夢の灯台

あさって

7月16日 早朝

 夜道を走っていた。私は追われていた。

 ギラリと、奴らの着るサッカーブラジル代表の黄色いユニフォームが街灯の光を反射する。そう私は、西東にしあずま中卓球部に狙われていたのだ。

くそ、流石に速い……。タクシーに乗った奴らの魔の手は時速四十キロで着実に私に接近していた。

 なんとか自宅の前まで辿り着いたが、イトーヨーカドーはもう閉店してしまっている。私の家は三階なのにっ……これじゃエスカレーターに乗ることができないじゃない……‼ シャッターに拳を叩きつけ、一度落ち着く。駐車場にまわり、発券機から駐車券を抜いて警備室に持っていく。休憩中の用務員さんがハンコを押してくれて、私は中に入ることができた。高校のクラスメイト達がポッポでタコ焼きを食べてるのを尻目にエレベーターに乗って西武新宿線へ乗り換える

 気持ちよさそうに寝ていた妹の早水はやみを起こして東村山で下車――ここまでくればニュージーランドまで徒歩三十分といったところだ。少しギリギリだな……。

 そう思っていると早水が「これあげる」とエラノーケルをくれたので、私はエラノーケルをかぶってプールに飛び込んだ。それはそれとして、両親が各々四百万ずつ、計八百万くれた。福沢諭吉の肖像がこちらを向いて「これでバイト辞められるね」と言った。たしかに‼‼


ピピ、ピピ、


ピピ、ピピ、ピピピピピ


ピピ、ピピ、ピピピピピ、ピピ、ピピ、ピピピピピ



ピッ♪

 

「…………夢オチなんて、サイッテー」

 エラノーケルってなに? エラ呼吸できんの? すげぇね。

 寝ぼけ眼に最初に写ったのは天井、円盤形の電灯カバー。オレンジ色の小さなランプが灯っているが、カーテンの隙間からは既に太陽光が差し込んでいて、頼りない暖色は何のリラックス効果も発揮しない。私は舌打ちみたいに短くため息を吐いた。

 朝は苦手だ。

 嫌いと言っていい。それには一般的な理由と、私だけの理由が一つずつ。

 朝である、という事実がまず駄目だ。それは明日だったレポートの締め切りが今日になることであり、終わらせ「なきゃ」が「せたかった」になることであり、怒られるかなぁ~なんて漠然とした不安が確かな現実となることを意味する。

 明けない夜はない。なんて残酷な言葉だろう。

 欲望丸出しの馬鹿みたいな夢を見てしまったら尚更。ご都合主義的展開で心には助走がついてるのに、それは勘違いで身体は重いまま。ゴールドエクスペリエンスに殴られたブチャラティみたいな気分だ。「な、なにイィィィィィィッ――ッ」と予想外の攻撃を受けたみたいなリアクションを内心でしてみるが、ただぬか喜びしただけで、ただ朝に弱い女がいるだけの現実である。馬鹿らしくて笑える。

 が、呆れ笑いでも多少の元気は出た。案ずるより産むが易し、あと五分は現実逃避。まず必要なのはさらなる明かり、重い右手を電灯の紐へ伸ばし――たところで、手が重いのは気だるさのせいだけでないことに気づいた。

 顔の上空に掲げるように伸ばした右手。左手も同じように上げる。その手には片側四つ、両方合わせて八つの札束が握りしめられていた。素直に一束百万と考えるなら、八百万円あるのだろう。各束の一番上の肖像、八人の福沢諭吉がギョロリとこちらを見て口々に話し出す。

「ここだけの耳寄りな」「情報なんだけど」「一日たった数時間」「机に向かうだけで」「ワンランク上の人間に成れる」「とっておきの方法」「興味ない?」「あるよね!」

 一見悪徳に見えてただ学問をすゝめているだけの福沢諭吉もどき達を眺めながら、さっきよりも大きなため息を一つ。朝が苦手である私固有の理由を思い出す。

 私、江ノ本 都えのもと みやこは夢から現実へ、あらゆる物体を持ち帰ってしまう体質だ。

 能力なんて呼ぶほど良いものじゃない。望んで身につけたわけではないし、コントロールもできない。だから私は体質と呼んでいる。「食べたら眠くなる能力」とか言わないのと同じだ。

「「「ね? 興味あるよね?」」」

「ちょっと黙ってて。できないなら台所で燃やしちゃうから」

 一斉に口を紡ぐ諭吉もどき。

 現実世界に来た夢は物理法則にのっとって、他の現実と影響を与え合う。面倒な事態を引き起こすものもある。だから私の一日は夢の後片付けをするところから始まるのだ。何かと時間のかかる朝の準備に、余計な作業が加わるわけだ。眠気倍増。がっかり感も大増量。

 だから、朝は嫌いだ。

 そう思った時だった。ベットの中で何かが動いて脇腹に触れた。柔らかくて温かい何か。何これ? タコ焼き? でも肌触りはサラサラで、それにもっと大きい。子犬くらい――いやもっと、私よりも……⁉ 浮き上がった掛け布団の隙間から甘い匂いが漏れ出す。何かは布団から顔を出して私の二の腕に頭を乗せた。

「ふわぁあぁ~あ、あふ」

 それは、女だった。窓の外で青空に積もる入道雲みたいな、真っ白な長い髪。冗談みたいに整った顔立ちの女が私の隣、素っ裸で眠っていた。

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