ホームレス
ホームレス
「…ふぁ」
リアンは、布団の中で目覚めた。
昨日、夜まで続いた宴会の後に、教授が布団や歯ブラシなどの生活用品を持ってきてくれたのである。
そして、ピアノの真横に布団を敷き、床に就いたのだ。
布団から起き上がったリアンは、真新しい歯ブラシを持ち、小屋の外へと出て行く。
そして歯を磨いた後、小屋の裏にある水道の蛇口を捻り、口を濯いだ後、顔を洗った。
リアンは昨夜、教授からこの水道の事を聞かされている。
この水道は、誰に咎められる事もないので、自由に使って構わないとの事だ。
しかし、何故使っていても、誰にも咎められないのかは、リアンは理由を聞かされてはいない。
『水道は堂々と使うべし』
昨夜教授は、笑顔でこんな言葉をリアンに伝えている。
その笑顔があったからこそ、リアンは遠慮せずに、この水道を使っているのだ。
顔を洗い終わったリアンは、タオルで顔を拭くと、頬をぴしゃりと叩いた。
小屋に住めると云えど、ホームレスになったリアンに不安がないといえば嘘になるが、大好きなピアノがある小屋で暮らせる喜びもあった。
「…弾こう」
顔を洗い終えたリアンは、小屋に戻り、ピアノの鍵盤に指を這わせる。
静かな朝に、鳥のさえずりに紛れ、美しいピアノの音が木霊していく。
「コンコン」
丁度演奏を終えた所で、ドアがノックされた。
「はい」
リアンは立ち上がると、急いでドアへと駆け寄る。
「おはよう」
そう言って教授は、ドアから笑顔を覗かせた。
その手には、紙袋が握られている。
「おはようございます」
「朝飯、持ってきたぞ」
教授は紙袋を顔の前に掲げ、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
リアンは、深々と頭を下げた。
「そんな堅苦しい礼なんかせんでいい。これから毎日、持ってくるんだからな。わしが恐縮してしまう。もっとフランクにちーす!ぐらいでいいぞ」
和まそうとしているのだろう、教授なりにユーモアを交えて言った。
「ぷっ!分かりました。ありがとうございます」
教授の優しさが伝わったリアンは、思わず吹き出した後、笑顔でお礼を言った。
「うむ、よし食べよう」
二人してテーブルの前に座ると、教授は紙袋からパンと牛乳を取り出し、テーブルの上に置いた。
「さあ、食べよう。いただきます」
「いただきます」
二人は両手を合わせた後、パンにかぶり付いた。
「…うまいか?」
「はい!おいしいです!」
パンはまだ温かく、焼き立てなのだろう、ほのかに湯気が立っている。
「そうか、そうか」
教授は孫を見るような優しい目付きで、リアンを見詰める。
見詰められている事に気付いていないリアンは、焼き立てのパンを食べながら、ある事を考えていた。
それはこのパンは、教授が買ってきたのかどうかという事だ。
ホームレスの教授に、お金なんかあるとは思えない。
「…教授、このパン買ってきたんですか?」
リアンはパンを置き、尋ねた。
「ん?そうじゃよ。どうしてだ?」
「…お金、大丈夫なんですか?」
「金?あぁ、ホームレスのわしが金持ってたらおかしいだろ。でもわしは金持ちのホームレスなんじゃ。気にせず食べてくれ」
教授はそう言うと、笑顔をこぼした。
「…そうなんですか?…ありがとうございます」
それが教授のジョークだと思いながらも、リアンはありがたくパンを頂くことにした。
「ところでリアン。ピアノは好きか?」
「はい、好きです」
「そうか、わしも大好きじゃ。リアンはバッハとかショパンとか、有名どころの曲、全部弾けるのか?」
「…全部は弾けないです。聴いたことのある曲は弾けますが、まだまだ聴いたことのない曲も沢山あるだろうし」
「聴いた曲は弾ける?楽譜を見ずに弾けるという事か?」
「はい、一度聴いた事のある曲は弾けます」
「…すごいなリアンは」
教授はそう言うと、豪快に笑った。
「どうじゃリアン。わしは有名どころから知られざる曲まで、殆どの曲を弾けるから、教えてやろうか?」
「え?はい!全部の曲弾けるようになりたいです!」
リアンは聴いた事のない曲を聴ける喜びに、目をキラキラとさせた。
「そうか、そうか!よし!じゃあわしがリアンにピアノを教えてやるからな!」
「ありがとうございます!」
リアンはうれしくてしょうがなかった。
あんなに感動するピアノを弾く教授から、ピアノを教えてもらえるなんて、思ってもみなかったのだ。
「よし!じゃあ飯食べたら、ピアノ弾くからな!」
教授はそう言うと、親指を立てた後、再びパンに齧り付いた。
リアンもお辞儀をして、にこにことしながら、食事を再開した。
そして朝食を終えた二人は、ピアノの前へと移動する。
「リアンはショパンがどれ程の曲を書き残したか、知ってるか?」
「たしか、200曲以上ありましたよね?」
「正解じゃ。じゃあまずは、わしの好きなショパンのバラード第一番から弾くからな」
にっこりと微笑んでいた教授の顔付きが変わった。
そして鍵盤に指を這わせると、静かなメロディーを奏で始める。
リアンは目を閉じ、その後も続く、ピアノの音の世界を泳いだ。
昨日もそうだが、教授のピアノは心が洗われる洗礼されたものだ。
比べる事は出来ないが、世界的なピアニストの祖父のマドルスのピアノでさえ、これ程心打たれた事はない。
それをリアンは無意識に感じていた。
リアンが目を閉じて聴き惚れていると、いつの間にか教授のピアノの演奏が終わっていた。
「リアンは今の曲、聴いた事あったかい?」
「いえ、初めて聴きましたが、素晴らしい曲ですね」
未だうっとりとしている顔が、それがお世辞ではない事を物語っている。
「今の曲、弾けるかい?」
「はい、弾けます」
今度はリアンがピアノの前に座り、鍵盤に指を這わせた。
リアンは目を閉じ、今聴いたばかりの曲を奏でていく。
頭で思い出そうとしなくとも、勝手に指が動き出すのだ。
「…ほほう」
教授は関心した。
そして教授は、自分の演奏とは異なり、少しアレンジを加えながら弾いているリアンの演奏に、聴き入っていた。
「…どうでしたか?」
演奏を終えたリアンは、目を閉じている教授に尋ねた。
「…素晴らしい」
教授は、素直な気持ちを口にする。
「今のアレンジは、わざとやってたのかい?」
「いえ、わざとというか、そうした方がもっといいなと思いましたから…駄目でしたか?」
リアンは答えた後、自信なさげに尋ねた。
「駄目なんかじゃない。むしろ良くなっていたよ。わしはお手本だから、忠実に弾いたんだが、わしも普段はアレンジを加えて弾いとるんだ」
「え?教授も」
あんなに素晴らしいピアノを奏でる教授も、同じようにアレンジして弾いている事を知り、リアンは嬉しくてしょうがなかった。
「リアンはコンクールに出たことはあるかい?」
「…コンクール?ないです」
「…そうか」
そう言うと教授は腕組みをし、何か考えているような仕草を見せた。
そして腕組みを解くと、にっこり微笑み口を開いた。
「リアンのピアノは世界の人に聴かせなくちゃならないピアノだ」
それは決して煽てている訳ではない。
教授は本気でそう思って、言っているのだ。
「え?僕のピアノが?」
「そうじゃ、そのうちコンクールに出るんじゃぞ!」
「…教授からそんな風に言われたら、凄く嬉しいですけど…」
リアンはそこで言葉を止めた。
「ん?どうしたんじゃ?」
それに気付いた教授は、笑顔を浮かべたまま首を傾げた。
「…コンクールってどうやって出るんですか?」
ホームレスとなったリアンは、つても金もない自分がどうやってコンクールに出るのか教授に聞くのを躊躇っていたが、思い切って尋ねた。
「わしにまかせとけ!」
教授は、自分の胸を握った拳で、ぽんっと叩いた。
その頼もしい仕草が、リアンの不安を晴らしていく。
「よし、次の曲聴かせるからな!」
「はい、お願いします」
教授は再び、リアンに聴かせる為に、ピアノを弾き出した。
夜になりジョルノ達が小屋にやってきた。
また今日もビスコが料理を作り、賑やかな夕食となっている。
談笑しながらの夕食、しかし、昨日もそうだが、誰もリアンがなぜホームレスになったのか聞こうとしてこない。
こんな若さでホームレスになってしまったのに、不思議と思わないのか?
皆、語りたくない過去があるのかもしれない。
だから誰も聞いてこないのだろう。
「リアン、今日もピアノ聴かせてくれよ!」
夕食の片付けも終わり、ジョルノはせがんだ。
「いいですよ」
リアンは教授が弾いた、今日初めて聴いた曲を弾き始めた。
皆は目を閉じ、そのメロディーに酔い痴れるように、うっとりとした表情を浮かべている。
そしてリアンのピアノ演奏は終わり、小屋の中は拍手が巻き起こった。
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