仲間

仲間①

リアンがホームレスとなり、三日が過ぎた。


朝食を食べ終わり、いつものように教授のピアノレッスンを終えたリアンの元に、ジョルノが訪れた。


「教授、帰ったのか?」


「はい、帰りました」


「そうか、なんか無情にピアノが聴きたくなったんだ」


「じゃあ、弾きましょうか?」


「おう、頼むよ!」


リアンはピアノの鍵盤に指を這わせ、思いのまま弾き出した。


心地良いピアノの音色に鼓膜を擽られたジョルノは、いつも通り目を閉じる。


そしていつものように、うっとりとした表情を浮かべた。


聴く者に時間の流れを忘れさせるリアンのピアノ演奏。


それは、やがて終わりを迎えた。


暫く余韻に浸っていたジョルノは、目を開くと、リアンに拍手を送った。


「…リアンも幸せ者だな。伝説のピアニストから、ピアノ習ってるんだからな」


「え?」


「なんだ知らなかったのか?教授の正体」


「…え?…はい、知らないです」


教授が只者ではない事には気付いているが、その正体をリアンは知らされていない。


「そうか…ホームレスなのに毎日俺達に飯を買ってきてくれるだろ?不思議に思わなかったのか?」


「…はい、不思議に思い教授に聞きました。…金持ちのホームレスだって言ってましたけど」


「そうか、聞いたのか…じゃあ教えてやるよ教授の正体」


ジョルノは笑顔を作った。


「リアンはジョルジョバ・フィレンチって名前、聞いたことないか?」


「…ジョルジョバ?…聞いた事あります」


「…リアンの年頃でも知ってるんだな」


ジョルノはそう言うと、遠い目をした。


「教授は昔、世界的に有名なピアニストだったんだよ。わしらの年頃だったら、誰でも知ってるぐらい有名なんだ」


リアンはそれを知っていた。


酒場の常連客達の口から、ジョルジョバの名と共に、その名声を幾度も聞いた事があったのだ。


「…そうなんですか」


突然知らされた事実に、リアンは実感が湧かないまま答えた。


「リアンは、マドルス・ソーヤって知ってるか?」


突然、祖父の名前が出て来て、リアンは驚いた。


「…知ってます」


しかし、リアンは、自分が孫である事を伝えなかった。


「マドルスは、世界でも今世紀最高のピアニストって言われてるけどな、それはジョルジョバがいなくなってからの事なんだぞ。それにジョルジョバは、今世紀最高ではなく、歴史史上最高の天才ピアニストと呼ばれていたんだ。しかし、まだ人気絶頂だった頃、突然姿をくらました」


「…だから、ピアノが凄く上手なんですね」


ようやく実感が湧いてきたリアンは、教授のピアノの音を、頭に鳴り響かせながら呟いた。


「あぁ、わしも昔はちゃんと仕事してて家庭もあったんだぞ。ずっとホームレスって訳じゃないんだからな。わしの話はいいとして、わしがホームレスになってこの街に来た時、教授と出会って、我が目を疑ったよ!あのジョルジョバがホームレスの格好して目の前に居たんだからな!そしてわしらは仲間になった。教授は昔から、毎日わしらに飯を喰わせてくれた、大恩人だよ…わしはなんでジョルジョバがホームレスになったのか不思議で聞いたんだ。そしたら教授は、金と名声を手に入れて、もう飽きたと答えた。だからホームレスの真似事をしてるって言ったんだ。教授は昔から変わり者なんだよ」


「…そうだったんですか」


教授に対する、あらゆる疑問が全て解けた。


あんなに素晴らしいピアノの音を奏でられるのも、ホームレスなのに食材を買ってこれるのも、全ては歴史史上最高と謳われた天才ピアニストだったからなのだ。


「今の話は教授には内緒にしとくんだぞ。教授は昔の話をすると嫌がるからな」


「はい、分かりました」


「…じゃあ、わしは日課の散歩にでも出掛けてくるかな」


ジョルノは軽やかなに右手を上げると、リアンに別れを告げ、小屋から出て行った。


一人残ったリアンは目を閉じ、記憶にある、教授のピアノの音を頭の中で鳴り響かせる。


やはり、あんな素晴らしいピアノの音色は聞いたことがない。


一音一音には迷いが無く、その一音だけでも桁外れに素晴らしい。


リアンの中で教授のピアノは、神がかり的な存在になっていたのだ。


「…よし、僕も弾こう」


ピアノの前に座ったリアンは、教授から習った曲を弾き出した。


数時間、夢中で弾いていると、ドアが開いた。


しかし夢中で弾くあまり、リアンは誰かが入ってきた事にさえ気付かない。


リアンの昼飯を持ってきた教授は、目を閉じピアノを弾き続けるリアンを笑顔で見詰める。


そして一時間程、リアンのピアノ演奏を聴いていた教授は、テーブルに載せたサンドウィッチの前に、リアンに向けたメッセージを残し、小屋を出た。


数時間後。


未だ夢中でピアノを弾き続けるリアンは知らないだろうが、空は茜色に変わっている。


ドアが開いた。


すると、教授が夕飯の材料を持って小屋に入って来た。


「…あっ、教授」


リアンはピアノを弾く手を、十時間振りに止めた。


教授はテーブルの上に置かれたままの、サンドウィッチを一瞥すると、にっこりと微笑んだ。


「リアン、腹減ってるだろう?」


「え?…いえ、それほど減ってません」


まだピアノを長時間弾き続けた興奮が冷めないのか、リアンは空腹を感じなかった。


「そうか…皆はまだこなそうじゃな。たまには、わしが夕飯を作ろう」


リアンに少しでも早く、温かなものを食べさせたい思いから、教授はそう言った。


「僕も、手伝います」


教授はリアンの申し出を素直に受け、二人は外に出た。


そして、焚き木に火をお越すと、二人は夕飯の支度を始めた。


鍋の中に教授が切った野菜を放り込み、リアンが味付けの塩を入れる。


こうして二人で料理を作っていると、ジャンのことを思い出し、リアンは胸が苦しくなった。


「…ん?どうしたらリアン?悲しそうな顔をして」


「…なんでもないです」


リアンは無理に笑顔を作り、答えた。


「教授!リアン!」


リアンが作り笑顔を浮かべていると、ジョルノ達が揃って現れた。


「おぉ、今日はわし達が作った飯じゃぞ」


教授は鍋の中の灰汁を取りながら、言った。


「えっ?料理嫌いの教授が作ったの?」


ジョルノは腹の虫を鳴らせながら、驚いた顔をしている。


無理も無い。


教授とはかなり長い付き合いだが、一度も料理をしている姿を見た事がないのだ。


しかし、皆は知らないが、教授は料理をする事を嫌っている訳ではない。


教授は幼い頃から、ピアニストになる為に、両親から指を切る恐れのある包丁を使う行為を禁じられていたのだ。


そしてピアニストになってからも、料理をする事はなかった。


その習慣は、表舞台から姿を消した今でも続いているのだ。 


しかし今日は、早くリアンに温かな料理を食べさせたい思いに駆られ、教授自身、握った記憶の無い包丁を握った。


そして、共に料理をしたリアンには、一度も包丁を握らせる事はなかった。


それは、まだ開花していないが、ピアニストとして、将来のあるリアンを思っての行動だ。


「もう少しで、出来上がるから小屋の中で待っとれ」


教授は恥ずかしそうに、小鼻を掻くと、おたまで小屋を指した。


「はーい」


ジョルノ達は、嬉しそうにお腹を擦りながら、小屋へと入って行く。


三人が小屋に入ったのを見届けた教授は、鍋の中のスープをおたまで掬い、味見した。


「ふぉふぉふぉ、美味い!リアンは味付けの天才じゃな!ほれ、リアンも味見してごらん」


おたまをリアンに差し出し、教授はにっこりと微笑んでいる。


リアンはおたまを教授から受け取ると、スープを掬い、味見した。


「美味しいです」


「そうか!ふぉふぉふぉ!じゃあ中に運ぼう」


二人は鍋を持ち、三人が待つ小屋の中へと入って行った。


「お!できたか!腹減った!」


ジョルノ達は、うれしそうにリアン達を出迎えた。


教授は鍋をテーブルに載せると、熱々のスープを皿に盛り付ける。


リアンはパンを紙袋から取り出し、皆の開かれた手の平に置いて行くと、それぞれのグラスに水を注いだ。


「よし、食べようか」


教授がそう言うと、皆、器用に太股の上にスープの入った皿を置き、テーブルに置いたグラスに蓋をする形で、手に持つパンを置くと、両手を合わせて、いただきますの合掌をする。


こんな時にこそ、物を置けないテーブルの狭さに誰か何か言わないのかと思うものだが、まだ慣れていないリアン以外は皆、平然とした顔をしている。


もはや、皆、皿を太股に載せたまた、いただきますをする、その道のプロと言ってもいいだろう。


「うん!美味い!」


ジョルノはスープを啜り、ボーノボーノと人差し指をほっぺの上でぐりぐりとしている。


そしてよほど美味いのか、ジョルノはパンの存在を忘れたように、スープだけを飲み干し、おかわりをした。


「なぁ教授、今日ドラム缶発見したんだ。毎日水風呂じゃ物足りないから、ドラム缶風呂にしようぜ」


ジョルノはようやく食べ出した、パンをほうばりながら言った。


「そうじゃな、わしらは水風呂に慣れてるからいいが、リアンは慣れてないだろうから、熱いドラム缶風呂がいいじゃろ?」


「え?ドラム缶風呂ですか?…僕は水風呂でも大丈夫ですよ」


ホームレスになってからのリアンは、水道で頭と体を洗ってはいる。


だが、熱い風呂に入りたい気持ちはあるだろう。


リアンは遠慮しているのだ。


「リアン、わしが入りたいじゃ!明日からドラム缶風呂にしよう!」


リアンの遠慮に気付いたのかは定かではないが、ジョルノは笑顔で言った。


「明日ドラム缶、この小屋に持ってくるからな!」


「はい」


リアンは熱い風呂に入れる喜びで、思わず笑顔になった。


それから夕飯を食べ終わると、昨日のようにピアノの演奏会が始まった。


最初はリアンが弾き、最後に教授が弾き、小屋の中は昨日にも増して、拍手の渦が巻き起こる。


そして宴は終わり、皆はそれぞれの寝床へと帰って行った。

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