7 記された過去
重たい瞼を押し上げれば、もうすっかり見慣れた寮の天井が見える。
(ああ、そうか……)
昨日薬が抜けたあと痛み止めを貰い、シュナイザーへの報告を済ませて自室へ戻ったのだ。
意識が覚醒し始めればまだふさがり切っていない腕の傷がズキズキと痛む。
今日は一度傷の具合を見せに本部へ行かなければいけない。
それならついでに資料室へ行ってみようと思い立った。
本部の資料室ならあの日の事件を記した資料もあるはずだ。
あの事件は犯人もその目的も不明で資料には大したことは書かれていないとシュナイザーが言っていたし、何よりあの日に向き合う勇気がなかったこともあって資料を見ようと思ったことはなかった。
見たところで真実がわかるわけではないだろうが、一度くらいは見ておこう。
クロスが言ってくれた言葉のおかげか、あの日のことを思ってもいつもの頭痛は襲ってこなかった。
今日なら、見れる。
なんとなくそう思った。
まだ鳴っていない目覚ましが鳴らないように解除してからシャワー室へ向かう。
傷口に気を付けながら軽く汗を流して制服に着替えると、そのまま部屋を後にした。
寮に比較的近い位置にある厩舎に寄って自分の馬に跨ると、そのまま本部まで走らせる。
いつもより早く起きたとはいえ、出勤の時間を考えると少しでも移動時間は短縮したかった。
振動で傷が多少痛むのは気にしない。
朝日が顔を出し始めたばかりの静かな街道を東へ走り抜けてしばらくすると高い壁に囲まれた騎士団本部が見えてくる。
門の前に立っている門番に所属と名前を告げて確認を取ると、鉄で出来た重厚な門が開かれた。
そのまま本部の厩舎に馬を繋ぐとその足でまっすぐ医務室に向かう。
かつてユースもここに勤めていたので場所は把握している。
広いホールを右へ折れ、その先の突き当りを左へ進む。
この時間ならまだ夜勤の医師だろうが、まあ気にすることはないだろう。
とりあえず傷の具合を診てもらえればいいのだ。
医務室に行くと夜勤の医師は案の定驚いた表情を見せたが、事情を説明したら苦笑気味に傷を診てくれた。
簡単な触診と問診の後傷口を消毒してもらい、新たな包帯が巻かれる。
激しい運動は控えるようにという言葉に、適当に返事をして早々に医務室を後にした。
次に向かうのは資料室だ。
今まで起こった事件の膨大な資料が納められているだけの部屋なので騎士団員もめったに訪れない場所だ。
特に鍵もかけられていない扉を開けて中へと進む。
床から天井まで埋め尽くす事件の資料。そのほとんどは窃盗や詐欺といった小さな事件の報告書である。
それらの前を素通りしてさらに奥へ進むと、ほとんど何も資料が置かれていない棚がある。ここが未解決事件の資料棚だ。
未解決の事件は数えるほどしかないため目的のものはすぐに見つかった。
『ライトフォード事件』
実にわかりやすいタイトルである。
少し背伸びをしてあまり厚みのないそのファイルを手に取った。
最初に記されているのは事件の発生した日付、そして事件を担当したであろう人物の名前だった。
そして内容は事件記録へと続く。
十月十三日、午後八時。事件発生。
ライトフォードの屋敷が燃えているという住民の通報を受け、我が第七部隊は火消し隊の者たちを15人伴って現場に急行。
馬を飛ばしたが、たどり着いたときすでに屋敷全体に火が回っていた。
中に人がいるかどうか周囲に確認を取ったが、その時点では不明。我々も消火活動に加わる。
それからしばらくして隊員の一人が子供の声を聞いたと報告してきた為耳を澄ませると確かに屋敷の中から子供の泣き声がした。
我々は水を被り咄嗟に火の中へ飛び込んだ。広いホールを抜けた先の広い空間で少年ユース・ライトフォードを保護。
ユース・ライトフォードがすがりついていたのは血まみれの男女であった。
その空間には散らばるようにして子供をあわせて10人ほどが倒れていたが、隊員が確認した結果全員死亡。
火の勢いが酷く、我々は錯乱状態にある少年を保護し野外に避難。遺体を回収することは隊員の安全を考えると不可能な状態にあった。それに伴い正確な死亡人数も不明。
「……っ」
そこまで読んでユースは資料から視線を外した。
鮮明にあの日の記憶が蘇ってきて、とてもじゃないがそれ以上読めそうになかった。
そんなはずはないのに一気に空気が薄くなった気がして息苦しい。
胸を締め付けられるような痛み。そして頭痛。
蘇った血にまみれた映像を早く消したくて、資料を持っていない手を強く握りしめた。
そうしてしばらくすれば痛みで過去の映像は消える。
ほっと息をついて手の力を緩めた。
「……ユース・ライトフォードを残してライトフォードの血は絶えたと思われる、か」
資料を閉じる直前に見えた文字が心に暗い影を落とす。
改めて自分は独りなのだと自覚させられた。
月明かりもない夜道を灯りも持たずに歩くような心許なさ。
襲いかかる孤独。
「どうして…っ」
どうして自分だけが生き残ってしまったんだろう。
子供だから?
いや違う。あの場所にはミシェルだってヨシュアだって、クロスだっていた。
みんな年上だったが、子供と呼んでもいい年齢だった。
だけど殺された。
それならなぜ自分だけは殺されなかったのか。
今まで過去と向き合おうとしなかったせいで考えもしなかった疑問が浮かぶ。
生かしておくことで何か犯人に得することがあったのか。
そう考えてすぐに否定した。
自分だけが生き残ったことで13歳にして爵位を継いだが、誰もコンタクトを取ってくるものはいなかった。
ならば単純に殺す価値もなかったということだろうか。
そうだとしたら本当に馬鹿にしている。
チッと舌打ちをして資料をもとの場所に戻した。
シュナイザーの言うとおり自分が知っている以外のことは書かれていないようだからこれ以上読んでも仕方がないだろう。
まだ時間に余裕がありそうだから射撃場にでも寄っていこう。
そう思って踵を返したとき思いもよらない人物と遭遇した。
それは相手も同じだったようでいつもは優しく細められている目が、一瞬見開かれたような気がした。
「これは……珍しいところで会ったね」
そう言って微笑んだのはいつも通り長い髪を右肩の辺りで緩く結んだシュナイザーだ。
片手にいくつかのファイルを持っているところを見ると溜まった資料を納めに来たのだろう。
「どうしてここに?」
「もう10年も経ったんで、あの日の資料を見てみようかと。まあ最後までは見れませんでしたけど、どうせ犯人はわかりませんし」
さも不満そうに肩を竦めればシュナイザーからは苦笑が返ってくる。
「……隊長。なんで俺だけが生き残ったんですかね」
言ってから、シュナイザーの顔が苦しげに歪められたのを見て少し後悔した。
そんなことを言ってもどうにもならないのに。
そんな自分に苦笑して、なんでもありませんと出口へ向けて歩き出す。
その背後で名を呼ばれる。
条件反射で足を止めて振り返れば、真剣な瞳と目が合った。
「……これが君の救いになるかどうかわからないけど、あの報告書の中に書かれていないことを一つ教えよう。あの場には君を含めて四人の子供がいた。けれど見つかった遺体は二体。もちろんそのうちの一人は君だ。君も知ってのとおり屋敷は焼け落ちてしまって最後の一人が見つけられなかっただけということもあるけど、その一人がどこかで生き残っている可能性もないわけじゃない」
「……」
生き残っているかもしれない可能性を示すことでシュナイザーはこの孤独を埋めようとしている。
けれどユースは少しも希望を見いだせなかった。
確かに可能性はゼロではないかもしれない。だが生きていたとしたらなぜこの10年間姿を現さなかったのか。
どうして一握りの情報も入ってこなかったのか。
生きていたら必ず騎士団に情報が入ってくるはずなのだ。
それがなかったということは最後の一人もどこかで命を落としているということになる。
そう推測できないほどユースは子供ではなかった。
自分の言葉が意味をなさなかったことを悟ったのか、シュナイザーは「一つだけ覚えていてほしい」と続けた。
「君はわたしの大切な仲間だし、養成学校時代から気にかけてきた息子のような存在だ。君を家族のように思っている人間がいることを忘れないでほしい。血のつながりだけがすべてではないよ」
「……ありがとうございます」
溢れそうになる涙を必死でこらえた。
血のつながりのある誰かが生きていると言われた時よりも嬉しく思ってしまったことに戸惑う。と同時に失った家族よりも今の仲間の存在が自分の中で大きくなっていることに気付かされた。
冷えていた心が温かい何かで満たされていく。
あの日のことを思い出しては心が痛むけれど、今という瞬間には勝てない思い出でしかないんだ。
過去に縛られるのはやめよう。
そう思ったら心が軽くなった気がした。
忘れることはできないけど、それでももう過去に負けることはしない。
また新たな決意が生まれて、ユースはもう一度「ありがとうございます」と繰り返してから資料室を後にした。
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