新しい暮らし⑤

「…ごめんね…僕、遊べないんだ…毎日家で勉強しなきゃならないんだって」


リアンは顔色を曇らせ、うんざりだと言わんばかりの顔をした。


その表情を見たシャロンは、さらに顔を真っ赤にする。


「まぁ!わたくしの誘いを断るのですね!覚えてらっしゃい!」


プライドを傷付けられたと勘違いしたシャロンは、怒りながらリアンから離れて行ってしまった。


リアンはなんでシャロンが怒っているのか、理解できない様子だ。


「…シャロンがデートに誘うなんてな…驚きだよ」


コルムが話し掛けてきた。


「…でも大変だな…毎日勉強だなんて…俺だったら逃げ出してるよ」


それが自分に待ち構える未来のように、コルムは体をプルプルとさせている。


「ふふ、僕も逃げ出したいよ」


コルムの大げさな仕草を見て、リアンに笑顔が戻った。


「もう直ぐ、先生がくるね」


鐘の音がなる前に、コルムは手を振り、自分の席へと帰って行った。


そして鐘の音と共に、朝のホームルームが始まり、本日の学校生活がスタートした。


それから一ヶ月。


転校当時よりもリアンには沢山の友達ができた。


そんな学校生活を、リアンは楽しんでいるようだ。


そして、徐々に打ち解けるようになったシャロンは、露骨に好き好き光線をリアンにだすようになっていく。


楽しい学校生活が終えれば、待ち受けているのは、家庭教師との授業。


学校のない日曜日さえも、朝から家庭教師の授業があり、友達と遊ぶ暇など一日もなかったのだ。


マドルスによるピアノのレッスンも、毎日行われている。


ピアノのレッスンは、楽譜を見ながら弾いても楽しくなってきたが、家庭教師の授業だけは苦痛の種だったのだ。


しかし、家庭教師のおかげか、学校の授業にもついて行けるようになっている。


そんな生活が三ヶ月続いた。


夕食を終えたリアンは、自室に戻り、前から出したかった、ジャンに宛てた手紙を書き始めた。


『ジャン。もう足の怪我よくなったかな。僕は新しい学校で友達がいっぱいできたよ。おじいちゃんにピアノ教えてもらってるんだ。楽譜も読めるようになったよ。ジャンに会いたいな。』


このような文章を、便箋五通に渡って書き綴った。


手紙を書き終えたリアンは、マドルスの部屋に向かった。


「おじいちゃん、封筒と切手ない?」


「…うん、どうしてだ?」


マドルスは不思議そうな顔で尋ねた。


「ジャンに手紙書いたんだ」


リアンは便箋を振り回しながら、嬉しそうにしている。


「…じいちゃんが出しといてやるよ」


一瞬、顔色を曇らせたマドルスはそう言うと、リアンに向け、右手を差し伸ばした。


「うん!頼んだよ!」


その表情に気付かなかったリアンは、便箋を渡すと、嬉しそうに部屋に戻って行った。


一人きりになったマドルスは溜め息を付くと、テーブルの上にあるベルを鳴らし、執事を呼んだ。


「封筒と切手を持ってきてくれ」


執事が戻ってくる間、マドルスはいけないと知りながらも、リアンが書いた手紙を読んだ。


『ジャンに会いたいな…』


この一文を読んで、マドルスは困惑する。


そしてマドルスはリアンから受け取った便箋を、自分の机の引き出しにしまってしまった。


マドルスは、リアンがジャンの所に戻ってしまうかもしれないと思ったのだ。


その証拠に、顔をしわくちゃにして、頭を抱えている。


「持ってまいりました」


執事が封筒と切手を持って、戻ってきた。


「…もう、いらん」


マドルスは、ぽつりとそう呟いた。


朝になり、リアンはマドルスと共に車で学校に向かった。


「おじいちゃん!手紙出しといてね!」


リアンはそう言うと、車から降り、校内に向かって、今日も元気に駆けて行く。


マドルスは返事をする事なく、車窓からリアンの遠離る姿を見詰め、頭を抱えた。


それから数時間後。


マドルスはいつものように、運転手付きの車に乗り、リアンを迎えに行った。


帰りの車の中、リアンはマドルスに笑顔で尋ねた。


「手紙出しといてくれた?」


「…あぁ」


しばらくの沈黙の後、マドルスはそう答えた。


マドルスの額には、うっすらと汗が滲んでいる。


その表情から見ても分かるように、マドルスは嘘を吐いているのだ。


リアンが書いた便箋は、マドルスの引き出しの中にあるまま。


マドルスはどうしても手紙を出すことができなかったのだ。


リアンがジャンの所に行ってしまうのが怖かった。


リアンを失うことが辛かった。


そしてそれを隠す為に吐いた嘘で、より罪悪感を深めて行く。


幸いな事に、一番嘘が見抜かれたくない相手であるリアンには、マドルスの変化を気付かれなかった様子だ。


家に着いたリアンを、いつものように家庭教師の授業が待ち受けていた。


もとから頭は悪くないリアンは、授業をそつなくこなしていく。


そして授業が終わると、楽しみである、マドルスのピアノレッスンが待ち受けていた。


「お願いします」


リアンはいつものようにマドルスに挨拶をした。


数日前からリアンは、楽譜を見ながらピアノを弾く楽しみを、覚え始めていたのだ。


楽譜を見ないで弾く方が心踊るものがあったが、楽譜を見ながらの演奏は、リアンにとって、何かゲームをやっているような感覚だった。


そのせいだろうか、楽譜を見ながら弾くピアノの音は、リアンらしくからぬ、どこか感情の込もっていない機械的なメロディーばかりだ。


「そこはもっと感情を込めろ!」


いつも優しいレッスンをするマドルスは、珍しくリアンを叱りつけた。


「……」


リアンは叱られたショックで、ピアノを弾く指を止めてしまった。


「なんで止めるんだ!」


またマドルスは叱った。


戸惑いながらも涙を堪えて、リアンはピアノを再び弾き始める。


「違うそうじゃない!」


何度もマドルスは叱った。

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