錆と嘘と綻びと その二

 日を追うごとに売上を伸ばし続けた『アウローラ』の東京出張は大成功と言え、嶺山も手応えを感じている。そして最終日を迎え、ショッピングモールの地主が北海道物産展の視察に来るという情報が入って周囲は活気と緊張感に包まれていた。

「智、ちょっとだけ中頼むわ」

 嶺山はやや固い表情で売場に出ると、小野坂が代わりにパンの焼き具合をチェックする。

『この度はご協力ありがとうございます』

 聞き慣れぬ男性の声であったが、小野坂の体はピクリと反応する。まさかと思い隙間から覗いてみると、夢子の元夫小宮山の姿があった。

『こちらこそ、ウチみたいな個人商店にお声掛け頂きまして』

『評判は耳にしています。播州建設の勝原さんのご推薦に上がっているとなれば興味も湧きますよ』

 地主ってあいつだったのかよ……小宮山と言えば高校時代の自身らに嫉妬してペンションに乗り込み、その裏では不倫三昧だった張本人であるとしか知らないので反射的に嫌悪感を募らせる。ところが傍らに立っている現妻との並びはしっくりときており、抱かれている子供もとても穏やかな表情をしていた。

 とても不倫三昧だった風には見えないけど……そう思いながら様子を見ると、妻子を大切にしているのが端から見ても伺い知れるほどだ。ついそちらに気が行ってしまっているところに、オーブンが焼き上がりを報せるアラーム音で現実に引き戻してきた。


 夕方五時に全日程を終了し、小野坂は片付けを済ませてから宿泊先にしている実家に戻る。途中凪咲からのメールで、労いの言葉と共に調布家で夕飯にすると聞いているので直接調布家に向かった。

「ただいま……ん?」

 彼は玄関に並んでいるピカピカに磨かれた革靴二足、パンプス、子供靴に気付く。客人か? と中に入るのをためらっていると、美乃がおかえりと出迎えた。

「お客様来てんの?」

「うん。紹介するから上がって」

 義母は小野坂の手を引いて客間に連れて行くと、義父智之、飯野一家、そして昼間遠目で見掛けた小宮山家族と見知らぬ男性が食卓を囲んでいた。

「えっ? どうなってんだよ?」

 小野坂は客人への挨拶も忘れ美乃を見る。

「それは今から説明する、座って」

 彼は誘導されるまま小宮山の向かいに座った。

「物産展お疲れ様。君が来てるのは名簿で知ってたから」

「ご無沙汰しています」

 以前会った時とはあまりにも違う紳士的な態度に戸惑いながら義父を見る。

「智、疲れてるだろうけど今から話進めるぞ」

 智之は婿を一度見てから話を始める。内容は十年前まで遡り、借金自体は一年程度で完済できていたこと、学費は支払えていたので夢子は退学する必要が無かったこと、金策に困ったのは娘の度重なる悪事によって発生した慰謝料や治療費であったと言った。

「あいつ何やってたんだよ?」

「美人局。男を誑かして金を騙し取ったり、非行で繁華街彷徨いてた未成年の女の子に体売らせてマージン掠め取ったりしてたんだよ」

「それ犯罪じゃねぇか」

 小野坂は妻の十年間が噂話を遥かに超える悪事まみれと知り、怒りを超えて落胆していた。

「そっ、その時は示談に応じる代わりに七桁〜八桁のお金を十人くらいにお支払いしてる。先方様も性犯罪だったりやましい面もあっただけに表沙汰になさりたくなかったんだと思う」

「そのせいでさ、今はもう収まってるけど智之父さんと美乃母さんの風当たりもキツかったんだよ」

 その時期にはこの家に入っていた凪咲が義父母の苦境を代弁した。

「江里ちゃんたちは味方でいてくれたから。それも長続きしなかったし」

 美乃は飯野一家を見て笑顔を見せた。

「その前から小宮山地所とは仕事で付き合いがあってさ、さすがに自分だけじゃ支払えなくて先代社長に泣き入れちまったんだよ。そしたら期限利子無しで金を用立ててくださってさ、更には太一タイチ君の嫁として預かるってまで仰ってくださったんだ」

「そのせいで太一君にはいっぱいご迷惑掛けちゃったけど」

「いえ、当時は夢子さんを真面目に愛していましたから」

 そんなこと嫁さんの前でと思った小野坂だが、小宮山夫妻は平然としてお互いの顔を見合わせ笑みすら浮かべている。現妻であるサキにも言い分はあるだろうが、今手にしている幸せを大切にしたいと願っているように感じられた。

「でも夢子は皆の気持ちを踏みにじって態度を改めようとしなかったの。節操なしに不倫して、そのためのお金は全部彼にせびってね。でもそんな子に育てたのは他ならぬ私なの」

「もう親の責任という年齢は過ぎてます」

「そうだよ美乃母さん、もう自分で責任取らせりゃいいんだって」

 サキと凪咲は美乃を慰め、智之もこれ以上責任を感じるなと妻の背中を擦る。小野坂は妻の身勝手で多くの人間を傷つけ、今尚平然としている日頃の態度が理解できなくなっていた。

 俺あの女の何に惚れたんだろう? 一度ならずも二度愛し、結婚して娘ももうけた。しかし既に夫婦仲は冷めきっており、離婚の二文字が脳裏でちらつく時間も長くなっている。

「だからね智君、一緒にいるのが辛いのなら離婚していいから。今日はそのための弁護士さんを紹介したかったの」

 義母のひと言を合図に、下座で静かに座っていたスーツ姿の男性は小宮山の隣まで歩み寄った。

籠谷カゴタニと申します、小宮山地所の顧問弁護士を務めております」

 彼は名刺をすっと差し出すが、小野坂はそのようなものを所持していない。

「小野坂智です、生憎名刺は持っておりません」

「構いませんよ、一番下に記しているフリーメールにご連絡先を送信しておいて頂ければ」

「使わないに越したことはないんだけどね、多分あの子またやるよ」

 美乃の台詞に小野坂の背中は凍った。

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