足止め その一

 小野坂の離婚、川瀬の無断欠勤と続く『オクトゴーヌ』はにわかにざわついた空気に包まれていた。現在根田は帰省中、義藤も受験勉強の追い込みで勤務シフトを減らしているため国忠の加入が待たれる状態だ。

「俺はべっちょないで、予定通りカフェ営業の日数増やしても」

 カケハシは川瀬が来なくなってむしろ張り切っている様子だが、ここで無理をすると彼自身がエネルギー切れを起こしかねないと延期を決めた。

「今無理すなって、これから嫌でも忙しなるから」

 現状カフェ営業は連日満員状態で、川瀬が当てにならない以上全ての業務をカケハシに任せている。川瀬も一年間そうしてきたが忙しさは格段に違い、宿泊施設である以上本来の業務に手を抜くわけにはいかなかった。

「それにしてもこない早うに三回目が来るとは」

 堀江は川瀬への処分を考える必要性が出てきたと頭を悩ませる。仕事に関わる報連相は誰よりもきちんとしていただけに、片割れの急激な変貌に戸惑いもあった。それでもどこかでまだ元に戻ってくれるのではないかと信じていたかった部分もあり、一縷の望みを込めてメールで近況を尋ねてみるが今のところレスポンスは無い。

「もう数に入れるのをやめてしまいませんか?」

 石牟礼はのっけからシビアな意見を述べた。アルバイトに降格してるから業務への期待はさほどしていないけど……と尖ったあごを触って渋い表情を見せる。

「仁にとっては一緒に先代のレクチャーを受けた同朋みたいなものなんだよ」

 小野坂は堀江を慮ってそう言ったが、店長経験のある彼女には通用しなかった。

「しかしそれをいつまでも引きずられるのもどうかと思います。現に川瀬さんは足かせにしかなってません」

「それには俺も同意見です。公私とも被害被ってる智さんがそんな甘え考えでいいんですか? お人好しも程々にしとかんと身ぃ滅ぼしますよ」

 カケハシはオーナーの性分を知っているため、その部分の期待は残しつつ既に失望の域に入っているのではと考えていた。

「俺としてもそこ考えるともう勘弁してほしいな。明日も無断欠勤したら停職処分、衛さんの命日までに姿見せんかったらそこで解雇処分にするわ。一応こっちからは定期的に連絡入れるつもり」

 堀江は復活するかどうかも分からぬ川瀬よりも、近日中に加入が決まっている国忠を優先しようと考えているとケータイが動きを見せる。画面を見ると帰省中の根田だったので、断りを入れてから一旦電話を優先する。

「悌君?」

『ハイ。今から飛行機で戻ります』

 根田の声は案外弾んでいた。

「まだ六時過ぎやんか、今日戻ってくるにしてもゆっくりしんか」

『用事は全部済ませてきましたので大丈夫ですよ。義さん今日は……?』

 前日早朝から横濱に渡っている彼はそのことを気にしていたが、兄の法要を優先するよう里見を含めた全員で送り出している。

「来てない。まだ連絡も取れてないねん」

『そうですか……であれば昨日の最終便で戻っても良かったですね』

「そこは予定通りでええよ、休みを削るつもりもないし。迎えはどないしよ?」

『さっき信さんにお願いしちゃいました、丸一日お休みですから』

「分かった。ほな待ってるわ」

 堀江はそれで通話を切り、その場にいる三人に根田の帰宅を告げた。

「もう少しゆっくりなされても良かったのでは? そろそろ正面入口開けてきます」

 石牟礼は早朝出勤のためフロントに移動した。

『おはよーございまぁす!』

 もうじき控えている受験のため、朝の勤務が増えている義藤はこの日も元気一杯に出勤する。その際『離れ』が無人になるのを危惧してつばさも一緒に抱えていた。

「つばさちゃ〜ん、パパんとこ行こうね〜。おはよーございまぁす」

「おはよう、お前元気だな」

 小野坂は夜勤明けの疲れを見せつつも、後輩からつばさを受け取ると笑顔を見せる。小野坂はそのまま勤務を終えて『離れ』に戻り、カケハシは厨房に入って調理に勤しんでいた。

「さっ、俺ももうひと頑張りするか」

 変則夜勤の堀江は一度体を大きく伸ばしてからフロントに入り、外の雪かきに精を出しながら朝市に出掛ける客を見送る。川瀬がいなくなっても業務の差し支えはなかったが、それでも見慣れた顔がこの場にない寂しさを感じていた。


 川瀬を解雇処分にした『DAIGO』では、フロアスタッフにも早出を命じて相原母子が朝礼の指揮を執る。

「昨日付で川瀬義を解雇したべや。理由は社則第十条の違反だべ」

 その事実を知った野上以外の従業員は驚きの表情を見せていた。

「どってんこいたぁ、社内恋愛かい?」

「あったら男と付き合えるおなごおらさったんかい?」

「けどささ、相手誰なんだべ? 今んとこ全員揃わさってるけどさ」

「多分あん……」

「こらぁ、まぁだ話途中だべよ」

 ざわつき始めた従業員たちを一度注意してから、大悟は止まっていた話を続ける。

「それに伴わさって、チーフスタッフの亘には監督不行届としささって無期限の降格と三カ月間の二十パーセント減給処分とするべ」

「「「「「はぁっ?」」」」」

 オーナーの決定事項に従業員たちは不満を露わにする。野上は従業員たちの信頼を勝ち取っているので、相原母子からしても予想通りの反応であった。実際このことは野上と夜営業のチーフスタッフ北見とは事前に打ち合わせを済ませており、実際の処分は三カ月間の降格のみである。

「オーナー、処分厳し過ぎでないかい?」

 夜営業から移籍した三笠が疑問の声を上げる。それに他の従業員たちも同調し、一人最後尾で平然としている夢子の態度は相原母子から見るとかなり浮いていた。

「チーフいう立場であらさる以上、部下の不始末に対する何らかの責任を取らさるんは当然だべさ」

 旦子は涼やかな視線を夢子に向けながら返答する。

「けどささ旦子さん、二十パーセントの減給処分はやり過ぎだべ」

「んだんだ、陰でコソコソしさされちまったら分かんないべ」

「ん、言い分は分かるべ。したから亘の降格処分は無期限・・・なのさ、永久・・とはこいてね」

「したら亘さんのチーフ復帰はあらさるんかい?」

 フロアスタッフのリーダー的立場の男性社員が希望を見出したように尋ねた。

「ん、今後次第したから社則はちゃんと守らされ」

 大悟も夢子を視界の端に捉えながら規律を守るよう念押しする。野上のチーフ復帰を望む従業員たちはその言葉に頷いていたが、彼女だけは我関せずといった態度で余裕の笑みすら浮かべていた。実際小野坂の代用品にすぎない川瀬の進退など大して重要ではなく、自身の都合で操れさえすればあとはどうでも良かった。

「したら通常の朝礼に戻らさんべや」

 大悟は川瀬の話題を打ち切って業務連絡を伝え、予定通り十一時から営業を開始する。代行不在のままにしているため、結局は野上を中心にした業務構成となっていることで夢子は更に浮いた存在となっていた。彼女は川瀬の言葉を真に受けており、いつしか一段下に見るようになっている。

 彼もそのことにはとおに気づいており、チーフの立場であった頃から川瀬と夢子の扱いには難儀していた。それでも他の従業員たちの熱い支持に支えられてここまでやってこれたと感じており、今回の処分も自ら相原母子に願い出たものである。

 チーフであった時点でもっと強く忠告すべきだった……野上は入社当初の実力差に引け目を感じて川瀬に対してはなかなか気丈に振る舞えずにいた。そんな自身を昼営業のチーフに抜擢した相原母子にも感謝と重荷を両方感じていたが、他の従業員たちと真摯に向き合って後輩育成に力を入れてきたことで支持者が徐々に増えていった。

 そうなると自身のスキルを更に上げねばならなくなり、毎日たゆまぬ努力を続けてきた。自らも積極的にまかないを作り、立場におごらず大悟や北見に積極的に教えを乞うようにしてきた。その甲斐あってレシピコンテストで初めて実力で川瀬に勝利し、ようやっと自身に自信を持てるようになってきた矢先に起こった“裏切り行為”に対し、全く気づかなかった訳でもなかっただけに後悔がどうしてもつきまとう。

 それだけに、チーフ降格となっても自身を盛り立ててくれる仲間たちの心意気が嬉しかった。夢子一人に蔑ろにされようとも全く気にならず、であれば自身の返り咲きを願ってくれる従業員たちの期待に応えたいという思いが強かった。

 そんな野上の思いを後押しするかのように、『DAIGO』内では彼をチーフ復帰を一日でも早めるための話し合いが行われるようになる。その場所が店舗上階の独身寮であるため、間もなく退職が決まっている国忠も含まれていた。勤務時間は違えど同期入社である彼も野上のチーフ復帰を望んでおり、願わくば退職までに処分は解かれぬものかという願望を持っている状態だ。

「わちもうじき辞めらさるからさ、大したことはできらさらんべ」

「俺のことはいいから『オクトゴーヌ』でも頑張れよ」

 野上は同期の新たな門出を願って酒を酌み交わす。この空気が波及して通勤組の従業員も集まるようになり、独身寮内は毎日のように賑やかにしていた。業務でも浮いている夢子がその場に参加したことは一度もなく、見えないところで結束を固めていく彼らにさらなる疎外感を覚えるようになっていく。

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