前を向く その四
翌日の午前中、早速「オクトゴーヌ」に連絡を入れた佐孝は、普段着で来てほしいという要請があったため丸襟の長袖Tシャツにデニムパンツといういでたちで面接受けている。一応スーツを用意していたのだが、まだ微妙に慣れぬ雪道だとこの方がありがたかった。堀江はまず彼女の履歴書を黙読し、介護士の資格を持っていることに興味を示す。
「介護士の資格、お持ちなんですね」
「はい、元はそっちを目指してたんですが、いざ現場研修を受けてみると自分には合ってないと感じたんです」
堀江はにこやかな表情でそうですかと答えた。目指していた職種が合っていなかったという理由なのは理解したが、なぜ前職は旅館を選んだのか? ペンションだとほぼ同業種となるので何となく興味が湧いた。
「前職は市内の温泉旅館ですよね? 何か理由でもあるんですか?」
「親戚が旅館を経営してるんです。私自身高校時代から
「なるほど、であれば……」
状況によっては宿泊業務もできるのか……一瞬その考えが浮かんだが、今のところ宿泊業務とカフェ業務はきちんと線引きするつもりでいる。
「配膳はできます、オーダーを取ることは少にゃーですが経験はあります。仮に人手不足の日があればお任せください」
佐孝は旅館勤務経験の豊富さをアピールした。
「そこまでの要求はしないつもりですが、心強いお言葉ですね」
堀江は小柄で色白で可愛らしい見た目の佐孝に笑顔を見せる。ハムスターみたいな子やな……小野坂顔負けのくるんとした瞳とふくよかな顔付きが相まってそんな印象を与えていた。
「そしたらですね、お嫌でなければ少しだけ業務に参加してみませんか? あくまで技能試験ですのでお給料はお出しできませんが」
「是非、お願いします」
積極的な態度を見せる彼女に、堀江は杏色のエプロンを手渡す。
「これ着けてください……と言うん忘れてたことがあります。面接を受けられる方に確認を取らせてもらってるんですけど、俺前科持ちなんです」
「そうは見えませんけど」
佐孝は青のリネンシャツにベージュのチノパン姿の男性を見る。彼女には穏やな性分の好青年にしか映っておらず、どこをどう見ても警察の厄介になっているとは思えなかった。
「十七の時に人ひとり殺してます、そんな男の下で働けますか?」
その言葉に佐孝は堀江の目をまっすぐ見据える。それから数秒おいてから、表情を緩めて口角を上げた。
「働けます。十年前にお会いしたのであればともかく、今の堀江さんに身の危険は感じません」
彼女はそう言ってから杏色のエプロンを身に着けた。まだ開店前であった一階カフェフロアでは、この日出勤している義藤と国忠が準備で忙しく動き回っている。堀江はその中に佐孝を混ぜ、業務の手順を教えながら仕事振りを観察する。
佐孝は物覚えが良く、指示に従った動きを難なくこなしていた。小さな体をフルに使い、数年はいるのではないかと思わせるほど機敏な働きを見せていた。
その翌日から『オクトゴーヌ』では面接地獄が始まった。求人チラシが稲城の息子龍之介の手によって予定よりも早く佐孝の手に渡ったため、ならもういっそと坂道商店街のコミュニティスペースにチラシを置くと予想以上の問い合わせが殺到した。
その数はこれまでの求人を遥かに超え、問い合わせのみで五十件以上にのぼった。そこから希望日程をすり合わせて面接に臨んだ者も三十人ほどおり、中には
「皮肉なもんやな」
堀江は自身の前科がふるい掛けになっている現状に思わず笑ってしまう。
「それでも八人残ってくれたって思えば御の字なんじゃねぇの?」
小野坂は彼女たちの履歴書を順に黙読していた。
「そう思いますけど、わざわざ広めるようなことなさらなくてもいいと思います」
根田は昨年末の再来を懸念している。
「でも後々揉める方が面倒臭いし」
「分かってて来てる人もいたよなぁ」
義藤も小野坂に倣って履歴書に目を通している。
「男が零なんは予想通りやったな」
「ん。体裁気にしささるんは男ん方だべ」
「歳下の先輩を嫌う方って一定数いらっしゃいますからね」
調理班の二人は根田の言葉に頷いた。六人はその流れでカフェ従業員を採用を選ぶ話し合いに入り、しばしの静寂が流れる。
「オレ佐孝さんがいいなぁ」
まずが義藤が口火を切る。手には彼女の履歴書がしっかりと握られていた。
「他のもちゃんと見たんか?」
「ん? あんまピンとこない」
「真面目にやれや」
「やってるよぉ」
「この方はいかがでしょうか?」
根田はいかにも清楚そうな女性の履歴書をテーブルの中央に置く。彼女は直接指導したこともあり、試験そのものには真面目に取り組んでいたので印象が良かった。
「栄養士の資格をお持ちですので、調理班のサポートもこなせると思いますよ」
「この人色目使ってたじゃん、悌っちヤバイよ」
「えっ? ボクですか?」
「あぁ、そう言や悌さんにべったりやったな」
「たまたまお仕事を教えたのがボクだったからですよ、きっと」
根田はデコボココンビの懸念を笑顔でかわす。
「わちはこん子の方がいいべ」
国忠は唯一の学生である女の子の履歴書を置いた。彼女は反応も鈍めで俊敏とは言えなかったが、分からないことはきちんと訊ねてメモを取るところを評価していた。
「この子ちゃんとメモ取るんだよ」
小野坂もその点を評価して国忠に同意した。
「飲食店経験のある子が多かったにしたってさ、メモを取らさらんのんはちょべっと頂けんべ」
「う〜ん、確かに仰るとおりですね」
根田は推しの彼女がメモを取っていなかったことを思い出して再び悩む仕草を見せる。
「荘君が推ささってる子くらいいごけるんであれば文句は無いけどささ、前んルール持ち込まれちまうんはトラブルの元にならさんべ」
「いや、それで業務の効率が上がるんなら俺はむしろ意見として欲しいよ。節君も遠慮せんと言うてな」
堀江は社会人としての経験が乏しいためか、可能な限り多くの意見や考えを欲していた。
「ん、まずはここんやり方に慣れらさんべ」
「うん、いつでもええで。みんな佐孝さんには異論なさそうやね」
堀江は誰一人佐孝の働きぶりに異論を唱えていないことに注視している。
「ハイ。幸ちゃんは友人にもなりますが、きっと上手く付き合えると思います。ところで何名くらいの採用をお考えなんですか?」
「三人くらいまでかなぁ? あんまり多すぎても俺の手に負えんから」
「シフト交代考えたらそれくらいやなぁ、佐孝さんと学生の……
「ってことはあと一人……」
と残り五人分の履歴書を見始める面々に向けて小野坂がなぁと声を掛けた。
「三人に拘る必要、あるか?」
「「「「「えっ?」」」」」
その言葉に他の五人は一斉に小野坂を見る。
「仁は『三人くらい
「うん。オレ他の人ピンとこないもん」
義藤はさっさと履歴書から視線を外す。
「不足を感じらさるんならさ、また求人出ささってもいいんでないかい?」
「さすがに今回みたいなことにはならん思うで」
「そうですよね、霞さんももうじき戻られますし」
国忠、
「ほな今回は佐孝さんと信谷さんを迎えよう」
堀江は採用を決めた二人の履歴書を別に分けて【採用】のハンコを押す。
「いよいよカフェの営業日数も増やせますね」
「それでも週に二日は休みにするで、あくまで宿泊施設やから」
彼は新体制に意欲を見せるメンバーに笑顔を見せた。
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