新しい暮らし⑦

マドルスは、リアンの部屋のドアをノックした。


しかし、リアンはドアを開けなかった。


「…リアン、すまなかった」


ドア越しに聞こえたその声に、リアンはドアをゆっくりと開け、顔を出した。


「…すまなかった」


マドルスの目には涙が浮かんでいる。


「…うん」


リアンはマドルスの涙を見て、戸惑った。


「…リアン、中に入ってもいいか?」


「…うん」


部屋の中に入ったマドルスの瞳に、壁に飾られている一枚の絵が写り込む。


マドルスは更に大粒の涙を流し、顔をしわくちゃにして、リアンに尋ねた。


「…この絵は、フェルドが描いた絵か?」


「うん、パパが描いた絵だよ」


マドルスはずっと聞きたかった答えを聞いて、さらに涙を流した。


マドルスはリアンの部屋に飾られているこの絵を見た時から、この絵の作者を聞くのを怖がっていたのだ。


息子の夢を踏みにじった自分には、それを知る資格がないと思い込んでいたのだろう。


しかし、ずっと聞きたかった。


そして、ようやく聞けたのだ。


絵の前で立ち止まったマドルスは、ゆっくりと跪く。


そして、街の中で笑顔で遊んでいる三人の親子が描かれたキャンパスを、マドルスは跪きながら、見上げるようにして見続けた。


その跪く姿は、何かに対して謝罪しているように見える。


そして、ようやく立ち上がったマドルスは、リアンに語り始めた。


「…リアン…わしは昔、フェルドの夢を踏みにじった…しかし、歳を取るに連れ…わしは許されない過ちを犯したことに気付いたんだ」


「…うん」


リアンはマドルスの顔を真剣に見詰め、耳を傾ける。


「…わしは、もうすぐ死ぬ」


「…えっ!?」


リアンは目を見開き驚いた。


「…わしは不治の病に侵されているんだ」


「…不治の病って、治るんでしょ?」


「…いや、もう永くはないだろう」


「……」


口を閉ざしたリアンの目から、涙が溢れる。


「…わしは病にかかったと分かり、フェルドに頭を下げないまま…死ねないと思ったんだ…しかし、謝っても許してくれるはずもない…だからわしは…人など雇わず、自分だけの力でフェルドを見付けることができれば…きっと許してもらえると、勝手に望みを掛けたんだ…しかし、生きてるうちには会えんかった…わしは許してもらえんかった」


「…パパは許してくれてたよ…だっていつだって笑顔だったもん」


リアンの言葉を聞き、マドルスは、頭を床に付け、嗚咽を漏らす。


「絶対、許してくれてたよ!」


マドルスにしがみついたリアンの瞳にも、マドルスと同じものが流れている。


「…ありがとう」


「…僕も、ありがとう」


リアンは涙を拭きながら言った。


「…なんで、わしにありがとうなんだ?」


「だって僕の大好きなピアノ教えてくれるもん」


「…まだわしにピアノを教わりたいのか?」


「…うん!僕の夢はピアニストになることだもん。これからも教えてね」


答えを聞いたマドルスは、そのか細い腕でリアンを抱き締めずにはいられなかった。


それから改心したマドルスは、リアンに対して怒る事はしなくなった。


ピアノを教える時も、分かりやすく丁寧に教え続けている。


そんなある日、マドルスは最近リアンが元気のないことに気が付いた。


「…どうしたリアン?なんか学校であったのか?」


夕食の席で手を止めたマドルスは、俯きながら食事をするリアンを心配そうに見詰める。


「…ううん…なんにもないよ」


静かに顔を上げたリアンの表情は、明らかに暗い。


「じゃあ、どうした?最近元気がないぞ?」


「…元気だよ」


リアンは心配させたくなくて、嘘を吐いた。


「…嘘吐かなくていいんだぞ」


「…うん…ジャンから手紙の返事が来ないんだ…ジャン、本当に旅に出たのかな?」


リアンの言葉を聞き、表情をなくしたマドルスはうつ向いた。


ジャンに送ったその手紙は、マドルスの部屋の引き出しの中に眠っている。


返事がこなくて当たり前だ。


「…あのな、リアン」


マドルスは勇気を出して、正直に話そうとした。


「…ジャンに会いたいな」


リアンは一人言のように呟いた。


その呟きを聞き、マドルスは言葉を詰まらせる。


「……旅に出たのかもな」


リアンがジャンの元へ帰ってしまうかもしれないという思いに駆られ、正直に言えないまま、またマドルスは嘘を吐いた。


「…うん…でもまた手紙書いてみよう」


リアンは力なく答えた。


「……」


マドルスは次の言葉が出てこなかった。


それからのマドルスは、リアンに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいなった。


正直に話すか、嘘を突き通すかの、葛藤の日々が続く。


「おじいちゃん出しといて」と、リアンからジャンへの手紙を受け取る度、マドルスは葛藤している。


孫を失うか…


孫の大切な人のところへ帰すか…


しかし、答えはいつも一緒。


マドルスの引き出しには、リアンが書いたジャンへの手紙が溢れる程しまわれていった。


そんな葛藤の日々が半年程続いたせいか、マドルスは体調をくずし始める。

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