狂わしのメロディー②
転校初日が終わった。
リアンはマドルス家で家庭教師の授業を受けていたおかげか、前の学校よりも明らかにレベルの高そうな授業にもついていけた。
そして帰りの車の中、リアンはジュリエと楽しげに会話をしている。
ジュリエはリアンが早く打ち解けるようにか、クラスメイトの一人一人の特技などを説明した。
マニルという少年はバク宙が得意らしい。
テストで好成績をとる度、その場でバク宙をして、毎度ミシェラに怒られると、ジュリエは楽しそうに話した。
そんな話をしているうちに、家に着いてしまった。
家に着いた二人は、それぞれの部屋に入って行く。
そして着替えを終えたリアンが、ソファーに座り寛いでいると、部屋のドアがノックされた。
「はい」
立ち上がり、リアンがドアを開けると、そこにはジュリエが立っていた。
「リアン!ピアノレッスンやるから一緒にやろう!」
ジュリエは、ドアの前で可愛らしく手を振り、嬉しそうにリアンを誘っている。
「うん!」
リアンも嬉しそうに返事をすると、ジュリエの後に付いて行き、とある部屋に入った。
その部屋には素人目にも値が貼りそうだと分かる、立派なピアノが置かれている。
そのピアノの前に、ジェニファが笑顔で立っていた。
「リアン、ピアノレッスンの時間よ」
ジェニファは手の平をピアノの前の椅子に向けると、リアンに座るように促した。
「じゃあ、リアンがどのくらい弾けるか聴きたいから、何か弾いてごらんなさい」
リアンが座ったのを見届けると、ジェニファは優しい笑顔を浮かべる。
「なんでもいいの?」
「えぇ、なんでもいいわよ」
マドルスが死んでから今日まで、一度もピアノを弾いていなかったリアンは、愛おしそうに鍵盤に指を這わせると、初めて触れるこのピアノと会話をするように、ゆっくりと弾き始めた。
そしてピアノと心が通じ合ったのだろうか、指先の動きを速め、思うがまま鍵盤を弾いていく。
ジェニファとジュリエはリアンの奏でるピアノの音を聴いて、顔を見合わせ驚いている様子だ。
そしてその驚きの感情は、全てを包まれているような、心安らぐものへと変わっていく。
そんな中、曲調が変わった。
緩やかに流れるようなメロディーを奏でていたピアノから、今度は、迸る想いを注ぎ込んだような、情熱的なメロディーが流れ始めた。
ピアノに携わっているからこそ、その技量に目がいきそうになるものだが、そんな事を考えさえない程の心振るわせる演奏に、二人は魅了されている。
演奏が終わった。
余韻に浸っていた二人は、暫くすると、意識しなくとも、体が自然と拍手を奏でていた。
「…凄い」
ジェニファとジュリエは、思わず呟いた。
リアンのピアノ演奏を聴くのは初めての二人だったが、こんなにも素晴らしいとは知らなかったのだ。
「…リアン、お義父様以外に、誰かにピアノ習ってたの?」
リアンがマドルスと暮らすようになったのは、一年程前からだ。
それを知っているジェニファは、どうしても聞きたくなった。
「うん、パパからピアノ教わってた!」
「…お義兄様から」
ジェニファはフェルドとは面識はなかったが、昔行われたピアノコンクールで、フェルドのピアノ演奏を聴いた事がある。
その時の感動をジェニファは今でも覚えている。
フェルドのピアノも、世界中の多くの者を虜にしたマドルスの演奏のように、心に響く演奏だったのだ。
ジェニファはリアンに二人の血が流れている事を改めて感じた。
「…リアン素晴らしいわ」
ジェニファは呟いた。
「…ジュリエ、あなたもリアンに負けないようにレッスンしなくちゃね」
ジェニファは、まだリアンを見てうっとりしているジュリエに向かい言った。
「…うん」
顔を赤らめ、ジュリエはリアンから目を逸らすと、静かに俯いた。
「さあ、次はジェニファが弾いてごらん。今日は好きな曲を弾いていいわよ」
リアンに代わり、ジェニファがピアノの前に座った。
相変わらずその顔は赤らんでいるが、鍵盤に指を這わせると、顔付きが変わった。
その表情は、悲しみや憂いを含んでいる。
そしてその表情が乗り移ったかのように、指先が悲しげに動いていく。
室内に悲しいメロディーが響き渡る。
ジュリエの演奏も、素人でさえその悲しみが伝わってくるような、素晴らしいものだった。
リアンの瞳が、うっすらと濡れ始める。
ジュリエは楽譜は見ていないものの、一切のアドリブを加える事なく、この曲を作り上げた作曲者が書き残した楽譜通りに演奏しいる。
その作曲者の思いが指先に乗り移ったように刻まれていくメロディーに、リアンは心奪われている。
そしてジュリエのピアノ演奏が終わった。
リアンは、心を込めた拍手を送った。
それから、リアンとジュリエは代わりばんこにピアノを弾き、今日のレッスンは終了した。
夕食の席、始めはいつものように静かだった。
しかしジュリエは、スタルスに興奮気味に話し掛ける。
「パパ、今日リアンのピアノ初めて聴いたんだけど、凄いんだよ」
スープを飲んでいたスタルスはその手を止め、ジュリエの方を見る事なく口を開いた。
「…リアンはピアノが上手いのか?」
「うん!私の何千倍も上手いの!」
ジュリエは自分の事のように興奮している。
その言葉を聞き、スタルスはリアンに冷たい視線をぶつけた。
「…リアン…兄さんにピアノ教わってたのか?」
「…うん」
リアンはスタルスから視線を外し、俯いて答えた。
「…そうか」
眉を痙攣させながらそう言うと、スタルスは食事の途中で勢い良く立ち上がる。
そしてそのままリアンを睨み付けたまま、部屋から出て行ってしまった。
「…パパ…どうしたのかな?」
様子がおかしいスタルスを見て、ジュリエが呟いた。
「…さぁ」
ジェニファは静かな声で、そう答える。
しかしジェニファには思い当たる事があった。
スタルスとジェニファは音楽学校で出会った。
そこでスタルスは指揮を、ジェニファはピアノを学んだのだ。
二人がお互いの存在を知らない頃、スタルスはこの学校でピアノを専攻している生徒達を、毛嫌いしていた。
自分がなりたくてもなれなかったピアニストの夢を追い掛ける者達を、単純に妬んでいたのだろう。
しかし、たまたま居合わせた教室で、ジェニファのピアノ演奏を聴いた時、スタルスの頬には涙が伝わっていた。
ピアノを学ぶ者をどんなに嫌っても、本質ではピアノの音を愛していたのだ。
それを思い出させてくれたジェニファのピアノに、スタルスは夢中になった。
そしてスタルスはピアノの音だけではなく、それを奏でるジェニファにも好意を抱くようになっていく。
恋をした事のなかったスタルスは、自分の思いを一心にジェニファに伝え続けた。
その真剣な想いを受け入れたジェニファは、スタルスの恋人となったのだ。
付き合い初めてから暫くすると、スタルスはジェニファに、ピアニストになる夢を父親に捨てさせられた事を打ち明けた。
そして兄のピアノの才能に、狂いそうな程に嫉妬している事を打ち明けたのだ。
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