第6話 チャーリー・ゴードンのように


 先日、毎月買っていた『日経サイエンス』を妻に「もう買わなくていい」と頼んだ。習慣のように毎号買っていたのは、まだ読めなくても、毎号読んでいれば、いつか知能が元通りになったら読めるんじゃないかと思っていたのだ。

 僕の知能指数は、たぶん普段より10か20は下がっている。

 待っていてもそう簡単に元には戻らない。知能が回復するにしても、たぶん何年も先のことだろう。


 それを思い知ったのは、先日、ハヤカワから出た『revisions』というアンソロジーを読んだからである。

 古今東西の時間SFを集めたアンソロジー。冒頭のリチャード・R・スミス「退屈の檻」は時間ループものの古典的作品で、再録するのに異論はない。もっともタイトルは昔と同じく「倦怠の檻」でも良かったと思うが。

 そしてC・L・ムーアの「ヴィンテージ・シーズン」!

 僕は若い頃「シャンブロウ」と『暗黒神のくちづけ』でノックアウトくらって以来、ムーアの文章にベタ惚れなんである。ムーアを主人公にした「闇からの衝動」という短編も書いてるほど。「ヴィンテージ・シーズン」にしても、垣間見える未来テクノロジーの描写が素晴らしい。1946年に書かれた話なのに、今も色褪せない、まさに不朽の名作。

 だが。

 法月倫太郎「ノックス・マシン」、藤井太洋「ノー・パラドクス」、小林泰三「時空争奪」。この3本は分からない。

 決して難解な小説ではないはずなのに、僕の脳では理解できない。津原泰水「五色の舟」も難解な点はあったが理解できないほどではなかったのに。

 そう、今の僕の脳には「ノー・パラドクス」を理解できる能力がないのだ。


 今の僕は理学療法、作業療法、言語療法の三人の療法士さんに週一回のペースでかかっている。僕の知能の低下を心配して、「いずれ脳の機能は戻ってきますよ」と励ましてくれる人もいる。

 だが「いずれ」というのがいつのことなのか。もしかして何年も先ということもありうる。


 少し前に、娘に「大学の卒論を読んでほしい」と頼まれた。娘は大学でコンピュータを研究している。当然、卒論の内容もコンピュータのソフトウェアに関する専門的なものだった。

 すまん。パパにはもう、お前の卒論を読んでやることもできないんだ。


 今の僕の心理をたとえるなら、『アルジャーノンに花束を』の主人公チャーリー・ゴードンの心理だろうか。特にラスト近くの。


 だが病気に負けてばかりはいられない。僕には妻や娘を支えなくてはならない使命があるのだ。

 とりあえずSFはもう書けない。『プロジェクトぴあの』や『地球移動作戦』のようなハードな長編はもちろん、「シュレディンガーのチョコパフェ」「まだ見ぬ冬の悲しみも」のような短編も。

 自分の中のかなりの部分を捨てちゃわないといけないな。しょうがないね。生き延びるためだもの。

 ああ、『プロジェクトぴあの』の文庫版がもうじき出るんだけど、娘にゲラチェックをやってもらおうと思う。僕には無理だから、代わりに読んで。


『BISビブリオバトル部』の原稿は、出す予定の本はすべて決まっているので、どうにかなると思う。


 あと、前に同人誌でだした『チャリス・イン・ハザード』を商業出版できないかと、買い手を探してる。自分で言うのもなんだが、2巻の『脅威の少女核爆弾』のラストは神がかった出来だと思う。買ってくれる人いませんかー。


 あと、SF以外の小説も書きたい。前に『怪獣文藝の逆襲』で書いた『廃都の怪神』の続編を書きたいんだけど。ティムがアフリカの邪神ニャーマトウと戦う話!

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