新しい暮らし④

それは、シャロンにとって初めての敗北だった。


自分を負かした男を好きになるのが、この世のセオリーなのかは分からぬが、シャロンはリアンに心奪われた。


「…お上手でしたわ」


顔を真っ赤にしたシャロンは、湯気が立ちそうな勢いだ。


そんなシャロンを見て、クラス中は騒ぎだした。


シャロンがクラスメイトの前で人を誉めたのは、これが始めてなのだ。


「…ありがとう」


リアンは同い年の女の子から褒められた事が恥ずかしいのか、はにかんでいる。


そんなリアンの姿を見て、シャロンはさらに顔を真っ赤にした。


こうして転校初日にして、リアンはクラスのヒーローになった。


ピアノの腕前もそうだが、美しい顔立ちのリアンを、女子達が放っておくはずがない。


休み時間になる度、リアンの元に、女子を中心に集まっていた。


しかしシャロンは、その輪に加わってはいない。


シャロンは黙って遠くからリアンを見詰めていただけなのだ。


授業が全て終わり、リアンはクラスの皆と、校門の前まで歩いて行った。


校門の前には、黒塗りの高級車が停まっている。


その車の後部座席の窓が開き、マドルスが顔を出した。


「リアン、迎えに来たぞ」


マドルスは優しげな笑顔を浮かべている。


有名人のマドルスを見て、クラスの皆は騒ぎだした。


「うん、ありがとう…じゃあね、みんな」


皆の反応を見て、照れた様子で答えたリアンは、執事が開けてくれたマドルスが座る反対側のドアから車に乗り込んだ。


そして窓を開けると、クラスの皆に手を振った。


「リアン、学校は楽しかったか?」


発進した車の中、リアンの横に座っているマドルスは、目の中に入れても痛くないと云わんばかりの笑顔を浮かべている。


「うん!友達がいっぱいできた!」


「そうか!そうか!」


マドルスはリアンの頭を、可愛さ余って、わしゃわしゃと撫で回した。


「家帰ったら、じいちゃんと遊ぶか?…何して遊ぼうか?」


「…僕、ピアノ習いたい」


「ピアノ?いいぞ、教えてやるぞ」


「ありがとう…僕、楽譜が読めないんだ…それに学校の勉強も全然分からないし」


そう言うとリアンは、しょぼんとした顔をした。


「…そうか…じゃあ家庭教師も雇わないとな」


「…家庭教師?」


「リアンはじいちゃんの孫だからな…いっぱい勉強して、将来立派な大人にならないと駄目なんだぞ」


「…うん」


リアンは何故か気が重くなり、憂鬱そうに答えた。


家に着いたリアンは、マドルスと二人きり、とある部屋に来ていた。


この部屋には自分の部屋にあるピアノよりも、値がはりそうな高貴な雰囲気を漂わせているピアノが置いてある。


リアンはこのピアノを使って、マドルスから楽譜の読み方を教わった。


リアンは元からピアノが弾ける為か、飲み込みは早かった。


しかしピアノの楽譜の意味は理解できたが、一度も聴いた事のない曲の楽譜を見ながらの演奏は、リアンらしからぬ、違和感のある演奏であった。


リアンは初めてピアノを弾くのを苦痛に感じた。


楽譜を読みながらの演奏は、弾いていても楽しくなかったのだ。


「…最初は誰でもそうだからな…慣れれば、いつも通り弾けるようになるからな」


落ち込むリアンを見て、マドルスは頭を撫でた。


時は過ぎ、夕食の時間になった。


「…リアン、家庭教師雇ったからな…明日から帰ってきたら、毎日勉強だぞ」


マドルスは口元をナフキンで拭いた後、言った。


「…毎日?」


せっかくできた友達と遊べなくなると思い、リアンは聞き返す。


「そうだ毎日だ…フェルドだって毎日勉強して、ピアノのレッスンをしてたんだぞ」


「パパも…でも毎日だと友達と遊べなくなるよ」


リアンは甘えるように、口を尖らせた。


「遊ぶ?…駄目だ!立派な大人になる為なんだ!」


マドルスは急に厳しい顔付きになった。


「…はい」


リアンは初めて見る、マドルスの厳しい顔付きを見て、姿勢を正して返事をした。


「…明日からも、毎日じいちゃんが送り迎いしてやるからな」


マドルスは表情を緩め、笑顔になった。


夕食が終わると、リアンは部屋に戻り、ピアノを弾いた。


「…やっぱり楽譜なんてないほうが楽しいや」


指先が動くままにピアノを弾きながら、リアンはそう思った。


約二時間ピアノを弾いていたリアンは、やけに広い風呂に浸かり、部屋に戻ると、髪も乾かさぬまま、ベッドに潜り込んだ。


そして布団から頭だけをひょっこりと飛び出させると、枕元の棚に飾ってある、両親とジャンの写真におやすみを告げ、眠りに就いた。


そして朝が来た。


朝食を済ませたリアンは、マドルスと共に車で学校へと向かう。


「行ってくるね!」


学校に着いたリアンは、執事が開けてくれたドアから、元気良く飛び出し駆けて行く。


そしてクラスメイトに挨拶を交わしながら、教室に着くと、直ぐに自分の席に座った。


そんなリアンの元に、待ち焦がれていたシャロンが近付いてきた。


「ねぇ、今度遊んであげてもよろしくってよ」


高飛車に言ったシャロンの顔は、真っ赤だ。


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