親友との別れ③
リアンは物心付く頃からフェルドの真似をして、ピアノを弾いていた。
フェルドのピアノの腕前は、プロをも凌ぐものがあった。
稼ぎの少ない常連客達は、フェルドのピアノ聴きたさに、この酒場に通っていたといってもいいだろう。
常連客達は今でもリアンのピアノ聞きたさに、この酒場に通ってきてくれている。
そしてリアンはこの曲を酒場で弾くのは始めてだった。
今日はなんだか『別れ、旅立ち』を弾きたい心境だったのだ。
リアンがピアノを弾き始めると、騒いでいた客達は静まり返った。
なんとも悲しげなメロディーだ。
五人いる常連客全ての瞳が、今にも涙を零しそうになっている。
そしてリアンは涙を堪えながら、演奏を終わらせた。
皆が感動の余韻に浸る中、酒場に見掛けない客が入ってきた。
見掛けは七十才といったところだろうか。
この酒場に常連客以外の客が入ってくるのは、珍しい事だ。
常連客達は珍しそうに、その老人を横目で見始めた。
老人はカウンターの端に座ると、ウィスキーのロックを注文した。
ジャンは店主になってから始めて注文を受けた、儲けのあるウィスキーをグラスに注ぎ、老人の前へと差し出す。
「リアン!さっきの曲アンコール!弾いてくれよ!」
老人がウィスキーをおかわりする頃に、常連客の一人が言い出した。
静かに頷いたリアンは、ピアノの前に座ると、鍵盤に指を這わせる。
そして『別れ、旅立ち』を、再び弾き始めた。
先程と同じメロディーが、先程にも増して、店内を悲しみの色に染めていく。
老人は不味そうに飲んでいるウィスキーの入ったグラスを、口に付けたまま、ぴたりと動きを止めた。
そして驚いた表情を浮かべると、振り返り、演奏するリアンを見詰める。
その目からは、涙が溢れ出している。
老人は涙を拭うと、悲しみに染まった顔でカウンターへと体の向きを戻し、中でグラスを洗っているジャンに向かって問い掛けた。
「…あの子は…誰の子ですか?」
突然の質問に、見た事もない人間に本当の事を言うのを躊躇う部分もあったが、見た目悪そうな人間には見えなかった為、ジャンは本当の事を言った。
「私の親友の子供ですよ」
「…その親友とは誰ですか!?」
老人は目を見開いた。
「この写真に写ってる奴です」
ジャンは、老人の横の壁に飾ってある額に入ったフェルドの写真を指差した。
「…!?…名前は?」
老人は立ち上がり、写真へと手を伸ばす。
その指先は僅かに振るえている。
「フェルドです」
「……」
老人は投げ掛けた質問の返事に、繋ぐ言葉を発しない。
その表情から見て、言葉をなくしている様子だ。
そして愛おしそうに写真の中のフェルドに手を這わせた老人は、写真から目を離さずにジャンに尋ねた。
「…彼は今どこに?」
老人の様子に只ならぬものを感じながらも、別に害はないだろうと思い、ジャンは答えた。
「…五年前に事故で亡くなりました」
「……」
老人の返事はなかった。
壁の写真を見詰める老人の背中は、とても小さく、弱々しく振るえている。
老人は無言のまま、大粒の涙を流しているのだ。
それからしばらく泣き続けた老人は、ようやく口を開いた。
「…あの子の母親は?」
「…あの子が赤ん坊の時に、病気で亡くなりました」
「……」
老人はまた言葉を無くしたように黙り込み、涙を流し続けた。
そして写真から視線をピアノを演奏しているリアンへと変えると、涙で滲む目で見詰め続けた。
「…リアン、そろそろあがってくれ」
演奏が終わったリアンに、ジャンが声を掛けた。
「うん」
リアンは客達に挨拶をすると、二階へと上がって行く。
老人はその姿が見えなくなるまで、リアンを見詰めていた。
「…また来ます」
老人は勘定をすませると、悲しい小さな背中を丸め、酒場を出て行った。
「…変な客だな」
ジャンはそう思いながら、老人の背中を見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます