7月16日 朝

 何故だろう。早朝のファミレスで私は一時間前に出会ったばかりの幻と向かい合っていた。

「うーん、侮っていたわ。モーニングなんて軽食ばかりと思ってたのに、なかなかどーして」

 こした薄力粉みたいに真っ白な髪の女が私に言った。A3ぺらのメニューを熱心に眺めている。朝ハンバーグとか、朝ビュッフェとかって文字を指さして言う。

「この辺り、なかなか食いでがありそうね」

「どんだけメニューが充実してても、夢に食べさすものなんてないから」

 言い捨てた私は手を上げてウェイターを呼んで「アイスコーヒーとオレンジジュース、あとフレンチトースト」と短く注文を告げる。女は片方の頬を膨らませて不満気に目を細める。

 そんな目で見られる謂われはない。世間体を気にしてオレンジジュースを注文してあげたのを感謝して欲しいくらい。

「あと、モーニング・デラックス・ストロベリーパフェも一つ」

 と、私の思考の隙をついて、夢女が勝手な注文を付け加えた。私は撤回しようとするが、絶世の美女に「よろしくね」とウィンクされたウェイターは頬を染めてダッシュで厨房に駆けていってしまった。メニューを見る。1,980円。よりによってこの女、一番高いのを……ていうかモーニングにパフェを置くんじゃねぇ。

 やっぱり縛りつけてでも家に置いてくるべきだった。どうしてこうなったのか。

 

*** 


「きゃあぁああぁ‼‼」

 布団の中、悲鳴を上げたのは私の方だった。良い匂いがどんどん濃くなってくる。柔らかい身体の柔らかい部分が絡みついてくる。与えられる刺激が私の中で何かのキャパを大きく超えた。その末の絶叫である。

「おねえちゃん! どうしたのー? おねえちゃーん!」

 どんどんどん、と勢いのいいノック音が響く。早水だ! 今の悲鳴で驚かせてしまったか。

 私は慌てて飛び起きてドアを両手で押さえつける。放り出された札束は落下の衝撃で白帯が切れて散らばる。数百の諭吉もどきが「あ痛」「あ痛」「あ痛」と口々に呟いた。腕枕から転げた美女は上半身を起こして目をこすっている。が、そんなことに構っていられない。

「待っっって‼‼ 絶対入ってこないで、絶対ややこしいことになるから!」

 散乱する万札、ベットに美女。こんな『超効果!御利益パワーネックレス‼』みたいな状態で紅潮する姉の姿など、幼い妹に絶対見せられない。ていうか誰に見られてもサヨナラ現世だ。早水は「はーい!」と元気よく返事をしてドアから離れていった。聞き分けがいい、流石私の自慢の妹! 愛してるわ早水フォーエバー。

 息絶え絶え、安堵してドアの前でへたり込む。その背後で「「「おおお‼」」」と歓声があがった。嫌な予感を感じながら振り返る途中、シャーッという鋭い音が聞こえた。

 それはカーテンが開いた音のようで、さっきの美女が、こちらに背中を向けて窓の外を見つめていた。間違えて買った罫線無しのA4ノートみたいな真っ白な髪が、日差しを反射してきらめく。諸々の焦りを忘れて一瞬見蕩れてしまう。八百の諭吉もどきも千六百の瞳を輝かせて美女の裸体にデレデレしていた。お前らもっと日本銀行券としての誇りを持て。私もしっかりするから。

「ねぇ……、ここはどこ?」

 私達の視線など意に介さず、美女は振り返り私に聞いた。私は「でっっっか‼」と思ってから彼女の言葉を耳に通す。

「ここは現実。あなたは夢」

 手近にあったボストンバッグに諭吉もどき達を詰め込みながら(気分は銀行強盗である)私はぶっきらぼうに答えた。そして続ける。

「すぐに帰れるから、大人しくしてて」

彼女は自分の顎に手を当てて、人差し指で唇を叩いている。そして窓の外をチラリ、こちらをチラリ見てから、楽しげな――私からすると面倒の予感しかしない笑みを浮かべて言った。

「それは無理ね」

 今度はガラガラと音がした。窓が開く音である。窓はベランダに繋がっていて、ベランダは外に繋がっている。そこに彼女は裸のまま踏み出す。

「待てえええぇぇぇぇい‼‼‼」 

 猛烈なタックルで、私は彼女の腰に飛びついた。


***


 その後、どうしても外に出ようとする夢女を渋々連れ出し現在に至るというわけである。制御を諦め監視に重きを置いた結果だ。

「ケチケチすることないじゃない。お金ならたくさん持ってたでしょう?」

 私の横のボストンバックに視線をやって、夢女は言う。私は彼女の視線から隠すように、バックを足元に下ろした。

「これは使えない、こんなのすぐに消えちゃうの。夢から来たものは全部そう」

夢から出てきたものは時間が経つと幻みたいに消滅する。所詮は実体化した妄想だ。こんなのでお会計なんて、狸が落ち葉で買い物するようなもの。その場は騙せるかもしれないが、そんなインチキ、すぐ明らかになる。

 私は夢女の方を見て、でも決して目を合わせず、背後の壁に焦点を合わせるようにして言う。

「さっきのお金も、あなたも、今は見えてるってだけの幻」

 だから、こんな風に言葉を交わすことさえ本来すべきでない。こんなの全部寝言に等しい。まして、苦労して稼いだお金や貴重な時間を消費するなどありえない。

「夢のない意見ね。なるほど現実って感じだわ」

 彼女は涼しい笑顔のまま私の言葉を受け流す。夢のくせに揺らがない。彼女が夢だと伝えた時も何の疑問もショックもなく、その事実を受け入れた。不思議な夢だ。間違いなく悪夢だが。

「服と靴と下着を貸してあげたでしょ。私は充分にロマンチストで夢想家です」

 といっても高校時代のクラスTシャツにジャージとサンダル程度だけど。

 私が言った時、さっきの張り切りウェイターがやたら丁寧にオレンジジュースとアイスコーヒーを置いていった。立ち去りしな、夢女の大きく盛り上がった『3―A STORONGEST』の部分をチラ見して鼻の下を伸ばしていた。その視線を意に介さず、夢女は「そっちがいいわ」と私のコーヒーを強奪しストローで飲み始めた。

 うわ、夢がコーヒー飲んでる。良いけど大丈夫なのそれ? 吸血鬼がラーメン二郎食べるみたいになってない?

「……あなた、一体何なんだろうね」 

 私は思わず口にした。

「なぁにそれ? 私は貴方の夢なんでしょう?」

「それは間違いないけど……現実に来ても興味津々、余余裕綽々な夢なんて初めて。意思を持った夢の大体は、夢設定と現実の矛盾にパニクってる内に消えちゃうの」

 昔、所ジョージ(と呼ばれてた全くの別人)を連れて帰ってしまったことがあるが、TV見てアイデンティティ崩壊した末に発狂してたものな。夢ながらあれは気の毒だった。

「それに覚えがないの。あなたみたいな、やたら綺麗でおっぱいの大きいわかりやすく夢って見た目で食い意地が張ってて人の迷惑とか考えなさそうな失墜&ギロチンコンボ確定の女王様みたいなの。出てきたら絶対印象に残るはずなのに……」

 まぁ夢は覚えてるのが全てじゃないし、深い眠りの中で見た夢ってことも考えられるけど……。夢女は、かくん、と首を横に傾ける。

「今言ってた通りで良いんじゃない? 夢の世界から来た女王様。それが私。ってことにしときましょう」

「しときましょうって……」

「だって私も覚えてないんだもの」

 どうでもいいこと、とばかりにあっさり言って、夢女は扇でも開くみたいにバッと右手を広げた。その手を顔の横に持ってきて、顔をやや斜めに傾ける。

「控えなさい! 我こそはノンレム王国の女王であるわよ!」

渾身のキメ顔で、今考えましたって感じの啖呵を言い放つ。ノリの良い夢である。

「我が名は――ええと、名前は……」

そしてすぐ口ごもる。もしかして名前すら覚えてないの? え? なのにあんなデカい態度だったの? 不安とか遠慮とか感じたりしなかったんだろうか。つくづく揺らがない夢である。

 夢女は周囲を見回して「コップあ、コップい、コップう……」とか「フランスパ……ううん」とかブツブツ呻いている。最後にオレンジジュースに目を止めて。

「オレン……。オレ――、我が名はオレソン‼‼」

 そう名乗り、さっきのキメ顔キメポーズをつくって繰り返す。所詮夢のすること、深く関わるべきじゃない。私は彼女の中学二年生みたいな痛々しい言動を冷ややかに眺め――

「人呼んで、微睡のオレソン‼」

「シャキッとしろ女王‼ 陰口叩かれてんじゃん‼」

 ――ているだけのつもりが、思わず口を挟んでしまった。私のリアクションが期待通りだったのか、夢女――オレソンは満足げにニヤリと微笑んだ。そして『幻のポケモン』と空耳した小学生が遠くの席から振り向いた。違うよ!このお姉さんはミュウとかジラーチとは無関係だよ!どっちかっていうとゲンガーとかスリープの類いだから‼ 心の中で叫んだ私に、オレソンはわざとらしく眉を寄せる。

「なにか言いたそうね? いいわよ言ってみなさい。ただし――」

 彼女は備え付けの食器ケースからナイフを取り出して、十字架でも描くみたいに顔の前で数回振りまわしてから、その切っ先を私に向けた。

「私に無礼を働くと、王直属、うたたね騎士団が黙ってないわよ」

「食器で遊ぶんじゃありません。そんな気の抜けた名前の集団、誰が怖がるのよ」

 ナイフを上から掴んで取り上げる。オレソンは悪びれず、不適な笑みを浮かべてホールドアップ。顔の横で両手をひらひら揺らした。切り札を隠したラスボスみたいな謎の風格がある。

「ふふん。干したて抱き枕の鋭い剣と、低反発マットレスの屈強な盾に囲まれた時、果たして同じことが言えるかしら」

「天国じゃん!」

「訓練された騎羊の柔らかさに翻弄されるが良い‼」

「天国じゃんッ‼‼」

恐るべきうたたね騎士団。是非、現実に来て欲しい。できたら日曜日の朝とかに。オレソンは戦慄して頬を緩める私を眺め、一度ストローに口をつけてから、トドメとばかりに重々しく口を開く。

「でもなんと言っても、我が軍の真価は海戦にあるわ」

 ん? なぜ急に海? ああ、そういうことか。

「しょっちょう船こいでるってことね」

「あ……」

うたたね→居眠り→船をこぐ→海戦と繋げたわけだ。なるほど睡眠関係のワードを重ねてきた最後のオチとして十分な納得感がある。私は結構好きだ。夢にしては面白いことを言う。

 こくこく頷き感心する私に対して、オルソンは目を見開きわなわなと震えていた。

「あー‼‼ あー‼‼ あーーー‼‼‼」

 そして私を指さして、信号無視を糾弾する子供みたいな声を上げた。テーブルの下、猛烈に私の足を蹴ってくる。

「あっはっは! 痛い、痛いって、あっははははは‼」

「人の冗談を横取りするばかりか、心中で解説と評論まで! この人でなし!」

「ごめん! ごめん謝るから――あっは、はぁ~あっはははは‼」

 すねをに当たったから痛いには凄く痛い。でもこんなことでオレソンが子供みたいに怒るのが可笑しくて……私はすっかり涙目だ。夢と話してて、こんなに大笑いしたのは初めてだった。

「ふんっ」

 そっぽ向くオルソンの瞳も微かに潤んでいた。サンダルのくせに無茶をして、何発か机の脚を蹴ってしまってたのだ。その態度に私はまたくつくつと笑わされた。非難がましく、オルソンの目玉がこちらを向く。

「ごめんってば、ほらパフェが来たから。快く奢ってあげるから許してよ」

 張り切りウェイターがオルソンの前にパフェを置いた。オルソンは無言で、ためらいがちにスプーンを手に取る。眉を釣り上げてるが、あからさまに表情が緩んでいる。

「ま、まぁ……貴方がそこまで言うならいいわ、今回はこれで―――」

 オルソンが気取った態度でそこまで言った時だった。


 シャンッ、と鈴が鳴るような音がした。


 スプーンが床に落ちたのだと理解するまで、私は数秒を要した。顔を上げると向かいの席には誰もいない。オルソンが夢に帰ったのだと気づくのに、更に数秒かかった。

いや、逆か。

 彼女が抜け殻みたいに残したTシャツ、ジャージ、サンダルを空になったボストンバッグに詰め込む。その動作も含めて四十秒。

「お待たせしました」

 ウェイターがキョロキョロしながら私の前にフレンチトーストを置いた。空っぽになったグラスを下げた。それを合わせてちょうど一分くらい。

 たった一分。その程度のインターバルで騒がしかった夢は消え失せ、私はいつも通りの朝食を再開できる。笑いもすっかりおさまった。もう彼女の痕跡なんて、非常識に大きいパフェだけだ。スマホなんて取り出せば、完璧にありふれた日常だ。

 ただ、いつもと違うこと。新着メールが一件。着信も。

『from高雄さん 

 ギリギリまで待っても明日が限度だそうです。都さんが忙しいのはわかってますけど来てくれると助かります。できたら今日中に連絡ください』

 短くため息。だから、朝は嫌いだ。人のことを急かしてばっかりで。

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