足止め その二
その後も無断欠勤を続けている川瀬は停職処分となり、現状
そんな状態であるため、『バンビカリーノ』のシッターである稲城が夜勤業務として『離れ』に出入りしている。そうなると彼女自身の子である龍之介を預ける場が無いため、子連れで通っているうちにすっかりこの場に馴染んでいた。時として母を手伝うとつばさの面倒を見たり、ここの従業員たちと一緒に遊んだりとそれなりに楽しんでいる。
この日は一日休みとなっている根田は、シッターとしてやって来ている稲城と共に子供たちの世話を引き受けていた。最近は『DAIGO』で働いている三笠も『バンビカリーノ』を利用しており、現在訳あってここを指定して出張予約を入れている。
「無理こいて申し訳ね、家今旦那と長女がインフルエンザでささ」
彼女はこれ以上家庭内感染は防ぎたいと二人の子を連れてきていた。真ん中の子は幼稚園に通っているが、インフルエンザが流行してしまい現在閉園中である。末の子は木の葉と同い年で、まだ親の手がかかる年頃だ。
「弊社としては全然問題ないですよ」
「ここも全然大丈夫ですよ」
「助からさんべ、したら宜しくお願いするべ」
三笠は慌ただしく仕事に向かったが、今度は入れ替わるように角松が木の葉を連れて遊びにやって来た。
「おはようございます」
「いらっしゃい正さん、夜勤明けですか?」
根田は角松が何となくお疲れモードに見えてそう尋ねたが、いんやと首を振って病院のレシーバを見せた。
「親父がインフルエンザにならさってさ、わち明後日まで出勤停止だべ。ついでしたから感染しささってないか検査してもらったのさ」
そう言って表情をほころばせたので、角松父子は陰性であったんだなと察し二人は安堵する。彼は父肇のインフルエンザが娘に感染せぬよう、病院ついでに『離れ』への緊急避難を目論んでいた。
「多少のことしかできらさらんけどさ、わちも何かさしてもらうべ」
角松も『離れ』に上がり、さすが現役パパなだけあって子供たちとすぐに馴染んている。三人体制で五人の子供の面倒を看ていると、普段はひっそりと佇んでいる黒電話がけたたましい音で着信を報せてきた。
「わ〜ん!」
大きな音に慣れぬ三笠の子が泣き出してしまい、角松が必死にあやしている。ここの出入りが比較的多い木の葉と龍之介、そして住民であるつばさは電話だと分かっているので音に反応するのみで平然としていた。根田は素早く反応してそこに向かい、なるべく長々と鳴らさぬよう重みのある受話器を取る。
「ありがとうございます、ペンション『オクトゴーヌ』でございます」
『悌君? 霞さんが体調崩されたんや』
「分かりました」
そう言って受話器を置くと、一緒に子守中の二人に向き直った。
「隣で問題があったみたいなんです」
「うん、こっちは気にせんでよかじゃ」
「ん、行かさってけれ」
稲城と角松は急に仕事が入った根田を送り出し、電話の音に気付いた小野坂が一階リビングに降りてきた。
「お邪魔してんべ、智さん」
「いらっしゃい、悌は?」
「さっき隣へ向かわれました」
「そうですか、何か飲まれます?」
小野坂はのどが渇いたと湯を沸かし始める。
「いんやお構いねく」
「いえお気遣いなっ……」
「オレンジジュース!」
遠慮する大人二人に対し、子供である龍之介は素直に飲み物を欲しがった。
「コラッ! もうワガママ
「オレンジジュースかぁ、あったかな?」
小野坂は冷蔵庫を開けて買い置きしてあるジュースをチェックする。彼自身はフルーツジュースを飲むことはほとんど無いが、未成年の義藤と堀江はこの手のものを好んで飲んでいるため何らかのジュースは常にストックしてある。
「りゅうが飲めそうなのはアップルジュースしかないな」
「うん、“パパ”も一緒に飲もう」
龍之介は『離れ』に出入りするようになってから何故か彼を“パパ”と呼んでいる。稲城の父親にあたる亡き婚約者と小野坂とは似ている要素がほとんど無いのだが、何か感ずるものがあるのか他のメンバーとは明らかに向ける態度が違っていた。
母である稲城は一応元妻を気遣って何度も注意したのだが、大抵のことは聞き分けが良い方なのにも関わらずそれだけは頑なに直そうとしなかった。母の注意すら聞かないとなってしまってる以上、小野坂も『離れ』の中でのみという条件で取り敢えず許している状態だ。
「ならこっち来て飲みな。ショウ君も飲む?」
小野坂は三笠の子にも声を掛けると、彼は少々人見知りしながらも小さく頷いた。それを見た小野坂は、二人分の子供用プラスチック製のストロー付きカップにアップルジュースを入れてからリビングのテーブルに呼び寄せた。龍之介はとととと小野坂の隣に駆け寄って小振りのクッションの上にちょんと座り、ショウは末の男の子を抱えて小野坂の隣に座った。
「隣で何かあったのか?」
「『問題があった』ってこかさってたさ」
「『カスミさんがテチョウくずした』って
「そうか……ちょっと気になるな」
小野坂は三笠きょうだいを気に掛けつつもペンションの様子も気になっている。
「気になりますよね? 様子」
「えぇ、まぁ」
「ここはあてらで看ちょきます」
「今の時間したらさ、カフェ相当忙しくならさってんでないかい?」
「だと思う。ちょっと見てくるよ」
小野坂は稲城と角松に留守を任せて裏口からペンション館内に入った。ざっと目視しただけだが店内はほぼ満席状態であり、客室に繋がる階段のカーテンもまだ閉じられている状態だ。仕事相当押してるな……彼は厨房に掛け置いてある紫色のエプロンを着けて応援を買って出る。
「智さんは夜勤に備えてください」
接客と調理の両方をこなしている
「そんなこと言ってる場合かよ、仁が抜けてる間だけだ。客室掃除誰かいるのか?」
「信さんにお任せ状態です」
「申し訳ないけど任せちまおう、店は俺が出るから厨房頼む」
「分かりました」
「石牟礼さんのあんべはどったら感じだべかい?」
「下腹部押さえてたってことくらいしか分からんのです」
「そうかい。わちこれで上がりしたからさ、表のばんぺくらいすっぺよ」
「けど洗濯物置いとかれたままにするんは……」
「ん? そったらもんこれでいいのさ」
鵜飼はケータイ画面をちょいちょいと突っつき、すぐさまポケットに仕舞って一旦外に出た。それから間もなく『クリーニングうかい』と刺繍の入ったツナギを着た男性二人が『オクトゴーヌ』にやって来る。彼らは鵜飼の部下でほぼこの時間帯にペンション前の道を利用するため、ついでに寄るよう指示を飛ばしていた。
「なしたんだ? 社長」
「ん、それん乗らさってウチ戻ってけれ」
鵜飼は車のキーを従業員に手渡す。
「分かりました」
一人は乗ってきた車で職場に戻り、もう一人は社長から預かっているキーを使って鵜飼が乗ってきた営業車を走らせる。
「信さんはどないなさるんです?」
「ん? こんくらい歩けんべ」
鵜飼は平然とそう言い切り、悠然とフロントに入っていった。それから少し経った後、
「申し訳ない、業務押し付けてしもて」
「緊急事態やからしゃあないです。悌さん来られた後智さんも来てくれてますんで。それと信さんも……」
「信? 帰らんかったん?」
堀江は客室清掃を押し付けた形になった鵜飼がまだここに残っているとは思っていなかった。
「えぇ。従業員さん呼んで車だけ戻りました」
「そっか……せや! 霞さんさっきお姉さんと病院行ったわ。今日中に容態は報せるって」
「分かりました」
「ほな俺も業務に入るわ」
堀江は青のエプロンのシワを直し、念入りに手を洗ってからカフェ業務に入る。応援に入っていた小野坂と鵜飼はオーナーの指示の元戦線を離れ、休みだった根田が石牟礼の代役を努め上げた。
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