『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

 昨年の暮れ、友人の鋼鉄サンボくん(他一名)とともに映画を見に行った。片渕須直

監督の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』である。前作はすでに見ていて

(しかも二回)、記憶に深く焼き付けていたので、今回の作品にも何の不安もなかった。


 特に前作でカットされていたリンさんがらみのエピソードがノーカットで入っていたので、たっぷりと堪能できた。いいねえリンさん。少女のようなすずさんとはまた違う大人の色気を漂わせている女性。

 最後がどうなったかは不明のままだけど、おそらく原爆の影響で死んじゃったんだろう。彼女もやはり戦争の犠牲者なのだ。


 それにしても驚くべきは、この映画に関する悪評がまるで聞こえてこないことだ。それもこれも片渕監督が徹底的に調査を行ない、小さな点までも凝っていたからだ。普段、映画の中に出てくるちょっとした描写にでも文句をつけたがる右翼や左翼の人間でさえ。それだけ片渕監督のリサーチが完璧だったということか。

 たとえばある日に蝶々が飛んでいたかどうかを知るために、その日の気温まで調べたというのだから。


 いや、一人いた。前作『この世界の片隅に』の公開直後、僕のHPでこの映画は「日本史のねつ造をやっている」と批判していた奴がいた。玉音放送で日本人が泣いたというのは嘘だ、というのだ。

 あほか! 玉音放送で泣いた日本人と泣かなかった日本人がいるというだけの話ではないか。映画の中でも、泣いていたのはすずさんだけだった。 

 こんな完璧な映画であっても、文句をつけないと気がすまない人がいるのだ。そりゃあ、「地球が丸い」という説にも異説を唱える人間がいるわけだ。(偶然だが、数日前の『世界まる見え!』にも「地球平坦説」を唱える人が出ていた)


 僕は『詩羽のいる街』の中で、鏑木さんという老婆を登場させ、こんなことを言わせている。


「日本の戦争映画って、嘘っぽいから嫌いなのよね。あたしら本物の空襲も焼け跡も経験してる世代だからさ。『あの時代にこんな血色のいい子供がいるか』とか『機銃掃射の音はこんなじゃない』とか、文句ばっかり言っちゃうのよ。だいたい、監督も役者も戦争経験してなくて、頭の中で作ってるだけじゃない。ぜんぜん兵隊が兵隊らしく見えないの。もう、ちゃんっちゃらおかしくって」


 鏑木さんはこの映画を観て満足したんだろうか。

 そう、僕は本物の戦争を知らない。だから、片渕監督のような人が現れて、リアルな(本物の)戦争を描いてくれることに期待するのだ。たとえアニメであっても。


 しかしサンボくんたちには深く感謝している。行ったのは茨木市のイオンシネマ茨木ってところなんだけど、駅からかなり距離があって、とても僕みたいな身障者では一人じゃあいけない。やっぱりいざとなると、友人が頼りになる。


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