湯気を吐いてない。何を意地になってしまったのか、ありがとうって微笑めば済む話だった。

 コーヒーカップに指を通し顔に近づける。香りが鼻を抜け、覚醒を誘う。そのままカップを傾け口をつける。その直前――

 どんどんどん、と休憩室の扉が叩かれた。

 直感的な確信があった。カップを置いて扉へ駆け寄る。飛ぶように。

「あー、おねえちゃーん!」

 開いた扉の向こうで、早水が嬉しそうに笑った。

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