「悪い奴らは、天使の顔して」

 長いこと小説、特にライトノベルを書いてきて、疑問に思うことがある。

 なぜ悪人は悪人のように見える容姿をしていて、悪人っぽい言動をするんだろうか。

 現実世界を見れば、そんなことは妄想にすぎないのが分かる。悪人は普通の人間と何も変わらない容姿で、時には魅力的で人当たりのいい人間である場合がほとんどである。テレビで人気者になっている例も多い。たまに批判されても、「面白いことを言う奴だ」と見過ごされる例がある。


 少し前から高須クリニックの高須院長が話題になっている。高須氏がホロコーストを否定したという話が広く知られるようになったのだ。しかし高須院長はどこ吹く風で、自分が何をしでかしたのか分からないようだ。多くの人が犠牲になったことが「ウソだ」というのだ。日本でたとえるなら、広島の原爆投下を「ウソだ」と言うようなものなのに。

 実は僕がまだと学会会長だった頃、2011年の日本トンデモ本大賞に高須氏を招いたことがある。

 この際、きっぱりと本当のことを言うが、僕はゲストに高須氏を招くことに反対だった。と学会会員の多数決で決まったのである。あの時、僕は高須氏に挨拶すらしなかった。

 当時、高須氏は「アポロは月に行ってない」と公言していた。大多数のと学会員や、一般の観客のほとんどにとっては、「面白いトンデモ説を唱える奴だ」という程度の軽い認識だったのだろう。だが、その頃すでに『ニセ科学を10倍楽しむ本』を書いていた僕にとっては、それは共有できない認識だった。

 僕は『ニセ科学を10倍楽しむ本』でこう書いた。


「いろんな苦難を乗り越えて、月面着陸という偉業を達成した宇宙飛行士の人たちや、それを支えたスタッフを、ウソつき呼ばわりしてるんだもの。たとえて言うなら、オリンピックで優勝した選手を、『インチキをしたんだろう』ってののしってるのと同じよ」


 要するに僕にとって高須氏は、社会的地位はともかく、人間的にはまったく共感できない人間だったのだ。

 だが僕の考えは、と学会員でさえ共感してくれなかった。

 その後、高須氏がホロコーストを否定していると知って、いっそう嫌悪感は深まった。ナチスの悪行については、いまさら言うまでもないが、ホロコーストについては(アポロの月着陸以上の)膨大な証拠があり、数多くの生存者の証言がある。それを「実は嘘だった」と言い切るのは、恐ろしく罪深い行為だ。

 ホロコースト否定論や『アンネの日記』捏造説については、僕は『翼を持つ少女』の中できっぱり否定した。

(あの時、高須氏の相手をしたのは、ともに『人類の月面着陸はあったんだ論』を書いた皆神龍太郎氏だったと思うが、今は高須氏の考えをどう考えてるのか知りたい)


 しかし、これだけ騒ぎになっているのに、高須氏を糾弾する声はほとんど聞こえてこない。

 高須氏がスポンサーである高須クリニックのCMはしょっちゅう流れているというのに。

 これも現実世界がフィクションと違う点だ。悪の親玉はヒーローに倒されて退場なんかしない。まったく何の報いも受けず、時には笑顔で賞賛される。

 聞くところによれば、ホロコーストのことを何も知らない若い連中の中には、高須氏に影響されて、「ホロコーストなどでっち上げだ」と考える奴が増えているのだそうだ。高須氏のような有名人でも、こんな話を堂々としているのに、どこからも罰せられないのだから、自分も同じことをいってもいいんじゃないか……そんなことを考える奴が増えているんじゃないだろうか。


 もう一人、僕が「悪人」に名を上げたいのは、武田武彦氏である。

 僕がこの人に興味を持ったのは、2007年の『“環境問題のウソ”のウソ』を書いた時である。最初は単に基本的なことを知らずに環境問題について間違ったことを書いているだけの、善意の人間なのかと思っていた。だが調べれば調べるほど、その本性が見えてきた。

 彼は自分の本を売るためなら、科学的データを自由自在にねじ曲げる人物なのだ。

 その正体についてはASIOS『検証 大震災の予言・陰謀論』で論じた。彼は放射線について初歩の知識を間違えていた。自分の過去の発言を書き換え、あたかもずっと前から「原発否定派」であるかのように見せかけた。また現実には不可能ほどの放射線量を提示したりした。

 たとえば「1キログラムあたり10ベクレルを下回る場合は『安心して食べることができる』としてよい」なんて無茶な要求を出していた。原発事故などなくても、白米には1キロあたり33ベクレルの自然界のカリウム40がふくまれているのだが。

 恐ろしく高い「武田基準」に従えば、福島産の農作物の多くは食べてはいけないことになってしまう。つまり被災地の復興が大幅に遅れることになる。だが武田氏は被災地の犠牲者のことなど気にとめない。彼の関心はいかに自分の本を売るかなのだ。

 武田氏を批判していたのは僕だけではない。大和田秀樹のマンガ『風評破壊天使ラブキュリ』の中でも、デマ怪人ザ・TUBEとして描かれている。(面の皮が厚いので攻撃が通じないというギャグには大笑いした)


 しかし。

 今でも武田氏は、テレビに出続けている。

 科学者ということで、科学関連の話に詳しいと思われているらしい。氏の専門は材料工学であり、核物理学も放射線医学もリサイクル問題も専門外なのに。


 高須氏や武田氏に共通するのは、その笑顔だ。

 多くの人は、笑顔のさわやかな人は心の中もさわやかだと思ってしまうらしい。

 彼らが「心で爪を研いでいる」と考えもしない。

 そういう連中とはどう戦えばいいのか。レーザーブレードでまっぷたつにできない以上、ひたすら耐えるしか道はない。

 僕は武田氏とのバトルを通じて、力の差を思い知らされた。実力ではなく、巨大なメディアの力を身につけたからだ。高須氏と同じくメディアの力で倒すのは今や不可能である。


 でも僕は、どんなに強大でもニセ科学やニセ歴史には膝を屈したくはない。おそらく、あなたも同じはずだ。

「名もない花を踏みつけられない男になる」と誓ったのだから。

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