第5章 二者択一

20 それでも揺らぐ心


 ユースは久しぶりにディベールスの制服に身を包み、廊下を歩いていた。

 隊長室へ着任の挨拶に向かうのも何日ぶりになるのだろうか。

 まだ傷は引きつる感じはあるが、よほど無理をしなければ痛むこともなく、任務に支障はなさそうだ。

 先週から少しずつ始めている訓練も、今日からは本格的に始めていいだろう。

 腕試しにアーセルに付き合ってもらうのもいい。

 そんなことを考えながら隊長室の扉をノックした。


「はい。どうぞ」


 シュナイザーの返事を待って入室する。

 隊長であるシュナイザーが今日も山積みになっている書類と向き合っていると思っていたが、意外にも彼はそうしていなかった。

 机の上には多少の書類が積みあがっているものの、書類整理はしていない。

 おそらくそれは、シュナイザーの前に少しだらけた様子で立つアーセルが原因のひとつだろう。


 彼は昨日夜勤だったはず。

 ということは昨夜の任務報告でもしていたのだろう。


 ユースがアーセルの隣に立つと、シュナイザーが少し口角を引き上げてほほ笑んだ。


「おはよう。今日から正式に復帰だね」

「はい。ご心配、ご迷惑をおかけしました」

「別に迷惑はしていないよ。ただ少しメンバーの元気がなかったくらいかな。でも今日からユースが復帰だと知ってみんな張り切っているよ」

「なんでメンバーが張り切るんですか。張り切らないといけないのは俺だと思うんですが……」

「ユースが休んでいる間にみんな訓練を頑張ったんだよ。エースの君に追いつくチャンスだって言ってね。その成果を早く見せたいんじゃないかな」

「はぁ、そうなんですか」

「お前は相当身体が鈍っているみたいだから、今こそ俺が完全なるエースになるチャンスだな」

「うるさい」


 隣からのドヤ顔が不快だったので、ユースは反射的にアーセルの足に思い切り蹴りを入れていた。

 見事にヒットしてアーセルが悲鳴を上げる。


「痛っ!お前、なにすんだ!」

「これくらい避けられないで何がエースだ」

「今のはわざと受けてあげたんですー。避けたらお前が泣くと思ったからですー」

「誰が泣くか!」

「えー?みんなに追いつけるか不安がってたくせにー?」

「っ、不安がってなんてない。俺は――!」

「はーい、そこまで」


 言い合いがさらに熱を帯びようとしたとき、シュナイザーが鉄扇を机に軽く打ち付け、一瞬で争いを終わらせた。


「相変わらず仲がいいようで嬉しいけど、復帰早々問題を起こさないようにね。もしそうなったとしたら容赦なく罰則を与えるよ?」


 先ほどとはまるで違う光の感じさせない目でシュナイザーが微笑んでいる。

 寒気を覚えたユースとアーセルは条件反射のように声を合わせて「はい」と頷く。


「よろしい。さて、じゃあ二人の形式上の挨拶は飛ばして、わたしからひとつ報告だ」

「報告?最近の任務状況や情勢などについての報告書は読んでおきましたが、そこには書かれていないことで報告というと……もしかして先日言っていた騎士団を標的としたテロ計画についてでしょうか」

「さすがだねユース。まさにそれなんだよ」

「計画をした組織が発覚したのですか」

「それか計画の詳細が分かったか、ですかね」


 ユースとアーセルの推測に、シュナイザーは静かに首を振る。


「あまり状況は良くない。何しろ計画についても、計画した組織についても、判明していないんだ」

「そんな……。騎士団の諜報部をもってしても探れない組織ということですか。それは厄介そうですね」

「そうなんだよ。なかなか尻尾を掴ませてくれない」


 アーセルとシュナイザーの会話を聞きながら、ユースは一人眉を寄せていた。

 脳裏にクロスの姿が浮かんで消える。


(これまで消息も一切掴ませなかったんだ。計画も、組織の詳細も、そう簡単に掴ませてくれるわけがない)


「それで、報告と言うのは?」


 ユースは先を急ぐようにシュナイザーに問いかける。

 そこにわずかでもクロスへ繋がる情報がある事を祈って。


 しかしシュナイザーから告げられた内容は、さらにユースを絶望の淵へと突き落とすことになる。


「昨夜、第3区で見回り中の騎士団員が襲われた」

「!」


 呼吸が止まったような感覚。

 口が縫い付けられたように動かない。

 そんなユースの代わりにアーセルが詳細を訪ねている。


「襲った人物の特定はどうなっていますか。団員の怪我の具合は?」

「彼らを襲った人物については特定できていない。なぜなら犯行時刻が深夜で住民は寝静まっていたからね。誰も犯行を目撃していないんだ」

「誰も……」


 ユースはシュナイザーの言葉尻を捕らえて呟く。

 その言葉が示すことはつまり。


「団員は、意識不明。もしくは死亡した、ということですか」


 そうであってほしくないと願いながら口にした言葉に、おそらく同じことを思っていたであろうアーセルが拳を握りしめる。

 シュナイザーは静かな目でユースたちを見つめ、そして感情を感じさせない声で「そうだ」と答えた。


「襲われた団員二人は全身を数十か所刺され、数えきれないほどの切り傷があった。定期連絡が来ないことを不審に思った班長が団員を確認に向かわせたところで血まみれの二人を発見したそうだ。失血量が多く、臓器の損傷も激しい。生きてはいるが、今後の希望は低いという事だ」

「そう、ですか」


 騎士たる者。たとえ仲間が瀕死になろうとも、己の守るべきもののためさを冷静を失ってはならない。

 騎士の教えを心の中で復唱するが、とても冷静にはなれそうになかった。

 仲間が襲われ、瀕死の重傷を負わされたのだ。


 そしておそらくそれを指示したのは、ユースが最も信頼していた男。


(やっぱりあの時、刺し違えてでも押さえておけばよかった)


 その場合クロスの罪が発覚するが、より罪を重ねる前に捕まえた方がよほど彼のためだったのではないか。

 そんな思いも沸き上がってくる。

 けれど――。


(命を救ってくれた人を、俺は殺せるのか?たとえ仲間が殺されそうになっているからと言って、俺はクロスを撃てるか?)


 正直に言えば、できそうにない。

 想像だけで心が揺らぐ。


(俺は、最低だ)

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