酒場④
「ふぁ~」
ベッドから起き上がったリアンは、部屋の窓を開けた。
すると外からは小鳥のさえずりが聞こえ、朝日の陽射しが優しくリアンの顔を包み込んだ。
今日から六月に入ったというのに、この時期にしてはめずらしく肌寒い。
リアンの吐く息が微かに白くなり、消えていく。
「おーいリアン、そろそろ起きろー!」
台所から、ジャンの大声が聞こえてきた。
「はーい」
返事をしたリアンは、部屋を出るとリビングに向かった。
「おはよう」
「おはよ!顔洗ってこい、飯できてるぞ!」
ジャンはそう言うと、テーブルの上で「どうだ」と言わんばかりに、両手を広げる。
テーブルの上には、昨日の残りのシチューと、やけに分厚いハムステーキ。
それにメインディッシュのような具沢山のサラダ、そして目玉焼きが2つと、焼きたてのトースト、そしてそして、忘れてならないデザートのプリンが所狭しと置かれている。
朝っぱらからなんと、ボリュームのある料理だろうか。
ジャンのこのガタイの良さも、頷けるというものだ。
洗面所で身支度を済ませたリアンは、朝食の席に着いた。
「いただきます」
リアンはうれしそうに言うと、トーストにかぶり付く。
リアンはこの朝食の時間が大好きだ。
夕食のような一人でする食事よりも、誰かとする食事の方が、美味いに決まっている。
それに朝からやけにテンションの高いジャンは、毎日のように、朝食の席でおもしろい話をしている。
毎日話していて、よく話が尽きないものだ。
今も丁度、ジャンのトークショーが始まったところだ。
「リアンいいか、好きな女をデートに誘う時は、バラの花束をプレゼントしろ…俺はそれで成功してきた」
ジャンはトーストに、バターを塗りたぐりながら言った。
「…」
リアンはハムステーキを切っていた手を止め、口をポカーンと開けてジャンを見詰めた。
ジャンは十二才の少年に、女の口説き方をレクチャーしだしたのだ。
リアンが口をアングリするのも、しかたがないだろう。
ジャンはそんなリアンの様子はおかまいなしに、さらに話を続ける。
「あれは、俺が十八の時だ…クラスで一番可愛い女の子をデートに誘ったんだ!でもな、そん時、俺の他に五人も同時に彼女をデートに誘ったんだぞ。彼女は誰を選んだと思う?…俺だよ、俺!なんでだと思う?…俺はその時、彼女にバラの花束をプレゼントしたんだよ」
ジャンはこの上ないぐらいに笑顔を浮かべている。
実は、ジャンが女性をデートに誘った事があるのは、この時の彼女だけだったのだ。
女性の前では極度にあがってしまうジャンは、三十五年の人生の中で、唯一、彼女だけをデートに誘う事ができたのである。
別に不細工という程、顔は悪くないのだが、ジャン自身、何故女性の前であがってしまうのか原因が分かっていなかったのだ´。
きっと幼少の頃にでも、トラウマがあるのだろう。
故にジャンは三十五を過ぎても、独身貴族を満喫している。
「フェルドも俺のアドバイスを聞いて、ソフィアにバラの花束をプレゼントしたから、お前が生まれてきたんだぞ」
ジャンは懐かしむような顔をして言った。
ソフィアというのは、今は亡きリアンの母親で、この街では有名な美しい女性だった。
リアンが美しい顔立ちなのは、ソフィアの血を引いているせいかもしれない。
画家を志して放浪の旅を続けていたフェルドが、この街に落ち着いたのも、街の風景や雰囲気を気に入った事もあっただろうが、やはりソフィアの存在が大きかったのだろう。
フェルドは初めてソフィアを見た時、身体中に電気が走ったと、親友であるジャンに語っていた。
それほどに運命めいたものを、フェルドは、ソフィアに感じたのだそうだ。
しかしフェルドが、ソフィアと初めて会話らしい会話をしたのは、フェルドがこの街に来てから、三年の歳月が流れていた。
フェルドはジャン同様に、女性が苦手だったのである。
しかし、ジャンのアドバイス通りにバラの花束を贈ったフェルドは、それだけの理由ではないだろうが、無事にソフィアと結婚する事ができたのだ。
「リアンお前、フェルドから、ソフィアとの馴れ初めの話聞いた事あるか?」
「…なれそめ?…なれそめって、なに?」
「んっ?…馴れ初めっていうのは…んー…」
ジャンは綺麗に尖った顎に手を這わせると、動かなくなってしまった。
この男は何か考え事をすると、動かなくなってしまう特異体質なのだ。
「…ん?もう、こんな時間か…今日は店、久しぶりに休みだから、続きは夕食の時にでも話そうな」
ジャンはようやく動き出した。
「うん。じゃあ、学校に行ってくるね」
壁に掛けられている時計を一瞥すると、リアンは食べ残した料理達に別れを告げ、学校へと旅立った。
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