デルという少女のこと


 しばらく前から、自分の昔の小説を読み返している。数日前から『サーラの冒険』(富士見ファンタジア文庫 全六巻+外伝)に取りかかっているところだ。シリーズを開始したのは1991年。途中で約10年間のブランクがあり、最終話まで書き上げたのは2006年である。

 読み返していて気づくけど、これはどっちかっつーと、ほとんど僕の自伝みたいだ。

 冒険者にあこがれて、故郷の村から飛び出してきた11歳の少年サーラ。たちまち冒険の日々の連続かと思いきや、酒場でバイトしながら、盗賊ギルドで鍵開けの修業をしたり登攀の訓練をしたり、地道なレベルアップの日が続く。その途中で冒険者の実情を知ったり、悪い奴に騙されたり、あるいはモンスターに殺されかけたり、いろいろな体験を重ねてゆく……。

 王族や、非凡な特殊能力を持つ主人公の話にしたくなかった。だって、そんな話、みんな書いてるじゃないか(今もラノベの大半がそうである)。何の地位も力も持たない平凡な一般市民の少年が、ヒーローになるまでの冒険を描きたかったのだ。

 サーラの地道な経験を描きながら、アマチュア時代に大学の生協でバイトしてた頃の自分を思いだしていた。疲れたけど、充実していた毎日だった。

 なぜ充実していたと言うなら、僕は働きながら、これから書く予定の小説を夢想していたからだ。つまり、サーラが日々の冒険を実際に積み重ねていたのに対し、僕は空想の世界で冒険をしていた。サーラが盗賊ギルドでショートソードの使い方を学んでいた頃、僕は小説のスキルを学んでいた。

 しかし現実と異なる点もあった。サーラはデルという少女と出会い、愛し合うようになるが、僕にはデルいなかったということだ。


 デル・シータ。この魅力的なヒロインを思いついたというだけで、『サーラの冒険』という小説は“勝った!”と思えた。

 いや、決して表面的な魅力じゃないよ。サーラの初対面の時の印象もぱっとしないものだったし。でも、関係が深まるにつれ、デルはどんどん魅力的になっていき、ついには想像を絶するすさまじい存在になってゆくのだ。

 その性格は邪悪。

 暗黒神ファラリスのダークプリースト。

 でもサーラを深く愛しており、サーラも彼女を愛している。

 だから彼女の邪悪さ、邪悪であるがゆえの真剣なサーラへの深い愛を描けて満足である。特に第五巻『幸せをつかみたい!』のラストは壮絶を絶する出来で、自分でも鳥肌が立った。

 十代の頃に僕の大ファンであったという乙一氏が、熱い推薦文を書いてくれたのが嬉しかった。「ヒロイン・デルの過去は、十代の僕のトラウマでした」とのこと。そうだ、僕がライトノベルを書いてきたのは無駄じゃなかったんだ。そう確信した。

 ちなみに『幸せをつかみたい!』のクライマックス・シーンは、サーラ(12歳)とデル(13歳)の初体験のシーンである(笑)。いやあ、このシーンには小説家としてテクニックのすべてをつぎ込んだよ! 最高にエッチでインモラルで残酷、それでいて誰にも文句を付けられないように注意して書いた。

 ぜひ後続のラノベ作家の諸君にも、見習って欲しい。「編集部の意向なんて無視してかまわない」「山本弘は2006年にここまでやったんだぞ!」というのは、大きな励みになるはずだ。






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