大怪我②
「…よっ、リアン!わるいな!」
リアンに気が付いたジャンが、ベッドの上から片手を挙げた。
「…大丈夫?痛くない?」
リアンは涙を浮かべ、とても心配している様子だ。
「まだ、ちっと痛いけど、大丈夫だ!」
ジャンは右手を高く挙げ、にっこりと笑った。
「なんで足の骨折ったの?」
「いや、屋根が気になったから、また屋根登ったら、落っこちたんだ」
ジャンは申し訳なさそうな様子だ。
「…もう」
「…まぁ、そんなに怒るなよ…それより、リアンに紹介したい人がいるんだ」
ジャンはそう言うと、椅子に座っている老人へと視線を向ける。
リアンも、その視線を追い掛け、老人を見た。
老人は、昨日酒場に来ていた、あの老人だ。
「…どうも、こんにちは」
リアンは挨拶をし、頭を下げる。
そしてリアンが頭を戻すと、老人は目に涙を浮かべていた。
「…こちらはフェルドのお父さん…つまり、お前のおじいちゃんだ」
言い終わると、ジャンは唇を噛み締めた。
そうしなければ、涙が溢れ出てきてしまうのだろう。
さっき程までのジャンの元気は、演技だったようだ。
「…おじいちゃん?」
リアンは一瞬、頭が真っ白になった。
「…フェルドの息子のリアンだね」
老人はわなわなと震える手で、リアンを抱き寄せた。
「…おじいちゃん」
リアンは抱かれながら呟いた。
「…すまなかった…すまなかった」
老人は泣きながら、何度も謝った。
「…わしの名はマドルス・ソーヤ…お前のじいちゃんだ」
マドルスは抱き寄せていた両手を、リアンの肩に載せると、涙を流しながら微笑んだ。
「………」
リアンは、どこかフェルドに似ているマドルスの顔を見て、涙が滲み出てきた。
「…リアン…今日からおじいちゃんと暮らせ」
涙を堪えているのだろう。
そう言ったジャンの拳は、強く握られている。
「…えっ!?」
「…俺の足折れちゃったしな…当分店も休まなきゃ駄目だしな」
「…僕が店をやるよ」
「…お前は学校もあるし、酒場は深夜まで開かなきゃだめなんだぞ!いいから、おじいちゃんと暮らせ!!」
「…やだよ!!」
いつまでも、ジャンと暮らしていたいのだろう、リアンは叫んだ。
「…今の俺じゃお前を養えないんだ…それに店を閉めて旅に出ようと思ってたんだ」
ジャンはリアンの為を思い、嘘を吐いた。
「…僕も付いて行くよ」
「…お前は邪魔なんだ!お前が居ると、いつまでも、俺は結婚もできやしない!」
「………」
返す言葉を無くしたリアンは、泣きながら病室を飛び出して行った。
その後ろ姿を悲しい目で見送ったジャンは、マドルスに頭を下げる。
「…リアンを頼みましたよ」
マドルスは頷き、リアンを追い掛ける為に、病室から出て行った。
そして病室に一人きりになったジャンは、ようやく、おもいっきり泣けたのだ。
リアンは病院を出てすぐの所でうずくまり泣いていた。
そんなリアンの肩に、マドルスは優しく手を載せる。
「…じいちゃんと、一緒に暮らそうな」
マドルスは跪き、目線をうずくまるリアンに合わせる。
「…うん」
リアンはジャンが言った言葉が、嘘だと分かっていた。
自分の為に付いてくれた、優しい嘘だという事も。
しかし、自分が居なくなれば、ジャンは結婚もでき、縛られることなく自由に暮らせると思ったのだ。
「…いつから一緒に暮らすの?」
それが一週間後なのか、一ヶ月後なのかは分からないが、出来るだけ先にして欲しいと願いながら、リアンは聞いた。
「…今日、じいちゃんと一緒に帰ろうな」
予想だにしない答えに、悲しみながらも、リアンはただ一言、「うん」と答えるしかなかった。
二人はリアンの荷物をまとめに、酒場へと向かう。
酒場では、エルラの好きだったウィスキーを、昔の常連客達が飲んで盛り上がっていた。
「リアン、おかえり」
昔の常連客達が、声を掛けた。
「…うん、ただいま」
リアンは悲しみを悟られないように、作り笑顔で答えると、そのまま二階へと上がり、荷物をまとめだした。
鞄に荷物を詰め終わったリアンは、部屋に飾ってあるフェルドが描いた絵を、額縁ごと布で包んだ。
壁には数枚の絵が飾られているが、全ては持っていけない事は、リアンは分かっている。
その数枚の中から選んだ一枚だ。
そしてジャンの替えの下着などの荷物を、別の鞄に詰めると、今まで育ててくれた感謝の手紙を書き、テーブルの上にそれを置き、名残惜しむ背中だけを残し、一階へと降りて行った。
「…リアン、そんなに荷物持ってどこに行くんだ?」
昔の常連客が尋ねた。
「…うん、ちょっとね…おじさん、お願いがあるんだけど…みんなが飲み終わったら、この荷物をジャンに届けて欲しいんだ」
リアンはそう言って、酒場の鍵とジャンの荷物の入った鞄を手渡した。
「あぁ、もう俺達も帰ろうとしてたからいいぞ」
昔の常連客は、不思議そうな顔をして荷物を受け取った。
「…おまたせ」
リアンは外で待っていたマドルスに向かい、作り笑顔を見せた。
「…じゃあ行こうか…学校には転校する事を、明日電話しといてやるからな」
「…うん」
リアンは思い出のいっぱい詰まった酒場を振り返り、見詰める。
涙を堪えるのが辛かった。
そしてリアンは、ゆっくりと歩き出したマドルスの後を、静かに付いて行く。
それから二人が次に辿り着いたのは、小高い丘の上。
すっかり茜色に染まり切った空の元、フェルド達夫婦が眠る墓の前で、二人目は手を合わせる。
リアンは両親と会話をしているのだろう。
いつまでも目を閉じ、両手を合わせ続けている。
「…リアン」
小さな肩を、温もりのある、その大きな手で包まれた。
ようやく目を開いたリアンの目には、うっすらと滲むものがあった。
その涙をマドルスは指先で拭うと、リアンの手を引き、駅へと向かった。
駅には既に、蒸気を上げている汽車が停まっている。
夜に染まり始めた空と同化して見える汽車の中に、二人の姿は消えて行く。
そして間もなくして、白い蒸気を上げていた汽車は、どこか物悲しい汽笛を上げ、走り出した。
慣れ親しんだ風景が、車窓から消えて行く。
その姿を涙を堪え、リアンは見詰め続けた。
マドルスもまた、そんなリアンを見詰め続けた。
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