19 勝つことではなく守ること
人が大勢、何かから逃げるように走ってくる。
ユースはその波に逆らうように、悲鳴が聞こえた方へと走った。
すぐに人込みは抜け、人が去った開けた空間に出る。
「――っ!」
(なんだ、これは……)
そこには腕や足から血を流し、倒れ込む3人の男女がいた。
そして痛みで動けない彼らを守るように、騎士団の者たちが2人立ちふさがっている。
人数からして、おそらく巡回中にこの事件に出くわしたのだろう。
銃を構える彼らの向こうに、姿勢を低くした男の姿が見える。
短く刈り上げられた髪、猛獣が獲物を狙う時のような鋭い眼光。
耳や唇につけられた銀のピアスが特徴的な男の姿を認識した瞬間、ユースの心臓が大きく跳ね上がり、スッと冷たいものが背筋を通り抜けていった。
「……ルナウド・パーク」
思わずその名を口にすれば、パークがにやりと笑う。
(なぜ、やつがここに……)
数年前までフォークスという海沿いの街で無差別殺人を行い、騎士団に捕まるまでに十三人を殺害した凶悪犯。
罪の最も重い者たちが収容されるカルース監獄の最深部で牢に繋がれていたが、数か月前に脱走している。
監獄を管理している部隊、アデージが今血眼になって探しているもっとも危険な人物だ。
頭の中から高速で情報を引っ張り出したユースは、反射的に腰に手をやって、そこに銃がないことに舌打ちする。
(くそっ、今日は非番だから装備が何もない!)
せめて剣でもあればよかったが、まったくの丸腰だ。
前方に立つ騎士団員から借りるという手もあるが、この緊迫した状態でそのチャンスがあるかどうか。
パークは大勢の人を殺しながら、それでも簡単には捕まえられなかった。
それはパークが騎士団にも劣らぬ俊敏さと、確実に人を殺す術を持っているからだ。
つまり、彼はそう簡単に捕まえられないほど強い。
(どうする……。せめてあの三人だけは逃がさないと)
民間人を殺されたとなれば市民の糾弾は免れない。
だが、この状況では圧倒的にこちらが不利だ。
たとえパークがサバイバルナイフ1本しか所持していないとしても、守りながらではよくて相打ちだろう。
(考えろ。考えるんだ)
必死に打開策を考えているとこちらの思考を読んだかのようにパークがにやりと笑った。
瞬間、本能的な悪寒が全身を走り抜け、ユースは咄嗟に叫びながら騎士団員たちのもとへ走り出していた。
「撃て!」
「っ!」
バンッ、バンッ。
騎士団員たちがユースの声に反応し、反射的に銃を撃つ。
しかしあっさり避けたパークが騎士団員たちのもとへ走って来た。
(早いっ! 間に合わな――!)
丸腰で何もできないというのに身体は勝手に騎士団員たちのもとへ進む。
彼らを守るために動く。
しかし、手は届かなかった――。
ザシュッ……!
「ぐああっ!」
ザシュッ!
「ああっ!」
鮮血が目の前を舞う。
「あ……」
血のカーテンの向こうでパークがニヤニヤと狂気的な笑みを浮かべていた。
「きゃっ、きゃああああ!」
腕を切りつけられていた女が悲鳴を上げながら恐怖に震えている。
しかし腰が抜けて逃げることができないようだ。
「うぅ……」
「!」
不意に首を切りつけられ倒れていた騎士団員たちがうめき声をあげた。
どうやら咄嗟に致命傷を避けたようだった。
だが、今声を上げたのはまずかった。
パークが再び血に濡れたナイフを振り上げる。
だが、今はこちらの攻撃範囲内でもある。
ユースは気を失わせるつもりで重い蹴りを繰り出した。
「このっ!」
「――っ、ははっ」
「チッ!」
パークは敵ながら見事な反射神経で後ろに飛びのく。
攻撃は当たらなかったが、騎士団員から引き離すことには成功した。
「借りるぞ!」
倒れている騎士団員の銃を取り、そのまま撃ち抜く。
バンッ、バンッ!
「はははっ! おら、どうした当たんねえぞ!」
「くそっ!」
何が楽しいのか笑いながらあっさりと銃弾をかわすパーク。
さすが、あのアデージが捕まるのに苦労しただけはある。
このままではこちらの弾が尽きる方が早いだろう。
(どうすればいい……!)
「オマエ、その髪。もしかしてユース・ライトフォードってやつか?」
「っ、なぜ……」
「あー、当たりか。めんどくせえなあ。オマエは殺すなって言われてんだよなぁ」
「殺すな? お前、まさかクロスの――ぐっ!」
思わぬ疑惑に動揺した一瞬で接近していたパークがユースの腹を蹴り飛ばした。
クロスに撃ち抜かれた腹の部分をピンポイントで蹴られ、痛みに意識が飛びそうになる。
治ったとはいえ、まだ攻撃をもろに受けられるほど回復はしていない。
しかし飛ばされながらもユースは銃を構え、弾を放っていた。
「おっとっ」
「……ぐっ、かすっただけか」
腹を押さえながら立ち上がる。
パークはまだ笑っていた。
(こいつ頭おかしいんじゃないか。絶対笑う場面じゃないぞ。しかも戦闘能力もずば抜けてるし、こんなのもうバケモンだろ)
自分1人で勝てるかどうか。
せめて誰かが騎士団本部に通報してくれていればいいのだが。
(って、そんな「かもしれない」に頼ってたら駄目だよな)
今ここで自分に何ができるか。
どうすれば彼らを守れるか。
それだけを考えて動かなければ。
(遠くから撃っても避けられる。なら、近距離なら――)
「さすがに避けられないだろ!」
「なるほど。オマエ、いいねぇ」
「はああっ!」
(まずはナイフを持っている手をつぶす!)
ユースは素早い蹴りを繰り出す。しかしパークは身体を左にずらして避ける。
だが最初の攻撃が避けられることは予想済み。
ユースは避けるためにパークの片足が浮いた瞬間を逃さず、地面に接触していたもう一方の足を払った。
「くっ」
初めてパークの笑みが消える。
その瞬間を逃さずユースは引き金を引いた。
「チェックメイトだ」
バァアアンッ。
「ぐあっ……!」
ナイフが地に落ちる乾いた音が響き、同時にパークが撃ち抜かれた右腕を押さえてうめく。
これで捕獲は簡単だ。
ほっと息をついたユースだが、次の瞬間壁まで飛ばされていた。
パークの強烈な蹴りが再びユースの腹に直撃したのだ。
(まずい……!)
完全なる油断だ。
自分が倒れればここを守る者がいなくなる。
気合いだけで意識を保つと、すぐにパークのもとへ走り出した。
同時に銃弾を放つが、避けられる。
腕を撃ち抜かれているというのにまだ動ける余裕があるらしい。
その時ユースは腕ではなく足を撃ち抜いていればよかったと激しく後悔した。
「だから、オレはオマエには手ぇ出すなって言われてんだよ。てことで、ここは一旦引かせてもらうぜ。アイツ怒らすと怖えしな」
「待てっ!」
あっさり背を向けて走り去るパークに銃弾を撃ち込むが、すぐに弾切れになってしまった。
「くそっ!」
自分のふがいなさや無力さに怒りが込み上げてきて、思わず銃を地面に投げつけるところだった。
しかし他人のものであることを思い出し、何とか堪える。
そしてすぐに状況を思い出し、倒れたままの騎士団員たちに駆け寄った。
「おい、しっかりしろ!」
「……っ」
「まだ意識はあるな。いいか、そのまま絶対に眠るなよ!」
声をかけ続けながら、一番重傷と思われる青年団員の止血を試みる。
しかし出血量がひどい。
すぐに病院へ運ばなければ危険だ。
「くそっ、早く、医療部隊でも騎士団でも来てくれ!」
応急処置の心得はあるとはいえ、医者ではないユースにはこれ以上どうしようもなかった。
「絶対、絶対死ぬんじゃないぞ!」
声をかけ続け、どれくらい経っただろうか。
慌ただしい足音と共に騎士団と医療部隊が到着し、辺りはまた騒がしくなった。
何もできないユースは医療部隊の邪魔にならないように隅に避ける。
医療部隊員たちの怒号をどこか遠くで聞いているような感覚がする。
(パークに、まるで歯が立たなかった)
ぎゅっと拳を握りしめる。
悔しさでどうにかなってしまいそうだ。
(あの強さは異常だ。たとえ俺に愛用の銃があって、身体が全快していても勝てたかどうか)
「やっぱりもう俺には騎士としての価値なんて……」
同胞を目の前で殺されかけ、市民を危険にさらした。
(俺の憧れた騎士は、こんなんじゃない……)
ユースが俯いて唇をかみしめた時、「あの……」と控えめに声がかけられた。
はっとして顔を上げると、そこにいたのはそこかしこに包帯を巻かれ、応急処置をされた3人の男女――先ほどまで倒れていた人たち――だった。
「あ……、えと、なにか?」
声をかけられる理由が見当たらないので、ユースは少し戸惑いながら声をかける。
すると一番軽傷だった角刈りの男性が「先ほどはありがとうございました」と頭を下げた。残りの2人もそれに続く。
「あなたが来てくれなければどうなっていたか……」
「いえ、自分は何も。何も、守れませんでした」
「そんなことはありませんよ!あなたが来てくれなければ俺達は今ごろどうなっていたか……」
その言葉に沈黙が落ち、重い雰囲気になった。
確かにあの時ユースが駆け付けなければ恐らく全員殺されていただろう。
タイミング的には良かったと言えるのだろうが。
(だけど、みんな怪我をしてる。俺は何も守れてなんていないんだ)
だから、こんな風に礼を言われる資格などないのだ。
彼らを直視できずに目を逸らしかけた時、一番若い、金髪の青年が「あの人たちに聞きました」と口を開いた。
「あなた、ディベールスのメンバーなんでしょう!やっぱりディベールスは最強ですね!俺、ずっと憧れで!まさかこんなところで会えるなんて光栄です!」
「え、ええ……ありがとうございます」
「握手してもらってもいいですか!」
「は、はぁ……」
断る理由もないので手を差し出せば、先ほどまで怯えていた人物とは思えないほど元気に握った手をブンブンと上下に振り回された。
「俺達は頑張って経済回すんで、あなたはどうかこの町をお願いします!」
「そうだな。俺達はあなたみたいには戦えない。だからこれからもお願いします」
「騎士様だったって聞いて、あの強さは納得しました。これからもお願いしますね」
「……はい」
3人に口々に言われ、ユースは困ったように笑いながら頷く。
それから3人は医療部隊によって病院へ運ばれて行った。
「ユース」
「――隊長!どうしてここに?」
名を呼ばれて振り返れば、いつものように鉄扇子を片手に持ったシュナイザーが優しく微笑みながら立っていた。
「ちょっと野暮用でね。それにしても、病み上がりにしては頑張ったみたいだね」
「そう、でもないですよ。全然でした。パークも取り逃がしてしまいましたし」
「なるほど、これはパークの仕業か。でもあのパークを丸腰同然で、しかも1人で追い払ったのだから大したものだよ。幸い死者もいないしね。君は誇っていい」
「でも俺は……」
「ユース。そこまで自分を卑下するのはやめなさい。君はよくやった。騎士に大事なのは勝つことじゃない。力なき者を守る事だ」
「!」
(力なき者を、守る事……)
「君は立派に守ったんだ。それも5人も。さすがディベールスのメンバーだね。わたしも鼻が高いよ。ご苦労様」
「……はい、隊長」
そっと頭を撫でられて、ユースは目頭が熱くなるのを感じた。
(俺は、守れた。騎士として、誰かを守れるんだ)
「さあ、もう宿舎に戻ってお休み。さっき市民が話していたのを聞いたんだけど、騎士団員を標的とした事件を起こそうとしているやからがいるらしい」
「――っ!」
「ユースも何か聞いてるかい?」
「……いえ」
「そう。まあそういうわけだから念のため1人での行動は避けた方がいいかもしれないね。特に君は病み上がりだし、丸腰では絶対出かけないように」
「わかりました」
「よろしい。君の事情聴取はまた後日にしてもらうから帰っていいよ」
「ありがとうございます」
現場を取り仕切っている班長と思われる人物のもとへ歩いていくシュナイザーに頭を下げながら、ユースは嫌な汗をかいていた。
(騎士団を標的とした……)
先ほどのシュナイザーの言葉を繰り返す頭の中によみがえるクロスの声。
『俺たちは必ず騎士団を崩壊させる』
そしてパークの言葉。
『オマエは殺すなって言われてんだよなぁ』
バラバラのピースがはまっていく。
(おそらくパークはクロスの仲間だ。そしてクロスは本当に騎士団を――)
「崩壊させようとしている……」
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