新しい暮らし
新しい暮らし①
汽車を一日半乗り継ぐと、マドルスの家がある、街の駅へと着いた。
マドルスは途中立ち寄った駅で電話を掛け、リアンの転校の手続きをしてくれている。
そして汽車の中では、口数は少なかったものの、二人はいろんな話しをした。
「リアン、ピアノは好きか?」
「リアンのお母さんはどんな人だったんだ?」
殆どの会話の発信はマドルスではあったが、リアンもジャンを思い出していたのだろう、涙が流れるのを耐えながら、話していた。
汽車を降りた二人は、改札を抜ける。
そして駅を出ると、そこには黒い光沢のある高級車が停まっていた。
車の前には、皺一つない黒のスーツと、黒のハット、それに白い手袋を嵌めている男が立っている。
格好からしてこの男は、この車の運転手のようだ。
運転手は駅から出て来たマドルスに気付くと、頭を下げ、後部座席のドアを開け、再び頭を下げた。
マドルスは開かれたドアの奥へとリアンを導くと、自分もその横に座り、荷物をトランクへと仕舞って運転席へと乗り込んできた運転手に、合図を出した。
そして車はマドルス邸目指して発進した。
リアンにとって、見慣れない風景が車窓の外に広がり続けている。
そんな自分を迎えてくれている風景にさえ、今のリアンには、楽しめる余裕などない。
悲しみに濡れる瞳で、窓の外を見詰めていると、間もなくして、車は大豪邸と呼ぶに相応しい佇まいの門の前に辿り着いた。
どうやらここが、マドルスの住む家のようだ。
そして門の向こう側に立つ男二人が、そのやけにでかい門を押し開くと、車は玄関目指して、再び発車した。
門から玄関を辿る事、車で五分。
民家にしてはやけに長い道のりではあったが、ようやく車は玄関の前に到着した。
玄関前には、執事のような格好をした男と、使用人のような女が二人立っている。
ぴたりと玄関の前に停まった車の後部座席のドアを、執事のような男が頭を下げ開けた。
マドルスはその開かれたドアから、リアンを伴い降りて行く。
「おかえりなさいませ」
この口調から見ても、この者達は、この家に仕える者達なのだろう。
マドルスはそれに答えるように、静かに手を挙げると、執事により開かれた玄関のドアを潜って行く。
そしてゆっくりと振り返ると、戸惑っているリアンに優しげな表情で「来なさい」と、言いながら、手を差し伸べた。
リアンはキョロキョロと辺りを見回しながら、後を付けて行く。
それにしても、家の中は何部屋あるのか、わからない程の広さだ。
先程から、いくつもドアを通り過ぎている。
マドルスはその中の一つの部屋にリアンを連れて行った。
「今日からここが、お前の部屋だよ」
そう言ったマドルスは、優しげな笑顔を浮かべている。
そこへ使用人がリアンの荷物を部屋まで運んできてくれた。
リアンは頭を下げ、使用人にお礼を言った。
しかしマドルスは、これからはこの家にいるマドルス以外の者には、お礼は言ってはいけないと言った。
彼らはマドルス達に仕える事が仕事なのだそうだ。
「…うん、分かった」
リアンは、マドルスの言っている意味をあやふやに理解しながら、返事をした。
「それから、分かったじゃなくて、分かりましただからな」
「…はい…分かりました」
マドルスの穏やかな顔に滲む、厳しい表情を見詰め、リアンは答えた。
「ここ、お前の父さんのフェルドの部屋だったんだぞ」
マドルスは部屋を見渡して、両手を広げる。
「本当?…パパの部屋だったんだ」
リアンもまた、部屋の中を見渡し、答えた。
『見渡す』という表現がぴったりな程、この部屋は広い。
部屋の中にはたくさんの本が並ぶ本棚や、ソファーなどが置いてある。
中でもリアンの目を惹いたのは、部屋の中央に置かれている、漆黒に輝く見事なピアノだ。
「…あれ、パパのピアノ?」
リアンは、輝いた瞳を真っ直ぐにピアノに向けたまま、尋ねた。
「あぁ…そうだよ」
「…弾いていい?」
「あぁ…もうお前のピアノだから好きな時に弾いていいんだよ」
マドルスの言葉を聞いて、今まで落ち込んでいたのが嘘のように、リアンはピアノに駆け寄った。
そして漆黒に輝くそのボディーに手を這わせると、静かに目を閉じる。
言葉はないものの、リアンは心の中で、ピアノと会話をしているのだろう。
そして会話を終えたリアンは、椅子に座ると、今度は鍵盤に指を這わせ、緩やかにその指先を動かした。
室内に透き通るような甲高い音が鳴り響く中、マドルスは驚きの表情を浮かべている。
そしてそれは、涙姿へと変わっていく。
マドルスの中で、リアンの姿が、かつてピアノの才能に満ち溢れていた息子のフェルドと重なったのだ。
マドルスは静かに目を閉じた。
そして全ての思考が止まる程、リアンのピアノに夢中になって行く。
リアンがピアノを演奏し終わる頃には、マドルスの頬には、止め処ない涙が伝っていた。
「…どうしたの?」
涙を流している姿を見て、駆け寄ったリアンは、心配そうな表情でマドルスの顔を見上げる。
「…なんでもないよ」
マドルスは跪き、リアンを優しく抱き締めた。
「…リアン…今の曲のタイトルはなんて言うんだ?」
「…タイトルなんてないよ…今適当に弾いてたんだ」
リアンの言葉を聞き、マドルスは驚愕した。
リアンの即興曲は、世界的なピアニストのマドルスさえも驚かせたのだ。
そしてマドルスはリアンに、フェルド以上の才能がある事を感じ取った。
ピアノに愛された子供だと思ったのだ。
「…リアン…ピアノもっと上手くなりたいか?」
「うん!」
「…そうか…じゃあ、じいちゃんが教えてあげるよ」
「おじいちゃんピアノ弾けるの?」
「…ちょっとだけな」
マドルスはピアノの前に座り、顔付きを変え、ピアノを弾き始めた。
室内に心地良いメロディーが響き渡る。
リアンは驚いた様子で、ピアノを弾くマドルスの姿を見詰める。
こんなに素晴らしい音色を聴くのは、フェルドの演奏を聴いて以来だったのだ。
マドルスの演奏は、リアンの心に響く程、素晴らしかった。
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