前を向く その三

 やれるだけのことはした。そう思いながら待つこと約十日、Oホテルから届いた通知は【不採用】であった。

「さすがに無理だったかぁ」

 首都圏にある福祉大学に通って介護士の資格を取り、仕事もそちら方面を目指していた。しかし授業の一環で行った介護施設の業務に付いていけず、在学中のうちに挫折を味わって途方に暮れた。昔取った杵柄を活かして宿泊業界への希望に切り替えて就活に勤しんでいた矢先、少し早めの卒業旅行として訪れた箱館で根田と知り合った。

 宿泊先となった『オクトゴーヌ』で働く彼は常に活き活きとしていた。経験値そのものはともかくとして、これまで親戚の手伝いという域を出ていなかった自身とは大違いという印象を受けた。戻った後夏休みを利用してアルバイトに入ったのだが、彼に触発されて腹の底から仕事を楽しんでいる自身がそこにいた。

 これだ! と感じた彼女は、全国展開の大手から個人経営の民宿まで幅広く試験を受けた。内定が出た企業もあったが、事前の説明会の印象が最悪で辞退に踏み切っている。そんな時期に姉の転勤が決まり、時を同じくして舞い込んだ箱館市内の温泉旅館の求人に飛びついた。両親は難色を示し、親戚も社員として雇うと引き留めてきたが、家事がほとんどできない姉の援護射撃が功を奏したのか内定を条件に北海道行きが認められる。

 無事に内定がもらえたことで、大学を卒業後姉に付いて箱館に移住した。わずか半年で退職してしまったのは本人の中でも予想外であったが、今はアルバイト生活で贅沢さえしなければ一人暮らしも可能な状態だ。

「でも掛け持ちは考えておかざぁなぁ」

 ばたばたした状態で引っ越しを済ませ、姉も任期を終えれば東京へ移住する。それまでに社員登用してもらえるところへ就職しておきたいので、アルバイト生活の傍らで就活は続いている状態であった。


 「あぁ、駄目だったやっせんかったんね」

 この日は休日が合った稲城と遊びに出掛けていた。彼女の息子龍之介は小野坂に会いたがって『離れ』におり、実質育児休業日なので城郭公園付近まで足を伸ばしている。

「うん、でもやれるだけのことはできたで思ってたよりスッキリしてる」

「ならよかと、お姉さんももうじき東京に行かるっどね?」

「うん、それだでまだ就活は続けるつもり」

「ゆっくりやりやんせ、無職じゃなかだし」

 二人はまだ雪の残る公園内をぶらぶらと歩いていた。

「そう言えばさ、タワーまだ登ったこと無かね?」

「うん。せっかくだで上がってみる? 寒いし」

 温暖な気候で育っている二人は北海道の寒さに慣れておらず、入場チケットを購入して足早に中に入る。移住一年未満の二人はそこで観光気分を満喫し、ここぞとばかり土産を買い漁っていた。そんな調子で夕方まで過ごした後、気分をリフレッシュさせて『離れ』で待つ龍之介を迎えに行く。

「こんた『オクトゴーヌ』ん皆の分やろ、こんた職場に渡す分やろ、こんた……」

 稲城は移動中の路面電車の中で紙袋を覗き込みながら購入した土産の選別をしている。

「あっ、そろそろ着くよ」

 社内アナウンスを聞いていた佐孝が慌てて停車ボタンを押す。稲城も降車の支度を始め、紙袋を重そうに持って席を立った。路面電車を降りた二人は坂道の中腹にある『オクトゴーヌ』まで歩き、『離れ』玄関のインターフォンを押すと小野坂が二人を出迎えた。

「お帰りなさい、少し休まれますか?」

「いえ大丈夫です。今日はりゅうがお世話になりました」

 稲城は買ったばかりの土産を小野坂に手渡す。

「いえ、こちらこそわざわざお土産ありがとうございます……りゅう、ママ戻ってきたぞ」

『は〜い』

 小野坂の呼びかけに奥から元気一杯の声が聞こえてきた。

「すみもはん、お忙しかのに子守なんかさせてしもて」

「今日は休みですので。それに俺は俺で楽しんでますよ」

 そう言っている間にお気に入りのリュックサックを背負った龍之介が玄関にいる母の元へ駆け寄ってくる。

「お待たせ〜、幸ちゃんにはこれあぐっ」

 彼は佐孝に一枚のチラシを手渡してから稲城の手を取った。

「ありがとりゅう君……ん?」

 龍之介が手渡したのは『オクトゴーヌ』のカフェ営業専属社員を募る求人広告であった。ひょっとして裏にお絵描きでもしてるのかな? とも思ったが、その痕跡は残っていない。

「ねぇ、帰ろうママ〜」

「うん、そうやなあ……どげんしたと? 幸」

 稲城はチラシに釘付けとなっている佐孝に声を掛けた。

「あのさ桜南、寄るとこあるで先帰っててくれる?」

「えっ? 途中まで一緒に行っじゃ」

「大丈夫、逆方向だで」

 佐孝は稲城母子を先に帰らせると、その場にいた小野坂の方へと向き直った。

「あの、堀江さんとお話できますか?」

「えぇ、呼んできますので上がってお待ちください」

 小野坂は佐孝を中に上げてから勤務中の堀江を呼びにペンションへ走る。それから程なく堀江だけが『離れ』に入り、彼女を見てこんばんはと会釈した。

「いきなりお邪魔してすみません、これについて伺いてゃーことがありまして」

 佐孝は龍之介から渡されたチラシを堀江に見せた。

「それどないされたんです?」

 実はまだ表に出していない求人広告であったので、どうやって外部の人間に渡ったのか? と不思議そうな表情を見せる。

「さっきりゅう君がくれたんです」

「なるほど、そういうことですか」

 そう言えば根田がパソコンで作成している時やたらと興味を示していたなと昼間の出来事を思い出していた。どのみち商店街の案内所に置かせてもらう予定であるため、一枚くらいフライングゲットがあってもいいかと思い直す。

「持って帰ってもらって構いませんよ」

「でしたら面接してください。そのために必要な書類が揃い次第改めてご連絡差し上げます」

「分かりました、お待ちしてます」

 堀江の返答に満足した佐孝はチラシを持ち帰り、その日のうちに履歴書を書き上げた。

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