ペンギン・リベラリズム

リタ(裏)

ペンギン・リベラリズム

「さ、今日のレッスンはここまで! ……明日はオフだから、各自しっかりコンディションを整えてきなさい」


 プリンセスの張りのある声が、静かな夕暮れの海岸に響く。砂浜に浮かぶ鉄錆びた舞台の上には、5つの人影。かつての海水浴場には訪れる人もなく、朽ちた海の家の土台が『PPP』の練習場として用いられていた。


「お疲れさまでした。私はこれで失礼します」

「じゃあな、コウテイ。プリンセスもちゃんと休めよ? ジェーンからも言われただろ」

「バイバイ、みんな。わたし、お腹空いちゃったから帰るね……」


 メンバーはそれぞれ好き放題に別れを告げ、自らのねぐらへと急ぐ。長く伸びた影法師が、ひとつまたひとつと砂浜から消えていった。自身も一息ついた『コウテイペンギン』が周囲を見回すと、巡回とジャパリまんの配給を終えたラッキービーストらが列を成して草陰に消えていく所であった。どことなく満足気な彼らを見送りながら、コウテイペンギンも自らのねぐらへと帰ろうとした、その時。


「……わっ、ボス!? ここにもいたのか……」


 ふと目線を下げたコウテイペンギンの足元に、1台のラッキービーストが佇んでいた。危うく蹴り飛ばしそうになり、振り出した片足を慌てて引っ込める。コウテイは腰を屈め、ラッキービーストに視線を合わせた。彼は小さく体を揺らすと、コウテイから数歩後ずさる。そしてまた動きを止め、彼女をじっと見つめるのだった。


『ついて来いってことか? ボスにしては珍しい、いや、初めてのことかな』


『土産話にしたら皆は驚くだろうか』と他愛もない考えを巡らせながら、コウテイは気の抜けた足音を追った。



 ――

 ――――



 絡み合った流れ藻が寄せては返す波に弄ばれている。砕けた貝殻が転がる、生臭な砂浜。半ば水平線に没した太陽の光を受け、1人と1台は海岸を歩む。ラッキービーストを追ってどれだけ歩いたのだろうか。無駄足だったか、とあきらめかけたその時。ふいにラッキービーストが歩みを止め、機械の瞳を瞬かせた。その視線の先にはひとりの人影があった。


「おお、本当に来た」

「……どうも、私は一杯喰わされたって訳か」


 明滅するライトに照らされ現れたのは、コウテイに瓜二つのアニマルガール。濃い橙色のヘッドホンが夕日を浴び、さらに鮮やかさを増した。彼女の名は『キングペンギン』。ご苦労さまとラッキービーストを抱え上げると無造作に投げ捨て、呆れ顔のコウテイに向っておどけるように肩を竦めて見せた。砂にまみれたラッキービーストの狼狽する声が波音に混じるが、すぐに静かになる。


「ボスに頼めば何とかしてくれるってのが、まさか本当だったとはな。どこで聞いたかは…… まあ、コウテイなら分かるだろう?」


 キングペンギンはにやりと口角を歪ませた。ペンギンたちにあることないことを吹き込んで回るのはコウテイの思い付く限り一人しかいない。呆れたように頭を振りながら、彼女はキングペンギンへ歩み寄る。


「せっかくなんだから、直接会いに来ればいいのに。ボスを騙したのか」

「人聞きが悪いね。どうしても会いたい子が居るって頼み込んだら、ボスの様子がいつもと違うようになってな。まさかともう一押ししたら、そのまさかよ。……でも、会いたかったのは本当さ。そう卑屈になるなよ」


 キングペンギンはコウテイの肩に手を回し、もう片方の腕で軽く彼女を小突いた。コウテイは渋い顔をしながらも、まんざらでもなさそうに受け入れる。キングペンギンの飄々とした口振りが、コウテイの言葉を誘う。PPPのこと、コウテイが縄張りを去ってからのこと。新たな地方での経験、不毛の極地エリアに残った者達のこと。二人の間に溜まった長い時間を解きほぐすように、そしてまた、ひとつひとつ積み重ねるように。沈みゆく太陽の輝きは刻々と弱まっていくが、二人の頬はより赤みを増していった。



 ――

 ――――



「……さて、一潜りしてくるかな。悪かったな、コウテイ。今まで散々付き合わせちゃってさ」

「いや、いいんだ。久し振りに話せて良かった」


 キングペンギンは重ねた手を解き、立ちあがって大きく伸びをした。潮が満ち始めた海原へと歩き出す彼女を追い、コウテイも立ちあがる。


「まだ遅くないだろう、私も一緒に行くよ」

「……いや、ここでお別れだ。もしものことがあったら、次の私もよろしく頼むよ」

「何を言ってるんだ。笑えないぞ」

「コウテイ、私は……」


 キングペンギンは唇を小さく震わせ、何かを呟いたようだった。しかしその言葉は波音に掻き消されコウテイの耳には届かない。追い縋るように駆け寄るコウテイの足が濡れた砂に絡め取られる。バランスを崩しよろめくコウテイを尻目に、キングペンギンは静かに波間へ身を沈めていった。


 コウテイペンギンが砂まみれの体で波打ち際に駆け寄ったときには、彼女の姿は跡形も無く消えてしまっていた。2人の足跡さえも波に洗われ、まるで最初からコウテイが一人きりだったかのようだ。砂浜は静かに口をつぐみ、絶え間ない潮騒が彼女の荒い息づかいさえも掻き消してしまう。


「本当に、あいつは…… 冗談じゃない」


「……冗談でも言わせないぞ」


 波間に消える前、彼女は何を言っていたのだろうか。不意にコウテイの心臓が締めつけられた。ただのタチの悪い冗談だと自分に言い聞かせるたび、反動のように湧き上がる不安が鎌首をもたげる。もしかしたら、でも、あるいは。ささくれ立った感情がまるで渦潮のように心を締め上げる。


 闇に呑まれる水平線は空と混ざり合い、黒々とした大きな口を広げている。たとえペンギンであっても、いや、ペンギンだからこそ。海は何の前触れも無く平等に全てを奪い去っていくことを、彼女は知っていた。絶え間なく押し寄せる感情の波に、彼女の心は耐え切れなかった。打ち寄せる波が泡となり砕け散るように、コウテイの意識は一瞬で白く塗り潰された。


 コウテイペンギンは海原へ首を差し出すようにうなだれ、気絶したまま暗い夜を迎えた。いつの間に復帰したのだろうか、投げ捨てられていたラッキービーストが不安気にコウテイの顔を覗き込んでいた。



 ――

 ――――



 夜霧に霞む砂浜に、ラッキービーストの足音が響く。その背後でラッキービーストの足跡を辿るのは、白黒の『アデリーペンギン』。彼女を先導してきたラッキービーストは、気絶したコウテイの前でカメラアイを明滅させた。


「……ボスに連れられてきたら、コウテイじゃないですか。こんなところで何してるんですか?」


 ラッキービーストに促されるがまま、アデリーペンギンはコウテイへ恐る恐る近づく。しかし、いくら足音を立てても、わざとらしく砂を掛けてみても一切の反応が無い。しばらく後、彼女は痺れを切らしたようにコウテイへ近付くと、ぐいと彼女の顔を覗き込む。アデリーペンギンの目に飛び込んできたのは、白目を剥いたコウテイペンギンの顔。


「げ、またキゼツしてるじゃないですか……」

「悪いね、私のせいだ。でも、責任感が強いコウテイも悪い」


 突然背後から声を掛けられたアデリーペンギンは、弾かれるようにコウテイの背後に隠れた。彼女を盾にしながら恐る恐る海面を覗き込むと、泡立つ波間から悪戯な笑みを浮かべたキングペンギンが顔を覗かせている。事情と原因を察したアデリーペンギンはあからさまに不機嫌な顔つきになった。


「オウサマ。また何かしてたんですか。どうせロクなことじゃないんでしょうけど」

「……リーダーたるもの、何かを失うことに慣れなきゃいけないだろう。無理が通れば道理は引っ込む、ならぬ堪忍するが堪忍……」


『“コウテイに覚悟を決めさせろ”とアイツに言われたんだ』と、キングペンギンはぶっきらぼうに言い放つ。対するアデリーペンギンは、苦虫を噛み潰したような顔で大きく溜息を吐いた。


「……オウサマ、あのメンドウな先輩に似てきましたよね。あんなのが二人になるなんてカンベンですよ、本当」

「そりゃあゾッとしないね。じゃあ、後は頼んだよ。……私にはまだやることがある。ああ、それに、コウテイは私の大切な友人だ、失礼のないようにな」

「は? ふざけないでください。いや、逃げるとかおかしいですよ」


 不服そうなアデリーペンギンと未だ目覚めないコウテイペンギンを浜に残し、キングペンギンは黒く染まった水中へと身を沈めた。



 ――

 ――――



 無数の泡が彼女の体を包み込み、冷たい潮水が心臓を締め付けた。いつもの水圧とも違う、奇妙な感覚だ。キングペンギンが仄暗い海底を覗き込む。その瞳を見返すように、濁った双眸の光が海底から彼女を捉えていた。渦を巻くホタルイカの群れが輝き、ぼんやりとした人型のシルエットを浮かび上がらせる。深海へ引き込まれそうなほどの恐怖を呑み込み、キングペンギンは水底の『ジャイアントペンギン』に向かって啖呵を切った。


「やっと分かったよ、先輩。アンタはああいったが、私はそうは思わないってことをな。コウテイは私を追ってくれた。彼女の優しさは弱さじゃない。力だ!」


 ふん、とジャイアントペンギンは泡を吐き出す。青白い光が霧散し、人影は解けるように深海に消えた。ジャイアントペンギンが放った泡はキングペンギンの眼前で弾け、虚を衝かれた彼女は思わず水面へと逃げ出した。月明かりに満ちた水面を突き破り、銀色に輝く飛沫が水面にゆがんだ波紋をつくる。


「ッはあ!……は、はは、言ってやった、言ってやったぞ」


 顔を引き攣らせながら、キングペンギンは自身に対して気付けをするように語気を荒げた。波に呑まれないように抗うのが精いっぱいだったが、ジャイアントペンギンが居る海底に留まるよりは余程マシだ。


「……で、何を言ったんだ?」

「は、そりゃあコウテイ、あのいけ好かない先輩に……」


 はっと我に返り、べったりと顔に張り付いた濡れた前髪を除ける。キングペンギンの眼前に、波間に浮かぶコウテイペンギンが飛び込んだ。不服そうに眉をしかめたコウテイは、目を点にしたキングペンギンに食って掛かる。


「やっと目が覚めたよ。ああ、話は全部アデリーに聞いたからな」


 思わずキングペンギンは目を逸らしてしまう。だが、コウテイは両の腕で彼女の頬をぐいと掴み、無理やりに向き直させる。キングペンギンがしぶしぶ目を合わせると、コウテイの目は今にも溢れ出しそうなほど涙を湛えていた。


「……もう二度と、あんなことは言わないで欲しい。誰かを失うなんて、私は絶対に嫌だ」

「ああ、ああ。それでこそだ。臆病で、糞真面目で…… 今の言葉を、絶対に忘れないでくれ。お前の力で、目に物見せてやろう」


 キングペンギンはコウテイの両手を強く握り返し、笑いながら涙を溢した。


「あの二人、ホントに仲良しですよね。……羨ましいぐらい」


 波間に見え隠れする白黒の2人を眺めながら、ボスを抱えたアデリーペンギンが独りごちた。歪んだ月は高く南の空に輝き、光の道筋を群青色の海面に投げ掛けている。どうやら、夜はまだまだつづくようだ。

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